上田 知子(うえだ ともこ)さん/農家民宿「いちょうの樹」

COREZOコレゾ「田舎のない人の田舎になりたいと、農山村のありのままの暮らしを伝え、家族ぐるみであたたかくもてなす、檮原のおかあさん」賞

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上田 知子(うえだ ともこ)さん

プロフィール

高知県檮原町出身、在住

農家民宿「いちょうの樹」

農家レストラン「くさぶき」

ジャンル

農家民宿、農家レストラン

町おこし、地域活性化

経歴・実績

2000年 農家民宿「いちょうの樹」開業

2003年 「グリーンツーリズムゆすはら」、「こうち体験ツーリズム」設立

2004年 農家レストラン「くさぶき」開業

2008年 一般財団法人 都市農山漁村交流活性化機構「農林漁家民宿おかあさん100選」選出

受賞者のご紹介

日本の中でも最も不便だろう地域

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上田 知子(うえだ ともこ)さんは、高知県檮原(ゆすはら)町で、農家民宿「いちょうの樹」と農家レストラン「くさぶき」を営む、おかあさん。お客様には、「農山村のくらしのありのまま」と「家族ぐるみのあたたかいもてなし」を提供していて、「農林漁家民宿おかあさん100選」にも選ばれているそうだ。

2013年6月、高知県庁の中山間地域対策課長さんからご紹介頂き、檮原(ゆすはら)町に伺った。檮原に行くのは初めてだった。町のWebサイトによると、高知県の北西部、愛媛県との県境の山間部に位置し、町面積の91%を森林が占め、標高1455mの天狗森を最高峰とする東西約25kmに及ぶ、雄大な四国カルストに抱かれた自然豊かな山間の「雲の上の町」だとのこと。

四国カルストは、全国的にも珍しい高所にある高原カルスト地形で、いたる所に手付かずの自然が残り、晴れた日などには太平洋から瀬戸内海まで一望できるそうだ。カルスト地形というと、山口県秋吉台が有名だが、石灰岩等の水に侵蝕し易い岩石で形成された大地が、雨水、地表水、地下水等によって侵蝕された地形をいう。また、坂本龍馬が脱藩した道が通っており、坂本龍馬脱藩の地として知られているそうだ。

高知道須崎東インターから檮原町までは、車で約1時間、完全対向2車線で、カーブも起伏も少なく、なかなか快適にドライブができる。その国道197号線から440号線に入ると、檮原のメインストリートのようで、地図を見て、山間の寒村を想像していたのだが、見事に裏切られた。

その町並から龍馬脱藩の道沿いに少し行くと、「いちょうの樹」があった。母屋と蔵との間には大きないちょうの樹があり、前を小川が流れ、何とものどかな風景が広がる。

にこやかに出迎えて下さった上田さんにご挨拶をして、早速、お話を伺った。

全国的に有名な環境の町

ー 檮原に訪れるのは初めてで、山間部の寒村を想像していたのですが、周りの風景と不釣り合いなぐらい、といっては失礼ですが、町並が立派なのでビックリしました。人口はどれぐらいで、何でそんなに儲かっているのですか?

「檮原は、四万十川の源流域で、愛媛との県境にあり、高知県の中でも典型的な中山間地域です。日本の中でも最も不便な地域ではなかろうかと思います。人口は3800人弱で、年々、過疎化が進んでいますが、環境の町として全国的に有名で、毎年、たくさんの人が視察に来られます。」

ー 環境の町というのは?

「国の環境モデル都市になっていて、温室効果ガスの大幅削減や、地域資源によるエネルギー自給率100%超を目指して、風力発電や小水力発電、それに林業の活性化も狙って木質ペレット工場をつくり、燃料に使う等の事業に取り組んでいるようです。」

「歴代の町長が、そういう国の補助金や助成金を取ってくるのが上手かったんでしょうね、町並も町並整備事業か何かで整備したはずです。有名な建築家さんが設計した檮原四大建築物と呼ばれている、空の上のホテル、渡り廊下みたいな雲の上のギャラリー、町の駅マルシェ・ユスハラ、檮原町役場の他、町にはハコモノがたくさんありますよ。」

ー こちらに来る途中で、渡り廊下以外の3つは見ました。ホテルはかなり老朽化が進んでいるようで、なんだかデカイ倉庫みたいなのが役場なんですね?

「そうです。空の上のホテルが飛行機で、役場が格納庫のイメージだそうです。何かの会合の時に、そのホテルを設計した建築家さんと話をする機会があって、どうしてこんな掃除のし難い建物をつくったのですか?と尋ねたたら、デザインですから、と笑っておられました。」

龍馬脱藩の道

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ー 他に檮原で有名なのは?

「まず、龍馬脱藩の道ですね。龍馬が歩いた道を訪ねたいという方が、たくさんおみえになります。それから、一千年の歴史を持つ津野山神楽です。900年頃、京から下った藤原経高(つねたか)という人が、この地を拓いた際に、伊予の国より三嶋神社を歓請してお祀りし、神話を劇化した神楽を伝えたといわれています。それが代々の神官によって歌い、舞い継がれてきましたが、戦後、一時、後継者不足等で、伝承が危ぶまれた時期があって、神楽復興の気運が高まり、『津野山神楽保存会』が設立され、毎年10月からの秋祭りに奉納されています。」

高知初の農家民宿

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ー 上田さんが、高知で初めて農家民宿を始められたと伺いましたが?

「はい、檮原は、町の90%以上が森林なので、耕地面積が少なく、農業経営はとても厳しいです。かつては、シイタケ、養蚕、林業で生活できたようですが、今では、専業農家は2〜3軒しかも残っていません。生活していくには、お金になる新たな品目を考えることが先決で、ウチは、シイタケ、ぜんまい、夏場は雨よけ栽培(ビニールハウス等で雨よけをする)で、小なす等を作っています。」

「それでも、農産品の輸入自由化の波には勝てず、何とか土地を荒らさないで、作っている野菜に付加価値をつけて、収入を得るにはどうすれはいいか、主人と話し合ってきました。そして、1998年頃だったと思いますが、グリーンツーリズムの話を聞いて、すぐに視察に行ったところ、思った以上に、感銘を受け、ちょうど、町の交流事業で、民泊も経験していたので、自分たちにも出来るかもしれない、と思ったことがきっかけでした。」

「でも、県内では初めてということで、情報が欲しくても、どうすればいいのか、全くわからず、 県の普及センターの方が、一緒に手伝ってくれました。そうでなければ、開業できていなかったかもしれません。いろんな法律をクリアするためには、お金も掛かり、資金繰りの方法もわからなかったので、一度はあきらめかけましたが、先を考えると前に進むしかないと決心し、2000年4月に開業しました。」

「家族の反対もなく、畑の野菜作りはお義母さん、わらじづくりや魚釣りはお義父さん、家の手直しや修繕は主人、そして、娘と私がお客さんの食事や宿泊準備等と役割分担をしてやってきました。」

「『いちょうの樹』は、敷地にある乳イチョウと呼ばれる樹齢600年ほどのイチョウにちなんで名付けました。乳イチョウというのは、 いくつものこぶが垂れ下がっていて、母乳のでない人がこのイチョウの 『お乳』を授かれば 次の日から母乳がたくさん出るようになると言われてきました。また、そのお礼として小さな樽をつくり、お神酒を入れて木に吊るすというのが習わしで、特に、戦後は、たくさんの樽がかけられたそうです。また、イチョウは防火林にも使われる程、水をよく貯えるので、60年ほど前にこの家が火災に遭った時にも、この木のおかげで隣の蔵は助かったといいます。」

「農林漁家民宿おかあさん100選」とは?

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農水省から補助金を受けている一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構というところが、2007〜9年にかけて、「地域のオピニオンリーダーであり、自身の民宿経営に成功し、地域活性化に寄与している”農林漁家民宿おかあさん”」を選定したものらしい。

ー 「農林漁家民宿おかあさん100選」にも選ばれたとか?その100人の内のお2人にお会いしたことがあるので、上田さんで3人目です。

「ウチの民宿は、『田舎のない人の田舎になりたい』という思いでやっています。緑の山々やきれいな川の水、自然の美しさ、と同時に、その冷たさや厳しさも実際に感じてもらい、触れてもらうことで、癒しや安らぎのようなものを感じてもらえたらなぁ、と思っています。採りたての野菜はおいしいねとか、自分で農作物を収穫する喜びがわかったとか、今まで食べられなかった野菜が食べられるようになったとか、この地域で暮らす人たちとの交流できて楽しかったとか、言って下さるのが、嬉しいですね。」

「それに、さっきお話したように、檮原は環境の町としていろんな取り組みをしているので、それと上手くリンクして、宿泊してもらい、町にお金を落としてもらえたら、少しでも活性化の糸口が見つかるかもしれないと思い、2003年、交流人口を増やす取り組みとして、『グリーンツーリズムゆすはら』を立ち上げました。各地域で、自分たちの地域を発信しようという機運が高まってきていて、現在、農家民宿は8軒になりました。」

受け入れ窓口がないのが課題

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ー 地域で軒数が増えると、競合が生まれませんか?

「それぞれが、個性的で、宿泊者をもてなす山菜料理や郷土料理も同じ物はありませんし、そば打ち、紙漉き、かずら細工等の一芸を持っています。ただ、その特色をどう情報として発信していくか、窓口がないのが課題です。なので、少しずつでも個々の取り組みの成果を積み重ねていくことが重要ではないかと思っています。」

年間利用客が800人を超える魅力とは?

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ー 年間何人ぐらい受入れていらっしゃっるのですか?また、どちら方面からのお客様が多いですか?

「年間利用客は800人を超えると思います。その内の1/4ぐらいがリピーターさんで、関東からのお客様が1/3ぐらいです。それから、青年の交流、子どもの交流、物産販売などを通じて、檮原が有効交流協定を結んでいる兵庫県西宮市からの農村体験の教育旅行も多いですよ。」

ー 西宮に住んでいますが、それは知りませんでした。リピーターが多いのは何よりですね?

「ウチは、農家だし、林業もしているので、昼間は農業体験や自然体験、夜はいろりを囲んでの食事と語らいと、家族ぐるみでもてなしますが、あくまでも自然体で、檮原でできることと、農山村の暮らしをそのまま体験してもらっています。それが都会の皆さんに受入れてもらえているのかな、と思います。」

「これからは出荷するだけの農家でなく、四季の野菜のおいしさ、安心して食べられる食材とその料理方法を伝えたり、地産地消の実践にも努めていきたいと思っています。また、『こうち体験ツーリズム』も立ち上がって、四万十川へ来る人を自分たちの地域だけでなく、高知全体で受け入れる取組みもしています。」

農家レストラン「くさぶき」の開業

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「この他に、2004年には、農家レストラン「くさぶき」を開業し、檮原の郷土料理の提供と情報発信の場所として活用しています。」

ー 天空のホテルの向い側にある草葺きの古民家ですか?

「そうです。ご覧になられましたか?あの草葺民家は、昭和16年に建築され、実際に檮原町内で使用されていた民家を太郎川公園に移築、保存したものです。町から活用法の募集があり、地域の女性リーダーが7名いたのですが、その内の1人が代表になり、みんなで協力して、郷土の田舎料理を出す農家レストランをやろうということになっていました。ところが、その代表をするはずだった人が、事情があってできなくなり、計画が頓挫してしまいました。町からの要請もあり、考えた挙げ句、私が引き受けることにしました。

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ー 上田さん個人で引き受けられたということですか?

「そうです。主人と相談して、自己資金を工面して、厨房設備や什器、食器類を準備しました。中古を見つけてきたり、食器類は100均等で探したんですけどね。」

ー どういうメニューを出しておられるのですか?

「実は、空の上のホテルやそのホテルの別館である町の駅マルシェ・ユスハラがオープンした頃は、町が委託した高知市内のホテルが運営していて、とても流行っていました。ところが、儲かるなら地元でということで、町の商工会が運営を始めた途端に…。ホテルの運営には素人だったのでしょうか、町中にあるマルシェ・ユスハラで宿泊する方から、どこにでもある料理ではなくて、檮原らしい料理が食べたいと、私の方によく問合せを頂くようになりました。」

檮原らしいメニューが全部食べられる、脱藩定食とは?

「町中には、檮原の田舎料理を食べられる食堂がないので、いちょうの樹で食事を用意していたのですが、これは、町内で郷土の田舎料理を食べてもらえる食堂が必要だと感じ、農家レストラン『くさぶき』を開業することにしたので、山菜料理、手打ちのそば、ナスのタタキ、雉子ごはん等、地元の食材を使った檮原らしいメニューばかりにしています。中でも、一番の人気は、それらを全部食べられる脱藩定食です。」

ー ナスのタタキ?「四万十とおわ」には、しいたけのタタキがありましたよ。

「ハハハハ、十和の畦地さんたちとも交流があって、少しはヒントにしましたが、ウチはナス農家なのでナスをおいしく食べて頂こうと研究して、タレまでオリジナルでつくっているんですよ。甘口と辛口の2種類あります。それから、檮原の手打ちそばは、皆さんがよく召し上げるそばではなくて、うどんのように太くて、つなぎを入れていないので、少しボソッとしていて切れやすいです。私は行ったことがないのですが、徳島県の祖谷そばに似ているそうです。

ー 祖谷にはよく行くので、祖谷そばもよく食べていますが、どんなそばか興味がありますね。昨夜、檮原で食べた雉子のラーメンもおいしかったですし、その脱藩定食を食べてみたいです。

「これから開店の準備に行きますので、よかったら一緒に如何ですか?」

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ということで、お嬢さんも手伝っておられるという、農家レストラン「くさぶき」にお邪魔した。

国道197沿いの太郎川公園の中にあり、公園内とその周辺には、自然体験施設やフィールドアスレチック、グラススキー場、お花見広場、キャンプ場、野鳥の森等の野外施設、温泉、宿泊施設がある。

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脱藩定食は、雉子ごはん、手打ちそば、ナスのたたき、山菜の炊き合わせ、煮豆、おひたし等が付いて、1,050円。ナスのたたきは少し濃いめの味付けで、ご飯のおかずにピッタリ、確かに、そばはうどんのような太さだった。どれも素朴な味付けで、しみじみと美味しい。上田さんのお人柄が伝わってくるようだ。

誰もこの自然に囲まれた檮原で、トンカツ、エビフライ、ハンバーグ…、を食べたいとは思わんだろう。

COREZO(コレゾ)賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、快諾して下さった。

ひとりひとりの小さな積み重ねがとても大切

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「確かに、田舎体験を求めて檮原を訪れて下さる人は、年々、増加し、都市と農村の交流の輪が広がっていますが、現実は、地域の過疎化が進んでいて、次の時代を担う若い世代がおらんがです。ひとりでは何もできんがですが、私や私の家族がやっていることは小さなことでも、そのひとりひとりの小さな積み重ねがとても大切です。」

「地域が生き残っていくためには、後継者づくりはもちろん、地域で暮らすひとりひとりが、どうすればいいかを真剣に考えて、実際に行動をしなければなりません。そして、地域だけでなく、県全体で情報を交換し、協力し合って、さらに交流人口を増やせる魅力のある取り組みを続けて行くしかないと思っています。」と、上田さん。

にこやかで優しいだけでなく、ビシーッと一本、芯の通ったとっても頼もしいおかあさんなのだ。次回、檮原訪問時には、「いちょうの樹」さんに泊めて頂く約束をして、上田さんと別れた。

COREZO コレゾ「田舎のない人の田舎になりたいと、農山村のありのままの暮らしを伝え、家族ぐるみであたたかくもてなす、檮原のおかあさん」である。

COREZO (コレゾ)賞 事務局

初稿;2013.10.15.

最終取材;2013.06.

編集更新;2015.03.13.

文責;平野龍平

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