冷蔵庫を持たない生活をしていた設計士がつくる家とは?

冷蔵庫を持たない生活をしていた設計士がつくる家とは?

冷蔵庫を持たない生活

拙宅の設計をしてもらった設計士は、冷蔵庫を持たない生活をしていた。

https://corezoprize.com/shigefumi-nakamura

当時、実際にその生活を自分の目で見た時は、かなりの衝撃だったが、今では、下記のような記事を書いている。

https://corezoprize.com/food-wastes

家づくり

住まい手の方か、つくり手の方かの違いはあれ、煩悩が形になったものが「おうち」で、自分の「家づくり」を通じて、それまでの生き方を見直し、それ以降の生活を考えるきっかけになった。

イッパンピーポーにとって、家を建てるのは、一世一代の大仕事だから、小市民ならなおさら舞い上がってしまい、煩悩が膨れ上がってしまうのが常である。そんな時、「住まい手」がどんな「つくり手」に出会うかでその後の人生も変わるような気がする。

大工棟梁が建てる家

少し前までは、施主との打ち合わせ、設計、施工から現場監督まで大工棟梁がやっていたそうだ。家を誂えるのも一家の主人(あるじ)がやっていたように思う。小学校に上がる前に、風呂場を修繕するついでに、自分の部屋を増築してもらったのだが、父が近所の大工棟梁とあれこれやりとりしていたのを子供心にも覚えている。

今では、特に都会では、家を建てるより、出来上がった、あるいは、出来上がる予定のマンションをローンを組んで買う方が主流であり、「家づくり」もその延長線上で、住宅のモデルハウスや設備のショールームには山ほど出掛けたが、今や主導権は完全に奥さま方に移ってしまったように見える。

そうなると、大工棟梁が「つくり手」の窓口をするのは圧倒的に不利だ。職人気質の棟梁が奥さま方のご機嫌を取るのが得意だとは考えにくいし、できるできないに関わらず、何でも要望を聞いてくれる営業マンの方が好まれるのは想像に難くない。

ハウスメーカーが建てる家

女性は、図面から想像するより、出来上がりを自分の目で直接確認する方を好むらしく、モデルハウスを見せて、営業マンが売り、設計、施工、現場監督他も分業制というハウスメーカーのスタイルが定着したそうだ。

おかげで建物の構造体よりも設備や壁紙選び等が「家づくり」の重要ポイントになっているようだが、システムキッチンが何百万もしたからといって、おいしい料理はできないし、1mm厚の珪藻土がどれだけの調湿効果があるのかは、誰が考えても明らかだ。

さらに、それらと広告宣伝費などの経費を捻出し、利益を確保するために効率化と合理化を図り、工期を短縮できて、大工さんや左官屋さん他の職人さんの熟練の技術や経験を必要としない工法を開発してきた結果、職人さんたちが身に付けたせっかくの技術を発揮できる場も失われていった。

シックハウス対策のための規制導入

平成15年7月に施行された改正建築基準法では、「ホルムアルデヒドに関する建材・換気設備の規制」と「クロルピリホスの使用禁止」が規定され、ホルムアルデヒドを発散する建材を使用しない場合でも、購入した家具などからでもホルムアルデヒドが出るので、全ての建築物に機械換気設備の設置が義務付けられたそうだ。

住宅の場合、換気回数0.5回/h以上(2時間に1回空気が入れ替わる)の24時間換気システムの設置が必要だが、次の条件を満たす場合は除外されるとのこと。

  1. 隙間と常時開口部の合計が15c㎡/㎡以上の建築物
  2. 合板等を面材に使わない真壁構造で木製建具を使った伝統工法の建築物
  3. 国土交通省の認定を受けた住宅の居室、大臣が定めた構造方法を用いた住宅の居室

類猿人とは?

道具や食物を創るか創らないか。それが人類と類人猿の違いだったのですが、米一粒も作ったことがない。浴衣も縫ったことがない。竹トンボも作ったことがない。たぶん一生、なに一つ作らないで死んでいく、そんな、「道具は使うが創らない点で類人猿そっくりな人間」=「類猿人」が、生活技術ゼロの人間が、増え続けているようです。

いま社会は工業化し、その結果わたしたちは生産者と消費者に二分されており、ほとんどの生産は生産者(企業)の論理で行われています。生産者主権の世の中になったのです。

消費者は大量生産品の消費を担当させられています。「誂え」は消費者の生産参加なのですが、テレビや車やプラスチック容器などの工業製品の「誂え」は利きません。「誂え」拒否は工業化社会の消費者生産疎外の一つです。

幸い、住宅産業はまだ完全に工業化はしていませんから今ならなんとかまだ「誂え」が利きます。「大工に頼む」手が残っています。「大工」は町の生活技術です。「箸処」「塗師」はもう残り少なくなりましたが、「大工」の技術なら、まだ町にあります。

個性的な生活をしたいなら、気に入った家で楽しく暮らしたいなら、大工に学んで、わたしたちも家を「誂え」たり「仕立て」たりするべきです。そのためには、家の間取りを自分で計画する技術を取り戻すことが必要です。

1971年初版、秋岡芳夫(工業デザイナー)著「割ばしから車まで」より、引用

まとめ

秋岡芳夫さんが行き過ぎた工業化社会を憂い、生活技術を失い続ける日本人に警鐘を鳴らされてから既に約45年が過ぎ、もはや、住宅産業もほぼ工業化してしまったが、まだ、かろうじて大工さんの技術は残っている。

しかし、今や、伝統工法で家を建てるのには、建築基準法のカヤの外に置かれているため、別途、構造計算などの手続きや申請を必要とし、ローンを組むにも手間がかかる。

今の建築基準法が誰のためにあるのか、少し調べてお考えになれば、お分かりになるだろう。

また、分業化が進んでいる建築業界で、昔の大工さんがそうだったように、自分たちでできることは、設計、施工も含めて、何でもやろうと、事業を立ち上げた若者とそれを支援した事業主もおられたが、ビジネスとして軌道に乗らず、現在は残念ながら、休止状態になっている例もある。

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家を「誂える」のには、「見立てる」目も必要だ。

シックハウス症候群になるような家をわざわざ建てるの?電力を使って24時間換気が必要な家ってどうよ?と思うのは筆者だけではないだろう。

伝統工法の家を建てたい人が増えれば、大工さんの技術も残る。それらを子供たちの世代に繋ぐかどうかは、結局、私たち次第なのである。

目先の利便性や快適性は、何かの大きな犠牲の上に成り立っているような気がする。

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COREZO (コレゾ)賞 事務局

初稿;2015.05.08.

編集更新;2015.05.08.

文責;平野龍平

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