長田 勇久(おさだ はやひさ)さん/小伴天はなれ日本料理「一灯」

COREZOコレゾ「やる以上はとことん極める、つくり手の皆さんの想いも含めて、地元の食材をわかり易いカタチにして伝え、次の世代につなぐ料理人」賞

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長田 勇久(おさだ はやひさ)さん

プロフィール

愛知県碧南市

小伴天はなれ 日本料理 一灯 店主

料理人

料理プロデューサー

動画 COREZOコレゾチャンネル

長田 勇久(おさだ はやひさ)さん/小伴天はなれ日本料理「一灯」(その1)「地元食材を調理する料理人の修行時代」

長田 勇久(おさだ はやひさ)さん/小伴天はなれ日本料理「一灯」(その2)「地元食材は地元発酵調味料で」

長田 勇久(おさだ はやひさ)さん/小伴天はなれ日本料理「一灯」(その3)「つきぢ田村修行時代と真空調理とは?」

長田 勇久(おさだ はやひさ)さん/小伴天はなれ日本料理「一灯」(その4)「夜のコースを地元の常連客が食レポ!」

経歴・実績

1965年 碧南市生まれ

愛知大学を卒業後、東京「つきぢ田村」にて6年間修業

1995年 実家である、「日本料理小伴天」に入社。以来、一貫して地元の食材にこだわり続ける。

2015年 小伴天はなれ 日本料理 一灯をオープン

受賞者のご紹介

長田 勇久(おさだ はやひさ)さんは、小伴天はなれ 日本料理 一灯の店主であり、料理プロデューサーである。

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日東醸造の蜷川社長のお眼鏡にかなえば、碧南の名店、「小伴天」にタクシーの送迎付きで連れて行ってもらえるのだが、筆者はそんなことは全くお構いなしに、2015年にオープンされた「小伴天はなれ 日本料理 一灯」へも何度かご一緒させてもらっている。

地元の食材の美味しさを地元の調味料でさらに引き立てられた料理の数々に、つい地元のお酒の盃を重ねてしまう。

「小さい店ならではの心遣いと料理を通して、南三河の食文化を発信し、お客様と生産者様が交流し、活性化していく、一つの灯りとなりたい」という思いから、「一灯」と名付けられたそうだ。

愛知は「食」の宝庫

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―コレゾで蜷川さんと親しくなったおかげで知ったのですが、この地は、「豆味噌」、「たまりしょうゆ」、「しろしょうゆ」、「三河みりん」等々、醗酵調味料の宝庫ですね?

そうなんですよ。農産物も豊富でしたし、江戸時代には、徳川のお膝元であったこともあって、大消費地である江戸へ運ぶ海運ルートが確立されていて、さらに発展したと云われています。

―「たまりしょうゆ」と「しろしょうゆ」という、全く性格の違うしょうゆが同じ地域でつくられているのも興味深いですね?

やはり、土地が豊かで、農産物が豊富だったことから、食文化も豊かになっていったのではないか、と思います。

―きしめん、赤みそ、手羽先だけで、名古屋は語れませんね?

確かに、名古屋では、きしめんを食べますが、きしめんではなく、愛知でも、うどんを食べる地域も多いですよ。きしめんでも、地域によって、赤みそ、たまり、しろしょうゆと使う調味料が違っていましたが、今では、どんどん、地域性も失われつつありますね。

調味料は、味を付けるのではなく、「素材の味を引き立たせる」ために使います。愛知は、農作物だけでなく、魚介も豊富に獲れますが、調味料ひとつで、料理の味わいは変わりますし、地元の食材と一番相性がいいのは地元の調味料だと思います。当地は、調味料の種類が多い上に、同じ調味料でも醸造元それぞれにこだわりがあり、味の個性も異なるので、「料理によってどれが最も合うのか」を考えなければなりませんが、それだけ味のバリエーションが広がるということで、より、いっそう料理が楽しくなります。

他がやっていないこと意識して、とことん極める

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―小伴天さんのご長男に生まれられて、後を継ぐつもりだったのですか?

継がないかんかな、とは思っていましたが、決めたのは大学入ってからですね。

―3人のご兄弟、皆さんですよね?

父からは、継げとか何も言われなかったのですが、全員、自分の意志で料理修行に出て、家業に入りました。

―ご兄弟で一緒に商売をやっていて、もめたりしないのですか?

細かいことではありますが、私が小伴天に居た頃は、私が店全体のことを見て、料理は、次男、鰻は、三男がやっていました。同じ料理でも、だしのひき方一つをとっても、修行したところによって、やり方がそれぞれ違うので、従業員たちに違うやり方を指導すると、おかしなことになりますから…。でも、この「一灯」をつくってからは、私の軸足はこちらに移っていますよ。

―お父様の時代から、地元の食材を活かす料理をされていたのですか?

小伴天を始めた頃は、周りに料理屋も少なかったので、冠婚葬祭の需要も多くて、儲かっていたようです。

店を大きくし、時代が変わって、競合店も増えてくると、やり方も変えて、地元を意識するようになりました。どうやれば目立つか、他がやっていないことをやらないとTVやマスコミに取り上げられないのもよくわかっていて、地元の食材を使うときは徹底して使ったり、真空調理もそうなんですが、他がやっていないこと意識して、とことん極めるまでやっていました。

真空調理と云うのは、食材をフィルムの中に密封して低温加熱する調理法で、旨味や風味・栄養素・ビタミンなどを食材の中に閉じこめた状態で調理ができます。

まだ、私が入る前ですが、一時期、真空調理法を極めようと、その調理法を編み出されたシェフのいらっしゃる山梨のホテルに毎週のように通っていたこともあります。

―長田さんが地元の食材や調味料にこだわっておられるのは、お父さまの影響ですか?

いいえ、どちらかと云うと、家に戻った時には、好きにやっていいよ、と言われたので、当時は、今ほど意識はしていませんでした。

修行時代はバブルの真っ最中

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私が修行をしたのは、東京・築地の有名な料亭だったのですが、身体一つで来いと云われて、行ってみると大部屋に二段ベッドが何台か並んでいて、その内の一つが自分のプライベートスペースでした。

当時、バブルの絶頂期で、そのお店には、平日でも、2~300人、土、日は1日400人以上のお客さまが押し寄せていました。初日、着いてすぐに働き始めて、終わったのは深夜2時でした。朝5時から深夜まで働くという毎日が続き、2~3万の料理は当たり前、中には一人10万円もする料理を食べていく客もいましたから、私の感覚もちょっとマヒしていたかもしれません。

東京の料理をここで食べさせる意味はあるの?

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なので、そこで6年間修業をして、こちらに戻って来た時には、東京で出していた1万円の料理を5千円で出せば、こっちのお客様は満足するに違いない、ぐらいに思っていたんですよ。

ある時、常連のお客さまから「東京から大切なお客様を連れて来るでぇ、値段はいくらでも、お前の好きにしてええから、とにかくええ料理を出してくれ。」と云う注文がはいって、それは張り切りましたね。築地から最高の食材を取り寄せ、料亭で覚えた得意の献立を一品づつご説明しながら、お出ししたんです。

食べ終わったその常連のお客さまから、「美味しかったけど、東京から来たお客さまに東京の料理をここで食べさせる意味はあるの?」と問われて、ハッとしました。自分は、こっち(地元)のことは何も知らんかった、と猛省しました。

食材を見てから献立を考える

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また、毎日、秘書の方と2人で刺身定食だけを食べに来られる初老のお客さまがいらっしゃって、小鉢も2つ付けていたんですが、それが、あまりにも毎日なので、その方のためだけに、毎朝、近くの一色漁港に行って地魚を買い出し、珍しい魚や見たこともない魚が並んでいたら、どう調理したら美味しいか、漁師さんや仲買さんに尋ねながら仕入れていたんですよ。

その内に、そういう人たちと親しくなって、いろいろ教えてもらえるようになると、自分は築地にある高級食材のことは多少知っていても、地元に当たり前にある食材のことを全く知らなかったことが良くわかって、それまでは、先に献立を考えてから、食材を手配していたのですが、食材を見てから献立を考えるようになったんです。

それからは、魚屋さん、八百屋さんはもちろん、しろしょうゆやさん、みりんやさん…、等々へも、足を運んで、自分の目で見るようになりました。

その初老のお客さまは、結局、3年程、身分も明かさず、毎日、通って下さったのですが、実は、半田の魚市場の社長さんだったんですよ。

今でも、無言で自分を鍛えて下さったそのお客さまにはとても感謝をしていますが、そのお客さまだけではなく、いろいろなお客さまから教えて頂いて、今、ここに自分がいる意味を考えて料理をしようと思うようになりました。

つくり手の想いを料理して伝える

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また、せっかく、蜷川さんのようなつくり手の皆さんと知り合い、懇意にしてもらうようになったので、つくり手の皆さんが一生懸命つくられた食材や調味料を使い、その方々の想いも含めて、お客様にわかり易いカタチにして、お伝えし、次の世代につなぐのが料理人の仕事であり、使命であると考えるようになりました。

伝統と新しいものが混在していることがこの地域の食材の魅力

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―この地域の食材の魅力とは?

伝統と新しいものが混在していることでしょうか。どちらも、両方、あるんですよ。何より、歴史と伝統があるのが一番ですが、それにプラス、若い人たちが新しいことに挑戦しているところが、おもしろいです。伝統のある食材でも、先祖返りをしているというか、蜷川さんのところでも、昔ながらの製法のしろたまりを復活させたり、味噌屋さんでも昔ながらのつくり方に戻してみたりとか、今となっては、ある意味、新しいやり方なんですよ。

昔の伝統野菜をつくってみようという人も増えているし、一方で、新しい野菜づくりに挑戦しようとしている人たちもいて、地元のつくり手の皆さんとの付き合いが長く、深くなればなるほど、いろんな意味で、食材のバリエーションが広がっていて、料理人としても、ワクワクしますね。

それもあって、せっかくやるなら、中途半端に外からの食材を取り寄せるより、全部、地元産で揃えた方が、より、おもしろいものができると思っています。

―とことん極めるまでやるのは、お父さまの血筋ですか?

ハハハハ、そうかもしれませんね。

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長田さんは、料理プロデューサーとしても多方面で活躍されていて、いろんな食のイベントや料理教室にも引っ張りだこの人気者である。中でも、講師を務めておられる大学の「愛知の『食』を学ぶ・楽しむ」社会人講座は、毎回、講座のテーマを題材にした、長田さんのお弁当が振る舞われるとあって、毎年、募集と同時に満席の盛況らしい。

COREZOコレゾ「やる以上はとことん極める、つくり手の皆さんの想いも含めて、地元の食材をわかり易いカタチにして伝え、次の世代につなぐ料理人」である。

文責;平野龍平

2016.11.最終取材

2016.11.初稿

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