元村 雅子(もとむら まさこ)さん/石垣島「舟蔵の里」

COREZOコレゾ「一切、手抜きをしない、おもてなしのこころを大切にする大将と女将」賞

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元村 雅子(もとむら まさこ)さん

プロフィール

沖縄県石垣市出身、在住

舟蔵の里 女将

ジャンル

観光地域振興

伝統文化

経歴・実績

名古屋の学校で栄養士の資格を取得

那覇の食品会社に就職

石垣島に戻り、石垣市教育委員会に入り、給食センターの発足に携わる

ご主人の元村 賢(もとむら まさる)さんと出会い、結婚

1975年 うなぎ料理店「只喜(ただき)」開店

役所を辞め、お店の手伝いを始める

受賞者のご紹介

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元村 賢(もとむら まさる)さんと雅子(まさこ)さんご夫婦とは、ご縁があって、2003年、ある観光地域振興事業の取材でお世話になり、以来、ご長男の伝(でん)さん共々、懇意にして頂いている。

一家で営んでおられる「舟蔵の里」は、石垣バスターミナルから「川平リゾート線」のバス利用で約15分、「舟蔵の里」というバス停まである。タクシーなら寄り道しないので5〜10分程だ。懐かしくてどことなく新しい、八重山を感じられる居心地のよい空間での料理ともてなしが評判で、市街地から離れているのにいつも観光客や地元のお客様で繁盛している。

20代の頃に、仕事で那覇に半年以上駐在していたことがあるのだが、当時、沖縄料理は勿論、泡盛、オリオンビールも全く口に合わず、夏場に弁当で食中毒を起こしたこともあり、駐在中の食生活には苦労した覚えがある。今ではごく一般的にどこのスーパーでも販売されて、よく食べるゴーヤも、当時は見たことも食べたこともない衝撃的なマズさで、ゴーヤの搾りたて生ジュースは本州から来たスタッフ歓迎会の罰ゲームで重宝した程だ。

地元の人たちと親しくなるにつれ、仕方なく食べるようになったが、美味しいと感じたことはなく、主食は中華(台湾が近いせいか、美味しい店が多かった)で、1日も早く大阪に帰りたかったことを思い出す。駐在の仕事が終わった後も、仕事でもプライベートでも沖縄本島とその周辺の島々には何10回と訪れているが、沖縄料理は積極的に食べることはなかった。

舟蔵の里のソーミンターシャは絶品‼︎

が、しかし、「舟蔵の里」の八重山郷土料理を食べて、不味いと勝手に思っていた一般的な沖縄料理のイメージが完全に覆った。どの料理も美味しいけれど、あの「なんで素麺にシーチキン入れて炒めるねん?(シーチキンが大嫌い=食べたくないというのもあるが)」的なソーミンチャンプルーがここの(舟蔵の里のメニューではソーミンターシャ)は画期的かつ、感動的に美味しかったのである。具は刻みネギと海苔を散らしてあるだけのシンプルな調理なのだが、炒めて油でベチャっと別モンになったソーメンではなく、炒めてあるのにしっかりコシのあるちゃんとしたあのソーメンなのである。

大将に作り方を教わってナルホドと思い、家でやってみたらお店に近い味が出せた。興味のある方は、何度も通って親しくなれば、教えてもらえるかも知れない。

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さらに、沖縄地方や南方の魚はどれも美味しくないと思い込んでいたら、これも大間違い。実は、マグロやカツオ(尖閣諸島にはカツオの加工場もあったらしい)も沖縄近海でも獲れ、生でも流通していて、ここのは鮮度がよく、ウマい。特に、ここの「地魚のあらマース煮(マース=塩・塩味のあら炊き)」は最高にウマい!!地魚はいつもはだいたいハタ(アラ)の種類を使っておられるようだが、今まで食べた魚のあら煮の中ではダントツNo.1だと思う。ビールも泡盛もなんぼでも飲める。

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ウチの子供の大好物でもあり、幼稚園児の頃に骨だけを残してキレイに食べることを覚えた逸品である。 周囲のテーブルの観光客と思しきグループからも、「沖縄の魚って美味しくないと思っていたら、ここのお刺身はおいしいね。」というような声がちらほら聞こえてくる。評判が評判を呼んでいるのである。

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島らっきょ、海ぶどうは新鮮でウチの子供は1人で2皿づつ食べるし、チャンプルーもんはどれもめっちゃウマ!八重山風イカスミリゾットにアレンジした「いかすみのこじゅーしー(=琉球炊き込みご飯)」も必ず食べる(味はイカスミパスタに近い)。あと、石垣牛のステーキやにぎり寿司も美味しいけれど、歳のせいか肉はあまり食べれなくなってしまって残念だ。

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また、ここの沖縄そば(こちらでは八重山そば)も抜群に美味しい。麺はもちろん、出汁がウマい。オリジナルの「チャンプルーそば」が特にお気に入りだ。無さそうで無い、八重山そばを使ったチャンポン風というのがミソで、これはとってもアリである。八重山の郷土料理の伝統を守りながら、更に美味しくなる工夫を常にしておられる。

パックパッカーでやってきて、石垣島になかったうなぎ専門店を開店

大将こと、賢さんは熊本のご出身で、当時流行ったパックパッカーで石垣にやってきて、女将さんこと、雅子さんと知り合って、そのまま、石垣に居着いてしまったそうだ。

当時、石垣島ではうなぎを食べる習慣がなく、うなぎ専門店がなかったのはもちろん、郷土料理店や寿司店でうなぎを出す店が数店あった程度で、大将は「美味しいうなぎを提供すれば、必ず繁盛する。」と思った。そこで、宮古島に進出してきた養鰻場で修行をし、うなぎの扱い方を覚えて、石垣市役所前の店舗でうなぎ料理店を始めたところ、大当たりした。

朝5時からうなぎを店頭で捌いて、開店から閉店まで焼き続けても間に合わない繁盛ぶりだったそうだ。女将さんも役場を辞めて手伝い始めた。学生時代の友人のお母さんが飲食店をしていて、そこで出していたうなぎを食べさせてもらって、「おいしい」とは思ったが、石垣島では滅多に食べる機会はなく、まさか自分がするとは思ってもみなかったという。手伝い始めた頃は、「いらっしゃいませ」、「有難うございました」が大きな声で言えずに大将とよく喧嘩をしたそうだが、今の女将さんからは想像もつかない。

「一切、手抜きをしない。おいしいものをお出しして、こころからおもてなしをすれば、必ずお客様は来て下さる。」創業時から変わらぬ大将の信念だ。

「舟蔵の里」の構想

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ご商売を始めた頃から「舟蔵の里」の構想が大将にはあったという。今の敷地は海側と道路側の土地を別々の地権者が所有していて、事業をするには両方の土地が必要なのだが、どちらの所有者も譲らずに長年放置されていた。たまたまどちらの所有者も昔からの知人だったり、うなぎ料理店の顧客だったことから、愚痴を聞いたり、相談を受けたりしているうちに話がまとまって、大将が両方まとめて買い取ることになった。

その敷地にまずは自宅を建てた。女将さんの親戚が住んでいた石垣島の伝統的な家屋を建て替えるというので、それを譲り受けて移築した。敷地の一番端に建てたので、「どうして真ん中に建てないのか?」と親戚縁者から散々言われたそうだが、「大将には今の舟蔵の里の青写真が頭にあったんでしょうね。」と、女将さんはおっしゃる。

どこか美味しい郷土料理店はないの?

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うなぎ料理店を営むうちに、お客様から「郷土料理はおいてないの?」、「どこか美味しい郷土料理店はないの?」という声を度々聞くようになった。それなら自分たちで郷土料理のお店を開こうということになり、住宅金融公庫からの借入金を完済した上で、自宅を改装して郷土料理棟とし、ギャラリーとカフェも石垣島の古民家を移築、改修して「舟蔵の里」をオープンした。

車庫・倉庫だった建物に居を移して開店したのに、数年間、ほとんどお客さんは来なかった。うなぎ料理店の利益は借入金の返済と運転資金に消えて行った。「このままではイケナイ。」ということで、当時の観光協会の協会長に相談したところ、旅行社の接待に利用して下さるようになった。旅行会社への営業も始めた。相手が若い男性ばかりで憂鬱だったこともあったそうだが、徐々に旅行会社からも送客してもらえるようになり、お客様からの評判も上々だったので、ある大手旅行社から2年後の戦没者遺族会2000人の大型団体の引き合いが舞い込んできた。

千載一遇のチャンス

「これは千載一遇のチャンス。この団体を絶対に獲得しよう。」と女将さんは心に決めた。ただ、100名×20本のツアーだったので、今の郷土料理棟の40名のキャパでは到底、収容できなかった。大将と相談をして団体用の大広間を増築することを決めた。何とか選定時期までに完成し、関東まで地元の観光協会の皆さんと誘致に出掛けた。ミス八重山の2人と一緒に琉球舞踊まで披露した。

「私は踊りが下手でしたが、どうしても来て頂きたいという一心で必死に踊りました。ミス八重山のお嬢さん方が上手だったので助かりましたよ。」

そして、念願の大型団体の獲得が成功して、これをきっかけに「舟蔵の里」は一躍、繁盛店になって行くのである。

大将は石垣島の伝統的な家屋が取り壊されるのを聞きつけると、伝統文化が失われるのが悲しくて、居ても立ってもおられず、引き取りに行って、徐々に舟蔵の里を拡張して行ったそうだ。ま、他所者の方が、その地域の大切な資産、資源に気が付くという法則がここでも成り立っているのである。

ほんまもんの強みとは?

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最近、沖縄本島にも伝統家屋を再利用した(中にはレプリカも沢山ある)郷土料理のお店が増えていて、雰囲気が非常に似たお店に行ったが、舟蔵の里とは似て非なる店だったという話をすると、

「実は、そのお店はそこの敷地を持っていたパイナップル園の経営で、舟蔵を気に入った大手旅行会社にいた人が話を持ちかけて作ったお店なんです。構想の時から、何度も視察に来られましたし、開業前の従業員の研修もウチで引き受けました。」

「せっかくのノウハウをそんな商売敵のようなところに見せていいのですか?」と尋ねると、

「ハハハハ、いいんですよ。何も隠すものはありません。まあ、施設の外見はコピーできても、建物も古民家に見せかけたレプリカだったりでね、店の中身や本質、もてなす人の『こころ』までは真似できませんからね。」と、大将。

いやー、恐れ入りました。ほんまもんの強みである。

2012年、COREZO(コレゾ)賞の受賞のお願いに2年振りに石垣島を訪れた。夕方、石垣島空港に到着し、そのまま舟蔵の里に向かった。夕食を頂きながら、女将さんと話をしていると、

「石垣市街にあるうなぎ料理店の『只喜』ですが、賃貸だったし、店も相当古くなってきたこともあったし、今夜で閉めて、この舟蔵の里に移転することにしました。移転すると知った昔からのお馴染みさんが連日押し寄せて下さって、大将もかかりっ切りで・・・。」

大変な時にお邪魔したことをお詫びし、COREZO(コレゾ)賞の話をした。

「せっかく来て下さると言うのに店を移転するのは私たちの都合ですから、いつでも大歓迎ですよ。長男の嫁も次男の嫁も福岡出身で、特に、孫たちが生まれてからは食品の安全への関心が高くなって、自分たちが無農薬で育てた農作物を舟蔵でお出しできるようにしたいって言っていますが、私は、子供の頃からウチで食べる農作物はウチの畑で作ってきましたし、今でも、舟蔵でお出しする野菜は兄に作ってもらっているし、化学肥料や農薬を使わないのはごく当たり前のことで、意識したこともなかったですね。」

「ただ、大将は、◯◯観光振興功労賞だとか、◯◯貢献賞だとかのお話があっても、そんな賞をもらうようなことは何もしていないと言って、いつも断っていて、授賞式に呼ばれても行ったことがないので、私からは何とも言えませんが、大将に聞いてみましょうね。」と、女将さん。

「今日は移転を惜しんで沢山のお客さんが来て下さって、私も挨拶回りだとか、移転の準備が忙しくて、せっかくお越し頂いたのにご一緒できず残念です。明日の午前中なら、少し時間が取れますので、ごめんなさいね。」と、大将も少しお顔を見せて下さって、うなぎ料理店に戻られた。

毎朝、店の前の道路のタバコの吸い殻拾いと敷地の掃除が日課

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その夜は女将さんがお相手をして下さって、久しぶりに舟蔵の里の味を満喫し、翌朝、再び訪問した。大将は敷地内の芝生広場の掃き掃除をしておられた。

「おはようございます。随分早いですね。毎朝、店の前の道路のタバコの吸い殻拾いと敷地の掃除が私の日課なんですよ。この間の台風でこのフクギの実が沢山落ちましてね、片付けるのにひと苦労です。この木は昔から八重山や沖縄の防風林に利用されていて、八重山らしい風景をつくりだしていたのですが、この実は食用にならないし、地面に落ちると臭いが出て、ハエがたかるので嫌われて、どんどん切り倒されてしまいました。それが台風の被害が大きくなった一因ではないかとも言われています。落ちた実を拾うぐらいの手間を惜しんではいけません。さあ、暑いからどうぞ中へ。」と、カフェ「Boat Station No.1」店内にご案内下さった。

「女将から大体のことは聞きました。確かに目先の欲得や効率ばかりを優先しておかしな世の中になってきましたね。観光振興も、いくら東京や大阪にキャラバンに出掛けて観光客を誘致しても、受入れ側におもてなしする『こころ』がなく、呼ぶだけ呼んで後は知らんぷりでは二度とお越し頂けません。少し前までは当たり前だったことが当たり前ではなくなって、当たり前のことを当たり前にし難い時代になっています。『商売』が先かお客様をお迎えする『こころ』が先かと問われれば、今は『商売』という世の中です。でもね、観光も最後は人なんですね。ハコモノや施設はいうまでもなく、自然の景観でさえも何度も見ているうちに飽きてくるもんですが、舟蔵の里には、女将にまた会いたい、またしゃべりたいと何度も来て下さるお客様がたくさんいらっしゃる。有難いことです。私にはいらっしゃいませんがね、ハハハハ。」

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「私が事業計画と料理担当、女将が営業と接客担当で、仕事に追われる忙しい日々を送りながら、『舟蔵の里』の構想の実現を夢見て、お客様ときちんと接する『こころ』だけは決して忘れずにやってきました。それが根本にあってはじめて、この舟蔵の料理も施設も活きてくるのです。今回、市街地にあった『只喜』を『舟蔵の里』に移転します。やはり創業の地から移転するというのはかなり悩みましたが、この『舟蔵の里』の構想を次のステップに進める時期が来たのだと決断しました。地域の伝統や文化をしっかり守った上で新しいもの・ことにも積極的にチャレンジして、取り入れ続けることも大事なことです。」

改めて、コレゾ財団・賞の趣旨を改めてご説明し、受賞のお願いをしたところ、

「受賞予定者の皆さんの中には舟蔵に来て下さった方もいらっしゃるんですよ。そんな人たちが一同に会するのは滅多にないことです。何か新しい事が生まれるかもしれませんね。自分たちがしてきたことを息子たちの世代、また次の世代へと引き継いで行くことが大切だと思っています。是非、私たちも参加させて下さい。」と、大将。

年に1度訪れるかどうかの者にもいつも笑顔で接して下さる大将と女将さんご一家とのご縁がなければ、何度も石垣島に訪れることはなかっただろう。今や格安航空会社で、数千円で海外に行ける時代に石垣島への航空運賃は割高感があるが、舟蔵の里で大将や女将さんたちにお会いして、食事をするだけで、訪れる値打ちが充分にある。

誰もが知っている有名政治家、企業家、俳優、著名人、・・・、やんごとなきお方までが、何度も「舟蔵の里」に足を運び、大将や女将さんたちと「こころ」と「こころ」のお付き合いを続けておられる。お店のどこにも写真も色紙も掲示されていないし、よく聞くその自慢話も一切されない。「こころ」を大切にしている迎える側の良心である。

石垣島の前に訪れた北海道でガイドブックやネット上で絶賛されているお店に行くと、店内にタレントや取材の色紙がところ狭しと貼られていて、「これはヘタを打ったかも・・・」と思っていたら、案の定、出てきた料理は驚く程マズかった。真に対照的だった。

これからの観光は、「どこかへ行く」、「何かを観に行く」から、「あの人に会いにいく」という目的が主流になっていくだろう。

COREZOコレゾ「一切、手抜きをしない、おもてなしのこころを大切にする大将と女将」である。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.09.

最終更新;2015.03.02.

文責;平野 龍平

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