江口 太郎(えぐち たろう)さん

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COREZO(コレゾ)「だんご屋ひと筋、幻のもち米『大正餅』を復活し、その生産現場の田園風景が見渡せる古民家店舗を再創造した菓子職人親子」賞

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江口 太郎(えぐち たろう)さん

プロフィール

新潟県長岡市

株式会社江口だんご 代表取締役

江口 賢司(えぐち けんじ)さん

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プロフィール

新潟県長岡市

株式会社江口だんご 会長

ジャンル

食づくり

食文化

地産地消

受賞者のご紹介

地域に根ざした江口だんご店

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江口 賢司(えぐち けんじ)さん、太郎(たろう)さん親子は、新潟県長岡市にある株式会社江口だんごを経営しておられる。

2014年7月、淡路瓦師の山田脩二さんが、僕の瓦を敷いただんご屋さんがあるので見に行きましょうか、ということで、お連れ頂いた。

江口だんご本店は、関越自動車道長岡ICから、柏崎方面へ車で15分程行ったのどかな里山と田園風景が広がる宮本東方町にあり、周囲が田んぼに囲まれた広い敷地には、蔵構えの長屋門、古民家を再生した店舗やカフェ、菓子工場が配置されている。

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店舗の棟から更に奥へ、山田さんの瓦が敷かれた渡り廊下を通って、蔵を改造したカフェにご案内頂いた。蔵は窓がないので暗いイメージがあるが、大開口部を設け、吹き抜けにしてあるので、芝生が敷き詰められた中庭と周りの田んぼや里山が見渡せ、とても気持ちのいい空間に生まれ変わっている。

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最近、ドリンクメニューに仲間入りしたという、新潟県村上市の村上紅茶を頂きながら、お話を伺った。

「このカフェも、新潟にあった蔵を移築して再利用しました。新潟県村上市は、日本最北のお茶どころなんですよ。かつては、日本でも紅茶がつくられ、外貨獲得の為に輸出用として生産されていましたが、今は全国的にも少なくなってしまったそうです。村上紅茶というのは、村上にある茶園が、半世紀ぶりに復活させた紅茶です。地元のものを応援する想いも込めて、こちらでご提供しています。」

江口だんごの歴史

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ー 代々、家業でだんご屋さんをしておられたのですか?

「明治9(1876)年、長岡の中心部を流れる信濃川の中州をまたいで、東西に2本掛けられたのが、最初の長生橋です。明治35(1902)年、私の祖父である初代が、その中州にお茶屋を出し、歩いて行き交う人々に、だんごや煮しめやお酒などをお出しして、旅人や行商人たちのお休み処として賑わっていました。ところが、明治40(1907)年の大洪水で中州の茶屋が跡形もなく流されてしまい、東岸の山田町に移りました。」

「私は、代としては、三代目になりますが、父は、職業軍人でしたので、大東亜戦争が始まって、家にはほとんどいませんでしたから、一代抜けていることになります。」

三代目の修行時代

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ー 戦後、だんご屋さんを継がれて、再開されたのですか?

「流行り廃りのものは、当たれば、一時的に儲かるかもしれませんが、廃れるのも早いですよね?新潟県は、米どころで、主原料は豊富にありますし、餅やだんごは、江戸時代から続いているものですから、まだまだ、先まで大丈夫じゃないだろうか、という考えもあって、菓子職人の技術を身につける為に菓子屋に丁稚奉公に出ました。」

昔は5年の年季がありました。5年間、仕事を教えてもらって、その後、1年間、ほとんど無給でお礼奉公をして、職人として独り立ちする訳です。その後、東京を振り出しに、菓子職人の修行をして、ずーっと、九州まで下って、九州でいろんな人とのご縁を頂き、また、上ってきて、最後は名古屋でした。今はそんなことはできませんが、当時は、菓子職人も板前さんと同じように、前に勤めていたお店の社長さんの紹介とかでね、渡り職人として、方々を歩けた時代だったんです。」

長岡のデパートにテナント出店

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「それで10年程、各地で修行をしてから家に戻って、昭和35(1960)年に、だんご・大福などを中心に製造、販売を始めました。長岡のデパートに出店して、お菓子の実演販売したのが評判となり、当時、長岡市内に5軒あったデパートの全てにテナントを持つようになりました。」

「お店廻りや配達で、忙しく飛び回っていた頃に、懇意にして頂いていた金沢に本社のあるデパートの社長から、デパートは看板だけ利用して、早く自分の店を持ちなさい、とご指導を頂き、新たな目標を持ちました。」

直営店をつくり、直売だけに特化

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「ある時、信州の菅平に用事があって車で出掛け、降り口を間違えて、小布施で降りたら、たまたま、栗菓子で有名な老舗の和菓子店さんの前を通りかかって、だんご屋には、こういう店舗がいいな、って思って、そこのご当主とお話しをしたら、とてもいい方で、それから1ヵ月に1回ぐらいのペースで通って、いろいろなことを親切に教えて頂きました。」

「それで、そちらの店舗を参考にさせてもらって、昭和48(1973)年、車社会の到来を見越し、西津町というところに、数奇屋風の店構えで郊外型の店舗・工場をつくりました。その時に、出店させて頂いていたどのデパートにも不義理はしたくなかったので、全て撤退して、直売だけに特化しました。それが、直営店第1号で、その1店舗から再スタートして、今では、この本店を入れて長岡市内に5店舗になりました。」

大分の由布院で頂いたご縁とは?

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「本店が完成したのは、2005年ですが、こういう店舗にできたのは、大分の由布院で頂いたご縁からなんです。私が修行をしたご縁もあって、四代目になる息子の太郎を大分の菓子屋に修行に出していた時、由布院で、私どもの故郷の新潟から、九州まではるばる運ばれてきた古民家が再生され、温かさ、重厚感、包まれるような落ち着き、その雰囲気のよさ・・・等々の全てが、時空を越えて、人々に感動を与えている場所、空間に出会ったと言うので、すぐに、私も訪れ、ひと目見て、その素晴らしさに感動し、地元新潟でもそういう場所、空間をつくって、お客様をもてなしたいと思いました。」

「その場所というのが、由布院のご三家と呼ばれている中でも、一番最後にできた『無量塔(むらた)』さん、という旅館とその関連施設でした。再創造をコンセプトに、新潟や富山から移築した古民家が何棟も点在して、古民家の良さを活かしながら、とても居心地と雰囲気のいい空間に再創造されていました。」

「私たちは何度もその場所を訪れ、そこのオーナーとも親しくなり、この本店の全体構想、レイアウトやデザインのアイデアを始め、いろんなことをサポートして頂きました。この『蔵づくりカフェ』をつくる時、山田さんをご紹介して頂いたのもその方でした。」

古民家探しの日々

「それから、私たちの古民家探しが始まりました。長岡市は戊辰戦争と第二次世界大戦で二度に亘って戦火に遭い、町がほぼ全焼して、多くの旧家が失われましたが、幸いにも戦火を免れた家屋も残されていました。私たちは、新潟で古民家が取り壊される話を聞く度に駆けつけ、いくつもの古民家を見てまわり、十日町市岩瀬にあった茅葺きの農家の建物と長岡市柿町にあった江戸時代家老職だった立派な古民家に出会いました。」

物語を生む『江口だんご』本店のコンセプトとは?

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「雪国建築の特徴である太く大きな梁が何本も使われ、見るものを圧倒しました。二尺近くある欅の差し鴨居は、現代ではなかなかお目にかかれません。10年間、大切に保管しながら、全体構想を練り、その二棟の古民家の特徴的な部材を活かした大構造にして、それらの優美さ、風合いを最大限引き出せる意匠を凝らしました。」

「また、古い竈を再現し、火を焚き、お餅を蒸す様子もお見せして、昔懐かしい雰囲気を醸し出すよう工夫しました。そして、構想を始めて10年以上の歳月をかけて、私どもの長年の夢であったこの『江口だんご』本店が完成しました。」

「こういう店舗にしたのは、取り壊されてしまう古民家を今に甦らせて、次の世代に引き継いで行きたいという想いと、私どものような商売は、歴史と建物が古ければ古い程、付加価値が付く業種なものですから、それを上手く活用したいという想いもありました。」

「また、何故、地の利、交通の便が良くないこういう場所につくったかと申しますと、この地域の田んぼで主原料の米を作って頂いていたので、地元の生産者の皆さんから、ここでお店を開いたらどうかとお誘いがあったからです。こののどかな田園風景や自然は、古民家を再利用した建物にも合うと思いましたが、10人中、10人に反対されましたよ。」

「しかし、先程の由布院の旅館のご主人は、ここに来たくなるおいしい菓子とそれにふさわしい空間を用意して、この豊かな自然の中で、その原材料となるお米を育てている風景をご覧頂ければ、物語も生まれて、きっと、お客様は来て下さいます、と応援して下さいました。この店が開店の折には、ご自分の旅館のお得意様を招待して、羽田空港から大型バスで連れて来て下さいました。」

最高級といわれた餅の原材料とは?

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ー なるほど、立地や建物、しつらえ、施設全体にこれだけこだわっておられるのですから、商品はそれ以上でしょうね?

「食べ物商売は、つくる技術はもちろんですが、一番大事なのは原材料です。お餅はもち米、だんごはうるち米が主原料です。その主原料には、特にこだわっていますし、甘味処でお出ししているお食事の野菜もできる限り、地元の農家の皆さんに無農薬でつくって頂いています。」

「中でも、餅の原材料として最高級といわれた『 』という品種のもち米は、コシが強く、柔かさが長続きし、他の餅米では作れない美味しさがありますが、生産に手間がかかることから、次第に手に入らなくなり、昭和30年頃には、姿を消して、幻の品種といわれていました。」

幻のもち米の復活劇

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「私は、昔食べた、その『大正餅』で作った草餅の味が忘れられなくて、もう一度、皆んなで食べてみたい、こんな素晴らしいもち米と文化があったということを今に伝えたい、という想いから、『大正餅』を復活させる決意をしました。」

「しかし、そんな決意とは裏腹に、肝心の『大正餅』をなかなか見つけられないまま、探し始めてから5年が過ぎ、諦めかけていた頃、地元の宮本の農家に『大正餅』があるらしい、という話を聞きつけ、伺ってみると、そこには、両手をあわせて持てるほどのほんのわずかな量でしたが、探し続けてきた『大正餅』がありました。」

「ところが、見つかった大正餅の種もみは、コガネ餅という品種の種もみと混じっていて、植えてみないと区別がつかない状態でした。とにかく、田植えをして育て、収穫時期の遅い大正餅を残し、黄色く色付いたコガネ餅だけ先に刈り取りました。」

「それによって大正餅がまばらに植わった状態になり、大正餅はコガネ餅に比べて2~20cm背が高く、倒穂し易く、1本、1本、支えを施したので、機械での刈り取りができず、手刈りで収穫するなど、生産をお願いした地元農事法人の方々との試行錯誤のくりかえしでした。」

「そして、何とか収穫できたものの中から、質の良いものだけを選んで、さらに数年、気の遠くなるような地道な作業と無農薬による合鴨農法での苦労を繰り返し、ようやく満足できる『大正餅』の収穫に成功しました。」

丹精込めて育てた餅米の美味しさそのままに商品化

「やっと手にした丹精込めて育てた餅米の美味しさを、そのまま美味しく召し上がって頂けるようにと、商品化の試作を重ね、2005年、ようやく、『むかしぼたもち』が完成しました。昔と全く同じ製法で、蒸籠でもち米を蒸かし、コシとノビがでるまで杵で搗いて、手で返し、また、搗いてを繰り返して、出来上がったお餅を手でちぎって、北海道産小豆で作った極上餡と絡めます。『大正餅』独特の程よいコシとノビがある食感は、他の餅米では味わうことのできない逸品に仕上がったと思います。」

『大正餅』を大切に育て、増やす活動

「今年で10期目になりますが、『大正餅田植会員』を募集して、古き良きものを伝えてゆきたいという想いが同じ人たちと一緒に、毎年、4月に田植えをし、10月に稲刈り、そして、11月には、収穫した『大正餅』で餅つきと、のどかな山里の四季と行事を楽しんで頂きながら、『大正餅』を絶やすことのないよう、大切に育て、増やす努力を続けています。」

直営店での直売にこだわり、団体観光バスをお断りする理由

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「私どもは、こんな田舎でだんご屋をやっていて、世間が狭いものですから、何が嬉しいって、他所さまのお菓子を頂くのが一番有難いです。修行をしていた若い頃には、高嶺の花だった東京や長崎の老舗のお菓子を頂くと嬉しいですね、やはり、一流のお店は、最高の原料と技で、とてもいいお菓子を作っておられます。世の中にこんなに素晴らしいお菓子があるのか、と日々、勉強をさせて頂いております。」

「我々の商売は吹けば飛ぶような業種でございますから、いい商品を作り続けないと、次の代に引き継いで行けません。もちろん、近代的な工場で最新鋭の製造機械も積極的に導入していますが、天候、気候、原材料等々の条件によってする微妙な調整は、熟練した職人の経験と勘が頼りですし、手作りの良いところはできるだけ残しています。」

「ウチの商品の多くは、製造日の1日しか賞味期限がありません。だから、商売としては非常に厳しいです。というのも、2日保てば、売上が3倍になりますが、ウチは、昔と同じように、だんごも、大福も朝作って、夕方になると、固くなりますし、洋菓子のロールケーキなんかも1日しか保ちません。だから、予想より多くのお客様が御出でになると、商品が間に合いませんし、追加で作れたとしても、残れば、廃棄処分です。」

「賞味期限が短いということは、直営店で直売するしか販売する方法がないということでございます。東京のデパートや流通大手、駅ナカ等からも出店のお誘いはありますが、お断りしております。直営店での直売しかできないということは、わざわざ、店舗にお越し下さる個人のお客様あっての商売でございますから、観光バスの団体客もお断りしています。」

江口だんごの商売の信条とは?

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ー 今後の抱負は?

「もう80ですから…。」

ー そんなご年齢には見えませんが?

「長岡駅からでも車で30分掛かりますし、長岡のインターからでも15分掛かるような、お客様にはご足労をお掛けする場所にあるのにも関わらず、毎日、多くの皆さんにもお越し頂いているのは有難いことです。これからも、そういうお客様にもっと喜んで頂けるようお菓子づくり、おもてなしを続けて行きたいと思っております。」

「自分の能力の限界なんて、一人分ですから、たかが知れていますが、大勢の人さまとの出会いのおかげで、引き立てて頂いて、今があります。人さまとのつながりこそが、私の財産であり、資産でございます。地産地消で、地元の安全な原材料を使い、全部ホンモノであること、お客様に正直に、絶対にウソをつかないということを信条に、徹底してやって行けば、利益が少なくても、なんとか継続していけるのではないでしょうか。」

COREZO(コレゾ)財団・賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、「私どもは、長岡でだんご屋ひと筋でございます。この衣装は古くから付き合いのある洋服屋が仕立ててくれました。」と、写真に収まって下さった。

親子二代で、原材料にこだわり、幻のもち米を執念で復活して、その生産現場を見渡せる田園地帯に、取り壊される地元の古民家を再生して店舗を作られた。甘いものはほとんど口にしないが、こういうだんご屋さんは、是非とも、末永く続けて頂きたい。

COREZO(コレゾ) 「だんご屋ひと筋、幻のもち米『大正餅』を復活し、その生産現場の田園風景が見渡せる古民家店舗を再創造した菓子職人親子」である。

後日談1.第3回2014年COREZO(コレゾ)賞表彰式

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江口太郎さんがご出席下さった

江口 太郎(えぐち たろう)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、一切、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2014.10.17.

最終取材;2014.06.

最終更新;2015.03.21.

 文責;平野 龍平

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