宮本 吉博(みやもと よしひろ)さん/宿房あそ

COREZOコレゾ「定休なし、定年なし、生涯仕事人、農家のおっちゃんのおいしさてんこもり宿房」賞

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宮本 吉博(みやもと よしひろ)さん

プロフィール

出身、在住

宿房あそ 代表

農業

ジャンル

食・農業

宿泊業

宿房 経営

経歴・実績

1944年 熊本県阿蘇市(旧一の宮町)生まれ

1974年 「民宿あそ」開業

1999年 「宿房あそ]

受賞者のご紹介

お客様には悪いけどね、リクエストにもお応えできないのよ

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宮本 吉博(みやもと よしひろ)さんは、熊本県阿蘇市の「宿房あそ」の代表。2005年、ある観光地域振興事業の仕事で、阿蘇地域がその対象地域になり、当時、財団法人阿蘇地域振興デザインセンター(以下、阿蘇DC)の事務局長をされていた坂元 英俊(さかもと ひでとし)さんにご紹介頂いて、以来、宿泊で何度もお世話になっている。

宮本さんは、自ら「おっちゃん」と呼び、いつも極太のまゆ毛のニコニコ顔で出迎えて下さる。残念ながら温泉ではないが、溶岩石をくり抜いた湯船にミネラルをたっぷり含んだ阿蘇の天然水を沸かしたお湯が溢れる。夕食前にひとっ風呂浴びて、ぶっとい梁と柱、天井の高い古民家の食事処に向かうと、「ブルーライト・ヨコハマ」、「ラブイズオーバー」、「よこはまたそがれ」、・・・、昭和歌謡が流れ、極太まゆ毛の宮本のおっちゃんがニコニコ待ち構えている。

「はい、はい、どうぞ、どうぞ、お客さまはこっちのテーブルね。あの照明もね、おっちゃんが作ったの。カズラを編んで、和紙を貼ったの。いい感じでしょ?これがおっちゃんが無農薬で育てた野菜の煮もの、これはおっちゃんが採って来た山菜、これは熊本名物の馬刺、阿蘇の赤牛の溶岩焼き、・・・。」と、ずらーり並んだボリュームたっぷりの料理の説明が始まる。

「おっちゃんは演歌が好きだから、ウチには演歌しかないの。お客様には悪いけどね、リクエストにもお応えできないのよ。ごめんなさいね。」

「今日はね、このポットに入った阿蘇のおいしい湧き水は無料で飲み放題の大サービス。ついでに玄関の囲炉裏小屋でしか飲めないこの焼酎もサービスしちゃおうかねぇ。」

長生きの秘訣を知ってる?

「おっちゃんはいくつに見える?今年で68歳ぐらい?だよ。元気でしょ?長生きの秘訣を知ってる?死なないこと。これは大事よー。覚えといて下さいね。でもね、おっちゃんはペットボトルのお茶は飲まないよ。フタを開けて一晩おいても腐らないものねぇ。おかしいよねぇ。おっちゃんたちはねぇ、朝ね、この阿蘇のおいしい水でお茶を淹れて田んぼや畑に持って行くでしょ、お昼過ぎまではまだいいんだけど、夕方にもなると色は濁って、味もおかしくなって飲めないよ。ペットボトルのお茶は夏でも大丈夫でしょ?おかしいよねぇ、何か変なものでも入れてるのかねぇ?だから飲まないの。」と、宮本のおっちゃん節が炸裂する。

おっちゃんはね、お腹いっぱい食べて欲しいの

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「さあさあ、そろそろご飯も食べて、おっちゃんが阿蘇の湧き水と無農薬で丹誠込めて育てたお米、おいしいよ。」

「えっ?飲み過ぎたの?お料理でお腹いっぱい?少しでいいの?はい、はい、わかった、わかった。はい、どうぞ。」と、よそって下さったご飯は山盛りのてんこもり。

「えっ?そんなに食べれない?いいの、いいの、大丈夫、ウチのお漬け物で食べたら食べれるから。そこに何種類も用意してるでしょ?好きなだけ取って食べてね。全部ウチの野菜で、梅干しもウチで漬けたのよ。みそ汁もおかわりあるからね。味噌もウチの手づくりだからおいしいでしょ?たくさん食べて。」

「おっちゃんはね、お客さんたち、せっかく遠いところからウチまで来てくれたんだから、お腹いっぱい食べて欲しいの。ウチはね、お米も野菜も全部、おっちゃんが無農薬で育ててるし、味噌も漬け物もみんな手作りしてるから、1日ぐらい少々食べ過ぎても大丈夫よ。2日も3日も寿命が短くなることはないと思うよ。」と、万事この調子なのである。

宿房って?

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どうして「 」と名付けたのか・・・?「宿房(宿坊)」は寺院の僧侶が居住したり、修行僧や参拝者が宿泊する宿舎を指す。阿蘇は、かつて、僧や山伏らが修行に励む修験の山だったそうだ。修験道の拠点となったのは「西巌殿寺(さいがんでんじ)」という寺院だった。天竺から来朝していた最栄読師という僧が、阿蘇山火口西側の岩殿(洞窟)に本尊を祀って開山した。そのうちに、集まってきた多くの修行僧、修験者が坊舎(寺院)、庵(支坊)を建て、修行に励んだといわれている。最盛期には「三十六坊五十二庵」と呼ばれる程の規模だったという。

「西巌殿寺」は戦国時代の戦乱で焼き払われたが、豊臣秀吉の天下統一後、肥後国主となった加藤清正が復興し、麓に山上と同じ数の坊庵を再建し、麓坊中と呼ばれるようになった。以後、修験者や巡礼者、行者らが宿地として利用したそうだ。

宮本のおっちゃんの生家は「麓三十六坊」のひとつ、「阿蘇山頼現坊(らいげんぼう)」という坊だった。明治時代の「廃仏毀釈(はい・ぶつきしゃく)」で、ほとんどの僧侶は帰俗し、「西巌殿寺」は廃寺は免れたが、山上から麓坊中にあった「学頭坊」に移された。「阿蘇山頼現坊(らいげんぼう)」も廃止され、宮本家は5反(約50アール・1500坪)ほどの田畑を分け与えられ、農家になったそうだ。

阿蘇山頼現坊

yoshihiro-miyamoto-3「宿房あそ」の敷地内には、今でも「阿蘇山頼現坊」があるというので見せてもらった。6畳ほどの広さのお堂(というより離れ)に「子授けの観音様」が祀られ、夫婦で訪れる人も多いとのこと。

宮本のおっちゃんが19歳の時、宮本のおっちゃんのお父様が、宿泊施設の工事現場で作業中に事故で亡くなった。高校生の妹が2人。宮本のおっちゃんはどんなことをしてでも妹たちを高校だけは卒業させると心に誓った。当時、1町5〜6反田んぼがあり、お母さんと一緒に必死に農作業に励んだ。

農耕機械は何もなく、全部手作業の時代だった。道具を持って家から離れた田んぼに行くだけでも大変だった。雨降りの中の田植えが一番辛かった。お母さんが持たせてくれた昼食の握り飯がお茶漬けならぬ、雨漬けになった。「こんなつらい仕事はしたくない。百姓なんて嫌だ。」と心底思ったそうだ。

そんなこともあって、田植機が売り出された時には、いの一番に買った。耕耘機も脱穀機も新しい農耕機械が発売されると直ぐに購入した。

「おっちゃん、こんなに農作業が楽になるとは思わんかったよ。楽をさせてもらっているんだから、機械はどれも大事にメンテナンスして何十年も使っているよ。何百万円もするからおっちゃんは買わないけど、今はね、冷暖房完備のキャビン付き農耕機械もあるよ。おっちゃんの田植機は古いのでそんなのないから、日よけのパラソルは取り付けられるようにしてあるの。スゴイでしょ?アハハハ。えっ、雨の日?雨の日は作業しないの、イヤだから、アハハハ。」と、宮本のおっちゃん。

民宿を始めたきっかけ

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宮本のおっちゃんは一生懸命働いたので、田畑の面積は30歳の頃には跡を継いだ頃の倍の3町(約3ha・9000坪)になっていた。その頃、福岡県警を早期退職した友人が阿蘇で民宿をやりたいと宮本のおっちゃんを訪ねて来た。

宮本のおっちゃんの生家は立派な建物だった(今でも)ので、宮本のおっちゃんも民宿を始めてはどうかと勧められた。「ウチには小さな子供もいるし、お客様商売なんて、とてもとても・・・。」と躊躇していたら、「お客様にも子供もいるし、子供同士、遊び相手にもなるから民宿なんですよ。」と教えてもらい、何となくその気になってきた。

その友人は先に阿蘇で民宿を開業し、宮本のおっちゃんにも何かとアドバイスをしてくれ、営業許可申請も手伝ってくれた。トイレを水洗に替えたり、自宅に最低限の改装をして、1974年、客室4室の「民宿あそ」として開業した。

開業すると、周辺に宿がなかったので大繁盛した。当時は事前予約を取っていなかったので、当日やって来て、泊めてくれというお客様が絶えなかった。玄関や廊下に布団を敷いて寝てもらったり、おじいちゃんと一緒の部屋で寝てもらうこともあったという。

1981年、食堂他を増築。その後、借金はするなというご母堂さまの教えもあって、お金を貯めては、増改築を重ねて行った。1999年には、築300年の元庄屋さんの古民家が取り壊されるというので、買い取って、元々納屋があった場所に移築、現在のフロントや食事場所のあるメインの棟とし、裏に宿泊棟も増築して、ご先祖由来の「宿房あそ」として生まれ変わった。

お客様のニーズにはキチンと応えるおっちゃん

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「おっちゃん、振り返ると自分でもよう頑張ったと思うよ。でもね、一番大変なのは、子づくりだからね。おっちゃんも苦労したのよ。子孫繁栄は大切だからね。繁盛の秘訣なんて何もないけど、こういう商売をしていて、雰囲気は大切だなぁって思うの。都会から来られるお客さんが多いから、『ああ、阿蘇の田舎に来たなぁ』って思って欲しいの。植栽も工夫してるのよ。エントランスを入ると、元々あった木々もそのまま利用したんだけど、雑木林のようになってるでしょ?玄関横に囲炉裏小屋があって、干しとうきびがぶら下がって、薪に火が入って煙が上がると田舎に来たなって感じでしょ?おっちゃんが湧き水を引いて作った水基もいいでしょ?野草もおっちゃんが摘んで来るのよ。入口の三和土もおっちゃんのアイデアでムシロを敷いてから固めたんだけど、いい感じでしょ?」

「でもね、雰囲気は田舎でも、設備は最新で、部屋や寝具は清潔でないとダメなの。都会からのお客様に快適に過ごして頂くには冷暖房はもちろん、ウォシュレットも必需品でしょ?お風呂も4つ用意して、貸切風呂でも使えるようにしているの。お客様のニーズにはキチンと応えないとね。」

「でね、阿蘇のいい土で、いい水と無農薬で育てたお米や野菜はおいしいよ。ずーっと作って、食べてるおっちゃんが言うんだから、間違いないの。普段、コンビニやスーパーで出来合いの食品を買って食べている都会のお客さまにはおっちゃんたちの手作りの食事をお腹いっぱい食べて欲しいの。どういう食材がおいしくて、身体に良いか少しは気づいてもらえたら嬉しいの。」

「だからね、玄関におっちゃんの作ったお米を置いてるでしょ?, 無農薬で作った特別栽培米っていうのね、一言も買って下さいとはいわないんだよ。おっちゃんとこでは、毎年30kg入の袋で大体800袋ぐらい穫れるんだけど、農協に出荷するのは200袋ぐらいで、あとは全部お客さんが『おいしい』と言って買ってくれるの。」

ご先祖様がやっていた宿房を自分もできてよかった…

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「おっちゃんね、土や農作物としかしゃべったことがないのに民宿を始めて、お客様の前に出ると、それはもうドキドキして、何を話したらいいのかわからんかったのよ(すんません、どの極太まゆ・・・、モトイ、どの口がゆーてるのですか?)。しんどいこともあったけど、ご先祖様がやっていた宿房を自分もできてよかったなあと思うよ。今は修行僧に泊まってもらう訳ではないけどね。」

「心からのもてなしをしてお客さんが喜んで下さったら嬉しいよね。たっぺいちゃんも何度も来てくれるでしょ?そんなね、お客様との心と心のふれあいができて、毎日、楽しいよ。おっちゃんはね、これからも、定休なし、定年なしの生涯仕事人でがんばるよ。」と、宮本のおっちゃん。

んーっ、宮本のおっちゃんはタダものではないのだ。ただの極太まゆ毛でニコニコしてるだけの農家のおっちゃんではないのだ。

コレゾ賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、

「いいねぇ、楽しそうねぇ、阿蘇の人が他にも受賞するの?だったら、おっちゃんとこの大きな車でみんなで行こうかねぇ。」と、ご承諾下さった。

COREZOコレゾ「定休なし、定年なし、生涯仕事人、農家のおっちゃんのおいしさてんこもり宿房」である。

後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.09.

編集更新;2015.03.01.

文責;平野 龍平

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