望月 英幸(もちづき ひでゆき)さん/桜えびと削り節のカネジョウ

COREZOコレゾ「創業70余年、最高級の原材料を使い、ダシを取るだけではなく、そのままご飯にかけて食べたくなる削り節をつくり続ける四代目」賞

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望月 英幸(もちづき ひでゆき)さん

プロフィール

静岡県蒲原

株式会社カネジョウ 専務取締役

受賞者のご紹介

望月 英幸(もちづき ひでゆき)さんは、静岡県蒲原(かんばら)で製造販売をしている桜えびと削り節の専門店、株式会社カネジョウの4代目。

2016年6月、日東醸造の蜷川社長に連れて行ってもらった、りんねしゃの大島さんが企画された名古屋のデパートの催事でお会いした。

売り上手というか、自社の削り節や桜えび商品を使ったごはんやお出汁を客に試食させて、美味しいことを知ってもらった上で、自社商品や食べ方について熱く語られるのである。

火山式焙乾法

試食をして、思わず、カネジョウの看商品であるいわし削り節、桜えびと西伊豆・田子の手「火山式焙乾法」という伝統製法でつくった最高級のかつお削り節を買って帰った。

「手火山式焙乾法」というのは、江戸時代から続く、カツオを強い火力でじっくりと燻して乾燥する、伝統的な焙乾(ばいかん)の方法を指し、美味しさを中に閉じ込めることにより、最高品質のかつお節をつくる製法と云われているようだ。

水揚げされたかつおを切り分け、水煮して骨を取り去ったかつお節をセイロに並べ、上下の入れ替えを数回行い、1~2時間じっくり燻し乾かして、煮肉の腐敗を防ぐ。

次に、桜などの雑木を薪にして、「手火山式焙乾法」で、かつお節の大きさに応じて10~15回行い直火の強い火で燻しながら乾燥し、骨抜き、モミ付け、工程を経て、天日干しを繰り返し、約1ヶ月かけて作業を行う。

「モミ付け」と云うのは、かつおの背骨などに付いた身をすり身にした「モミ」を骨抜き時に生じた隙間や亀裂に竹ベラで埋め込み、カビ付け時にカビが節内に侵入するのを防止する工程。

かつお節は、かまどの直火で燻しと乾燥を繰り返し風味と香りをじっくりと熟成され、幾重に積まれたセイロはかつお節と火の状況を見ながら積み替えられる。この「培乾」の後、カビつけされ、天日による日干を繰り返し、やっと完成する。その技術は、先人たちの時代の不安定な食料供給事情と季節など自然の環境を背景に考えられた、手間と時間、そして経験と技を必要とする無二の製法だと云われている。

その最高級のかつお削り節はいうまでもなく、いわし削り節もイワシ特有の生臭さがなく、ふんわりとした食感で、絶品である。

「削り節」屋と「かつお節」屋とは、職種が違う

話しも興味深かったので、日を改めて、静岡県蒲原の株式会社カネジョウを訪ねた。JR蒲原駅は静岡と三島の中間ぐらい、駿河湾のすぐそばにあるからか、街並には削り節の看板がいくつか上がっていた。

― 蒲原はかつお節の町なんですね?

ご覧になった看板の会社は廃業してしまいましたが、昔は「削り節」の町でした。

ウチは、「削り節」屋で、「かつお節」屋さんとは、職種が違います。

皆さん、よく混同しておられるのですが、かつお節は、かつおをおろして、「節(ふし)」と呼ばれる舟形に整形し、加熱後、燻製して乾燥したものです。原料の魚によって、かつお節、いわし節、さば節、まぐろ節と呼ばれます。

削り節とは、それらかつお節やイワシ、サバ、マグロなどの乾燥した魚を薄く削ったもので、削る前の加工された物を指して、「かつお節」と云い、「かつお節」を削ると「かつお削り節」、「いわし節」や「いわしの煮干し」を削ると「いわし削り節」になります。

だから、ウチのような削り節業者はさかなの乾物以外にも、するめ、コンブ何でも削ります。それが削り節で、削り節組合や協会は、かつお節組合や協会とは、全く別個の団体で、別個の業界なのですが、削り節の技術や産業が認知されてこなかったということです。

― それは失礼しました。昔はかつお節を買ってきて、家でも削っていましたが、今は、その削り節の真空パックしかスーパーに並んでいませんから、その違いを意識しなくなっているのではないでしょうか(後で調べると、「かつお削り節パック」という名称で販売しているメーカーはほとんどなく、「かつおパック」や「花かつおパック」が多く、小売りでは、「かつお節パック」というカテゴリーで販売しているところも多い)?

その少量パックが一度に使う量を決めてしまったところもあって、消費量が伸び悩む要因の一つとしても考えられます。

削り節の歴史

― 削り節はいつの頃から?

かつお節や昆布はとれる地域が限られており、貴重品だったので、多くの資料が残されている一方で、海が近くにあれば簡単に手に入る「いわしの煮干し」に関する資料は、奈良時代以降、見つかっていませんが、江戸時代には、現在のものに近い煮干しの生産が始まったと云われています。

小さいいわしの煮干しは、「だしじゃこ」に使われ、大きいものは、ほとんどが肥料になっていたのですが、大正初期になって、岡山県福山市のある魚問屋がそれを削って売ったところ、大当たりして、削り節産業が始まりました。

その福山の魚問屋の取引先だった蒲原の魚問屋でも、その削り節を委託販売するようになりましたが、やがて、注文が間に合わなくなって、動力の削り器を使った製造が始まりました。

昭和40(1965)年ごろには、蒲原の削り節は最盛期を迎え、業者数は100社を超えて、全国生産の24%を占め、日本一の生産地となりました。

しかし、その後、小口の削り節パックが開発されるなど、大手が低価格で大量販売するようになり、また、化学調味料の台頭や食生活の変化により、蒲原の事業者は減少し、今では、数えるほどしか残っていません。

鰹節業界の現状

― 鰹節業界の現状は?

年々、減少して来ましたが、和食が世界文化遺産に登録されて、なんとか持ち直しているというところでしょうか。

しかし、近年の乱獲により、資源保護のため、漁獲量が決めらたり、世界的なシーフードブームで、日本以上に値が高く取引される市場に流れているため、原材料の不足が生じています。

海外で使われる場合は鮮魚ではなく、缶詰用のオイル漬けに加工されるため、脂がのってようが、なかろうが関係なく、大きなロットでかつ、高値で取引されるため、そちらの方に流れてしまうのです。

そういう状況なので、この業界自体がこれから先、どんどん縮小していくでしょう。

そんな中、先日、購入いただいた、カネサさんなんかは、もはや化石って云ってもいいような昔ながらの手間の掛かる「手火山式焙乾法」で、なおかつ、カビ付けも樽で行っているという、希少なメーカーさんです。

そういうところも探せばまだ何軒か日本に残っていますが、実は、何年か前に、枕崎や焼津の業者が5社ぐらい一気に、バタバタっと倒れたことがありまして、同じ製法でなくても普通に真面目にかつお節をつくっているところも、経営が厳しくなっているのが現状です。

どこの百貨店でも、どこのスーパーでも、扱っている削り節のメーカーはほぼ同じです。というのも、かつおの削り節の業界は、大手数社がほぼ9割のシェアを握る寡占状態で、かつお節の原料メーカーはそういうところと取引しないと生きていけない状況になっています。

最高級の原料しか使わない理由

ウチは枕崎のかつお節メーカーとの取引がメインですが、最高級の原料しか使わないと決めているので、他のメーカーが買う原料より値段が高くても、いい原料ならば、一切値切らずに購入します。そうやっていると、売る方もウチにはいい原料を優先的に売ってくれるようになりますし、利益も増えるので、さらにいい商品をつくっていけるようになります。

他の削り節メーカーはどうなのかというと、この値段で仕入れられなければ売れないよ、と云うとことから入ってくるので、原料メーカーにとってみれば、いい原料をつくっても売り先がないことになります。

―どこかの大手りゅーつーのようですね?

そうです。そうなってくると、普通のかつお荒本節をつくるのにも2ヵ月はかかるのですが、大量につくるには、工程を短縮する訳です。焙乾の行程を短縮すると、焙乾が急に入りすぎて、燻製の匂いしかしない商品が出来上がります

また、かつお節は燻製ですから、燻す薪が重要なんですが、ガス火で代用するとか、海外で焙乾したものを持ってきて、それをカビ付けして国産として売っているのもあります。

それに、本来、かつお節の原料には、脂が多いと、きれいな削り節になりませんし、脂が酸化して雑味になったりするので、脂の少ないかつおの方が良いのですが、漁獲量が減り、選んでつくることができなくなってきています。

削りぶし品質表示基準

http://www.caa.go.jp/foods/pdf/kijun_39.pdf

かつおぶし関連加工品の食品表示の適正化について

http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/kansa/090123.html

― 海外への輸出は?

たまにオーストラリアや米国の日本食品店さんから注文があれば、送っているぐらいです。

― 家業を継がれるまでは?

某大学の地域研究センターで約3年間、研究員をしていて、学生たちが地域の問題や課題を発見して、解決する授業プログラムをつくっていました。

誰もいわし削り節の存在を知らなかった

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― 継がれたのは?

継ぐ気はなかったんですけど、社長である父が、僕が継がないなら、削り節をやめると云いだして、久しぶりに戻って来て、ウチのいわしの削り節を食べてみたら美味しかったんですよ。

その後、まだ、戻る前ですが、取引銀行から展示会に出ないか、と云う話があって、削り節をやめるなら、展示会に出て、原材料を含めて在庫を処分しよう、と云った僕がやることになり、試食を各2,000食用意して、かつお削り節といわし削り節の食べ比べをやりました。

それでわかったのは、女性は100%いわし削り節、男性はかつお削り節の方の方が好きで、バイヤーや小売店など、誰もいわし削り節の存在を知らず、削り節をご飯にかけて食べたこともないということでした。

当時、職場だった某大学の学生たちにも削り節をかけたご飯を食べさせたところ、皆んな、初めて食べたけど、美味い、って云うんですよ。

これはいけるな、って思って、ウチは、桜えびをはじめ、えびの選別・加工等に関してはかなり長けていて、当時は売上も好調だったのですが、もう一つの看板商品である、削り節と無添加のだしパックを任してくれるなら戻るよ、と宣言して、今から7年ほど前に戻ってきました。

削り節の元祖は、いわしの削り節

― 自分も、先日、初めて「いわし削り節」を知ったのですが、この辺りではポピュラーなんですか?

削り節の元祖は、いわしの削り節なんです。元々、いわしって安い魚ですよね?それに付加価値を付けて売ったのが削り節です。

― 戻られて取り組まれたことは?

まず、値上げをして、利益率を上げました。また、いわしの削り節は、社長がつきっきりになって削らなければならず、それが負担となっていましたので、そうしなくても良い機械と仕組みを導入しました。削り節の技術と云うのは、原材料の目利きから始まって削り節の機械の調整まで、多種多様なノウハウの集積なのですが、それがしっかりしていれば、質の高い削り節がつくれる下地ができあがります。そして、技術や設備だけでなく、「どのような削り節を作りたいのか?」というイメージをはっきりと持っていることもとても重要です。

― いわしの削り節は関西では見たことがありませんが、関東でも知られていなかったのですか?

そうです。昔は、ウチでも東京、大阪、名古屋にどんどん出荷していましたから、広く出回っていたと思いますが、今では、この辺りだけの商品になっていて、といっても、もう、5社ぐらいしか製造していません。混合節に使われることは多いのですが、いわしだけで削り節にするには、技術が必要なんですよ。

いわしの削り節の復権

― いわしの削り節が知られるようになったのは?

ある雑誌に掲載されてからで、そのおかげで静岡では一般的になりました。

ウチは、元々、小売りが中心で、品質だけに集中特化してきたので、ウチの削り節を誰かにもらったり、どこかで召し上がって、これおいしい、どこで売っているの?送って欲しい、ということから、ウチの通販も始まっています。

卸は築地に少し卸しているだけだったのを、今では、積極的に展示会に出展して、セレクトショップや生協、通販会社に販路を広げました。

― 戻られてから削り節の売上は上がったのですか?

そうですね。おかげさまで…。

― では、戻って来られた目的は達成できているんですね?

年収3,000万を10年以内に達成するという目標は達成できていません、ハハハハ。

削り節産業の将来

― 削り節産業の将来は?

大手流通・小売りに販売を頼ると、その棚を確保するためには、激しい価格競争対応、セール対応をしなければなりませんので、本流の商品では利益が出ず、業界全体として、派生商品であるめんつゆで穴埋めしているような状況です。

削り節がセール品に使われたため、小売りにも消費者にも安い商品だというイメージが付いてしまって、値上げにも踏み切れず、原材料の漁獲量が減って高騰する中、どんどん厳しい状況になっていると思いますよ。

ウチの商売にしても、いい原材料がどんどん減っているので、いくらお客様が増えて、もっと販売したくても、自ずと限界があるのです。

今は、特定のメーカーにお願いして、こちらのやり方にも慣れてもらって、安定したものが入ってきていますが、7年前に戻って来た頃のかつお節の方が全体として圧倒的に質が良かったですね。

― 日本の食文化の危機ですね?

かつお節がこんなに流通するようになったのは、削り節に加工されるようになってからですから、この百数十年ですよ。だしは、日本の食文化って云ってますけど、庶民にまで一般的になったのはまだまだそんなもんなんですよ。それまで一般的に使われていた煮干しにしたって、産業として始まったのは江戸時代ですから…。

出汁を取ったら捨ててしまうのは、ごく、新しい食文化

― それまでは、出汁はどうしてたんでしょうね?

かつお節は献上品だったので、いろいろ記録が残っているだけで、庶民の手に入るものではありませんでした。

今の和食とか日本食と云われている食文化は、日本の歴史から見れば、ある意味、新しい文化なんですよね。貴重なタンパク源だった削り節は、そのまま食べていたはずです。うどんやそばのだしやつゆに使われるようになっても、だしを取った後も佃煮等にして、食べられていたでしょうし、太平洋戦争の前後は、捨てるなんてするはずなかったでしょうから、出汁を取ったら捨ててしまうのは、ごく、新しい食文化だと思います。

大量生産、大量消費の時代から、少量でもよりいいものを選ぶ時代

― 今後は?

ウチが目指してきたのは、「ダシを取るだけではなく、そのままご飯にかけて食べられるような削り節」であり、「自分が食べておいしいと思える削り節」です。そのために最高級の原料しか使いませんし、目利きや削りの技術を磨いてきました。

いい原料ならば、値切らずに仕入れることで、生産者も守ってきました。削り節をそのまま食べたことのない消費者の皆さんにその美味しさを伝える活動も続けてきましたが、海洋資源の枯渇は切実な問題です。

ウチが取り扱う原材料を確保する努力は続けますが、手に入らなくなれば、廃業せざるを得ません。

― 消費者も自分たちが普段、当たり前に食している「食」についてもっと関心を持つことも大切ですね?

私たちがそういうことを声高に言う立場ではありませんが、大量生産、大量消費の時代から、少量でもよりいいものを選ぶ時代になりつつあると思います。

― カネジョウさんの削り節は、もったいなくて、全部食べちゃいましたよ。

有難うございます。天然だしのパックもつくっていますよ、ハハハハ。

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お客さんがわざわざ探して買いに来て下さるそうだが、ホンマにうまいのである。その辺のスーパーで売っている削り節パックとは別物の旨さである。一昔前まで、当たり前だった、「そのままご飯にかけて食べられる美味しい削り節」をつくり続けて頂きたいが、かつおだけでなく、いわしも漁獲高が減っているようである。この先、削り節が食べられない時代もやってくるかもしれない。

いつまでも他人任せにしないで、私たち消費者も海洋資源枯渇の問題に取り組む必要があるのでは?

COREZOコレゾ「創業70余年、最高級の原材料を使い、ダシを取るだけではなく、そのままご飯にかけて食べたくなる削り節をつくり続ける四代目」である。

文責;平野龍平

2016.07.最終取材

2016.11.初稿

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