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COREZOコレゾ 「『ねっかさすけねぇ(全然大丈夫)!』地域の課題解決を目指し、制度の壁を弾みにして、お酒だけでなく、100年後の未来をデザインし、醸し続ける、地域プロデューサー」賞

脇坂 斉弘(わきざか よしひろ)さん/合同会社ねっか 代表社員

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受賞者のご紹介

プロフィール
脇坂 斉弘(わきざか よしひろ)さん
1973年: 福島県郡山市安積町生まれ。
1997年: 日本大学工学部建築学科卒業後、菅野建設株式会社に入社。建築現場の監督としてキャリアを積む。
2000年: 結婚を機に奥様の故郷である南会津(旧南郷村)へ移住。「花泉酒造合名会社」に入社し、ボトリングから杜氏仕事まで16年間、酒造りの研鑽を積む。
2012年 専務就任
2015年 福島県清酒アカデミー酒造士認定
2016年 合同会社ねっか設立 代表社員就任
2017年 食農価値創造研究舎株式会社 CMO就任
2020年 株式会社季の郷湯ら里 取締役就任
2021年 奥会津ねっか株式会社 代表取締役社長就任
プロローグ

福島県只見町で米焼酎「ねっか」を手がける脇坂 斉弘(わきさか よしひろ)さんは、単に酒を造る人ではない。
米を育て、蒸留し、地域に仕事を生み出し、次の世代へ田んぼをつないでいく。酒づくりを通して100年後の田んぼを醸し、地域の未来そのものをデザインし、実践する地域のプロデューサーである。
「ねっか」は、奥会津の方言「ねっかさすけねぇ(全然大丈夫)」に由来する。人口減少や高齢化、耕作放棄地の拡大という厳しい現実のなかでも、可能性をあきらめず、一歩ずつ前へ進む。その不屈の姿勢が、この名に込められている。
こめみそしょうゆアカデミーの堀田 雅湖(ほった まさこ)さんにご紹介いただき、東京の代々木公園でのイベントにご出展中のお忙しい時間を縫って、取材させていただいた。取材中、堀田さんが代わってお店番をしてくださり、感謝です。
地域の課題から生まれた「ねっか」
建築から酒造りへ
日本大学工学部建築学科を卒業後、建築会社に入社し現場監督として働いた脇坂さんは、「監督は釘一本打てない。自分で物をつくっている実感が薄かった」と振り返る。もっと手応えのあるものづくりに携わりたい…。そんな思いを抱えていたとき、妻の叔父が経営する酒蔵との縁をきっかけに、2000年、南会津へ移住し、花泉酒造に入社した。
酒造りの世界には「酒も飲めるし、スノーボードもできる」という軽い気持ちで飛び込んだ。しかし、そこで目の当たりにしたのは、奥会津の深い雪と、地域が抱える切実な課題だった。
地域の現実
転機となったのは、東日本大震災後に一層鮮明になった地域の現実だった。
只見町の人口は、2000年頃には6,000人ほどだったが、約3,800人(2024年時点)に、高齢化率は約47%。農家の高齢化が進み、「田んぼを続けられないから見てほしい」という声が若い農家に集まる。しかし、面積が増えれば人手も機械も足りなくなる。加えて、豪雪地帯の只見では、冬になると農作業が止まり、仕事がなくなる。
「地域が欲しがるものをつくる。それには地域の方々と同じベクトルを持たないとうまくいかない」と脇坂さんは云う。地域の人たちが求めていたのは二つだった。ひとつは地域の特産品や土産となるもの。もうひとつは、地域の田んぼを守りたいという願いである。
「地域への恩返しのつもりで、何か手伝いたい」
その思いを胸に、脇坂さんは地域の若手農家たちとともに2016年、合同会社ねっかを設立した。
脇坂さんたちが考えたのは、米を育て、その米を酒に変え、冬の仕事を生み出す仕組みだった。食用米に加え、収穫時期の異なる早生の酒米を育てることで、同じ人員と機械でより広い田んぼを管理できる。そして冬には、その酒米を使って酒を造る。農業と醸造を一体化させることで、地域の雇用と経済の循環を生み出そうとしたのである。
酒類製造免許に関する規制と挑戦
しかし、酒造りには大きな壁があった。酒税法のもと、日本酒の新規製造免許は事実上停止されていた。
脇坂さんが見出したのは、地域特産品を51%以上使うことを条件とした「特産品焼酎免許」だった。自己資金での建物・設備準備に加え、年間最低製造数量(約2万本分)の販売計画証明が必要で、取得は容易ではなかった。この難題に対し、花泉酒造時代に築いた信頼を武器に、多くの賛同者から契約を取り付け、この壁を突破した。
2017年、全国で5例目、福島県では初となる新規免許を取得。ここで重要なのは、単に「焼酎免許しか取得できなかった」のではなく、制度の制約のなかで焼酎という手段を用い、地域の価値を生み出す道を選んだことである。
事業化、商品開発プロセスと独自技術

資金調達
まず農業法人を設立して米作りから開始し、「農業者」という立場を活用して、農業制度資金を通じて資金調達を行った。
手づくりの蒸溜所
蒸留所もまた、20年間空き家だった農作業小屋を友人たちの協力を得て自ら改修して立ち上げた。建築現場で培った経験がここでも生かされた。
商品コンセプトの最終決定
建物の完成後も味わいの方向性が決まっていなかったが、焼酎づくりを学びに行った熊本視察の帰りの飛行機内で議論を重ね、「福島県の只見だからこそできる焼酎作り」をコンセプトに決定し、羽田空港到着後すぐに麹菌を発注するなど、土壇場で商品コンセプトが固まった。
製法でも独自の挑戦
減圧蒸留と言われる40℃~50℃の蒸留法では味がクリアになり、まろやかさが増すといわれているが、真空蒸留によって沸点を通常よりさらに下げ、誰もやってなかった、30℃以下で蒸留する低温蒸留技術を確立した。この技術と福島県ハイテクプラザの醸造科で開発してもらった「ねっかオリジナル吟醸酵母」を使用することによって、原料の雑味の抽出が抑えられてすっきりした味わいになり、さらに、米の香りが立ち、日本酒のような吟醸香を持つ米焼酎が生まれた。
脇坂さんは、もともと日本酒造りに携わってきた経験から、磨いた米を使い、日本酒に近い工程で仕込んでいる。さらに30℃以下の超低温蒸留によって、米の香りを丁寧に引き出す。この製法は使用する米の量が多く、歩留まりも決して良くない。しかし、原料米を自ら生産する農家直営だからこそ、量より質を優先した米焼酎づくりが可能になった。
この焼酎は、イギリスの IWSC(インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション) で金賞を受賞し、世界でも高く評価されている。
事業の多角化と地域貢献
脇坂さんの挑戦は焼酎にとどまらない。
輸出限定の日本酒免許取得

2021年の法改正を受け、規制緩和により、輸出限定の条件で70年ぶりに新規の日本酒製造免許を取得した。製造した日本酒は海外で高く評価されており、常温でも風味が劣化しない製造法で特許も取得している。
国内流通のための「HOBO STANDARD」開発

取得した免許は、「輸出限定」なので、当然ながら、国内では販売できない。コロナ禍等、予測できない世界情勢の変化が起きた際に輸出用日本酒が不良在庫となるリスクを回避するため、世界水準の輸出用日本酒をベースに、自社製の甘酒を一定量添加することで、酒税法上、「清酒」ではなく、「リキュール」として分類されることから、「HOBO STANDARD」を開発し、製法特許を取得した。これは、その名の通り、「リキュール」でありながら、「ほぼ日本酒のような味わい」を保ったまま国内流通を可能にした。
ウォッカ製造

また、コロナ禍での消毒液不足を受け、特例でスピリッツ免許が交付され、ウォッカ製造も開始した。そこに一貫しているのは、制度に従うのではなく、制度を読み、その制度を使い分け、挑戦を広げる姿勢である。
冬期雇用創出と人材派遣
米農家が冬場に酒造りに携わることで地域の冬期雇用を創出し、Iターン・Uターン移住者も雇用。さらに事業協同組合(派遣会社)を設立し、地域のホテルなどへも人材を派遣している。
脇坂さんの視線は、酒の先にある地域の未来へ向き、酒造りを超えて、地域全体の設計にまで取り組んでおられる。
次世代への継承と未来への展望
子供たちとの連携
子どもたちが成人になった時のプレゼント
只見町には家から通える専門学校や大学がなく、高校卒業後、ほとんどの子どもたちは地域の外に出てしまう。
そこで脇坂さんたちは、小学生が田植えから酒造りまでを体験する取り組みを続けている。子どもたちが小学5年生のときに育てた米を使って醸造し、自ら描いたラベルを貼った焼酎を「ねっか」で9年間保管して、皆んながまちに戻ってくる「二十歳のつどい」で贈るのである。
「お酒を飲める年になってこの町に戻ってきたとき、子どもの頃のこと、そして地域のことを思いながら味わってほしい」と脇坂さんは語る。焼酎は寝かせるほど価値が上がるので、その時間そのものが、ふるさとと人を結び直す時間ともなる。
この取り組みは、子どもたちだけでなく、保護者をはじめ地域の大人たちにも「ねっか」の思いを伝え、子どもから大人が学び、その思いがまた次の世代へ受け継がれていくことにも繋がっている。
脇坂さんは、「戻ってきたかったら、いつでも戻っておいで」と云える地域の環境を、田んぼを守り、酒を醸し、人をつなぐ営みのなかで育んでおられる。
環境問題への取り組み
中学生から「田んぼに残るプラスチックが環境に影響しているのではないか」と指摘を受けたことをきっかけに、脇坂さんたちは肥料の見直しにも取り組んだ。
それまで使っていたのは、肥料の効き目を長持ちさせるために粒の表面を薄いプラスチックで覆った「プラスチックコーティング肥料」だった。農作業の手間を減らせる一方で、使った後に細かなプラスチック被膜が田んぼに残り、やがて、河川や海洋へ流出して、環境汚染の原因(マイクロプラスチック問題)となることが課題となっていた。
脇坂さんたちはその使用をやめ、メーカーと協力して代替肥料の開発・実用化を進めた。
ウイスキー事業による「地域の資産」形成
今、脇坂さんが力を注いでいるのが、「ライスウイスキー」である。
ウイスキーは、穀類を原料に発酵・蒸留し、樽で熟成させる酒であり、米を原料とすることもできる。国内ではまだ珍しいが、焼酎で培った米づくりと蒸留技術を生かせる分野でもある。
国内でも取得困難な「特産品焼酎免許」を皮切りに、輸出用日本酒、スピリッツ、リキュール、どぶろくの計5つの製造免許を保有しているが、2026年秋には、「ライスウイスキー」の製造開始を目指し、6つ目の免許取得と新工場の稼働を計画している、とのこと。
ウィスキーの熟成は、最低でも3年以上が一般的で、主に10〜20年で飲み頃を迎えるが、製品の特性により5年から30年以上まで幅広い。これまでの雇用創出に加え、若者が地域に戻るための「資産」形成が必要と考え、熟成に時間がかかるウイスキーを次世代、さらにその先の世代へと引き継がれる資産と位置づけ、地域の持続可能性を高めることを目指しておられる。
世代交代への準備
経営陣の世代交代を見据え、ご自身や他の役員のご子息も会社に入社し、事業の持続性を確保する体制も整えておられるが、「1日も早く、事業継承を済ませて、スノボ三昧の毎日を送りたいですね(笑)。」と、脇坂さん。
まとめ
脇坂さんは、福島県只見町で地域の課題に向き合い、その課題を「困難」としてではなく、「次の価値を生み出す起点」として受け止めてきた。制度の壁を前に立ち止まることなく、その都度、新しい道を切り拓いてこられたのである。
昼休みにはスノーボードでひと滑りし、リフトの上でおにぎりを食べ、「一日も早く事業承継を済ませて、スノボ三昧の毎日を送りたい」と笑う、その先にあるのは、100年後の只見の風景である。
筆者が代々木公園でのイベントで「ねっか」の米焼酎を試飲した際、印象に残ったのは、吟醸酒を思わせる香りと、米の旨みがまっすぐに立ち上がる味わい、そして、何より、一般的な米焼酎とは異なる土地の個性を感じる風味であった。
しかし、脇坂斉弘さんが醸しているのは、お酒だけではない。田んぼであり、人のつながりであり、100年後の風景を守るための多角的な地域の価値である。
「ねっかさすけねぇ(全然大丈夫)!」の精神で、地域の課題を乗り越え、100年後の未来をデザインし、次世代へつなぐ地域プロデューサーとして、地域の未来を醸し続けていただきたい。
COREZOコレゾ 「『ねっかさすけねぇ(全然大丈夫)!』地域の課題解決を目指し、制度の壁を弾みにして、お酒だけでなく、100年後の未来をデザインし、醸し続ける、地域プロデューサー」賞 である。
取材;2026年3月
初稿;2026年4月

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