山口 頼明(やまぐち よりあき)さん/山口屋・歩危マート

COREZOコレゾ「頼さんとゆっこちゃんのキッチン会議からはじまる、楽しい大歩危・祖谷の地域活性化」賞

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山口 頼明(やまぐち よりあき)さん

プロフィール

徳島県三好市西祖谷山村出身、在住

有限会社山口屋 代表取締役

歩危マート 経営

JR大歩危駅活性化協議会 会長

妖貝法螺吹き隊 隊長

大歩危駅前1日1ケごみひろおう会 会長

歩危マート キッチン会議 議長

ジャンル

観光・地域振興

経歴・実績

ゆっこちゃんの旦那歴50有余年

山口 由紀子(やまぐち ゆきこ)さん

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プロフィール

徳島県三好市池田町出身、西祖谷山村在住

有限会社山口屋 ぼけ取締役

歩危マート 経営

大歩危駅活性化協議会 会長補佐

妖貝法螺吹き隊 隊長補佐

大歩危駅前1日1ケごみひろおう会 会長補佐

歩危マート キッチン会議 議長補佐

経歴・実績

歩危マート 看板娘歴50有余年

受賞者のご紹介

大歩危駅活性化協議会

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「大歩危駅」は、四国の有名観光地「大歩危・祖谷」の玄関口であり、JR四国土讃線の全特急が停車する主要駅である。1日の平均乗降客数は200人程度と70万人超の新宿駅と比べるとちょっと負けるが、地区最大の駅である。

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大歩危駅に降り立つと、駅前大繁華街の中でもひと際光り輝く「歩危マート」の看板が目に飛び込んでくる。

2003年、ご縁があって、山口屋「歩危マート」の山口 由紀子(ゆきこ)さんと知り合い、ご主人の頼明(やまぐち よりあき)さんは、2011年に筆者が請け負ったある観光地域振興事業を通じて、親しくしていただくようになった。

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その事業の打ち合わせで「歩危マート」に伺うと、「大歓迎のシルシじゃ」と、「歩危マート」名物、「ボケあげ」を暖簾のように吊らくって出迎えて下さった。

「まあ、お茶でも飲み。」と、年代もんの石臼で粉茶に挽いて、お茶を入れて下さった上に、「ぼけ祖谷汁、まだ食べてへんじゃろ?」と、これも食べ、あれも食べと出して下さって、夕飯前に満腹になってしてしまった。

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奥様の由紀子さんは、万事この調子で、とびっきり明るく、いつも元気一杯だ。

地域の名店「歩危マート」店名のいわれ

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前々から気になっていて、秘密のベールに包まれていた「歩危マート」という店名のいわれを尋ねてみた。

「思い返せば、昭和37年、20歳で山口家に嫁いで、山口屋の看板娘に就任して、もう50年じゃ。」とおっしゃる。「ええっ?、いったい何歳なんですか?」、「足したらわかるやろ?」。何とお若く見えるのだろう。どう見ても37~8歳にしか見えない。いや、10歳以上はお若く見えだけでなく、華道の師範もやっておられて、材料の花木を採るためには、都会のへなちょこオヤジが躊躇するような険しい山にもスタコラ入って行かれる。

山口家は元々、土讃線が開通したのを機に、「山口屋」という旅館と雑貨屋、食堂を営んでおられた。現在、「歩危マート」がある場所には、元は製茶工場があって、そこが廃業した折に、近所の電器店、衣料販売店、文具店にも声を掛けて、昭和44年に「大歩危マーケット」を開業された。

今の屋号は、一緒にやっていた店舗が廃業されたこともあり、駅前道路拡張のために店舗の敷地を提供し、店の規模も1/3に縮小したのを記念して、「大」と「ケッ」を取って、「歩危マート」にしたというウソのようなホンマの話だそうだ。

この辺りも過疎化が進んでいて、2010年には大歩危駅も完全無人化してしまったが、「大歩危駅活性化協議会」を結成して様々な活動に取り組み、大歩危駅の無料休憩所「ほっと案内所(現在は別の形態に変わっている)」の管理もボランティアで引き受けておられた。そんな由紀子さんの「歩危マート」はいつも活気に溢れている。

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地元の素材をできるだけ使って全て店内で手作りするお惣菜やお弁当が人気だ。2号店では、当地の名物の岩豆腐(カタイ豆腐)、こんにゃく、ボケあげや季節の野菜がたっぷり入って、そば粉でとろみをつけた「ぼけ祖谷汁」や「祖谷そば」が店先で頂ける。

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ちゃんとつくった地場産をもっと売りたい

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「1日、2~300人は来てくれはるかなぁ。これでもどんどん減ってるんで。夕方は工事関係の人が大勢来てくれたけど、この頃は工事もないきんなぁ。でもな、ウチは狭いきんな、今でも単位面積当たりの売り上げは日本一じゃ、アハハハ。」と、由紀子さん。公共工事の減少は、「歩危マート」さんにも影響していたのだ。

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「『ザ地場産』ゆーてな、ここらの地場のもんをよーさん取り扱うてるのは知ってるやろ?ちゃんと作ったもんばっかりじゃきんな、もっと売れて欲しいな。今はな、店の運営は店の子らに完全に任してるきんが、口は出すで。自分が買いたないもん、見たないもん、ええかげんなもんは店に置くな云うてる。私な、賞味期限ギリギリのもんとか、痛んだもん大嫌いやきんな、腹立つ。もし、見つけたら、売場の責任者に売値で買わすきんな。」

「今日な、お花のお稽古あるきん。嵯峨御流ゆうねんけどな、父親が一生続けれるもん持てゆうてな、お花だけは好きでずっと続けてるんじゃ。その花きれいじゃろ?アケボノソウじゃ。近所の人が山から持って来てくれたんじゃ。今日これ使うきんな。花の仲間はええんで、毎年8月7日は、はなの日にしてな、徳島県内にあるJRの74駅全部で掃除して、花を一輪生けてるんじゃ。」

プロパンガスの集金業務は地域見廻り業務

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山口 頼明(やまぐち よりあき)さんは、有限会社山口屋の代表取締役ガス事業部長として日々、プロパンガス事業に精を出しておられる。今でも自社で各戸に集金に伺っていると聞き、その訳を尋ねると、「この辺りは老人の一人暮らしが多いんじゃ、集金時にお元気かどうかの確認もできるきんな。」とのこと。

由紀子さんが、「何ぞある時にはとーちゃんには酒飲ましとく。」とおっしゃる程、普段はとってもシャイで、恥ずかしがり屋さん。「ちび◯る子ちゃんの中野さん」のようなモジモジとーさんだが、アルコホールが入ると俄然、本来の調子を取り戻される。

「妖貝法螺吹き隊」とは?

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徳島県の上勝町で開かれている「ヤッホー調査隊」の審査に参加して、「法螺貝吹き1級」を取得された頼明さんは、「妖貝法螺吹き隊」隊長も務めておられる。「法螺貝は喋らんでも吹けるきんな。」と、由起子さん。

常日頃から、法螺貝吹きの鍛錬に余念がない。随時、隊員の由紀子嬢らを引き連れての練習会を実施し、ガス事業部の営業車には常に法螺貝が積んであって、ここぞというポイントを見つけると、土砂降りでも吹きに行かれる。かつて、法螺貝は山での通信手段であったり、音の返りで山と山の距離を測る実用な面もあるそうで、山間部で吹くと音が幾重にもこだましてなかなかのもので、ハマるのもわからないでもない。

イベントがあると聞けば、呼ばれなくても、「妖貝法螺吹き隊」を編成して、馳せ参じるという。地元イベントの常連で、知らない人はいないぐらいで、地域の後山四所(うしろやまししょ)神社境内で行なわれた「後山襖からくり」の公演でも見事な法螺貝を披露され、その時の司会進行は奥様の由起子さんだった。

また、ここ数年、とくしまマラソンの応援にも繰り出していて、2014年には、県知事表彰も受けたそうだ。

「大歩危駅前1日1ケごみをひろおう会」の大掃除

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とある日、「大歩危駅前1日1ケごみをひろおう会」会長が呼び掛けると、平日にも関わらず、30名近くもの人々が大歩危駅前に集結し、大歩危駅とその周辺、大歩危橋の欄干の掃除に精を出した。

会長自ら、借りて来た水タンクを愛車のプロパンガス事業部用軽トラに積み込み、清掃用の水と飲料を配って廻られる。筆者もその清掃作業を手伝ったおかげで、その夜に開かれた「キッチン会議」に呼んでもらい、以降、正式メンバーに加えて下さった。

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「キッチン会議」から始まる楽しい地域活性化

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また、「キッチン会議」議長も務めておられる。「歩危マート2号店」(ちなみに1号店は存在しない)の台所で開催されるので、「キッチン会議」と呼ばれているそうだ。

夜な夜な頼さんとゆっこちゃんの仲間たちが集まって、地域振興等について真剣に討論する所謂、飲み会なのだが、この会議の熱心な議論の中から、「大歩危駅前1日1ケごみをひろおう会」や「大歩危駅活性化協議会」等が発足し、駅の案内所を改装してLAN設備を開設したり、お仲間の愛犬、「虎太郎(こたろう)」くんを助役にしたり(現在は引退)、「妖怪コインロッカー」等のアイディアが生まれたそうだ。

トロッコ列車等の季節の企画列車の運行に合わせて、大歩危駅で「わんこ市」を開催したり、犬の「虎太朗」助役グッズの開発、販売(現在は終了)、「肉巻き酒餅」等の商品開発、販売と地域を上げて取り組んでこられた。

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何度も参加させて頂いているが、とにかく楽しい会議だ。頼明さんはこの会議だけのために生ビールサーバーまで購入(税務署さん、店の経費にはしてまへんで、念の為)されて、準備に、サーブにとお忙しい。自慢のお酒や焼酎もズラリと並ぶ。

由紀子さんは、名物「ボケあげ」を使った「ボケ鍋」、地元名物の「ひらら焼き」の他、地のものをふんだんに使った料理を次から次に振る舞って下さる。参加者もさまざま、JR四国関係や観光関係の方はもちろん、行政の方もいれば、警察官、農家さん、職人さん、中にはお殿さま?まで・・・。

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いろいろな意見が飛び交い、「それおもしろい」、「やってみよか」、…。と盛り上がって、決まったことはきっちり行動に移しておられる。やっぱり、参加する皆んなが楽しくないと実行できないし、続かないのである。

凡人の予測を遥かに超えるデリシャス・マインド

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人が楽しんだり、喜んでいるのをご覧になるのが嬉しくて仕方がない、というこのお二人の周りには笑い声が絶えず、常に色々な人が集まってくる。「そこまでするか?」と思うぐらい、面倒見が良く、相手の要望にできるだけ応えようとされるので行政やマスコミ受けも良く、担当者や担当記者さんたちが異動で地域を離れた後も仕事抜きで「歩危マート」に訪ねて来られるのを幾度となく目撃している。

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「ウチはな、娘しかおらんきんが、2人とも嫁に出してしもうてな、ウチのおとーさんはさびしいて、1ヵ月、もの食べなんだんよ。もうな、別に何も残さんでもええきんな、地域に恩返ししたいだけじゃ。何もせんかったら、寂れる一方じゃ。ここらの人らみんなと楽しくしたいんじゃ。ホンマ、景気ようしたいなぁ。何でもやるから、何でもゆーてや。観光のお客さんにももっと来てもろて、仲ようなれたらええなぁ。ほんでまた来てくれはったら、それは嬉しいきんなぁ。」と、由紀子さん。

「ハハハハ、そや、そや、ハハハハ。」と、頼明さん。

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このBLKな筆者でさえWHTに改心してしまう?ほど、凡人の予測を遥かに超える頼さんとゆっこちゃんの人を喜ばせようという心意気と地域を愛する郷土愛には際限がない。これからもお二人の絶妙なコンビネーションで大歩危をさらに元気にしていかれるに間違いない。

コレゾ財団・趣旨をご説明して、お二人に受賞のお願いをしたところ、

頼明さんは、「お断りする理由は何ひとつございません。」、由紀子さんは、「ニコイチでお願いします。」と、ご快諾頂いた。

COREZOコレゾ「頼さんとゆっこちゃんのキッチン会議からはじまる、楽しい大歩危・祖谷の地域活性化」である。

後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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「妖貝法螺吹き隊」披露

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岩豆腐とボケあげ

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ゆっこちゃんが嵯峨御流の盛花を生けて下さった 助手はなんと…⁉︎

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我が息子?の晴れ舞台にこれぐらいのことしかできんでゴメンやで、とは、恐縮至極です

後日談2.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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2013年度の盛花は山に入って竹取りから

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バーナーで焼いて青竹にする

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土木作業中?

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お見事‼︎感謝!感激‼︎

後日談3.第3回2014年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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祝い事には「妖貝法螺吹き隊」、参加者全員分のボケあげを持って来て下さった

後日談4.地域奉仕の精神

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2013年新年の大歩危駅、毎年、誰からも頼まれんのに勝手に生けておられる

「好きでやってるんじゃ、お正月に訪れて下さったお客様に喜んでくれはったらええきんな。」

万事がこの調子、こんなんが日常茶飯事

後日談5.頼明さん、COREZO(コレゾ)財団常務理事に就任

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2011年の観光地域振興事業終了後も頼さんとゆっこちゃんには、大歩危・祖谷に行く度に田舎の実家に帰ったようにお世話になり続け、頼さんからは、「オイ、息子よ」と呼んで頂く程、懇意にして頂いている。2013年、頼明さんには、COREZO(コレゾ)財団常務理事も引き受けて頂いた。

後日談6.ローカルの人気者から全国区のスタアへ

頼さんとゆっこちゃんは、地元の人気者で、ローカルメディアやTVにはよく出演しておられたが、近年(2013年頃より)、全国区のメディアに露出することが多くなり、2014年の夏以降は、常に何かの取材が入っているような状態だそうで、大阪のTV放送でも良く見かけるようになった。

地道に続けた来られた活動が実を結んでいるようで、不徳の息子?としても嬉しい限りだ。

COREZO(コレゾ)賞事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2015.05.

最終更新;2015.03.11.

文責;平野龍平

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