小坂 晴次(こさか せいじ)さん/伝統の木桶仕込み「丸正酢醸造元」

COREZOコレゾ「昔ながらの麹づくり、この上ない水質の那智大滝の伏流水を使って木桶で仕込み、法螺貝を吹いて醸造道を究める、伝統の酢づくり」賞

小坂 晴次(こさか せいじ)さん

1927年那智勝浦町天満生まれ

合名会社 丸正酢醸造元 代表社員

小坂 幸代(こさか さちよ)さん

カリスママネキン

小坂 康夫(こさか やすお)さん

合名会社丸正酢醸造元 取締役

小坂 和子(こさか かずこ)さん

合名会社丸正酢醸造元 取締役

プロフィール

合名会社 丸正酢醸造元

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町天満

明治12(1879)年創業

受賞者のご紹介

2018年7月、明治12(1879)年創業の丸正酢醸造元を訪問した日の那智勝浦は、うだるような猛暑だった。

三代目社長の小坂晴次(こさかせいじ)さんは、1927年生まれだそうだが、背筋が伸び、凛とした立ち姿で、出迎えて下さった。

ご病気で手術後、30㎏も痩せてしまわれたそうだが、若い頃は相撲を観るのも取るのもお好きだったそうで、当時の写真を見せていただいたが、きっと豪傑だったのだろうと拝察する。

水は醸造の命

まず、醸造の命であるとおっしゃる、水が湧く井戸にご案内下さった。

「これがウチで一番大事な井戸ですわ。那智大社のご神体は那智の大滝ですが、その水源と同じところからの伏流水だと云われていて、調べてもらったところ、同じ水質なので、間違いないことがわかりました。」

「この勝浦の天満の地区は、醸造業が多いのも、伏流水としてこの水がもたらしてくれた恩恵だと思いますが、この山手で産廃処理場建設の話が持ち上がり、何年も掛かって、命がけで反対運動をして、この神様の水と思っている水を守りました。」

「井戸水を醸造に使うには、水質基準で10項目クリアする必要があり、4~5年前から厳しくなりましたが、26項目全てクリアしています。」

「私は、毎朝、5時半に起きて、燈明をあげ、礼拝して、感謝の気持ちを捧げています。」

法螺貝を吹く理由

酢造りの職人でもある小坂晴次さんは、醸造蔵に入るとき、入り口近くに設置された神棚に手を合わせ、ほら貝を吹き、拍子木を打つ。酢は生き物であり、自然と語り合う心構えが必要と、そのための精神統一の儀式だとおっしゃる。

「私が家業に従事するようになった戦争中でしたので、原料がなく、仕込むことができず、仕込桶が次々に空いていきました。桶に棲む菌が弱ったり、死んでしまうのではないか、と心配した通り、戦後、昭和25(1950)年頃から原料が入るようになり、仕込み始めたのですが、なかなか発酵しない…。明らかに酢酸菌が死んでしまっているんですね。」

「同業者の中で、比較的、発酵が上手くいっている蔵に頼んで、酢酸菌を分けてもらったり、ありとあらゆることを試しましたが、効果が現れませんでした。それで、熊野は、修験道の聖地なので、調べて、近くにおられた修験者を訪ね、話を伺って、感動し、最後に吹いてくれた法螺貝の音色に魂を揺さぶられる思いがして、『これだ!』と思い、習い始めました。」

「ある程度、吹けるようになってから、毎晩、心を無に、精神統一をはかって、まず、熊野三山に、そして、仕込蔵に法螺貝を吹きました。吹き続けて3~4カ月経った頃でしょうか、仕込蔵の一部の桶で、変化の兆候が現れ始め、更に、3~4カ月、半年と経つと菌が拡がってきたので、一生懸命育てたら、酢酸菌もそれに応えてくれました。」

と、法螺貝を吹いて下さった。病気をして、体力が無くなったので、気力だけで吹いているとおっしゃったが、確かに魂が揺さぶられるような音色だった。

発酵道

「発酵道(微生物が教えてくれた人間の生きる道)」という言葉が貼ってある蔵の入口をくぐると、創業当時のまま、窓明かりだけの木造の醸造蔵には、12の杉桶が並び、高さ2m厚さ5㎝の熊野杉の古木で作られた桶には、歴代の大横綱の名前が付けられているが、相撲好きの祖父の代からだそうだ。

酢を発酵させる温度に保つため「こも」をかぶせられたそのひとつひとつを、夜、懐中電灯のみで覗きながら、酢の息吹を聞く確かめ、そんな日々を90~500日以上をかけ、丸正の酢は造られている。

「私にとって、この蔵は、酢を醸造する発酵道を極める道場ですから、力士が土俵を塩で清めるように、私も蔵に入る時には、塩で清め、身も心も引き締めます。仕込桶は、番号ではなく、大横綱のしこ名にしているのは、双葉山は調子がいいね、栃錦の発酵状態はだんだん良くなってるね、と声をかけると、愛着が湧くでしょう?でも、大横綱は、千代の富士が最後だね。」

 

木桶を使い続ける理由

木の桶は、醸造熟成に酢が5%ほど木の目を通して蒸発してしまうので、経済効率を考えれば、ステンレスやホーロー・ポリタンクのほうがいいのだが、それらのタンクでも試しに酢をつくってみたが、どうしても納得のいく酢の香りが出ず、木桶を使い続けているそうだ。

あえて手間の掛かる昔式の麹室を復元

それまでの麹室が老朽化し、改修する必要が生じた際に、ボタン一つで麹がつくれる、手間要らずの最新式の設備を導入しようかと考えたこともあったが、手の感触を頼りにつくる麹にこだわり、あえて手間の掛かる昔式の麹室を復元した。

「昔は、麹室を練炭や七輪で温めてたんですわ。寒い冬、夜中に起きて、麹室で作業していると、暖かくて心地よくて、つい居眠って、目が覚めたら、頭が痛い、吐き気がする、一酸化炭素中毒ですわ、よう、死なんかったことですわ、ハハハハ。でも、そんなこともあったんで、今は、温度管理だけは電気制御してます。」

酢関連商品の開発

昭和40(1965)年頃になると、ドイツ製のアルコール他を24時間で一挙に醸造酢に変える機械が日本に入ってきて、大手メーカーがその機械を導入し、低価格の酢が市場に出回るようになり、コスト面で太刀打ちできない、中小、零細の酢メーカーは、廃業に追い込まれた。

そんな中、小坂社長は、「ウチはウチ。手造りに徹し、他の誰にもできない酢を造り続けていく。」と覚悟を決め、商品バリエーションを増やすため、酢関連商品の開発にも積極的に乗り出し、試作を繰り返して、満足のいくものだけを20年間で約20種商品化し、新しいマーケットを切り拓いていった。

伝説のマネキンと呼ばれた奥様の幸代さんは、全国の物産展や催事に出掛け、商品の拡販と新しいマーケット開拓に尽力され、全国にファンを持つ現在につながっている。

国内需要が停滞し、ヨーロッパへの輸出が増える時代

現在は、長女の和代さんが、ヨーロッパを中心に海外営業を、ご主人の康夫さんが国内営業を担当しておられる。

「今日、ご覧になっていただいたように、ウチの酢は、古式醸造にこだわり、酢造りに使う米は、自家田他で低農薬栽培、寿司酢やぽんずなどの調味酢に配合される原料も、しいたけ、本場かつおだし、昆布、本醸造しょうゆ、本みりんなど、こだわりぬいた本物の素材ばかり。果実酢には、地元産の橙や柚子を使用し、もちろん防腐剤他薬品類は一切使用していません。黒酢の原料にもち玄米を使用しているのはウチだけだと思います。」

「父が丸正の酢づくりを守るために、酢関連商品に力を入れたのは、正しい判断だったと思いますが、今の消費者の皆さんは、煮物なんかの調理しなくなりましたし、お年寄りもコンビニの少量パックを購入される時代になって、調味料は、この先どうなるんだろう、という心配があります。」

「この先も、国内販売は、なかなか厳しいと思いますが、海外、特にヨーロッパは、年々、伸びています。アジアは、すぐに価格の話になりますが、ヨーロッパの人たちは、気に入ったものには、お金を惜しまないので、有難いですね。ワインビネガーやバルサミコの高級品は驚くような値段が付いていますが、丸正の商品もこちらの2~3倍の値段なのに売れています。」

「つい昨年まで、酢のもろみを、桜の木で作ったしぼり舟で搾っていたのですが、搾りに時間が掛かり過ぎるので、輸出のロット数を揃えるのに間に合わないことがあり、また、圧力を調整できないので、余計なモノまで搾り過ぎてしまうところもあって…。でも、酢には虫が寄ってくるので、衛生管理が難しいのが一番厄介な問題で、苦渋の選択だったのですが、機械搾りに切替えました。」

「今の世の中、昔ながらの伝統製法を続けるのは厳しい時代になりました。手間が掛かるので、人手が要るのですが、いくら募集しても応募もありません。少人数でも生産できるような工夫をしながら、続けて行きたいです。」と、和子さん、康夫さん。

 

COREZOコレゾ「昔ながらの麹づくり、この上ない水質の那智大滝の伏流水を使って木桶で仕込み、法螺貝を吹いて醸造道を究める、伝統の酢づくり」賞

 

最終取材;2018.07.

初稿;2018.08.

最終更新;2018.08.

文責;平野龍平

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