城谷 耕生(しろたに こうせい)さん/デザイナー・雲仙「刈水庵」

COREZOコレゾ「デザインを経済競争に勝ち抜くための武器ではなく、共存共栄していくための知恵として活用出来る方法を考え、実践するデザイナー」賞

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城谷 耕生(しろたに こうせい)さん/

プロフィール

長崎県雲仙市小浜町

デザイナー

Studio Shirotani 代表

「刈水庵」

地域活性プロジェクト「刈水エコヴィレッジ構想」

ジャンル

まちづくり

デザイン

伝統文化・生活技術継承

経歴・実績

1968年長崎県雲仙市生まれ

東京のインテリアデザイン専門学校を卒業

1991年渡伊。ミラノのデザイン事務所勤務を経て

1995年ミラノを拠点にフリーランスデザイナーとして活動を開始

同年、ミラノにて、イタリア工業デザイン協会主催のGRANDESIGN最優秀賞受賞

これまでに、ARBOS(イタリア)、UP&UP(イタリア)、AURA COLLECTION(京都)、NAGANO(福岡)などのアートディレクターを務め、各社よりデザインを発表

2002年、長崎県雲仙市に拠点を移し、STUDIO SHIROTANIを設立

1996年から2005年まで、イタリアの建築雑誌 ABITAREの編集協力員を務める

日本とイタリア両国において、石・漆・紙・ガラス・磁器・竹など様々な素材による産業の社会性をテーマにデザインを続けている

2014年、空き家が点在する小浜温泉「刈水地区」に事務所兼カフェを備えた「刈水庵」をオープン

住民と観光客、地域と自然を繋いでいく、地域活性プロジェクト「刈水エコヴィレッジ構想」が注目を集めている

受賞者のご紹介

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城谷 耕生(しろたに こうせい)さんは、長崎県雲仙市在住のデザイナー・アートディレクター。

waranaya café の霜川さんから、

いろんな意味でコレゾ賞に最も相応しく、まさにアクティビィスト(activist;社会的・政治的な問題解決のために積極的に行動する人)の典型のようなデザイナーが雲仙市の小浜温泉で活動しておられる

というメールを頂き、是非、お会いしたく、2014年10月、アポイントメントを取って頂いて、現地に向かった。

小浜は島原半島の西側、橋湾に面した温泉地で、1990年の雲仙普賢岳の噴火の際には、雲仙国立公園の西麓だったので災害は免れたが、大きな風評被害を受けた。何度か訪れたことがあるのだが、熱海を小規模にしたような雰囲気で、かつて人気の温泉観光地が今や…、というような印象だった。

「刈水庵」の住所を入力したカーナビに従って行くと、海岸に沿って通る国道57号線に面して、寂れた感が否めない旅館が並んでいる。

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その裏通りに入り、さらに狭い道を山側に上れと指示されるが、どんどん道は狭くなって、すぐ近くまで来ているはずなのに、どうにも車では行き着けない。何度も辺りを廻って、仕方なく、電話で問い合わせると、車では来れないので、近くの公民館の駐車場に車を置いて歩いて来て下さいとのこと。

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どうも刈水というのは地区の名称のようで、山麓の傾斜地にへばりつくように家々が建ち、その上はもう森林という光景が広がっているその地区に入ると、軽四車両はおろか、人がすれ違うのもやっとの路地ばかりだ。雰囲気としては尾道のさらに道の狭い版を想像して頂きたい。

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坂道を登ったり、曲がったり、しばらく歩くと、えっ、こんなところに???感満載の城谷さんの事務所、STUDIO SHIROTANIと運営されているショップ兼カフェ「刈水庵」があり、それは、全く想像が及ばない佇まいだった。

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「刈水庵」は、かつて大工棟梁が暮らしていた空き家を改装したそうで、1階は、国内外の工芸家たちの作品や世界各地で見つけてこられた雑貨、STUDIO SHIROTANIがデザインした食器や小物などを展示・販売するショップで、2階はカフェになっている。

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かつて蔵か納屋に利用されていたであろう、別棟の建物が、STUDIO SHIROTANIの事務所になっていて、どちらも必要最小限の改装、改修で、周辺の雰囲気を壊すことなく、しかも、そこかしこにスマートなセンスがキラリと光っている。

刈水エコビレッジ構想とは?

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「来る途中、ご覧になられたように、ここ刈水地区は、小浜町でも空き家の多い過疎地域です。『刈水エコビレッジ構想』は、僕が主催し、デザインを学ぶ学生たちを小浜に集めて開催したワークショップから生まれました。」

「『過疎地区の再生』をテーマに刈水地区の景観・実際に居住する人、空き家調査など、隅々まで、魅力調査を行った上で、刈水地区の景観・空き家を活かし、小浜の魅力がさらにアップするようなまちづくりを考えました。その構想だけにとどまらず、実際にプロジェクトを実現していくための拠点施設として、今年(2014年)3月に『刈水庵』をオープンしました。」

テーマは、地方ならではの魅力をデザインの力で引き出す

ー この刈谷地区の調査は、どこからも資金をもらわずにされたと伺いましたが?

「そうです。それまでにも九州大、佐賀大、長崎大他の学生を対象に、学生たちから参加費をいくらか集めて、といっても、宿泊費込み4泊5日で、ひとり2万円ぐらいなものですが、『雲仙デザインキャンプ』をいうのをやっていました。夏休みデザイン合宿のような感じですね。」

「ニューヨークとか東京のコマーシャリズムに乗ったデザインを学ぶのではなく、『地方の田舎の文化の中にもデザインを学ぶところがたくさんある』、『地方には、地方ならではの資源があり、その中にある魅力をデザインの力で引き出す』が、テーマです。」

過疎地区や空き家の活用が重要になる

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「その一環で、これから増えていくであろう、過疎地区とか空き家をどのように活用していくかというのはすごく重要になってくるでしょうし、将来、多分、そういう需要も増えてくるかもしれないと思い、地域の調査をするならこういう方法もあるんじゃないか、という提案もしながら、参加していた10人ぐらいの学生とウチのスタッフと一緒に調査を実施しました。」

「その発表会には、市長や役場の職員、地元の住民の方も多く来て下さって、賛同も得て、協力もしてもらえることになりました。」

観光客の人たちが欲しているものを提供できていない状態

ー 普賢岳の災害の後、何度か仕事で訪れたのですが、この辺りは全く被害がなかったのに、風評被害を受けて、温泉観光地としては、非常に厳しい状況にあるという印象でしたが?

「普賢岳が噴火したのは1990年で、僕がイタリアに行ったのが1991年でした。2002年に帰ってきましたが、厳しい状況が続いていました。雲仙も小浜も、観光地だけれども、観光客の中でも文化的なものに興味があるような観光客の人たちが欲しているものを提供できていない状態でした。」

「だったら、お金を掛けて新たな建物を建てるのではなく、捨ててあるようなものを自分たちの手でやりくりして、それまでとは違う価値を新たに創れば、お客さんにも喜んで頂けるということを多くの人に知ってもらいたいと思いました。」

ヨーロッパ式と米国式デザインの違いとは?

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ー イタリアに行かれたのは?

「デザインの本場で学び、修行をするためです。戻る何年か前まではイタリアと行ったり来たりしていましたが、拠点を小浜に置いたのが、2002年です。」

ー その頃から事務所はこちらに?

「いいえ、以前はもっと海に近いところで、こちらに移ったのは、今年の1月です。この建物を有効利用しようと思ったのですが、いわゆるゴミ屋敷になっていたので、少しずつ運び出して、軽トラ7台分ぐらいのゴミが出ました。ここには、車は入って来れませんから、それは重労働でした。」

ー 「刈水エコビレッジ構想」の調査を始められたのは?

「2年前です。僕がイタリアで仕事をしていた時には、ヨーロッパでは、競争より協力して社会をつくっていく方が主流でした。僕は、日本の大学で教えているんですが、日本の建築とかデザイン救育は、とにかく、経済を発展させるためにいいデザインをするのが当たり前という、米国式が完全に主流です。」

「しかし、ヨーロッパでは、デザインを通して、より生活をし易くするとか、古い建物を改修して活用するということが多かったので、そういうことを日本でもできればいいなと思って、学生を集めてワークショップを始めました。」

「今の事務所のスタッフは、一人は、九州大学、もう一人は、福岡のデザイン専門学校出身ですが、二人とも僕が教えていた生徒です。他の先生は、米国式のデザイン救育なので、他人より目立つことをするとか、ヒット商品をつくるとかの授業ですから、全く価値観が違う僕のヨーロッパ式のデザイン教育には、戸惑ったり、理解し難いところがあったのではないかと思います。」

スタッフには年間4週間の休暇

「可愛い子には旅をさせよでもないのですが、旅行はすごく大事だと思っていて、スタッフには1年間で4週間の休暇を取ってもらうようにしています。というのも、福岡や熊本から僕のところへ来て、1年間、ずっとここにいて、デザインして、図面を書いて、小浜のまちづくりをして、打ち合わせして、現場に行って…、という繰り返しだと、仕事のノウハウは覚えられても、それだけで終わってしまうので、有給扱いにはできないけれど、どこかへ行って来いって言っています。」

「今年、一人は自転車が趣味なので、奄美大島とか西表島に自転車旅行をして、もう一人は、東南アジア、インド、チベットを旅行したようですが、そういう時間を過ごしていかないと、視野が広がりません。レポートは義務ではないけれど、どういうところに行って、何をしたか、写真を見せて報告してほしいと言っています。4週間、家にいて、酒飲んで、ゴロゴロしてたんじゃ、意味がありませんからね。」

デザインのスキルを活かすには?

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「デザイナーに、大企業でヒット商品を生むというような仕事しかなかったら、これから先、どんどん、そういう仕事は少なくなると思います。日本の大企業の商品が世界中で売れていた時代はよかったのですが、この先、そうは考え難い時代ですから、米国式のデザインを勉強した若い人たちの就職も仕事もなくなっていくでしょう。ならば、地方や地域の活性化というようなところに勉強したデザインのスキルをもっと活かせばいいのではないか、というのが僕の考えです。」

デザイナーは社会に奉仕する仕事

ー それは、服のデザインとかの狭義のデザインではなく、都市計画とかの広義のデザインですよね?どこかで学ばれたのですか?

「僕が勉強した日本では、デザインとか設計にはオリジナリティーが常に求められましたが、イタリアでは、自分のオリジナリティーを出したらダメだといつも云われていました。というのも、自分たちデザイナーは社会に奉仕する仕事なので、誰に向かって、何のために、何をするかによって、赤になったり、青になったり、白になったり、直線になったり、曲線になったり、全部、伝える相手によって、デザインを考え、変えていくのが仕事で、それに、自分のスタイルを持つのは、アーティストであって、デザイナーではない、と云われてきました。」

「日本も高度成長期はとっくに過ぎ去って、今や円熟期になり、僕たちの時代は、そんなに多くのモノをつくる必要はなくなり、デザインとかをやる人たちが、何がなんでも形とかモノをつくる仕事ではなくて、まちづくりや社会整備にも積極的に関わるべきではないかと思っています。」

唐津『作陶と地域文化』プロジェクト

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ー 具体的には?

「これまでに、唐津や、別府、福岡県の小石原で仕事をさせてもらってきました。唐津では、若い陶芸家の人たちと一緒に仕事をしました。陶芸家や陶芸家を目指す皆さんは、唐津焼のことだけ勉強して、それ以外には興味を持たない人が多く、せっかく唐津に来たのなら、焼物だけでなく、唐津の農業とか林業とか漁業とか、いろんな産業、文化を学んだ上で、焼物を学べば、それを焼物にも反映できるだろうと思いました。」

「それに、陶芸家の人たちだけ、しかも外から来た人ばかりが成功して、外国人に高額な焼物をどんどん売って、お金持ちになって、山の中の広大な敷地に窯をつくって、でも、その周りの農家の人たちには何のメリットもなく、地区の草刈りにも参加しないで、お金を払って終わりにするというのをよく目にしたので、それもよくないなって思っていました。」

「それで、唐津の若い陶芸家の人たちももっと地域と結びついた陶芸をやるべきではないか、という考えから、唐津市と佐賀大学の予算で、『作陶と地域文化』というプロジェクトに取り組みました。それは、陶芸家が唐津の在来種を細々と作っている農家の人たちと協力して、地域の農産物と陶芸を盛り上げようというプロジェクトでした。」

「唐津の陶芸家の人たちと『馬渡島(まだらじま)のゲンコウ』という柑橘類や『相知(おうち)高菜』、『納所(のうさ)ごぼう』という唐津の在来種の作物を作っている農家の人たちを取材して、作物の特色も調べて、その食材が映える陶器と組み合わせて、『唐津の土で育った野菜を、唐津の土で作った器で食べよう』というタイトルのパンフレットをつくりました。予算の関係で、5年間で終了しましたが、そのご縁もあって、今回、唐津で開かれる展覧会の会場設計の依頼を受けています。」

佐賀大学『農陶祭』

「佐賀大学では、授業もさせてもらい、武富勝彦さんにもご協力して頂きましたが、唐津のプロジェクトを発展させて、『農陶祭』という農業と食と陶芸を組み合わせたイベントも企画して、開催しました。唐津焼は高いので、東京や大阪の趣味人にだけ売ればいいというのではなくて、合併前の唐津には7万人ぐらいの人が住んでいましたから、その人たちにも最低限使ってもらうようにすれば、地元の唐津にも市場があるということを伝えたかったのです。」

小石原『COCCIO(コッチョ)』プロジェクト

「また、福岡県の筑豊地方にある小石原焼で有名な小石原(小石原村は宝珠山村と合併して東峰村となった)では、半農半陶をしようという『COCCIO(コッチョ)』プロジェクトをやりました。イタリア語で『普段使いの器』を意味するその言葉には、伝統工芸を守るだけでなく、今と未来の食生活に合わせた食器を開発しよう、という想いも込めています。」

「昭和4〜50年代に『民陶』ブームというのがあって、『民陶』というのは、毎日の生活のために作られた実用的な雑器を指すのですが、陶芸が儲かるらしいというのを聞きつけた林業とかをやっていた人たちが、にわか陶芸家になって、4、5軒しかしかなかった窯元が、一気に50軒ぐらいに増えました。」

「ところが、ブームが去ってしまうと、途端に、作陶では食べていけなくなったのです。もちろん、自然淘汰されてもいいのでしょうけど、人口が500人ぐらいしかいない小石原では、農業を続ける人がいなくなり、荒れた農地もたくさん出てきて、グリーンツーリズムのような観光振興をするにしても、若い人は陶芸家ぐらいしかいません。」

「そこで、農業をする人がいなくて、陶芸家も食べていけないなら、陶芸をやりながら、米や農作物もつくり、陶芸の売り上げを伸ばすのではなく、売り上げは下がるかも知れないけれど、他の民泊や観光、農業とかの売り上げでカバーして、継続してはどうかという取り組みを提案しました。」

「そのプロジェクトから、僕がデザインして、小石原でつくった陶器の商品が生まれて、今、福岡のキャナルシティーの店舗で限定販売してもらっています。そもそも、外で売るのではなくて、小石原に買いに来てもらおうという発想だったので、知ってもらうきっかけづくりのために、限定販売にしてもらいました。」

過疎地域の空き家などを活用した地域再生

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ー それらの取り組みが「刈水エコヴィレッジ構想」につながっているのですか?

「ええ、その他にも、別府の竹細工や日本の伝統工芸を中心に関わってきて、この地元の小浜でも、自分がやってきたデザインの仕事を通じて何かできないかな、と考えた時に、ここには、伝統工芸も何もないのですが、こういう過疎地域の空き家などを活用して地域を再生しよう、というアイデアが生まれました。」

「いいもの」、「いいこと」だけでは人は集まらない

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「これまで見てきた中にも、すごくいいことをしているんだけれど、アカ抜けなくて、カッコよくないものがたくさんありました。どんなにいいものでも、美しくないものには、自分は近づきたくないので、ただ、いいもの、というだけではなく、姿勢や背景も含めて、美しい状態をつくってやったほうがいいのでは、と思っています。」

「例えば、空き家を活用して何かをやるというのはいいことだけど、日本の伝統的家屋に新建材を切り貼りしたり、そんな醜い改装をしたって誰も来ないよ、というのをたくさん見てきました。どうせやるならもっとスマートにやるべきです。せっかく社会的に意味のあることをしようとするなら、なおさらのことです。パンフレットのデザインから改装のやり方、お茶の出し方、販売する商品のセレクト、イベントの内容等々も洗練されたものにしていけば、もっと人が集まるようになるだろうと思います。」

消費者にもっと訴求するには?

「今でも、『アルカ』の選定委員をさせてもらっていて、そのスローフードの全国大会で、講義をしたのですが、その時、いくつかの企業からパッケージデザインの依頼を受けました。商品を見ると、ものづくりにはすごくこだわっているのに、消費者に伝えるという最終段階で、せっかく無農薬でつくった食品をビニールなんかで安易に梱包したり、食の安全性を伝えたいはずなのに、外のラッピングは環境汚染のカタマリのようなものを使っていたんじゃその商品の価値が台無しでしょ?」

※アルカ;地域の自然や人々の生活と深く結びついいて、小さな作り手による限られた生産量で、現在、あるいは将来的に、絶滅の危機に瀕している、遺伝子組み換えが生産段階において一切関与していない、希少な食材をイタリアに本部があるスローフード協会が「アルカ」=「味の箱舟」として認定する。

「つくり手は、つくることにはこだわるけれど、できてしまうとそれ以降はこだわらないケースが多いんですね。商品の本質に関係のないところに費用をかけるのは、もったいないという心理が働くのかもしれませんが、どうして梱包にもこだわって、もっと消費者に訴求しないのかって思います。その時は、うどんとか、かりんとうとか、無添加の出汁とかをやらせてもらったのですが、梱包も環境に配慮したものを使う等のデザイン提案をしました。」

その価値がわかる消費者に届くようにするには?

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ー そういうこだわりのものづくりは、競争原理が働くと勝ち目がないので、ピンポイントでその価値がわかる消費者に届くようにするにはどうすれば?

「デザインの仕事をしてきて、キレイとかキレイじゃないというよりは、わかり易いとか、理解してもらい易いとか、伝わり易いとか、その辺がすごく大事だと考えています。どんな人が見るのか?性別は?年齢は?というところから、文字のポイントの大きさ、何を先に見せれば理解しやすいとか、見せる順番も重要です。」

夢は、車がない生活

「あと、日本でやると何でもかんでも外に、っていうことになって、特に、伝統工芸なんかに関わっていると、クールジャパンのように世界に発信して、輸出することが求められるんですが、それはもうちょっと違うなと思っていて、わざわざ、ものを遠くまで運んで、海外なんかで、高額で売りまくるということをもうする必要はないんじゃないかと思っています。」

「ここ小浜でやっていることも、特段、声高に、ここから世界に発信して、ものを売り込むなんてしなくていいと思っていて、そんなに大きくないこの地域の中で、経済が廻って、遠くに行かなくても、それぞれがそれなりに生活できるような状況を作りたいのです。僕の夢は、車がない生活なので、ガソリンを消費してどこかへ行くっていうことはなるべくしたくないと思っています。」

最小限の予算で知恵と体力でどうするかもデザイン

「何かモノをつくって売ったり、経済を動かさないと、設計とかデザインの仕事はないと考えがちですが、僕は、そうではなくて、すでにあるものを有効に活かしていくのもデザインの重要な仕事だと思っています。ここのまちづくりをする時も、もし、ここでモデルケースができたら、全国どこでも活用できるでしょうから、見本になるようにしたいと思いました。多額の費用をかけてやると誰もできなくなるので、とにかく最小限の予算で知恵と体力でどうするかというところを追求しています。」

「このフロアも床にブロックカーペットを置いているだけなんですよ。建具も建具職人の人から道具だけを借りてきて、自分たちで削ったり、調整しました。屋根に上がって雨漏りの修理だとか、塗装も自分たちでできることはなるべく自分たちでするというのが基本ですね。」

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「その床の間の漆もなんとかしたいなぁと、知り合いの大阪の芸大の教授で漆作家の先生に相談したら、食べるものと泊まるところを用意してくれたら、行くよ、ということで、手間賃なしでつくって下さったのですが、漆はある程度の湿度がないと塗れないので、1日、何時間も作業はできません。ここの店が終わったあと、何日か作業して、それ以外の時間は、ここでの生活も楽しんで下さって、物々交換のようなものですよ。みんなで助け合って、交換できるものは交換するという共生できる関係、そういう社会になればいいですね。」

お金を使わずに快適で美しい生活ができるか?

「今の世の中、どうも、お金を使って、贅沢をしないと満足できないという風潮ですが、それって、スマートじゃないと思うんですよ。何でもかんでもお金を払って誰かに頼まないと自分の生活が成り立たないことから、どうすれば脱却していけるか?しかも、どうすればお金を節約して、自給自足なんだけれども、同時に、快適で美しい生活ができるか?ということを極めて行きたいですね。あまりにもストイック過ぎると受け入れられませんが…。」

古材バンクのような仕組みがあるイタリア

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ー こういう昔ながらの日本家屋は部分修理が利きますが、今のハウスメーカーの家では難しいのでは?

「確かにそうですね。アルミサッシは木製の建具のように削れませんから。瓦でも17世紀のベネチア地方のものはこちら、19世紀のミラノ地方のものはこちら、というようにイタリアには古材バンクのような仕組みがあります。ところが、日本にはそういう仕組みがありません。」

「伝統的な日本家屋は本当によくできていると思いますよ。土壁は再生できますし、補修が利き、再利用ができて、捨てるところがありません。木材もいよいよ最後は焚き木にできますし、ヘンなガスも発生しませんし、環境に負荷を与えることなく、全て土に還ります。」

ー 日本でも建具や古瓦などの古材バンクのようなものはできないのでしょうか?

「そういうものがあったらいいし、つくりたいですよね。最近、島原で350年前の蔵の改装設計をさせてもらったのですが、建具は新調すると高くつくので、あるものやもらってきたのを全て再利用しました。」

地方の文化レベルの差とは?

ー 地域の中にある魅力を、デザインの力で引き出すというのは?

「実は、一昨年(2012年)、韓国の文化遺産協会という団体から呼ばれて、1年間、毎月1回韓国に通って、若い工芸家と韓国の未来を考える、というプロジェクトの仕事をしました。その文化遺産協会というのは、入会金が何百万で、会員には、ヒュンダイ財閥の社長や役員クラスの奥様たちという大金持ちが何百人もいて、毎年、韓国の伝統文化をどう守るかに多額の資金を注ぎ込んでいる団体で、韓国の伝統工芸の新しい可能性を若い工芸家たちと一緒に創り、ソウルで展覧会を開きました。」

「その時に、日本の雑誌が韓国まで取材に来てくれて、どうして僕に依頼したのか主催者に尋ねたのですが、韓国が文化的に発展するには、ソウルがニューヨークや東京を追い越すのではなく、ソウルはソウルでいいが、韓国が世界と比べて見劣りしているのは、地方の文化レベルだから、そこをどれだけ上げられるかだということで、その辺をよくわかっている僕に依頼した、と云うんですよ。」

「僕も日本に帰ってきた時に、明らかにイタリアと違うと気づいたのは、地方の文化レベルの差でした。」

「イタリアでは、建物の改修設計の仕事が多かったので、いろんな地方に行きましたが、人口何千人、何百人ぐらいの田舎でも、黒澤明とか、マイナーだけど上質な映画の上映会をやっていたり、おもしろそうな人が来て講演会をしていたり、僕はジャズが好きなのですが、マニアックなトランペッターからキーボードの大御所までがアメリカからやってきて、演奏していたりするんですよ。それに、どこの村にもそれなりにインテリの人たちが住んでいて、いろんな文学について語り合っていたりしているというのも日常の光景にあって、いいなぁって思っていました。」

「ところが、日本に帰ってきたら、田舎には何もない。あるのは、コンビニとレストランチェーンの店舗、服の量販店とか、そんなものしかないじゃないですか?」

「イタリアではミラノの人も地方の田舎の人も着ている服のテイストとか、音楽の趣味とか、食べ物の好みとかはあまり変わらなかったのですが、日本では明らかに違いがあって、田舎の人はジャージでうろうろしているのに、東京の人たちはブランド物で着飾って颯爽と歩いていて、それが、決していいとは言いませんが、このギャップは大きいですよ。田舎の文化レベルの違いこそが、決定的なヨーロッパと日本の違いだな、って思いました。」

地方から文化的なものを発信して起きたこととは?

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「皆んなが、東京とか、九州なら、福岡とかを向くんじゃなくて、日本の地方、地方にきちんとした文化が根づいていて、食文化もその土地ならではのものがちゃんと残っていて、住んでいる人も誇りを持って暮らしていることが大切なんです。地方の文化レベルが上がらないと、訪れる観光客もおもしろくないだろうし、地方から、ニューヨークやパリ、東京とかにそのまま行っても、見劣りしないぐらいの精神的にも文化的にもレベルが高い地域が、日本にもたくさんあるべきだなと思っていたこともあって、僕は、ここでそういうことをやろうと思いました。」

「もっと何か、地方から文化的なものを発信できないか?と、この店を始めたものの、小浜は人口9千人程で、こんな田舎で、ここには駐車場もありませんから、モノもほとんど売れないだろうと思っていました。」

「ところが、始めてみると、意外にも、シンガポールや台湾、中国、韓国他、海外のメディア取材が次々に来てくれて、外国人の観光客が多く来るようになり、さらに、人が人を呼んで、国内からの観光客も来るようになって、そうして人が動くと、モノも動くんですよ。」

『刈水デザインマーケット』とは?

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「『刈水デザインマーケット』という、フリーマッケトやワークショップ、物販や飲食を組み合わせたイベントも企画、開催していて、今年(2014年)の12月で、8回目を迎えます。こういう地方からの文化的な情報発信として、徐々に定着しつつあります。」

モラルも含めた文化レベルの向上

ー 地方では、そういう動きが徐々に始まっていますよね。ただ、戦後は、米軍の占領政策で、米国式の価値観を押し付けられて、洗脳されてしまい、何の疑問も感じていない人が多いのでは?

「そうですね。雲仙と小浜の間に諏訪の池というきれいな湖があって、スイス人の友だちがこちらに訪ねて来た時に、そこへレンタサイクルで出かけて行ったのですが、ゴミをいっぱい拾って戻って来ました。あんなきれいな湖のある公園にゴミを捨てて帰る人はスイスには誰もいない、日本人のモラルの低さはヒドいって、言ってました。」

「確かに、イタリアでも、どんな小さな町に行っても、ゴミのポイ捨てなんて見たことがありませんでしたが、日本では、地方に行けば、行くほど、1枚いくらのゴミ袋を買うのがもったいないのか、人目につかないところに捨ててしまうとか、富士山もゴミの山でしょ?モラルも含めた文化レベルの向上を考えないとダメだと思っています。」

違う文化を持つ人との交流から生まれる新しい文化

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「東京の吉祥寺からここに移住したいという人がいて、そういう違った文化を持った人との交流が始まれば、すぐには変わらないとは思いますが、文化レベルが向上したり、新しい文化も生まれるのではないかと期待しています。」

ー 都会の人たちは狭い場所にかたまって住んでいるので、近所の目もあるから自分が住んでいるところではしないだけで、富士山でゴミを捨てているのも都会から行った人かもしれませんし、人目につくからしないのとモラルは違うでしょうから、都会の人と田舎の人のモラルの高さを比べるのはさておいて、同じ1万円でも、都会と田舎では実質的な価値が違いますよね?豊かな生活の尺度も変わっていくのでは?

生活力をつけて楽しく過ごすという新たな価値観

「ある意味、都会では住居費を払うために働いている部分が大きいですよね。僕も、僕のところのスタッフもそうですけど、ここに来た時には障子の貼り替えもできなかったのですが、今や、自分家の畑で野菜を十数種類も作っていたり、今年、生まれて初めて干し柿を作ってみたりとか、なんでもかんでもお金で買わなくても、建物の補修も含めて、自分のできることはやるという、生活力をつけていって、しかも、楽しく過ごすという新たな価値観が生まれています。」

修理して使えるものを長く使う時代

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ー 昭和40年代、すでに人としての生活力、生活技術が失われていることを憂いておられたデザイナーさんがいらっしゃいましたね?

秋岡芳夫さんですね。そういう生活技術を失うことは、結局、自分たちに返ってくるんですよ。東京から移住してこられた方は、吉祥寺でレストランをやっておられて、こちらとの二重生活をしておられるのですが、本棚が欲しいが、量販店で売ってるようなのは嫌だとおっしゃるので、ヒノキの間伐材を1枚何十円かで手に入れて、その板だけで、ビスでもんで組み立てれるようにデザインして、渡したら、えらく気に入ってもらえました。」

「自分で本棚が作れるなんて思わなかったって、あと3本、追加で注文して頂いたのですが、時間が無いからと完成品を買って終わらせずに、親が子供たちに教えながら一緒に組み立ててつくれば、全く違う価値観が生まれます。自分の手でつくったものには愛着が湧き、大切にしますし、資源のことを考えても、もう、大量生産、大量消費で、ものを使い捨てる時代ではなくて、修理して使えるものを長く使う時代なのです。」

生きるための基本的な技術と知性を身につける学校

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ー ここで、生きるための基本的な技術と知性を身につける学校のようなものをつくりたい、と伺いましたが?

「それは、まだ、構想段階なのですが、先日、『刈水日和』という企画を実施しました。今、この辺りには、料理教室をやっている方と草木染めをやっている方、僕たちと3軒あるのですが、草木染めをやっている方は、この隣で、綿や藍、糸も染料になる草木も自分で育てていらっしゃって、そこで、午前中は草木染めをして、ランチはここで食べて、午後は、料理教室で薬草を使ったお菓子作りをするという内容だったのですが、とても好評だったので、今後も続けていく予定です。」

「また、今年(2014年)の8月と9月にも、福岡から学生を呼んでデザインキャンプを実施しました。今回も、僕がデザインの講義をした後、小浜の町を見に行き、1日歩き回って、ここの隠れた財産を見つけ、自分たちの目で見たときに、ここはどういう視点で、どうテーマを絞ってやれば、地域や観光の魅力としてもっとアピールできるのかという提案をまとめて発表してもらいました。」

「また、ものや道具を見て、その長所と短所を分析して、新たなものを作らせたり、そんなデザインのプロジェクトの合間、合間に、草木染め、僕の嫁は陶芸家なのですが、そこで陶芸、また、東京から来られたマクロビオティックの有名な研究者の方には、その講義と調理、さらに、僕の事務所ではトマトとバジルを育てているので、それでパスタを作って食事をしたりと盛りだくさんな内容でした。」

「1週間ぐらいの日程だったのですが、自分で摘むことから始める草木染め、土をこねる陶芸、野菜を収穫して料理をすることもみんなやったことのないことばかりで、貴重な体験になったと思うのですが、そういうことを発展的な形で、ここに来て、生きて行く力と知性を学べるような小さな学校ができたらいいなと思います。それが実現できるまでは、毎年、夏にはそういうデザインキャンプを続けていこうと思っています。」

教えてもらった漁師さんの網の技術でつくるエコバック

ー 種採り農家の岩崎(政利)さんも近所におられるので、種採り農業も学ぶことができますし、その地方、その地域にしかないことをクローズアップして、見学や学びに来る人が増えれば、地方も創生できるんでしょうけど・・・

「ここには、漁師町もたくさんあって、知り合いの中には余ったイワシなんかで約2年かけて魚醤を作っている人も何人かいらっしゃるので、そういうのを見学させてもらったり、漁師網の編み方とか補修の仕方を習いに行ったりしています。」

「実は、そこにデザインの力を発揮できないかと取り組んでいて、教えてもらった漁師さんの網の技術で、エコバックを作ったりしています。漁師さんの網の技術も補修だけだとそこで終わってしまいますが、漁師の網でつくったエコバッグのお土産袋という新たな価値を創れば、小浜温泉の新たなアイコンにもなるという提案です。」

荒れ放題の竹林の手入れ

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「それから、竹細工には以前から興味があって、そこにある竹で編んだランプシェードも僕がデザインしたのですが、別府の竹職人さんにもここに来てもらって、教えてもらおうと声を掛けて、アプローチしています。この裏の竹林も、荒れ放題だったのを僕たちが半分ぐらい抜いて手入れして、抜いた竹で工芸品を作ったり、採れた筍を温泉蒸しにして食べたりしました。そうしていかないと、誰も手入れをしないのです。」

そこそこの技術を持った人たちがたくさん世にいることの方が大切

ー お酒や醤油を仕込む杉の桶をつくれる桶屋さんも日本で1軒しか残っていませんが、それを絞める竹の箍をつくれる人も、竹を採る人も数少なくなっているのが現状だそうです。

「伝統工芸の仕事をしてきて、プロフェッショナルの技がそれはそれで大事なのはよく理解していますが、焼き物でも竹細工でも、素人の人がその技術をどれだけ身に付けるかの方が大事だと思っています。竹細工職人が技術を習得して、箍がつくれたとしても、最低限の日当で、何日かかって、いくら稼げるのか、職人さんにしても、それで食べていけるのかが大きな問題になってくるでしょう。」

「伝統工芸の世界でも、何でも、人間国宝のようなズバ抜けて素晴らしい才能を持っている人は、いつの時代にも、どこの国、どこの地域にも、必ず1人や2人はいますが、天才ではない、普通の人のレベルをどこまで引き上げるかに協力するのがデザイナーの仕事だ、と僕のイタリアの師匠がよく言ってました。」

「僕も、少数の素晴らしい技術を持った人より、そこそこの技術を持った人たちがたくさん世に出ることの方が大切だと思っています。実用に不足のない、そこそこのレベルでできる人が増えれば、お金を出して依頼する必要もなくなり、後世に技術が残る可能性も高くなります。」

「だから、ここでもし学校をやるとしても、人間国宝を目指すような素晴らしい才能を持った若手の工芸家を育てるのではなくて、近くの竹林から竹を切ってきて、自分たちが使う道具を作れるような人を育てたいのです。」

『刈水スモールスクール』

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「元々、竹細工をつくったり、縄を綯うのは農家の手仕事でしたから、農家なら誰もが持っていた技術ですが、今や、そういうことやっている農家はほとんどないでしょう。都会の家庭なら尚更のことです。草木染め、陶芸、木工(大工)、竹工芸、農業、料理、薬草の利用をはじめ、生活する技術を身に付け、それらを活用するデザインや知性を学ぶ場所をイメージしていて、将来的には、『刈水スモールスクール』という学校のようなモノがここで出来ればいいなと考えています。」

COREZO(コレゾ)賞の趣旨をご説明して、受賞をお願いしたところ、快諾して下さった。

 

刈水には過疎地域の再生、活性化のヒントが盛り沢山

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刈水地区には、まだ空き家が何軒もあって、その再生、活用計画も立てているそうである。

ただ、塩谷さんは小浜出身で、ご実家も小浜にあるので、比較的スムーズに空き家を借り受けることができ、何軒かは、時間と労力がかかっても、新たな借り手と貸し手を仲介(不動産業としての意味ではない)することもできたそうだが、地方の人は、外から来た人には、貸したがらない傾向があり、そこをどうクリアしていくかが、地方の過疎化した地域活性化の一番の課題だとおっしゃっていた。

実は、「刈水庵」には、二度、お邪魔したのだが、二度ともタイや韓国をはじめ、海外からの視察やメディアの取材が入っていた。行ってみればわかるが、ま、はっきり言って、海外から、わざわざ、ここに来るか?というような、これぞローカル、マイナーを極めた辺鄙な場所なのである。

そんなところに、わざわざ、海外からも人が来るのは、よっぽど魅力があるからであり、城谷さんたちが、自分たちの目と手で、地域の中にある資源を見つけ出し、その魅力をデザインの力で引き出した結果なのである。それもナントカ助成金だとか、補助金の類を一切使わずに、自分たちの知恵と体力を駆使して、勝手にやられたことにこそ、値打ちがある。

雰囲気は尾道を想像して欲しいと書いたが、「刈水庵」に行く道中には、湧き水があったり、お地蔵さんがあって、刈水には刈水にしかない雰囲気があり、過疎化は進んでいるけれど、空き家も何もかも、そのまま残っているのがとてもいい。

最近、どこも同じような土蔵風のハリボテ民家店舗が建ち並ぶ再開発をした観光地ばかりで、首都圏一帯のみならず、全国の主要都市がリトル東京化して個性がなくなり、つまらなくなったのと同じことを観光地でも繰り返しているのである。そんなのを見慣れた目には、とても新鮮に映る。

過疎地域の再生、活性化のヒントが盛り沢山だ。

ヘンな観光の手が入っていない過疎化した地域こそ、これからおもしろくなりそうな予感がする。

COREZOコレゾ「デザインを経済競争に勝ち抜くための武器ではなく、共存共栄していくための知恵として活用出来る方法を考え、実践するデザイナー」である。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2014.11.20.

最終取材;2014.11.

最終更新;2014.11.20.

文責;平野 龍平

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