COREZOコレゾ「醤油屋本来の姿に戻りたいと、約40年ぶりに自社での醤油醸造を復活させた若き四代目」賞
城 慶典(じょう よしのり)さん
プロフィール
福岡県糸島市
有限会社ミツル醤油醸造元 四代目
醤油づくり職人
ジャンル
食
伝統文化
発酵食品
醤油醸造
受賞者のご紹介
約40年ぶりに自社での醤油仕込を復活
城 慶典(じょう よしのり)さんは、福岡県糸島市の有限会社ミツル醤油醸造元の四代目で、醤油づくり職人である。
現在、醤油メーカーの大半は、自社の蔵での醤油づくりを止めて、醤油の原料となる「生揚げ(きあげ・火入れ、ろ過していないもろみを搾っただけ状態の)醤油」を醤油組合や他のメーカーから仕入れ、火入れ、味付けをし、瓶詰めして販売している。ミツル醤油さんも例外ではなく、一度やめてしまった自社での醤油づくりを、道具も設備も手元にない状態から、約40年ぶりに復活された。大手メーカーとの二極化が進み、新規参入もなく、廃業する中小メーカーが増えている醤油業界では、画期的な出来事だったという。
藤井製桶の上芝さんから有限会社ミツル醤油醸造元さんの仕込桶をつくったと伺い、また、有限会社葦農の武富勝彦さんがお知り合いだということで、ご紹介頂き、2014年6月と8月にミツル醤油さんを訪れ、お話を伺うことができた。
醤油メーカーは減る一方
ー 福岡県は日本一醤油メーカーが多いと伺いましたが?
「そうですね、全国で1500軒ぐらいある内の約110社あります。一番少ない山梨県には2社しかありません。醤油醸造に新規参入はまずありませんから、その110社も後継者がいない等で、毎年、1〜2社ずつ廃業して、減る一方ですね。」
醤油生産が協業化したワケ
ー 醤油生産が協業化したのは?
「戦後、経済が復興し、安定してくるにつれて、設備投資をして効率化を図った少数の大手メーカーと大多数の中小メーカーとの経営格差が拡大しつつあり、産業の二重構造化が進んでいました。確か、昭和38(1963)年に、中小企業近代化促進法が成立し、醤油業界も、各都道府県や地域で共同の工場をつくって、生醤油を各メーカーに分配する仕組みが始まったらしいのです。」
「昭和42(1967)年には、福岡県醤油醸造協同組合ができて、ウチもそこから生醤油を仕入れるようになったので、自社では、醤油を仕込まなくなり、火入れと瓶詰めして、売るだけになりました。そうなると、人も、設備も、場所も要らなくなって、自分のところのお客さんだけを守って行けば、安定して経営もできるようになりました。」
「データを見ると、その当時、経済高度成長の波に乗って、醤油の国内出荷量もどんどん増えていましたが、昭和55(1980)年頃がピークで、減少に転じました。そういう効率化をしていなければ、ウチのような小さな醤油屋は生き残れなかったし、福岡県では協業化するのが早かったので、他の県と比べて、多くの醤油メーカーが残っているのだと思います。僕が戻ってから、組合から仕入れてつくる醤油の他に、自社での仕込みを復活しましたが、福岡で同じように自社での仕込みもしておられるのは、10社ぐらいあると思います。」
昔ながらの製法での醤油づくりの写真を見て…
ー いつから自社での醤油醸造の復活を志しておられたのですか?
「子供の頃から、醤油屋をやるんだなというのは何となく思っていました。地元の高校に進学して、自分の進路を考えるようになった頃に、ウチは中間製品を仕入れて、最後の火入れと瓶詰めだけをやっているというのを知ってから、最初から自分のところでつくっていないものをウチの商品として売っていることに違和感というか、お客様を欺いていているような気がして、自社での醤油醸造の復活を決意しました。」
「その頃に読んだ全国の醤油について書かれた小さな本の最初のページに、和歌山の醤油屋さんが昔からの製法での醤油づくりをしておられる写真が掲載されていて、いいな、手づくりの醤油をやりたいなって思い始め、大学4年の時にそこでも研修をさせてもらいました。」
ー お父様は醤油仕込みを経験されていたのですか?
「祖父の時代には仕込んでいましたので、それは見ていたと思いますが、父が継いだ時にはもう仕込みはやっていませんでした。その祖父は、僕が小学生の頃に他界しましたので、実際に醤油仕込みを経験した者はウチにはいませんし、道具も設備も何もない状況でした。」
大学在学中に7つの醤油蔵で麹づくりや仕込みを経験
「それで、東京農業大学醸造科学科に入学して、自分の家では醤油づくりを全く見たことがなかったし、とにかくいろんなところの醤油づくりを見て、学ばなければいけないと思いました。食品の催事に出かけたり、東京で売られている醤油を購入し、味見をして気になったところや、小さな規模で、伝統的製法、仕込みによる醤油造りを続けられておられる醤油蔵を探して、見学させてもらったり、醤油は、秋から冬にかけて仕込みますので、春休み等を利用して、仕込みの時期に短期間の研修を受け入れて頂き、卒業までに、7つの醤油蔵で麹づくりや仕込みの経験をさせてもらいました。」
ー 醤油屋さんは快く受入れて下さるのですか?
見学させてもらったところや、東京の催事等に来られた醤油蔵さんで、お話をしてご縁ができたところにお願いをしたので、断られたところは少なかったですね。」
1年間の醤油づくり修行後、食のビジネススクールへ
ー 大学卒業後は?
「卒業後、広島の大崎上島という島にある岡本醤油醸造場さんで一年間、修行をさせてもらって、醤油づくりを一通り経験させて頂きました。親が高齢なので早めに戻ろうとは思っていましたが、醤油醸造を復活すると言っても、ウチみたいな近所の人に売るだけの商売をやっている醤油屋で、経営的にもずっと売り上げが落ちているのに、現実的には難しいのは、重々、わかっていました。」
「そこで、他とは違った特徴とか、商売に関する新しい見方、いろいろな見方も身に付けようと、その後の1年間、昼間は自然食品の店でバイトをしながら、興味のあった東京のフードコーディネーターを養成する食のビジネススクールに、夜だけですが、週2回通いました。」
改良を重ねて来た歴史がその醤油屋さんの味
ー どのような醤油を目指しておられるのですか?
「自分の中では、最終的にどういう味にしたいか、どういう味がおいしいのか、料理に合うのか、経験が少ないので、自分でもまだよくわかっていないというか、固まっていません。今年の出来がこうだったから、来年の仕込みは、こういう風にしたいとか、種麹や塩の種類、仕込む時期他を、毎年、少しずつ変えながら、修正、改良し、よりよい醤油をつくり続けることから、これだというものを見つけていくしかないと思っています。」
ー 2010年度に初めて仕込まれた醤油も業界の人たちからの評判が良かったと伺いましたが?
僕が研修や見学をさせてもらった伝統的な製法でつくっておられる醤油屋さんは、基本的なところはどこもほぼ同じですが、蔵の環境、麹づくりの温度管理や時間、使用する道具、諸味を撹拌する頻度や桶の管理の仕方等、細かい部分が異なっていて、それが家業として代々受け継がれ、改良を重ねて来られた歴史ですし、その醤油屋さんの味になっています。」
「ウチは醤油屋なのに、50年近く醤油の仕込みをしたことがなく、祖父も亡くなったので、全く醤油づくりのベースがない状態でしたから、いろいろなこと学ばせてもらって、いいと思ったことはどんどん試しながら、この場所のこの環境にあったいい醤油をつくっていきたいと思っています。」
仕込木桶を毎年2本ずつ増やし6本に
ー 仕込桶は上芝さんに頼まれたとか?
「そうです、上芝さんとは、小布施のセーラさんがやっていた『桶づくり保存会』で知り合いました。仕込みを始めた最初の年の2010年度は、元々あった桶を補修してもらって使い、2年目からは、組み直し(新桶ではなく、中古の桶を削り直して組み直す)で2本つくってもらって、翌年も、2本増やして、仕込み、3年間で、今のスペースでは限界の6本になりました。2年間、醗酵、熟成させて、3年目に搾るので、2013年度分は、2010年度に仕込んだ桶2本を空にして仕込みました。」
ー 仕込桶に柿渋を塗っておられましたが?
「木の桶は、底や側面から液体がしみ出して、ある程度漏れます。1年目(2010年度)に使った桶は何も塗っていなかったのですが、梅雨時期や夏には、その箇所からカビが生じました。木の厚さがありますから中のもろみには何の影響もないのですが、衛生上も精神衛生上も気になるので、2年目につくってもらった桶から仕込む前に、天然素材で抗菌効果もある柿渋を側面と底にも10回ぐらい塗り重ねました。ところが、もろみの入った1年目(2010年度)の桶は、もろみの塩分のせいなのかわかりませんが、いくら塗っても柿渋が付きませんでした。」
麹も自社で
ー 1本仕込むのに何日ぐらい掛かるのですか?
「蒸した大豆と炒った小麦に種麹屋さんから買った種麹を混ぜて、麹をつくる部屋で温度を管理して3日間程置くと、カビの一種である種麹が繁殖して麹が出来ます。設備と手間が掛かるので、麹づくりの協同組合をつくっている地域もありますが、ウチは麹も自社でつくって、1本仕込むのに、4回程仕込むので、15日ぐらい掛かります。麹と塩水を仕込桶に仕込んだ状態がもろみです。一般的な濃口醬油は大豆と小麦の割合が1対1です。淡口醬油は塩水の割合を多くするので塩分濃度が高くなります。」
ー どれぐらい仕込めて、何リットルの醤油になるのですか?
「ウチの仕込桶は20石なので容量が3600ℓで、2800ℓ仕込めますが、塩水の割合を少なくしていて、もろみが固いのと、搾りの機械の性能もあって、醤油は1800ℓしか出来ません。」
搾りは手動の機械で
ー 日東醸造の蜷川社長さんから、今どき、「ふね」で搾っている醤油屋さんは珍しいと伺いましたが?
「油圧式だと3〜4日で搾り切れるので、作業効率がよく、醤油自体の酸化も少なくて済みますが、機械が大きいため、それなりの設置スペースが必要ですし、中古がほとんど出回っていない上に、大きな力がかかるので、基礎工事からやる必要があり、費用の関係もあって、ウチは手動の機械を使っています。」
「原料が丸大豆だと油分が約20%含まれるので、大きな圧力を掛けて搾るとその油分も出てきます。そこで、分離槽を設けて、分離する工程が必要です。しかし、ウチの機械では大きな圧力が掛けられないので、搾るのに2週間ぐらい掛かりますが、どんなに一生懸命搾っても油分がほとんど出ないのでその必要がありません。横から見ると船の形をしていたので『ふね』と呼ばれるそうです。」
醤油のエキス分が残った粕も商品に
ー 丸大豆で仕込んでおられるたまり醤油の南蔵さんでも搾りは油分が出るので、油を分離して除去するが、生引きは油分が出ないとおっしゃっていました。両方の味見をさせて頂くと、断然、生引きの方がおいしかったのですが、大きな圧力を掛けないで、油分も出ないということは、醤油もおいしいでしょうし、醤油粕にもエキスが残っていておいしいのでは?
注:大豆を砕いてから化学的に油分を抽出した残りが「脱脂加工大豆」と呼ばれ、油分を含まないため、醤油づくりに都合がよく、醤油原料の約80%がこの「脱脂加工大豆」。これに対して、「丸大豆」は、「大豆」そのもので、「丸大豆」という品種があるわけではなく、「脱脂加工大豆」と区別するために「丸のままの大豆」という意味で使われている。ま、一口に「丸大豆」といってもイロイロあるので気になる方は各々お調べ頂きたい。
「きっと、生引きは醤油のエキスのみですが、搾れば、搾る程、量が採れる分、雑味も混じってくるのでしょうか?ウチは、そこを狙っている訳ではなく、今の機械では搾り切れないんで、醤油のエキス分が残った粕そのものも販売しています。キュウリ等の生野菜を漬けてもらうと美味しいですし、自社でふりかけをつくって商品化もしています。でも、常温だと、すぐにカビがきちゃうんで、搾るとすぐに冷蔵庫に入れて保存します。」
味は数値だけでは判断できない
ー 商品名の「生成り2010」、「生成り2011」は、仕込んだ年度を表しているんですよね?両方、味見をさせて頂いたのですが、シロートには大きな違いがわからなかったのですが?
「大豆、小麦、塩水の原料の配合割合を変えれば、かなり明確に味の違いが出ますが、ウチは、配合割合は同じで、種麹、塩の種類等を変えているだけなので、もちろん違いはありますが、味の傾向は同じなので、一般の方にはわからないかもしれません。ただ、1年間、熟成が長い分、2010の方は、落ち着いた感じの味ですし、2011の方は若くてフレッシュな感じの味でしょうか、あとは、好みですね。」
「実際には、2011の方が塩分濃度は低く、アミノ酸量も多いのですが、試食等で味比べをしてもらうと、2010の方が、塩分が柔らかくて、うま味を感じる人が多いようです。長期間置くことで丸くなるのかもしれないですね。味は数値だけでは判断できません。」
絞る時期によっても味は変化する
「ウチは仕込んで2年経ったものから、随時、搾ります。というのも、瓶詰めすると置くスペースが必要になるのと、お酒と違って、ある程度の塩分濃度があって腐敗し難いので、醤油は、もろみの状態で保管して、無くなったら搾ります。大体、1〜2ヵ月に1回のペースですね。」
「『2010』は、2013年の2月に搾り始めて、最後に搾り終えたのは、2013年の2月ですから、結果的に、同じ『2010』でも最初のは2年熟成、最後のは3年熟成になりました。実は、ウチのように温度管理をせず、自然に醗酵をさせている場合は、春から夏にかけて温度が上がってくると、微生物の活動が活発になり、1年目はかなり激しく醗酵しますが、2年目、3年目と落ち着いてきます。それでも、年々、夏を越す毎に味は変化します。」
ー ということは、同じ仕込桶の醤油でも搾る季節によって味が変わるってことなんですね?工場生産では、人為的に温度管理をして、醗酵のコントロールをし、短期間で均質に生産しているのですね?
仕込む時期によっても味は変化する
「そうですね。また、醤油には、秋仕込みと冬仕込みがあって、秋仕込みの方が、アミノ酸量が多くなるといわれています。秋仕込みをした2012年度分の2本は、数値上だけなのですが、成績が良く、それ以上に感覚的にはいいと思っていた冬仕込みをした2013年度分の2本は、数値上の成績が思った程ではなかったので、今年の2014年度分は、1本を秋に仕込み、もう1本は年明けに仕込んで、比較もしてみたいと思っています。」
食品加工業から醤油を醸造する本来の醤油屋に
ー 醤油づくりも奥が深いですね。日々、進化しておられるということですね?自社での醤油仕込みを復活されたことで業界から注目されていると思いますが、個人的には、さらに成功を納められて、あとに続く人がとんどん現れて欲しいです。
「僕が継ぐ前から、ウチは、醤油屋というより、原料の生醤油を仕入れて、混ぜて、加工してっていう、ドレッシングをつくって売るような食品加工業になっていました。醤油を醸造する本来の醤油屋の姿に戻りたいと思って取り組んでいます。」
「もちろん、これまでの4〜50年の間、組合から仕入れて販売するやり方で、経営が成り立ってきた訳ですから、すぐに止めることはできませんが、実際、販売高も年々減っていますし、醤油づくりではなく、配達の方が主の業務になってしまっています。僕としては、できれば、添加物等を使っている醤油は扱いたくはないので、今つくっている醤油が、売上の柱となり、醤油づくりに専念できるようにしたいです。」
希望販売価格で喜んで買ってもらえる醤油づくり
「そのためには販売量、生産量を増やす必要があります。醤油づくりを始めてから、特に営業もしていませんでしたが、通っていたビジネススクールの関係で東京の展示会等も出店させてもらっていますし、注目して頂いたおかげで、お店さんからの引き合いも増えています。」
「生産量を増やすことで、効率化できるつくり方ではないので、このままのやり方を守って、生産量を今の5倍にするにはかなり厳しいですが、3倍ぐらいの量であればなんとか対応できると思います。採算が取れる価格には設定していますので、まだまだ手探りですが、できることにはなんでも積極的に取り組んで、この価格で喜んで買って下さるような醤油をつくっていきます。」
見るからに好青年であるが、お話を伺うと柔和な表情の中に醤油づくりにかける強い信念を感じる。これからも年々進化を続け、美味しくなる醤油づくりに打ち込まれることだろう。
COREZOコレゾ「醤油屋本来の姿に戻りたいと、約40年ぶりに自社での醤油醸造を復活させた若き四代目」である。
COREZO(コレゾ)賞 事務局
初稿;2014.10.27.
最終取材;2014.08.
最終更新;2014.03.24.
文責;平野 龍平
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