土肥 寛幸(どひ ひろゆき)さん/信州ぷ組・どすいか「土肥農園」

COREZOコレゾ「ミュージシャンになる夢を諦め、農業の世界に飛び込んで『どすいか』を生産し、新規就農者による新規就農者のための相互支援グループ『信州ぷ組』を指揮する組長」賞

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土肥 寛幸(どひ ひろゆき)さん

プロフィール

長野県松本市波田

信州ぷ組 組長

どすいか 土肥農園 代表

ジャンル

農業

どすいか農家

経歴・実績

受賞者のご紹介

石綿薫さんのご紹介で、信州ぷ組組長の土肥 寛幸(どひ ひろゆき)さんにお目に掛かった。

土肥組長はどっからどーみても「くみちょー」の風格が漂っておられた。

信州ぷ組って?

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ー信州ぷ組の「ぷ」って気になるんですが…?

「信州ぷ組の「ぷ」は、プロジェクトの「ぷ」です。」

「私が受けた、長野県の新規就農支援制度として創設された『新規就農者プロジェクト研修』とい研修があって、現在は新規就農里親研修制度および里親前基礎研修に引き継がれているのですが、その研修同期生が、修了に伴って農業技術の勉強会を自主的に開催する取り組みを始めたのが前身です。」

「そして、平成16年1月に定例勉強会『ぷ組土の会』を発足し、平成21年4月10日、『信州ぷ組』は、さまざまな勉強会を開催するうちにできた人のつながりを活かすため、『土の会』その他の取り組みも含めるカタチで発足しました。」

新規就農者だから最先端の農業を学び続ける

「『信州ぷ組』では、農家が土壌診断を土づくりのツールとして使いこなすための勉強会『信州ぷ組土の会』、圃場の地区や栽培作物ごとにグループ分けして、グループの組員の圃場を互いに視察しあって意見交換を行う勉強会『技術交換会』、その他にも、経営勉強会『集客UP塾』、『土壌診断強化合宿』等々を通じて、年間軽く20回以上の自主開催勉強会を企画、開催し、必死で学び続けています。」

「それは何故か?というと、これまでの農業技術は、『これでうまくいってるから』、『皆んな、ここではそうやってるから』というような、長年の経験やカンに頼ることが多く、農家の後継ぎならば、経験という名の失敗を重ねても、親という身近な指導者がフォローしてくれるし、それを繰り返して、十分な経験を積んだ後に、自らの経営の看板を背負うことになります。」

「ところが、農業や田舎暮しに無縁なIターン新規就農者の場合、わずか1~2年の農業研修を受けただけで、独立した1年目から経営の全責任を負い、失敗したら収入減、最悪の場合は赤字、そして、そんな状態が3年も続けば、廃業の危機にも直面するので、失敗という名の経験を積む時間はありません。」

「ならばと、私たちがたどり着いたのは、経験や勘だけに頼らない、科学的な根拠に基づいた最先端の農業技術だったのです。」

土壌診断のフル活用

「土壌診断をフル活用して、土づくりに生かし、植物生理を理解して、その能力を最大限に引き出す堆肥や有機肥料、ミネラルの使い方をいくら学んでも、私たちは経験不足から毎年多くの失敗を積み重ねましたが、さまざまなデータを活用することによって失敗要因をきちんと分析し、確実に次に活かしていくことができるようになりました。」

「そして、勉強会を通じて習得した土壌診断や植物生理の基本は、そのまま私たちの『共通言語』となり、志向する農業のスタイルがそれぞれ違っても、その『共通言語』を通じて、それぞれの現場の情報を大きな共有財産にできるようになりました。」

 長野県新規就農者プロジェクト研修を経て就農への道

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―土肥組長はどうして農業を?

「高校3年のときから、ドラムで飯を食うことを真剣に考えていましたが、1浪を経て大学受験に失敗し、プロのミュージシャンをめざしてフリーター生活に入りました。」

「36歳の時に最後の夢をかけたバンドが勝負をする前に人間関係で空中分解し、残ったのは不完全燃焼の焦燥感だけで、音楽の夢を諦めることを決意した時には、すでに38歳でした。」

「新たな道としての仕事を考えながらさらに1年が過ぎ、2003年1月、人に雇われない、人を雇わない、今までフラフラしてきたから地に根を張るような生活をしたい、定年がないから一生夢が追える、等々の理由から、『農業』という言葉が突然思い浮かびました。」

「松本で長野県新規就農相談会が開かれることを知り、仕事をサボって参加し、相談コーナーで思いついた経緯を話したら、相談官から『もう少し、勉強してから考えなさい』と一括されました。でも、その時に1年前からスタートした『長野県新規就農者プロジェクト研修』の存在を知ったのです。」

「最前線に行って24時間体制で1週間いた方が、よっぽど農業の現場のことがわかるはずだと、3度の面接をデマカセ戦法で乗り切り、そのプロジェクト研修の受講許可を勝ち取りました。」

「2003年4月4日に農業大学校での座学、圃場実習がスタートし、5月から12月までの間、実際の農家さん3軒のもとでの『農家研修』を受け、妻の実家がこっちだったこともあって、翌04年から住居を就農希望地の波田町へ移しました。」

「通常の里親研修は、里子が里親の畑に通い、研修を受けるのですがが、私の里親農家さんは、私のために畑を2枚(30aと35a)を借りて下さった上に、『お前、この2枚の畑でスイカを作れ。』と教えに来て下さいました。それで、『農業』という言葉を思いついてから1年後には、里親研修と同時に波田の特産物であるスイカメインの独立営農が始まってしまったのです。」

全てに先入観がなかったおかげで手に入れたたくさんの出会い

「まさしく『思いつき』で始めた農業だったため、知識は殆どゼロですから、あらゆるものに先入観がない。直感的に『面白い』と思ったら、とりあえず飛び込んでみる。そして飛び込んだ先でも『面白い』と思ったら同様にさらに飛び込む。するとわらしべ長者のごとく、出会いが出会いをよび、あれよあれよとたくさんの出会いを手に入れることができたんです。あの1年間が今でも自分にとって宝物でもあり、全ての原点となりました。」

新規就農者による新規就農者のための相互支援グループ

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ほぼ長野県全域に40近いぷ組組員が拡がっている

「『信州ぷ組』は、新規就農者による新規就農者のための相互支援グループで、新規就農者の『自立』を支援し、勉強会を通じて、自ら考える力をつけ、農業技術を磨き、経営を安定させるために、互いの情報を共有しあい、ともに学びあう、全国でも珍しい自主的な支援活動を展開しています。」

「『自立』するためには、自ら考え続け、自らの責任で行動し続けることが肝心です。」

百の畑があれば、百通りの土づくりの方法があり、農法は、畑の数だけある

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「土壌に含まれる成分や微生物はその地方、その風土、気候によって違うだけでなく、同じ農園でも場所や、深さによっても異なります。」

「有機肥料であっても、やみくもにやればいいのではなく、百の畑があれば、百通りの土づくりの方法があり、農法は、畑の数だけあるし、また、その答えも勉強会の中にはなく、現場にあり、現場の数だけ、答えもあります。だから、栽培する作物や品種に適した土壌づくりをしたり、その土壌や気候風土と相性の良い作物や品種を選んで栽培することもあります。」

石綿さんはその土壌、気候風土に適した作物の品種改良までやってのける知識と経験をお持ちで、土肥組長がぷ組の精神的な大黒柱なら、石綿さんは、技術参謀的な役割を担っておられるようで、両輪で推進役を果たしておられるようにお見受けした。

農業も聞いているだけで奥が深い。

土肥農園のスイカは、「どスイカ」

「『どアホウ』とか、『ど根性』とか、人は常識や想像を遥かに超えたとか、行き過ぎた人の行動に、ある種のあきれや感嘆、親しみをこめて、強調するための接頭語『ど』をつけますよね?常識や想像を遥かに超え、口に含んだ時にただ笑うしかない位、美味しいスイカを作りたいという思いを込めて「ドすいか」と名付けました。」

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石綿さんのつくる野菜はつくっておられるお人柄そのままの優しい味わいだ。野菜は、ほとんど石綿さんつくったものだけを使っておられるレストランに連れて行ってもらったが、どの料理もとびっきり美味しくて優しい味に仕上がっていた。

来夏は、土肥さんの「ドすいか」にカブリついて、思わず笑いたいゾ。

COREZOコレゾ「ミュージシャンになる夢を諦め、農業の世界に飛び込んで『どすいか』を生産し、新規就農者による新規就農者のための相互支援グループ『信州ぷ組』を指揮する組長」賞

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、一切、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2015.11.25.

最終取材;2015.11.

最終更新;2015.11.25.

文責;平野 龍平

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