三浦 茂則(みうら しげのり)さん/海陽町三浦林業・TSウッドハウス

COREZOコレゾ「徳島のお山の杉の子が取り組む、日本の林業再生と人と環境に優しい家づくり 」賞

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三浦 茂則(みうら しげのり)さん

プロフィール

徳島県海部郡海陽町(旧海部町)

林業家

有限会社三浦林業(現 有限会社ウッドマーク)代表取締役

TS(徳島杉)ウッドハウス協同組合 初代理事長

http://www.ts-wood.or.jp/

ジャンル

自然・環境 林業・建築

経歴・実績

徳島県海部郡海陽町(旧海部町)で代々林業を営む

有限会社三浦林業(現 有限会社ウッドマーク)代表取締役

1994年 TS(徳島杉)ウッドハウス協同組合 設立 初代理事長

理事長職は和田善行氏に譲り、三浦茂則さんは現在、理事。

受賞者のご紹介

「TS(徳島杉)ウッドハウス協同組合」とは?

三浦 茂則(みうら しげのり)さんとは、2001年、「TSウッドハウス」が毎年秋に実施している「杉の伐採ツアー」で初めて出会った。

徳島県南部の那賀川上流から海南町一帯は木頭林業と呼ばれ、古くからの良質なスギの産地であった。以前は木頭産の杉は那賀川の流れを利用し、搬出、そして海を経由して近畿圏一帯で利用されていた。

山の側から見ていると、日本の住宅のことがよく見えてくるのに、林業家としては、自分たちの先代、先々が植林した杉を切り出し、原木を出荷したら、そこから先は口を出せない。しかも、何に使われるのかもわからないもどかしさ。「木が泣いている。」―そんな想いを共有した5人の専業林業家が産直の家づくりを目指して、設立したのが、「TS(徳島杉)ウッドハウス協同組合」だそうだ。

戦後は鉄骨モルタルや鉄筋コンクリート造りに押されてきた木造家屋。「杉は強度が弱く、建築には向かない」と言う建築士も多かった。そこで、科学的に強さを証明する為に、「乾燥と耐久性」「強度特性」「耐犠牲」「木構造の耐震性」等々、数々の実験研究を重ねて、実証をして来られた。

「切り旬」、「葉枯らし乾燥」とは?

今では、作業の効率化の為、作業のし易い季節に切り出し、ボイラーで人工乾燥をするのが主流だが、実験結果により、木頭杉は油分が多く、耐犠牲に優れており、更に、乾燥の方法で強度が大きく変わることがわかった。伐採して葉を付けたまま、葉の蒸散作用を利用して、数か月かけて自然に乾かす「葉枯らし乾燥」と、虫害を防ぐために4~7月を避けて伐採する「切り旬」を併用すれば最も強いことが判明した。

木頭産のスギは、赤味がちに育ち、やさしい色合いが特長で、また秋目(年輪の色の濃い箇所)が太いので年輪がはっきりして油分が強く、これがすぐれた強度となっている。「TSウッドハウス」ではその特性を活かして、構造材として使用し、昔ながらの伝統的な真壁工法を採用している。

http://www.ts-wood.or.jp/pages/term/term.html#sinkabe

地道な努力で、設計士、工務店、施主の信頼を獲得し、TSウッドハウスの木の家づくりネットワークは拡がり、関西を中心に50棟以上が建った。

もっと都会の人たちに山を見てもらいたいー「杉の伐採ツアー」

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「もっと都会の人たちに山を見てもらおう」と秋に伐採ツアー、春に植林ツアーを約20年間続けておられる。

1日目は、神戸を出発して、杉の家のモデルハウスや県の工業試験所で杉の強度や耐犠牲の実験を見学して、四季美谷温泉で汗を流し、夜は懇親会だった。

「自分たちは専業林業家として、先代や先々代が植林して、60年~80年掛けて育てて来た杉材には自信も、愛着もある。しかし、伐採して、原木を出荷した時点で、どこで何に使われるのかも全くわからなくなってしまうことにもどかしさと虚しさを感じて来た。」

「木を活かすことをせず、殺すことしか考えていない今の住宅の建て方も甚だ疑問である。一軒の家を自分たちが育てた木で建ててもらいたいと願うようになった。」

「産直で建ててもらうには、自分たちの杉の特性を科学的に実証し、木を活かした昔ながらの家の良さを理解してもらって、木の家のネットワークを拡げるしかないと考え、仲間と協力してこのTS(徳島杉)ウッドハウス協同組合を設立した。」と、三浦さんに何度も熱く語られたのを今でも思い出す。

2日目は、TSメンバーの亀井さんの山に入り、伐採を見学、体験する。説明されるまでもなく、その辺の放置された杉林と違い、素人でもわかる手入れの行届いた杉林であった。

作業員の方が、倒す方向にチェーンソーでくさび形に切り、最後に切り込みの反対側に「矢」と呼ばれるクサビを打って倒すのだが、有難いことに、その「矢」を打たせてもらった。その杉は80年生以上だということで、幹の直径は1m近くあった。

ハンマーで何回か「矢」を打つと、「ギギギッー」という木の悲鳴のような音が鳴り響き、25m以上ある杉がストップモーションのように倒れた。その瞬間、年配の参加者の皆さんは、思わず手を合わせていた。それ程、神々しく、貴重な体験をさせて頂いた。

先祖代々、何十年も手入れをして来て、切り出した杉の原木の相場を伺って、あまりの安さに驚くと共に、憤りと悔しさのようなものを感じた。当事者の林業家の皆さんは尚更のことであろう。

安い輸入材の台頭で、木を切り出しても採算が取れないので、林業が衰退し、山の手入れもされない放置林が増え、山の治水力が低下して、大雨等の時に災害が拡大するという悪循環に陥っている。花粉症の人からは、杉は目の敵にされているが、戦後間もなく大量に植林された杉や檜が切り旬を迎えているのに、切り出さずに放置林が増えたから花粉症が増えたという説もある。

水源地が狙われている

更に驚いたのは、林業が商売にならないので、水源地を含めた山林を欲しがっている中国人に売却しようする動きがあり、それを規制する法律もないという事実であった。それから10年以上を経て、昨今、北海道の山林を中国人が買い漁っている報道がされ、ようやく規制を検討しだした、というどこかの国の政府の無策さ加減には呆れる。

さらに何本か伐採体験をさせてもらった後、亀井さんの山の家、兼作業場に行き、山の清々しい空気の中で、おにぎりとみそ汁を御馳走になり、製材所等を見学して、神戸に戻るというような行程であった。僅か、2日間であったが、「TS(徳島杉)ウッドハウス協同組合」の林業家5名のメンバーの熱い思いと、林業や住宅産業が抱える問題が少しわかったような気がした。

家一棟を建てるのに必要な杉の本数は?

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このツアーの後、焼け石に水かもしれないが、1本でも多く杉を使って、1軒でも多く家を建てることが、山の保全に繋がると思い、三浦さんの山から90年生の杉約25本を切り出してもらった。葉枯らし乾燥、桟積み乾燥を経て、柱や梁の構造材、床や壁の板材に製材され、全て余すところなく使われ、約1年後に拙宅は完成した。

林業家、設計士、棟梁・・・、担い手、作り手の顔の見える家つくりは、ハウスメーカーに注文してから、数ヶ月で建ってしまう家づくりとは、根本的に異なり、時間も、手間もかかる。

個人的な感想だが、こんなに楽しいことはなかった。家ができただけでなく、色々な人のご縁も頂き、それまでの人生とこれからの生き方を見直す非常に良い機会にもなった。拙宅の設計士と三浦さん始め、TSウッドハウスの皆さんや工務店と棟梁達には心から感謝している。

ひとつの山の同じ斜面の材木だけで建てた家の値打ちって?

三浦さんには棟上げの時にも駆けつけてもらい、今でも、家族ぐるみの付き合いをして頂いている。数年前には、奥様と二人で鰹や金目鯛の手土産を持って、泊まりに来て下さった。

「少し前まで、自分とこの山の木を切り出して家を建てるのが当たり前だった。おまんとこみたいな、ワシんとこのひとつの山の同じ斜面の材木だけで建てる家は、もう建てられん時代じゃ。年月が経って、もしこの家を売る時が来たら、その値打ちがわかるけんな。」と、酒を酌み交わしながら、目を細めて、何度もおっしゃっていた。この言葉こそが、「TS(徳島杉)ウッドハウス協同組合」を設立した三浦さんの思いなのであろう。

拙宅を売却する時に、果たして、ひとつの山の同じ斜面の材木だけで建てた家の値打ちがわかる買い手がいるのだろうか?

日本古来の伝統工法で建てた家屋の耐震性能

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2011年1月、、三浦さんから「日本古来の伝統工法で建てた家屋の耐震実験を見に行かんか?」とお誘いを受けた。

世界最大の震動台がある兵庫県三木市の「実大三次元震動破壊実験施設(E―ディフェンス)」で、土台を固定しない石場建て(石の上に直接柱を立てる工法)、金物を使わない木組み、土壁といった日本古来の伝統工法で建てた家屋の、地震に対する、さまざまな強度実験があり、最後に阪神大震災クラスの地震を再現して、耐震強度、破損状況を調査する実験があるという、伝統工法で建てた日本家屋に住む被災者としては興味津々で、見学に出かけた。

E―ディフェンスは、巨大な体育館のような施設で、体育館でいうアリーナの真ん中に、本物の木造2階建ての家が設置されていた。施設の地下には油圧装置があり、あらゆる種類、震度の地震を人工的に再現できるそうだ。TSウッドハウスは、梁や構造材を提供しているという。

2005年に起こった耐震強度偽装事件(所謂、姉歯事件)以降、建築基準法が厳しくなり、TSウッドハウスや三浦さん達が推奨して来た、金物を使わない木組みの家は建築許可が下りなくなったそうだ。元々、建築基準法自体は、戦後復興時に建てられたバラックのような危険な家屋を規制する為にできた法律で、伝統工法の強度等は一切検証されていなかったとのことである。

このままでは、我が国伝統の大工技術、文化が廃れてしまうと危惧した人々の努力で、今回のような耐震強度実験が実施されるようになったという。

いよいよ耐震実験が始まり、油圧で建物が持ち上がって、まずは、震度5弱から始まった。

カウントダウンが始まり、身構えたが、ほとんど損害は見られなかった。少し時間を置いて、いよいよクライマックスの震度7の阪神大震災クラスの地震の再現だ。カウントダウンが終わると、「グォーッ」という地鳴りのような音がしてきて、震災当時(被災した)のことを思い出した。やがて激しい縦揺れが始まり、続いてうねるような横揺れが数分続いた。遠目だったが、土壁の一部にひびが入った程度で、瓦も落ちていないように見えた。

地震は柔構造で力を逃がした方がええんじゃ

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「こんなもんよのう。今の家は固めようとするけど、地震は柔構造で力を逃がした方がええんじゃ。伝統工法できちんと建てれば、地震にも耐えられるということよ。その証拠に、法隆寺は、何度も地震にあっているはずだけど、千年以上、もっとるだろ?今の超高層ビルは、その頃の五重塔を研究して、建物が揺れて力を逃がす構造になっている。一番仕口が集中する通し柱と2階部分の梁の接合部分が壊れんかったら、壁を塗り直して、住み続けられるけんな。まあ、2階部分の梁の仕口を渡りあご(渡りあごの仕口は、断面欠損が小さく、梁と桁が重なり合って接合されるので、地震の揺れに対して柔軟性があり、耐震力が強いとされる)にしておいたら、強度的にも丈夫やけん。」

「ワシんとこや土佐の方は台風がキツイから、屋根を軽くし過ぎたら、風に持って行かれるし、2階を高くしてもイカンのじゃ。昔の人はその土地の風土も頭に入れて、経験から、どうせんとあかんか知っとったのやろうなあ。今は何でも実験して、データ出さんとイカンから、お金のあるハウスメーカーが勝手に実験して出したデータが大手を振っとるのよ。」と、三浦さんは少し安堵した様子で話して下さった。

この数ヶ月後に東日本大震災が発生するのである。一日も早い復旧と、災害時の被害を最小に食い止められる多面的な対策が待ち望まれている。

もれなく徳島県の第2のふるさとが自動的に付いてくる⁉︎

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三浦林業(現ウッドマーク)のある海陽町にも何度か訪れた。車で少し西に行くともう高知県である。サーフィンとウミガメの産卵では有名だそうだが、ご縁がなければ、一般の観光ではほとんど訪れることはないだろう。

夏場には上流にダムのない、水のきれいな海部川で、川遊びができる。夏休み中でも人はほとんどいない。鮎釣りをする人には有名な川だそうで、川床の石が良く動く方が、餌のコケが良く付き、いい(美味しい)鮎が育つそうだ。

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また、近所の甲浦(かんのうら)漁港でその日揚がった魚が抜群に美味しい。運良く、2回続けて天然ブリをご馳走になった。ブリの内蔵の煮付を召し上がったことはあるだろうか?胃袋等は珍味中の珍味である。7kg以上の新鮮な大物でないと食せないらしい。そんな地元ならではの魚の食べ方も教えてもらえる。

また、三浦茂則さんは青年団の頃から、地域の祭には有名芸能人を呼んで、町おこしをしてこられたそうだ。過疎化している生まれ育った町の現状を危惧して、もっと外から来てもらう策はないかと思案しておられる。

度重なる台風の被害で、山の林道が寸断されたり、体調を崩されたりして、一時期、林業を休業しておられたが、ここ数年、実験や研究でお付き合いのある大学の学生さんたちの受け入れをし、お世話をされたのがきっかけになり、また、その大学の先生方や周りの勧めもあって、次の世代に引き継ぐ為にも、これまでの徳島杉に関する実験や研究の成果と取組みを資料としてまとめることと、林業や伝統工法の建築に興味や関心のある若い人たちの育成をライフワークにしたい。また、それを期に、林業の再開も果たしたい、とおっしゃっている。

老後は奥様と自分の山から切り出した木材で建ててもらった家を巡るのが夢だとおっしゃっているが、そんな老後はまだまだ先のようである。

これから家を建てようと考えている皆さんには、是非、この伐採・植栽にツアー参加され、TSウッドハウスの皆さんと会って話をすることから始めては如何だろうか?山に行って林業の現状を見て、伐採を体験するだけでも多くの気付きがある。しかも、参加費が安い。人生最大の買物なのに、何も、ハウスメーカーだけに選択肢を狭めてしまわなくてもよいのでは?さらに、TSウッドハウスで家づくりをすると、特典として、もれなく徳島県の第2のふるさとが自動的に付いてくるのである。

「三浦さんの考え方や生き方をもっと多くの人に知ってもらいたいので、コレゾ賞を受賞して頂きたい。」と、お願いしたところ、

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「何じゃそれ?そんな賞なんか要らんけん、賞状も捨てる程あるけんな。えっ?賞金も出んのか?もっと要らん。」とのこと。

「で、賞の名前は何にします?」と、尋ねると、

「ワシは『お山の杉の子』やけんな。」だそうだ。

「お山の杉の子」

昔、昔、その昔、

椎の木 林のすぐそばに

小さなお山があったとさ、あったとさ

丸々坊主の はげやまは

いつでもみんなの 笑いもの

これこれ 杉の子 おきなさい

お日さまにこにこ 声かけた 声かけた

という歌はご存知だろうか?

昔々の はげ山は はげ山は

今では立派な 杉山だ

誰でも感心 するような

強く大きく たくましい

椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ

 

杉の子はやがて大杉に成長し、人々やお国の役に立つという、杉の成長になぞらえて、人としてのありようを歌詞にしている。

さらに、6番はどこかの国の政治家にお聞かせしたい。

「お山の杉の子」6番

さあさ負けるな 杉の木に

すべてに立派な 人となり

正しい生活 ひとすじに

明るい楽しい このお国

わが日本を

つくりましょう つくりましょう

作詞の吉田テフ子さんは徳島県宍喰町(現海陽町)出身だそうで、なるほど、三浦さんの生き方そのもので、まるで三浦さんのために作詞された歌のようである。

三浦茂則さんこそ、

COREZOコレゾ「徳島のお山の杉の子が取り組む、日本の林業再生と人と自然に優しい家づくり、」 である。

「お山の杉の子」を増やして、次の世代に引き継いでいって頂きたい。

後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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元国交省次官と現役DX官僚に意見をする三浦さん

後日談2.2013年2月、山田脩二さんと三浦さん宅訪問

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COREZO(コレゾ)賞 事務局

編集更新;2012.11.02.

最終取材;2013.02.

編集更新;2015.03.05.

文責;平野 龍平

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