杉本 鋭悟(きむら えいご) さん/静岡県「無農薬茶の杉本園」

COREZOコレゾ「美味しさと安全は自然の中にあり、茶畑全体に日光や風が行き渡るよう一本仕立てに剪定し、元気で病気知らずに育てる自然栽培のお茶づくり」賞

杉本 鋭悟(きむら えいご) さん

プロフィール

静岡県島田市金谷

無農薬茶の杉本園

受賞者のご紹介

ある事業で使うお茶を捜していて、静岡県の無農薬茶園を検索して、1番にヒットするのが「杉本園」さんだった。

電話をしてみると、静岡県の牧之原台地で、自然栽培のお茶作りをしているお茶農家さんで、平成5(2003)年から農薬・化学肥料を一切使用しない有機栽培をはじめ、現在では有機肥料も使わない「自然栽培」で誰でも安心して飲めるお茶を作っている、と丁寧に説明をして下さったので、訪ねてみることにした。

—製茶もこちらでやっておられるのですか?

ウチと無農薬で栽培している仲間のお茶だけを扱っています。

—茶園の広さは?

約3.5haありますが、祖父と曽祖父が山林を開墾して茶畑を拓いたので、ウチの茶園の9割が山間部にあります。

—ご家族だけでやられているのですか?

忙しい時にパートさん等に手伝ってもらう事もありますが、基本的には、家族だけでやっています。1本仕立てに選定することで茶樹の間隔が広がり、茶畑に自走の草刈り機が入るようになって、作業効率が格段に良くなりました。

兄弟が4人いて、長男の僕と三男が継いでいて、僕が製茶とか販売とかをしているので、1週間の内、畑に行けるのが2〜3日あったらいい方で、父も歳を取ってきたのもあり、去年(2016)、弟が戻ってきてくれました。

―無農薬有機栽培を始められたのは?

父は、オーガニックに興味を持っていましたが、当時は、今と違ってインターネットもまだ発達していなかったので、情報も少なく、なかなか踏ん切りがつかなかったそうです。ある日、農業にEM菌を使う講習に出かけて、感化されて帰って来たようで、いきなり、「今日からウチは全ての畑を無農薬でやるぞ。」と、宣言したのが平成5年でした。

それまでは、減農薬でしたが、慣行栽培をしていたのを化学肥料から有機肥料に、農薬から有機系の消毒に切り替えることから始めたのですが、虫が大量に発生し、収量もガクンと落ち、最初の3年間で行き詰まってしまいました。

元々、父は理数系の人で、肥料計算を細かく綿密にしていたらしいんですよ。ある時、肥料計算に使う肥料を「0」とすると、収量は「0」になるのに、でも、お茶って、肥料を「0」としても、多少なりとも収量は上がるよなぁ、今までやっていた肥料計算は何だったんだ?根本的に間違っているのかも知れない、と気づいて、ボカシとか堆肥を自分家でつくっていたのを一旦止めて、なるべく有機系の肥料も使わない栽培に切り替えました。

それで畑によっては良くなったところもありましたが、虫がすごくついて、茶樹が弱ってしまった畑も多くありました。ある時、チャドクガの幼虫が大量に発生して、家の者全員がかぶれて大変だったのですが、その幼虫は、茶樹の上部にはおらず、側面だけにいるのに気がつきました。どうして側面だけに虫がついているのか、土を掘り返して根の状態を見たり、できる限りのことを調べました。

一般的な茶樹は、幹から伸びた横枝が土に潜り、浅い根を張ります。肥料を沢山入れる畑では、浅い根が地表の肥料分を吸収し、成長するので、結果的に茶葉の面積が増え、収量が増えるのですが、広がった横枝で茶樹同士の間隔が狭くなり、風通しが悪く、日光も当たらない環境になります。

ウチの茶園では、肥料を入れなくなったので、横枝から伸びた浅い根から肥料分を吸収できなくなり、横枝の部分の茶葉が弱って、虫がついたのではないか、と推測しました。

そこで、側面を選定して、浅い根を取り除き、「1本仕立て」にしたところ、2〜3年で幹がすごく太くなって、根も地中深くまで伸びており、日光や風が茶畑全体に行き渡るようになった結果、病気知らずで元気な茶樹になりました。

―この選定に気づかれたのは、無農薬で栽培するようになって何年目ですか?

有機肥料でも沢山入れていた頃は、虫がすごく寄って来ていて、肥料が全て良くないのではなく、ある一定量を越すと、急によって来るということが経験値として分かってきました。

ありとあらゆることを試してみて、最も画期的に効果があったのが、この「一本仕立て」の剪定で、無農薬を始めて10年ぐらい経過していました。

―3年目で行き詰まってからどうされてたのですか?

慣行栽培をしていた頃は、茶葉を売っていたのですが、無農薬に切り替えてからは、「ウチのを無農薬茶とすると、他のは、農薬茶になってイメージが悪くなる。」と、茶葉を引き取ってもらえなくなりました。

それで、仕方なく、自分のところで荒茶まで揉んで直販をするようになったので、収量は減っているのに、収入はむしろ上がりました。それだけ茶葉と製茶したお茶の値段が違うんです。無農薬栽培は、ウチがお茶農家から生産、加工、直売まで一貫して行うお茶屋への転換期にもなりました。

—無農薬のお茶の販売が軌道に乗り始めたのは?

それも10年ぐらい経ってからだったと思います。その頃からオーガニックのことが話題になり始めて、東京とかにオーガニックの店が増え、そういうお店で扱ってもらえるようになったり、オーガニック関係のイベントに出展するようになってからですね。

—慣行栽培をしておられた時と今とでは収量は如何ですか?

一番茶の収量にはほとんど差はありませんが、夏にかけての二番茶は肥料を入れないと枝葉が伸びません。ウチは、肥料を入れないので二番茶は枝葉が伸びた茶樹だけ収穫し、その代わり、夏以降、秋にかけての最後の番茶(三番茶・四番茶)はしっかり収穫します。

番茶は、煎茶のように若葉ではなく成長した葉を原料とするため、タンニンは多めで、逆にカフェインが少なめになり、ほうじ茶にもしますが、オーガニック系のお客様はこちらの方を好まれます。

―継ごうと思われたのは?

10年ぐらい前ですね。高校を出て、絵の専門学校に行き、5年弱、東京にいました。パチンコ台のアニメーションを描く仕事をしていて、土日は、東京の取引先に営業に行ったり、イベントで販売をしたり、ウチの仕事も手伝っていました。

イベントで試飲販売をしていた時に、有機のお茶も飲めなかったとおっしゃる化学物質過敏症のお客様が、試飲して下さって、「このお茶なら飲める。」って買って下さいました。

無農薬栽培というのは、生産者の自己満足だったり、自分が農薬の被害に遭わないためだろう、ぐらいの感覚だったのですが、ウチのお茶の存在意義が、僕の中で腑に落ちた瞬間でした。

そのパチンコ台のアニメーションを描く仕事がすごいハードワークで、1日1食しか食べる時間もなかったのですが、ホルモンバランスを完全に崩してしまっていたようで、体重は80kgを超え、疲れ果ててしまって、正月に実家に戻った時には、何十時間も目が覚めず、このままでは身体を壊してしまうと思い、家に戻ることにしました。

父の云うことは素直に聞かないだろうけど、僕が東京のイベント等で試飲販売をしてお客さんのナマの声を聞けば、納得して必然的に戻ってくるだろうと父は思っていたようです、ハハハハ。

—家業を実際にやってみて如何ですか?

外で働いているぶんには、云われたことをやっているだけで良かったのですが、畑の世話をして、状態の確認や管理はもちろん、販売のことまで、全て、自分で考えてやらなければならないので、最初は、ただただ、目の前のことをこなすのが精一杯で、自分のやりたいことは、一体、何だったんだろうと思うこともありました。

2011年の震災の時に、この牧之原台地の上の方ですと、多いところで300ベクレルぐらいの放射能が検出されて、ウチの場合、化学物質過敏症のお客様が沢山おられるので、全部つつみ隠さず、情報公開をしたのですが、離れてしまうお客様もいらっしゃって、震災前は、何もしなくても売れていたのに、売上は、6年経った今でも震災前の半分程度しか戻っていません。

—静岡のお茶から放射線が検出されたと云う報道もありましたね?でも、もう放射線量は落ち着いているのでは?

自然界でも放射線量が「0」ということはなく、原発事故前の数値にまでは下がりましたが、事故前は、化学物質過敏症のお客様が中心で、客単価も高かったので、ウチとしては大打撃でした。

それで、販売方法もインターネットを中心に、一般のお客様にも積極的に販売するようになり、8〜9割は直販しています。

—今後は?

父は、元々、製茶機のメーカーに勤務していて、早朝、休日は、ウチの畑仕事をして、夜遅くまで会社勤めをする生活をしていたので、子供の頃は、父の姿を見たことがほとんどなかったですね。

父が製茶機のメーカーを辞めて20年近くになりますが、製茶機はほとんど進化をしていないそうで、お茶の方は、自分なりのカタチが作れたが、機械の方は、自分の思った通りになっていないから、アプリと連動して、スマホで操作して茶揉みができるような機械を開発したい、なんて云っています。

ペットボトルのお茶は飲まれているようですが、急須のある家庭はどんどん減っています。30代以下のウチのお客様は、1割にも満たないぐらいですから、ウチだけでなくお茶業界全体の先細りは見えています。

これまでもイベントや小売店の店頭に出掛けて試飲販売をしてきましたが、これからは、ウチの茶畑を見に来てもらい、農作業体験や茶摘み、製茶体験なんかもしてもらって、普段、自然に触れていない消費者の皆さんとのコミュニケーションの機会を広げて行きたいですね。

若い年代の方々に体験してもらうことで、急須で入れるお茶のおいしさを知ってもらい、SNSで拡散してもらうことも期待できるのでは、と思っています。

ウチは自然栽培のお茶を20年以上やっていて、自然食品店にも結構卸しているので、オーガニックに興味のある人にはそれなりに知られているだろうと思っていましたが、今でも「静岡で自然栽培のお茶があったんだね。」ってよく云われるので、ある意味、知ってもらうのは、つくるより難しいのかもしれない、と痛感しています。

伝えるのは、もっと大変だと思いますが、色々工夫して、お茶離れをしている世代にも、本来、お茶は、こういうものなんですよ、ということを少しずつでも伝えていきたいです。

ある事業で使うお茶を決めるのに、杉本園さんを含む数社のお茶屋さんの煎茶、玄米茶、ほうじ茶を試飲して、比較検討したところ、筆者が飲むなら、どのお茶屋さんより、柔らかく、優しい味がする杉本園さんのお茶を選ぶが、若いスタッフたちは、他社の方が美味しい、というので、尋ねたら、普段、急須でお茶を淹れることない、と云う。

商品開発においては、販売を想定するターゲットの好みを優先するのは仕方ないとしても、急須でお茶を淹れ、テーブルを囲んで一家団欒のひと時を過ごした記憶がある世代には、そんなつい最近までどこの家庭にもあった文化も次の世代に伝えてもらいたいものだ。

COREZOコレゾ「美味しさと安全は自然の中にあり、茶畑全体に日光や風が行き渡るよう一本仕立てに剪定し、元気で病気知らずに育てる自然栽培のお茶づくり」である。

最終取材;2017年10月

初版;2017年11月

最終編集;2017年11月

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