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COREZOコレゾ「日本の歴史や伝統と共に息づいて来た麻の文化を守り伝える、麻栽培農家」賞
大森 由久(おおもり よしひさ)さん
プロフィール
栃木県鹿沼市出身、在住
麻栽培農家
日本麻振興会 代表
ジャンル
伝統文化
農業
麻栽培農家
経歴・実績
栃木県鹿沼市出身 麻栽培農家
2012年 「日本麻振興会」設立 代表に就任
受賞者のご紹介
「日本麻振興会」とは?
大森 由久(おおもり よしひさ)さんは、日本国内の麻生産の90%以上を占める栃木県の麻農家の7代目。
戦前には、米と並んで作付け量を指定され、盛んに栽培され、5000ヘクタールあった大麻草の作付面積が、戦後の高度成長の陰で農業が衰退したことに加え、国産麻はより安価な輸入繊維(麻代用品)、さらには化学繊維の普及による需要減少と大麻取締法による規制により、今や5ヘクタール程度に激減し、県内で麻農家が一番多かった鹿沼市でも10数軒を残すのみとなった。
「このままでは生産者だけでなく、加工業者や利用者の伝統、文化も失われる」と、危機感を抱き、日本全国を奔走し、「古来、日本の生活文化に密着した麻の魅力、伝統、文化を見直すとともに、産業振興して、後世に伝えたい」と、「日本麻振興会」を発足し、代表に就任された。
2012年、ご縁があって、栃木県鹿沼市で開催された日本麻振興会主催の「第1回日本麻フェスティバル&フォーラムin栃木」に出掛けた。
「麻」とは?「大麻」とは?
「麻」と聞いてどのようなイメージを持たれるだろうか?「大麻」と聞いてどのようなイメージを持たれるだろうか?おそらく全く違うイメージを持たれる方が多いに違いない。
「麻(あさ)」と「大麻(たいま・おおあさ)」は、同じ植物を意味する言葉だそうだ。麻の衣類が夏場には着心地が良いことは知っていたが、薬物には全く興味がなく、衣類に使われる麻と薬物、いわゆるマリファナに使われる大麻は別の植物だと思っていた。
植物の「麻」を調べると、中央アジア原産とされるアサ科アサ属の一年生草本で、大麻(たいま)または大麻草(たいまそう)と呼ばれ、伊勢神宮のお神札(ふだ)を大麻(たいま)と呼ぶ由来となった植物で、神道とも深い歴史的な関わりを持っているとある。
古来、日本で自生、栽培されていた大麻は陶酔成分が少なかったそうだが、大麻を吸引する文化もなく、大麻草の陶酔作用も「麻酔い」といって、農家から嫌われ、それを解消するため、また薬物使用目的で盗む行為を防ぐために改良された陶酔成分をほとんど含まない「トチギシロ」という品種が栃木県では栽培されているそうだ。
ちなみに、薬物として利用される大麻は亜種の中央アジアで改良された陶酔成分を多く含む「インド麻」を指すそうだ。
4ヶ月で背丈が3m以上になるほど成長が早く、日本では紀元前から栽培され、麻の用途は広く、高級品の絹を除いて、戦国時代に木綿の栽培が始まるまでは、繊維は、高温多湿な日本の夏に欠かせない麻織物になり、畳の表地(畳表)の縦糸、丈夫な魚網や釣り糸、蚊帳、下駄の緒などに使われていた。また、繊維を取った後の茎の麻幹(おがら)は、明かりを燈すたいまつや携帯用暖房器具のカイロ灰の原料に使われ、種子は食用、照明用の燈油になり、根や葉は薬用として利用されていた。現在、七味唐辛子やがんもどきに使われる食用の「麻(お)の実」は、発芽しないよう熱処理した輸入種子に頼っているとのこと。
家庭用品品質表示法上で衣類原材料の「麻」とは?
さらに、繊維の「麻」を調べると、古来、日本では大麻から作られた繊維を指す名称であったが、明治時代になって、アマ科のリネンの原料となる「亜麻」、イラクサ科の「カラムシ」、シナノキ科の「ジュート」、バショウ科の「マニラ麻」等が海外から入ってきて、今では家庭用品品質表示法により、衣服で「麻」と名乗れるのは「亜麻」と「カラムシ」に限ると定められ、大麻草の繊維から作った衣服は指定外繊維(大麻・ヘンプなど)と表記しなければならないらしい。
日本の歴史や伝統と麻の文化
日本では、戦後、大麻取締法によって規制され、産業用栽培も都道府県知事による免許制で、「その栽培目的が伝統文化の継承や一般に使用されている生活必需品として生活に密着した必要不可欠な場合」に限ると厳しく制限され、現在では、大麻の繊維は神社の鈴縄、注連縄、弓道の弓弦、古典芸能の楽器、横綱の横綱、花火の助燃剤などのごく限られた用途に使われている。
「第1回日本麻フェスティバル&フォーラムin栃木」は、千人以上収容できる大きな会場で驚いたが、まず、大森さんが主催者を代表して挨拶された。来賓として、地元の代議士や、鹿沼市長、栃木県知事代理他が列席していた。
歴史研究家の先生の講演が始まった。大和時代から奈良時代にかけて中臣氏と並んで朝廷の祭祀を担当した忌部氏に従属し、朝廷に奉仕した職能集団が「地方忌部」として各地に置かれた。日本の麻の文化は、阿波(徳島)に置かれた「阿波忌部」が、3〜4世紀に全国に広め、徳島県吉野川市の発足に伴って消えた「麻植(おえ)郡」や、千葉の安房国(あわ)という呼び方もその名残りであるという説を展開された。「麻は、かつて人間と自然(大地)との仲介役を果たしていた。自然と人間の絆が切れた現在、麻について改めて考えることが、これからの自然循環社会を考える重要な柱となるだろう。」と締めくくられた。
会場には間違ったイメージを持って来ていると思われる若者の姿も多く、講演の内容を少し聴いて、勘違いに気づいたのか、会場を後にするフトドキモノの姿も目立った。
次に、「御衣御殿人(みぞみあらかんど)」として、「麁服(あらたえ)」を貢進し、朝廷と深い繋がりを持ってきた阿波忌部氏直系の三木家第28代の当主の方がお話しになった。一体何のことかさっぱりわからなかったが、画像も交え、誰にでもわかる平易な言葉で、極めて論理的にお話し下さった。
「大嘗祭(だいじょうさい)」と「麁服(あらたえ)」
「麁服(あらたえ)」とは、天皇が即位後、初めて行なう「大嘗祭(だいじょうさい)」の時のみに調整し、供納する大麻の織物。この麁服がないと大嘗祭が行なえないという特別な貢物。大嘗祭とは、天皇が即位の礼の後、初めて行なう「新嘗祭(にいなめさい)」で、一代一度限りの大祭。その新嘗祭とは、毎年11月に、天皇がその年の収穫に感謝する収穫祭に当たる宮中祭祀だとのこと。
大嘗祭は、南北朝動乱で明治まで中断し、大正・昭和天皇の時に復活した。平成の大嘗祭の際には、徳島県美馬市木屋平村で特別に麻が育てられ、山川町の忌部神社で麁服(あらたえ)が織られて貢進されている。この時の御衣御殿人(みぞみあらかんど)の重責を担われたのが、当主の三木さんで、この行事を司ってきたのが阿波忌部直系の末裔である三木家だそうだ。
PCのスライドで、忌部と三木家の歴史、ご自身が置かれている立場、麁服貢進の様子、経緯・経過を画像でご紹介頂き、全て知らなかったことばかりで、興味深く拝見した。いくら阿波忌部?直系の末裔であるといっても、銀行マンをしておられた三木さんのような民間の方が、宮中祭祀を守っておられる事実に驚いた。日本の伝統文化をどのような思いで守り、家の使命を果たされたのかと思うと頭が下がる。また、そんな家系が絶えた時にどうするか危機管理はできているのかいうことが頭をよぎった。
そのような方が、「麻の文化は日本の歴史や伝統と共に息づいて来たもので、その伝統文化・技術を継承し残していくには時間と労力と資金が膨大にかかる。何をするにも大麻取締法が手かせ足かせになっていて、この縛りがある限り、悲観的にならざるを得ない。日本一の麻生産県である栃木でも、麻の伝統産業が衰退する中で、今後、麻栽培が経済的に成り立つようにして、どのようにして残して行くのか法整備も含めて、国も本気になって、皆で考えないと状況は良くならない。」とおっしゃる言葉には重みがあった。
麻に関する伝統文化と技術が廃れつつある
このフォーラムの翌日、「麻に関する伝統文化と技術の展示・実演」会場である栃木県鹿沼市でも麻農家の多い永野地区のコミュニティースポーツ施設に大森さんを尋ねた。
会場に向かう途中、道の両脇に青々と茂った麻畑が広がっていた。初めて見るが、ニュース報道等で見たことのある葉っぱの形なので多分そうだろう。畑で作業している方がいらしゃったので尋ねると、数日前の大雨で倒れた麻を立てているそうだ。「冗談にも葉っぱは採っちゃダメだよ。持ってるだけで逮捕されるからね。」と、取扱いは厳重注意だ。それにしても柵も何もしていないのには驚いたが、陶酔成分がほとんど含まれない品種だからのようだ。
会場内の「麻に関する伝統文化と技術の展示・実演」も興味深く見学した。麁服(あらたえ)神事の織機と唐びつ(麁服を納める箱)、織姫の衣装、横綱白鵬関の横綱(相撲は元々神事で、麻は強さと清らかさの象徴)、麻のさらし織物、太鼓の皮締め(麻は伸びがないのでよく締まり、耐摩耗性がナイロン糸の何倍もある)、和弓の弦、畳糸(イグサは横糸、麻は経糸)、日光下駄の鼻緒、茅葺屋根の一番下の層がオガラ(麻の繊維を剥いだ後の茎)、麻すさ壁(土壁や漆喰の左官材のひび割れ防止に麻のすさ・繊維くずを入れる)、新潟のけんか大凧の凧糸(ナイロン糸より丈夫で切れない)、簾(下げる房が麻)等々が展示・実演されていのより糸を作る実演・体験コーナーもあったが、大変な手間が掛かっている。
麻は化学繊維に押されてきたが、それらより優れた特性も持つことや、神聖な植物として神事にも使われ、どれだけ日本の伝統文化に根ざして来たかがよくわかった。戦後、神道と深い繋がりのある麻の文化を断ち切り、ナイロンをはじめとする化学繊維を日本で普及するために、GHQが大麻取締法を押し付けたという説もあるようだが、興味のある方は、各自でお調べ頂きたい。
来客の応対等でお忙しそうに会場内を動き回っておられた大森さんに、COREZO(コレゾ)財団・賞の趣旨をご説明し、受賞をお願いしたところ、
「有難うございます。お断りする理由は何一つありません。来年のフェスティバルは麻と特に縁の深い徳島で開催したいと思っていましたので、ご縁も感じます。日本の伝統に根ざした麻の文化を全国に伝えたいと思いますので、宜しくお願い致します。」と、快諾頂いた。
COREZOコレゾ「日本の歴史や伝統と共に息づいて来た麻の文化を守る、麻栽培農家」である。
後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式
後日談2.「第2回日本麻フェスティバル&フォーラムin吉野川」
2013年10月、大森さんからのお誘いで徳島県吉野川市で開催された「第2回日本麻フェスティバル&フォーラムin吉野川」に出かけた。阿波忌部と呼ばれた一族が麻の栽培を日本全国に広めたようで、藍住や脇町に代表される阿波藍染の伝統文化も麻をの染色から始まったそうである。
COREZO(コレゾ)賞 事務局
初稿;2012.11.02.
最終取材;2013.10.
編集更新;2015.03.05.
文責;平野 龍平
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