ロギール・アウテンボーガルト(Rogiler Uitenboogaart)さん

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COREZO(コレゾ)「和紙に魅せられ、来日、無農薬・無肥料で原料を栽培し、無添加で檮原の自然と風景を和紙に漉く、土佐手漉き和紙の伝統技法を守り、伝える和紙作家」賞

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ロギール・アウテンボーガルト(Rogiler Uitenboogaart)さん

プロフィール

オランダ出身、高知県檮原町在住

手漉き和紙作家

梼原和紙&紙漉体験民宿 「かみこや」代表

高知工科大学客員教授

ジャンル

伝統文化、産業

原材料の栽培から手掛ける手漉き和紙

経歴・実績

1955年 オランダ・ハーグ市生まれ

1974年 アムステルダム・グラフィックスクール(~78年)

1978年 製本見習い(~80年)

1980年 シベリア鉄道と船で来日、日本各地の手漉き和紙工房を視察

1981年 高知県旧伊野町にて紙漉き修行、楮栽培、田畑を作って自給自足生活開始。

1992年 梼原町に移住、商店街の古い病院を改装し、紙漉き工房「てんぐの風」開設

1993年 地元、越知面小学校にて紙作り教室開始

1994年 「アート&クラフトフェア 源流のうた」を主催(~04年まで全10回)

1994年 「ギャラリー&カフェ てんぐの風」経営(〜2004年)

2002年 町内全て小学校の卒業証書を子供たちと一緒に作成

2003年 コットンリサイクルペーパーの製造開始、「やなぎばた会議」活動開始

2006年 紙すき体験民宿「かみこや」オープン

1996年 高知県新田舎デザイン賞受賞

2004年 高知県文化環境功労者賞受賞

受賞者のご紹介

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ロギール・アウテンボーガルト(Rogiler Uitenboogaart)さんは、檮原町で、ご自身でコウゾ、ミツマタを栽培し、日本の伝統文化を守っているオランダ人の紙漉職人さん。高知県庁の中山間地域対策課長さんからお話を伺い、お会いしてみたいと思っていた。

2013年6月、四万十町の畦地 履生(あぜち りしょう)さんを訪ねた際に、ロギールさんをご存じだとおっしゃるので、連絡を取って頂いた。民宿もされていると伺っていたので、その日は、泊めて頂くことにして、用件を済ませて、四万十町から檮原町に向かった。

地図上では、四万十川大正から北上してすぐのように見えたが、四万十町の皆さんが、そのルートで行かない方がいいよ、とおっしゃるので、よく見ると、その道路はかの有名な酷道439号だった。徳島県祖谷の難所、名頃〜京柱峠を通っているのは知っていたが、調べてみると、徳島市から四万十市中村に至る四国で2番目に長い国道らしい。これはイカンと、土佐新庄経由で檮原に向かった。

到着が夕方遅くになりそうだったので、途中で電話を入れると、行き違いがあって、その日は宿泊できないとのことだった。仕方なく、付近で宿泊できるところを探していると、夕食は用意できないが、どうぞ、という電話をもらって、一安心。

檮原の町中で夕食を済ませて、iPhoneのナビに従って車を走らせていると、人家も灯もなくなり、どんどん山中に入っていって、電波が切れた。辺りは真っ暗闇で、一気に不安になり、電波の通じるところまで戻って、電話をすると、通り過ぎてしまったらしい。

指示された通り戻ると、雨の中、ロギールさんが、道路に出て待っていて下さった。ご挨拶をして、ロギールさんと奥様の千賀子さんにお話を伺った。

紙漉き職人になろうと思われたきっかけは?

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「オランダの製本会社で働きながら、夜は、美術大学でモダンアートを学んでいました。たまたま、職場の装丁用のサンプルとして集められた紙の中から、見たこともない美しい1枚の紙を見つけたのです。その時には、和紙か何かもわかりませんでしたが、その紙を透かして見ると、紙の中に、紙そのものを表現するものが見え、自然そのものの風景を感じ、一瞬にして心を奪われました。」

「今思えば、雲龍紙だったのではないかと思いますが、当時、わかったのは、日本の紙ではないかということだけ。書店を巡って、紙を扱った本を探しましたが、その紙のことはわかりませんでした。唯一、見つけたのが、1943年に発行された、紙史研究の第一人者であるダード・ハンターの世界の手漉き紙の歴史を調べた著書に、日本の紙の製法と写真が載っていました。解説を読むと、日本の手漉き紙の技術と品質を賞賛していて、日本には、世界で最も優れた紙の文化があることがわかりました。それまで日本の文化や伝統にはほとんど関心がなかったのですが、写真にあった障子や床の間がある和室のしつらえにも魅かれ、日本へ行くしかないと思いました。」

来日されたのはいつですか?

「和紙との出会いから一年も経たないうちに、1980年、シベリア鉄道と船を乗り継いで、日本に来ました。東京に着いて、真っ先に向かったのは、ツーリスト・インフォメーションでした。いきなりやって来たガイジンが、手漉き和紙の様子を見たいと言うので、そこの人たちは驚いた様子でしたが、とても親切に対応してくれました。日本全国の製紙組合や和紙工房を調べて、リストにしてくれたので、すぐに、東京の王子にある『紙の博物館』を訪れ、さらに東京から最も近い和紙の里、埼玉県の小川町も訪ねました。」

「紙漉き小屋に案内してもらったのですが、外も内も床は水で濡れていて、建物の内なのか外なのかわからないような造りの中で、みんな黙々と紙を漉いていました。紙漉の道具は全て木でできていて、すべてが素朴でした。職人さんたちは色々と説明してくれて、小屋裏のワサビが生えている湧き水も見せてくれました。日本語は全くわからなかったけれど、紙漉きには、きれいな水が必要で、日本のものづくりは、水や植物や自然と一体となっていることを感じました。」

日本文化のルーツを来日して直ぐに感じ取っておられたのですね?

「内と外が曖昧で、自然を取り込んで一体となって暮らす日本文化のことは、日本で生活するようになって、だんだんわかってきました。とにかく、手漉き和紙に一気に引き込まれ、自分でやってみたいと思いました。それから半年かけて、京都をはじめ、越前、鳥取、兵庫、高知他の手漉き和紙工房を10カ所以上巡りました。その途中で、妻の千賀子とも出会いました。」

高知で紙漉きを始められたのですか?

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「はい、そうです、こちらに来る前は、いの町に住んでいました。『芭蕉紙』はご存知ですか?糸芭蕉を原料とする琉球の和紙なんですが、一時途絶えていたその芭蕉紙を復活した方と出会い、原料から作らなければ、土からかかわらなければ、文化としての和紙を知らなければ、本物の和紙を漉くことはできない、と言われて、原料からつくれるところを探しました。」

「高知を選んだのは、原料であるミツマタやコウゾの一大産地であり、和紙の産地としてのベースがあることでした。その上、人間がオープンで、県立紙産業技術センターの方は、技術指導の他、受け入れ先の工房も親身になって探してくれました。」

「しかし、1980年代前半は高知の和紙産業がどん底の時代でした。廃業する人が後を絶たない状態で、受け入れてくれる工房がなかったので、現在まで独学で技術を磨くしかありませんでした。」

「その代わり、放置されたコウゾの畑が付いた家を借りることができました。車も入れないような伊野町(現いの町)の山奥でしたが、仁淀川という清流が流れていて、とても恵まれた環境でした。和紙づくりは基本的には農閑期である冬の仕事です。春から秋には紙の原料や米、野菜などの作物を作り、冬には紙を漉くという、江戸時代からの伝統的な紙漉き農家のスタイルで生活しました。」

檮原町に移られた理由は?

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「近所で大規模な道路工事の計画が持ち上がったので、水がある山奥で、より静かな場所を探すことにしました。檮原は、四万十川源流域にあって、紙漉きに欠かせない水と、原料のコウゾ、ミツマタが豊富にあり、かつては日本各地で見ることが出来た棚田などの日本の原風景が残っていました。それで、1992年にこちらに引っ越して来て、町中の方で、ギャラリー&カフェを営んでいたこともありましたが、今はこちらだけです。」

「昔、この辺りは、コウゾ、ミツマタの産地だったので、紙漉きもしていたみたいです。でも、今はやっている人は他にいません。標高が650mぐらいあって、全国に約300軒残っているといわれる手漉き和紙工房の中で最も高い場所にあるかもしれません。標高が高いということは冬が長くて、手漉き和紙は冬がシーズンだから都合がいいですね。気温が零下になると、水が凍って仕事ができないけど、ここは、冬場でも、日中なら工房内の温度は最低でも2度ぐらいあるから、紙を漉くことができます。」

「原料の木の皮を川にさらすのですが、それには、川幅が広く、ゆったり流れている方がいい。でも、ここは標高が高くて、川の流れが急です。それより、いい紙を作れる時期が長い方を取りました。」

「檮原は、全国でも有数の持続可能な環境づくりに力を入れている町です。そういった町の気風も気に入っていて、薬品や防腐剤は使わず、自然と共生する和紙づくりをしています。1年中、紙を漉いているけど、いちばんいい紙を作るのは寒い時期ですね。」

ここで、ちょいと、和紙のおベンキョー、

和紙の原料

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洋紙は、主に針葉樹や広葉樹の幹が原料(パルプ)になるが、和紙は、木の皮を原料につくられる。日本で主に使われるのは、楮(コウゾ・クワ科)、三椏(ミツマタ・ジンチョウゲ科)、雁皮(ガンピ・ジンチョウゲ科)の3種で、その理由は、入手(栽培)しやすい(ガンピは栽培困難)、繊維が取り出し易く、粘り気があり、繊維同士が絡み易い、長くて強い繊維がたくさん取れる、紙が美しく、使いやすい等々だそうだ。

コウゾは、成長が早く、簡単に栽培できることから、古くから、また、和紙原料の中でも最も多く使われ、繊維が長く強靭なことから、書画用以外に、障子、番傘、表具、提灯、行灯、合羽、紙子(衣類)などの生活用品に使われる。

ミツマタは、枝が三つに分かれることからこの名がついたとされ、江戸時代頃から和紙原料に使われるようになった。繊維はコウゾに比べ光沢があり、薄オレンジ色をしている。紙幣(日本銀行券)、書画、写経料紙に使われる他、滑らかでしなやかな紙質が金箔や銀箔を出荷するときの箔合紙に最適とされる。

ガンピは、奈良時代頃から和紙の原料として使われ始め、繊維は緻密で光沢があり、粘り気を多く含んでいて、当初は、補助原料として、コウゾに混ぜて使われていたが、その後、単独で使われるようになった。栽培が困難なため、山野に自生するものを集めなければならず、自生地域も限られることから、生産量は少なく、高級な書画用紙や襖の下貼り用の間似合紙として使われる。特殊な用途としては、金箔などを製造するときの箔打紙がある。

その他、糸芭蕉、イネ、タケ、カジノキ、アサ、マユミ、ケナフ他も和紙の原料として使われるが、これらは、主にコウゾやミツマタなどに混ぜて使われるそうだ。

和紙に使われる「ネリ」とは?

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コウゾやミツマタ等の和紙の原料となる植物繊維の他に、一般的には、トロロアオイという植物の根が、「ネリ」(「ノリ」と呼ぶ地方もあるとのこと)として使われるそうだ。「ノリ」と呼ばれても、このネリには、接着剤のように、繊維と繊維を接着する力は全くなく、水中で繊維を均一に分散させ、紙を漉いた時に水の引きを調節するために使われるとのこと。

トロロアオイの根は、非常に水に溶け易いカラクチュロン酸という多糖類をたくさん含んでいて、根を潰して水に漬けると、粘度のある液が、たくさん溶け出してくる。同じアオイ科トトロアオイ属で近縁種のオクラのようなネバネバ感だそうだ。この液を布で濾過してゴミを取り、舟(漉き槽)に入れて、原料繊維と水を一緒によく撹枠すると、このネリはセルロースと同じ多糖類なので、繊維との相性がよく、一本一本の繊維をぬるぬるで包み、繊維が水とよくなじんで、均一に混じり、「簀(す)」に汲み取ると繊維が均一に広がる。

また、水に連当な粘り気がでるので、繊維も簡単に沈むことなく、長時間水中に浮くようになり、紙を漉くときに「簀」から水が引く速度が、水だけでは早すぎて、繊維がよく絡みあわないが、ネリの粘度によって、原料の液が簀の上に長く留まるので、その間に簀桁を前後左右に揺すりながら、原料液が簀に均一に拡がるように紙を漉いていくと、繊維同士を上手く絡み合わせることが出来る。紙の厚さや種類によって、この作業を何回か繰り返して紙を漉く方法を「流し漉き」というそうだ。

しかし、このネリの粘度はいつまでも続かず、とくに夏場では粘度がなくなり易いので、漉き槽に原料を補給するたびにネリも補う。また、抽出したネリは保存がきかず、腐りやすいため、冬の気温が低い時期に紙漉きが行われる。トロロアオイの保存のために、クレゾールや少量のホルマリンなどで防腐処理をすることもあるそうだ。

ネリに使う植物はトロロアオイだけではなく、ガンピは、それ自体の粘度が高いため、トロロアオイより粘度の低いノリウツギの皮(夏期でも粘度があるとされる)が好まれ、アオギリの根、キンバイソウの根などの粘液も使用され、いずれも同じような多糖類だそうだ。

今では、機械漉き和紙はもちろん、手漉き和紙の中でも、トロロアオイの樹液のような古来の方法でネリを使用しているところは少なくなり、ポリアクリルアミドなどの化学薬品を合成ネリとして使用しているところが増えているらしい。

「紙床」とは?

ネリを適量使用して漉きあげると、漉きあがった湿紙をその直前に漉いた湿紙に直接、順次積み重ねていくことができるそうだ。積み重なった湿紙の集まりを「紙床」と呼び、「紙床」の状態で、一昼夜程、自然に水を切り、その後、重石やプレス機で圧を加え、さらに水分を搾る。

こうして、「紙床」にできると、湿紙をまとめてしっかりと圧力を掛けて脱水することが容易になる上に、締まった紙となり、まとめて脱水した後も、このネリの働きによって、漉いた紙は繊維がよく絡み合っているので、一枚、一枚、きれいに剥がせるという利点があり、生産性も向上する。しかし、ネリが少ない状態で漉いて積み重ねると、あとではがせなくなることもあるという。

この1枚、1枚、剥がした紙を、松やイチョウ等の木板等に貼って天日干しすると、さらに白さが増して、和紙の完成となるが、今や、温めた鉄板に貼って乾燥させる方法が主流だそうだ。

さらに、乾燥して完成した紙には、外観上の変化はみられないが、紙に残った天然のネリの成分が、紙中に残留する樹脂分が、空気中の酸素と反応する現象を促進し、長い時間をかけて紙に穏やかな撥水性を与えるらしい。

かみこや流土佐手漉き和紙のつくり方

1.原料栽培 コウゾ・ミツマタは農薬、肥料を使わず、かみこやの畑で自家栽培

2.蒸し剥ぎ 刈り取った原料を甑(こしき)で蒸し(燃料は薪)、乾燥させて保存する

3.へぐる 表皮(外皮)をへぐり、「白皮」にする

4.煮る 石灰の水溶液(伝統的土佐和紙の特徴)で煮て、不純物を取除き、柔らかくする

5.さらす 流水と天日でさらし、漂白する

6.ちりとり 繊維の細かなキズやチリを取除く

7.叩解 繊維を木槌で叩きほぐす

8.ネリ かみこやの畑で無農薬・無肥料栽培したトロロアオイ(保存料無使用)を使用

9.漉く 原料とトロロアオイを舟の中で水に溶かし、簀桁を使って流し漉きで紙を漉く

10.干す 1枚ずつ板に貼り付け、天日で干す(上質の紙を作る際には、松の木の一枚板を使う)

詳しくはこちら

話は戻って、

今や、国産の原料が手に入らなくなっているとか?

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「そう、和紙の消費量の減少と同時に、原料の生産高も少なくなりましたね。その大きな原因は、労働に見合う価格で原料を販売できなくなり、生産すればする程、赤字になっってしまったからです。それに追い打ちをかけるように、フィリピン、タイなどから安い原材料の輸入が始まり、和紙メーカーはより安価な輸入原材料を使うようになって、もうコウゾの70%以上が輸入ではないかな。」

「私は、紙漉きを始めた時から、自分が使う原材料は自分で栽培してきましたが、もともと、標高の高い檮原は、ミツマタの栽培に適していて、コウゾも含めて、一大産地でした。栽培地域の下の町には問屋が集まり、生産、販売、出荷、流通のしくみが出来上がっていました。しかし、今はもう・・・。でも、お年寄りに尋ねると、ほとんどの人が原料栽培の昔話をしてくれます。地域の文化、経済の基礎となっていた和紙の原料栽培を大切にしたいと思い、いくつかの活動に取り組んできました。」

和紙の原料栽培を守る活動とは?

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「2004年に、かつて原料の生産をしていた近所の人たちに声をかけて、この地域では、ミツマタのことを『やなぎ』とも呼ぶのですが、昔のやなぎ畑を復活させようと、『やなぎばた会議』という活動を始めました。彼らは、かみこやの食材である野菜や山菜、アマゴやマス等の生産者であり、田植えや稲刈り、山菜採りなど、山の暮らしや文化を伝えてくれるインストラクターでもあります。」

「また、地元の小学校で、1年生からの6年間、本格的な和紙の授業を受け持っています。檮原に来た翌年に、子供が通う小学校から、紙漉きをしているなら卒業証書を和紙でつくってもらえないか、と依頼されたのがきっかけでした。じいちゃん、ばあちゃんの時代まで生計を支えていた和紙づくりを通じて、この地域の歴史と文化と環境のことを勉強できるんじゃないかと思いました。」

「当時の校長先生が理解のある方で、子供たちが、原料のコウゾ、ミツマタ、トロロアオイも、校庭に植えて、育て、学校が紙づくりの道具も用意して、カリキュラムの中でやらせてくれました。6年生は自分の卒業証書を自分で漉いています。」

外から来た人から、教えられることも多いが、素晴らしい取組みである。

最近は、日本だけでなく世界中の美術品や古文書の修復に日本の和紙が使われ、注目されているのでは?

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「うーん、それも重要な用途でしょうけど、ごく限られた需要ですね。昔の日本家屋は木と紙と土でできているといわれる程に、襖や障子に、装飾に、押し入れの内張りにと至る所に使われ、着物や傘にまで、あらゆる生活の場面で和紙が使われていたでしょ?しかし、日本人のライフスタイルの西洋化で、和室をつくる家も減り、あっても一部屋だけとかで、畳と同じように和紙の需要もどんどん減っているのが現実です。障子紙も工業生産されて、安価で買える時代になって、本物の和紙に触れる機会は確実に少なくなっていますね。」

ー 日本人には、耳の痛いお話です。カーテンがキライなので、ウチは全ての窓に障子を入れていますが、和紙だと、虫に食われたり、陽に焼けたりで、どうしても定期的に貼り替えなくてはならない。工業生産の障子紙自体は安いのですが、手間賃が1枚2〜3,000円かかるので、数十枚貼り替えるとなると、考えただけでもぞっとします。昔は、自分でしていたのでしょうけど、小さいのはともかく、大きいのはシロートには荷が重いので、つい、破れないプラスチックを挟んだ障子紙なんて考えちゃいますが、できれば、この世にいる間に、手漉き和紙で貼ってみたいですね。

「ウチの障子は手漉き和紙ですよ、ハハハハ。」

ー ある意味、特権階級ですね。今では、多分、オーダーしないと手に入らないでしょうから、宝くじにでも当たるか、大儲けできたら、ウチの障子紙はロギールさんにお願いしますね。

「ハハハハ、是非、オーダーして下さい。品質も美しさも世界一である和紙が、身近なところから姿を消しつつあります、どんなに良い紙を作っても、使ってもらえなければ意味がない。ただ残していくだけでは死んだ伝統になってしまう。和紙を生活の中に取り戻したい。これまではいかに良い和紙を作るかに心血を注いできましたが、これからは紙を漉いて、仕上げて、終わりではなく、見せ方まで自分で考えて、使い方を提案し、売り方も考えていかなければ、と感じています。」

和紙の文化を次世代に引き継いでいくには?

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「今の若い世代は、家に障子もなかったかもしれない。機械漉きの和紙は見たことがあっても、ホンモノの手漉き和紙は見たことがないかも知れない。でも、『和紙』という言葉だけは知っている。和紙を見たこともない人でも、和紙を見たら、ほっとするね、あたたかい感じがするね、って言うんですね。和紙にはそんな力があると思う。偶然見かけた一枚の和紙の魅力から、日本に来て紙漉きをしているオランダ人もいる訳ですから。ハハハハ。」

「とにかく、和紙を見てもらう機会をできるだけ増やして、興味を持って、使ってもらう人を増やさなければなりません。初めてオランダから来た頃は、日本は蛍光灯ばっかりでした。ヨーロッパは白熱灯の温かい照明が主体だから、こんな素晴らしい文化がたくさんある日本なのに、どうしてなのか疑問でした。オランダでアートを学びましたから、紙を使って何かを作ることにも興味があって、和紙とフジカズラを使って、白熱灯を使う灯りやオブジェを作り始めました。」

「それで、1989年には、高知市で初めての個展を開きました。高知は紙の産地だからか、和紙をアートとして捉えるという視点はなかったみたいで、それからは、オブジェや灯りを依頼されることも増えました。使ってもらうことで、和紙の良さがわかってもらえれば嬉しいし、現代的な部屋にも合う、さらに洗練された灯りや作品を作っていきたいですね。」

「今も1人、研修していますが、大学生や社会人からインターシップを受け入れて来ました。それに、2006年には、この『梼原和紙&紙漉体験民宿 かみこや』をオープンして、念願だった一般向けの紙漉体験講座を受け入れられるようになりました。」

「お客様の都合に合わせて、2時間のプログラム、6時間の一日コース、数日間の研修コース等があり、どれも楽しみながら、紙漉きの文化を学べ、レベルに応じたその人のオリジナル作品をつくります。東京や京都の観光にプラスして、もう一つの日本の姿を見たいという人が多いようで、インターネットの情報を頼りに、オランダのほか、アメリカや中国、オーストラリアといった国々からの観光客が、和紙作り体験を目的にこんな山奥まで、私の工房を訪ねて来られます。ある意味、日本人以上に紙漉きを楽しんでおられますよ。」

故郷のオランダの手漉き紙もつくり始めた

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「それから、自分の故郷の文化もちゃんとやらないと、という想いもあって、コットンペーパーをつくり始めました。日本や東南アジアは木の皮を使いますが、欧米の手漉き紙は叩いてほぐしたリサイクルコットンなどを使い、『溜め漉き』といって、紙を漉く際にほとんど揺すらない方法で作ります。コットンペーパーを『溜め漉き』で漉いてみることで、改めて『流し漉き』でつくる和紙のことが見えてきたりと、新たな発見もありました。それに、暑さで傷みやすいトロロアオイを使わずにできるので、夏期でもつくれる。防腐剤を使いたくない私にとっては、これで、1年中、紙漉きができるようになりました。このコットンペーパーをベースにコウゾやミツマタを加えて、和蘭紙と名付けた和洋混合の紙も考案して、つくっています。」

「あと、個展は機会があれば、随時開いていますし、和紙関連の展示会に作品を出品したり、各地でのワークショップで指導をしたり、積極的に出掛けています。」

紙漉きは水質によって仕上がりが異なる

ー 実は、昨年から始めたCOREZO(コレゾ)賞の表彰状は、吉田桂介さんの和紙でつくろうと思ったのですが、一時、体調を崩されたのと、和紙に印刷するには特殊な技術が要るらしく、印刷代があまりにも高かったので諦めました。毛筆で書いて下さる方が見つかれば、実現したいと思っています。

「いいですね。是非、そうして下さい。紙漉きには水が欠かせませんし、ものづくりには水が大事です。ここの水も沢によって、水質が違い、同じ材料、同じ方法で紙を漉いても仕上がりが違います。書道の墨も硯で摩りおろす時の水で、和紙に書いた時の墨のノリや発色が違ってくるようです。だから、水にこだわる書道家さんもいらっしゃいますよ。」

「化学薬品等を一切使わず、畑での栽培に始まって、紙を漉くまで、すべて手作業ですし、太陽、土、川の流れなどの自然の力が、和紙には詰っています。人が、それら自然の力を、自然のリズムに添って、かなり上手にまとめ上げたのが和紙ではないでしょうか?私が住んでいる、こんなワイルドな山の中の1本の木から、繊細で美しい真っ白な和紙が生まれるところも面白いでしょ?」

和紙を見ていると、その和紙が生まれた自然の風景さえ見えてくる

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「1500年もの歴史がある和紙は、地域により製法や材料も異なり、肌触りや色もさまざまで、産地の文化や歴史を感じる要素が深く刻み込まれています。日本の伝統的なものづくりの中でも、手漉き和紙作りのプロセスは、山や川など、自然との関わりが非常に深く、和紙を見ていると、そんな自然の風景さえ見えてくるように感じるのです。和紙は、その土地の自然や暮らしの中から必然的に生まれた貴重な文化と言っていいでしょう。」

ロギールさんはとっても柔和で穏やかなオランダ人紳士だが、和紙への想いはものすごく熱い。和紙はもちろん、日本の伝統文化の素晴らしさを改めて気付かせて頂いた。日本人以上にそれを理解し、守り、伝えて下さっていることに心より感謝したい。

COREZO(コレゾ)賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、

「もちろん、OKです。ただ、12月には、小学校の紙の授業があるので、それと重なると、表彰式には出席できないかも知れません。」と、ロギールさん。

夜遅くまでお話を伺い、2階の2室ある客室の広い方で休ませて頂いた。あらわしの屋根天井が高く、多分、ロギールさんが制作されたであろう障子、壁紙、和紙の灯りなどのしつらえ、調度が、とても心地よかった。部屋にテレビはなく、外は真っ暗闇で、雨音の他は何も聞こえず、アルコールを一滴も飲んでいないのに、すぐに眠りに落ちてしまった。

翌朝は雨も上がり、客室の窓からは、のどかな里山の風景が広がっていた。

千賀子さんの手作り朝食を頂いてから、ロギールさんの工房、ギャラリー、畑をご案内頂き、おいとました。

COREZO (コレゾ)「和紙に魅せられ、来日、無農薬・無肥料で原料を栽培し、無添加で檮原の自然と風景を和紙に漉く、土佐手漉き和紙の伝統技法を守り、伝える和紙作家」である。

ロギール・アウテンボーガルト(Rogiler Uitenboogaart)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO (コレゾ)賞 事務局

初稿;2013.10.15.

最終取材;2013.06. 

最終更新;2015.03.12.

文責 平野龍平

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