高橋 康太郎(たかはし こうたろう)さん/八女空き家再生スイッチ

COREZOコレゾ「八女町家再生いちばんの大物、旧八女郡役所を創意と工夫で保存、再生した、つくり手の思いを売る酒屋」賞

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高橋 康太郎(たかはし こうたろう)さん

プロフィール

福岡県八女市

有限会社朝日屋 代表

特定非営利活動法人 八女空き家再生スイッチ (旧:特定非営利活動法人 八女文化振興機構 理事長

ジャンル

まちづくり

伝統文化

地域保全

町家の保存・再生

動画 COREZOコレゾチャンネル

高橋 康太郎(たかはし こうたろう)さん/八女空き家再生スイッチ「500㎡の巨大木造建築の修復再生」

受賞者のご紹介

高橋 康太郎(たかはし こうたろう)さんは、福岡県八女市で、家業の酒屋、朝日屋を営み、八女のまちづくり3団体で構成する「八女町家ねっと」の一つ、「NPO八女文化振興機構」の理事長を務める。他に、北島力さんが副代表を務める「NPO八女町家再生応援団」、中島孝行さんが理事長を務める「八女街並みデザイン研究会」がある。

NPO八女文化振興機構は、八女福島の町並みを保存再生する活動をしていて、近年、力を入れているのが市の中心部に残る八女福島の町並みの保存、継承で、町家等で規模が大きい等の理由から保存再生が困難な物件に対して、市民と行政の恊働の取組みを模索しながら活動を展開しておられる。その中でも、最も大きな取り組みが、「旧八女郡役所」の保存、再生事業である。

また、2014年には、再生した町家を活用した素泊まりの町家宿、「ゲストハウス川のじ」をオープンして、運営を手がけ、「八女町家ねっと」の事務所としても利用され、町並みのことを受け付ける相談窓口や、まちの観光案内所としても機能している。なお、2014年10月より、運営は、NPO八女文化振興機構のメンバーに引き継がれたそうだ。

2011年、たまたま、八女市で開催されたある催しで、田中真木さんの旧大内邸で懇親会があり、当時、八女市に勤めておられた北島力さんと知り合って、北島さんが再生された町家のcaféにお連れ頂いたのだが、その隣の席から、由布院の井尾(孝則)さんだとか、カワラマンの脩ちゃん(山田脩二さん)とか知った名前が耳に入ってきたので、尋ねると、その方が、高橋 康太郎(たかはし こうたろう)さんだった。その上、高橋さんは馬場水車場の応援団もされていて、妙なご縁を感じている方なのである。

2014年10月、福岡県八女市の朝日屋さんを訪ね、お話を伺った。

価格での勝ち負けのない商売

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ー 朝日屋さんの何代目ですか?

「私が二代目で、父が始めて、昨年(2013年)で40年になりました。」

ー いつ継がれたのですか?

「私は、あまり継ぎたくなくて、学校を出て、酒問屋に勤めていたのですが、20年ぐらい前に、酒屋にコンビニも併設して、それが、なかなか大変だということで、呼び戻されました。父から正式に継いでからは、13年になります。」

「戻った頃は、まだ前時代的な御用聞きも残っていたのですが、その頃からディスカウントストアが急速に台頭してきて、価格では全く太刀打ちできなくなり、情けない気持ちで商売していたのを覚えています。」

「それで、コンビニを止め、酒屋の方も価格で勝負しなければならないような商品の取り扱いを徐々にやめて、ディスカウント販売をしない親戚筋の『繁枡』のお酒を軸に、焼酎メーカーのいいところと出会ったり、といっても、メーカーさんときちんと付き合い、お客さまにもちゃんと伝えて、それなりの量も販売したいので、4社だけなんですが、価格での勝ち負けのない商売をしてきたので、なんとかやれて来れました。」

馬場水車場の応援

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ー 馬場水車場の応援をされているのは?

「あれは、馬場猛さんを応援している、東京の環境ジャーナリストの方に巻き込まれてしまったんですよ。5〜6年前に馬場さんのところの水車を作り変える時に、その方が何度か八女に来て、飲み会があったのですが、私が参加していなかった会で、同じ作り変えるなら、水車が見えるようにガラス張りにすることになり、それで余分にかかる費用約100万円を応援する皆んなで集めることが、私の知らないところで決まったようで、事務局をやれと云われて、1口1万円で、手分けして集めました。」

ー 馬場水車場のお線香のチラシやパッケージの作成にも協力されたと伺いましたが?

「当時、私が親しくしていた若手のデザイナーに相談したら、喜んで引き受けてくれて、卸に出しても馬場さんのところの利益が確保できるように、こちらでお線香の価格設定もしました。一般に売っている工業生産品と比べると高いですが、あの製法と手間を考えると、決して高くないですよ。」

八女福島の「手仕事のある風景」

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ー その通りですね。それから、八女福島の「手仕事のある風景」というマップを作っているのは、康太郎さんだと伺いましたが、始められたきっかけは?

「最初に作ったのが、2008年の4月で、その頃ぐらいから、八女に遊びに来る人もちらほらと見かけ始めていたんですよ。まだ、1日に1人か2人、年間で300人か400人でしたけどね。このお店にも、どこに行ったらいいですか、ってたまにいらっしゃることもあって、そんな時にマップのようなものがあった方がいいなと思って…。」

「その当時は、役場で作った『町並みマップ』しかなくて、町家や町並みが好きな人はともかく、このマップ見て外から来た人がまちを歩くかなと思ったのと、そんな人ばかりが来ても町並みフェチしか集まらない変態のまちになってしまいますから、ま、それはそれでいいんですけどね、ハハハハ。」

「でも、せっかく八女福島に来られたんだから、町並みだけではなく、三味線屋、手づくり麹の店、手づくりで飴を作っているところだとか、面白いお店がいっぱいあるので、そういうのも知って欲しいし、地域に残る手仕事をのんびりと巡る旅をして欲しいな、と思って作ったんです。そんな昔ながらのお店も、少しずつ、失くなりつつありますけどね。」

「マップには、自分が面白い、興味深い、人に伝えたい、と感じたところをだけを掲載しました。全て、私個人の好みで選んで、掲載したかったので、個人の責任で、作成、発行しました。当然、費用もかけられないので、ご覧のように、手作り感満載で、マップは文字も手書き、輪転機を使ってざら半紙に印刷しました。そんな質感を大事にして、活字の部分は、ワープロでプリントした紙を切り貼りしました。でも、今はもう、私の手からは離れて、観光案内所の方で、書き足したり、消したりして、印刷もしてもらっています。」

ー あっ、初めてお目に掛かった夜にお連れ頂いた、戦後の闇市そのままの懐かしい空間、「土橋市場」も掲載されていますね。いや〜、あの怪しげなタイムスリップ感には度肝を抜かれましたね。おかげで、すっかり、八女のトリコになりましたよ。マップにも「懐かしい」より、「アヤシイ」の方がええのでは?

「それはよかった。そういえば、いつもお会いするのは飲み会ばかりで、こうしてお話しするのは初めてですね。」

八女のまちづくり活動との関わり

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ー 確かに…、ところで、まちづくりに関わり始められたのは?

「当時、私は八女にいなかったので、よく知らないのですが、平成3(1991)年の大型台風によって、大きな被害を受けた伝統的町家が取り壊されて空き地になるなど、町並みが歯抜け状況になるのを見て、危機感を感じた住民有志が、勉強会を重ね、平成5(1993)年、まちづくり活動を展開する市民団体『八女・本町筋を愛する会』を発足し、『八女町屋まつり』が実施されました。その効果で、八女福島の町並みに市民や観光客の関心が向けられるようになり、八女福島の町並みを活かすまちづくり活動が、住民主体で動き始めました。」

「私が八女に帰ってきてすぐに、知り合いから声を掛けられ、何も解らず、平成6(1994)年に発足したまちづくり団体、『八女ふるさと塾』の発足準備の会合に行くようになったのが、八女福島のまちづくりに関わるようになったきっかけです。」

「そこで、北島さんや中島さんとも知り合って、ちょこちょこっと手伝ったり、関わったりし始めて、イベントや勉強会、いろんなことに関わりました。そんなのが、どうまちづくりに繋がっていくのか、自分自身明確な答えが無く、いつも心中はモヤモヤしていましたが、それらの活動を通じた沢山の素晴らしい人たちとの出会いの中で、何となくイメージできるようになってきました。それから、気が付いたら、もう20年も経っています。」

ー そういう活動って、ご商売に繋がるのですか?

「いいえ、全く。むしろ、持ち出しばかりです。それに、当時は若かったので、変な倫理観があって、自分の商売につなげるようなことは意識して避けていました。」

NPO八女文化振興機構

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ー 現在、まちづくりでやっておられる役は?

「NPO八女文化振興機構の理事長と、八女ふるさと塾の事務局です。」

ー いつからですか?

「どっぷりと関わるようになったのは、八女ふるさと塾で中島さんの雑務とか、事務的な仕事をするようになった10年ぐらい前からですね、NPO八女文化振興機構に関わり出したのは、3〜4年前で、『旧八女郡役所の建物』の保存、再生に取り組むことになった時に、それまでやってこられた方々が、ご高齢だったので、やらざるを得なくなったって感じですね。」

『旧八女郡役所』とは?

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ー 旧八女郡役所の建物は北島さんにご案内頂いたことがありますし、八女福島の町家の再生の記録映画、「まちや紳士録」でも描かれていましたね?

「『旧八女郡役所』は、町家の伝統家屋が並ぶ八女福島伝統的建造物群保存地区の中央からやや東側の旧外堀の外側に建つ大型の木造建築物です。廃藩置県後、明治29(1896)年に上妻郡と下妻郡を併せて八女郡となり、同時に生葉郡だった星野村も八女郡に加わって、その頃、郡役所も福島町にできたと八女市史に記されています。」

「明治中期〜大正初期までは、実際に、八女地域の『役所』としての機能を持ち、政治経済の中心的な存在だったようです。当時、この地でつくられたとされる『八女郡是』(都市計画のようなもの)は、現在に続く八女の産業・都市骨格の礎を築いたと云われています。」

「その後、民間に売却され、戦前は製蝋工場、戦時中は銃弾製造工場、終戦後は集合住宅、飼料店と時代を反映しつつ、様々な使われ方がされてきました。2010〜11年に実施した学術調査の結果、明治20(1887)年代の建築と推定され、およそ120年以上の歴史があり、建物面積は、約500㎡、天井高が、3m以上ある大規模木造建築物です。」

「独特の風格を持った瓦屋根や、木造建築では珍しい内部大空間の雰囲気は他にはない魅力と価値があります。この貴重な建造物を後世に保存継承するため、NPO八女文化振興機構が中心となって、八女市と多くのまちづくり団体と連携し、あらゆる人々の力を結集し、保存再生に向けての活動をしてきましたが、約20年前から空き家となり、年々、老朽化が進んでいます。」

貴重な建造物を後世に保存継承するための取り組み

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「ご存知のように、最近では、急速に痛みが激しくなっていて、早急な対応が必要となったため、2009年12月に屋根にテントシートを掛け、今年(2014年)の5月にも、痛みの激しい棟にシートを掛けました。」

「また、維持管理の面も含め、困難な状況が続く中で、2010年12月、NPO八女文化振興機構は、この家屋の所有者(1人)と土地の所有者(2人)から寄附として譲り受け、『2018年までにはなんとか活用したい!』という思いと決意を込めて、『旧八女郡役所 2018計画』を立ち上げ、その魅力と価値を、より多くの方々に知って頂き、改修・修理を経て、2018年の活用開始を目指した動きを共有するために、facebookページをつくり、随時、最新情報をアップしています。」

「そんなわけで、2018年に利用開始するって言っちゃったので、2年後には着工しないことには間に合いません。やらないといけないことが山積みですが、建物が大きいだけに、法律上の問題がいろいろあって、ひとつずつクリアしていかないといけないようです。とはいっても、2年しかないから、これから忙しくなるのは間違いありません。着工できるまで、台風が来ないように、毎日、祈り続けています。ここ3年は、私の祈りが通じているようで、台風も逸れてくれています。」

再生後の利用法

ー 再生後はどのように利用する胸算用ですか?

「そこが問題で、本当は、小分けして賃貸できればいいのですが、建築基準法が大きく立ちはだかっていまして、用途の変更って、何かと面倒な手続きがあって、簡単にはいかないようです。人がたくさん入るなら、スプリンクラーを付けなさいとか、基礎をどうこうしなさいとかがあって、個人で修復できるレベルではなくて、そこをどうするかなんです。私個人としては、できれば、あの瓦とか、木造の広い空間、いい感じの雰囲気をそのまま残したいと思っています。」

旧八女郡役所『ミテ・シル市』

「この間(2014年9月)、旧八女郡役所で 『ミテ・シル市』という、ちょっとしたイベントを開催したんですよ。これまでにも『空き家再生スイッチ』というイベントなどで、旧八女郡役所を見てもらう機会をつくってきましたが、実際に建物を使うことはありませんでした。」

「相当に痛みが激しくなってきている建物でもあり、そこで何かをするということにはこれまで躊躇していたのですが、建物を使うことでこれまで見えなかったことが見えてきたり、人との関わりが生まれるというのはよくあり、実際に、掃除をしただけでも随分と印象が変わったのを見て、とにかく行動を起こそうと思いました。」

「今や、老朽化が進み、時間が進むに連れて、朽ち果てていくのをただ遠くで眺めているだけでなく、1人でも多くの人に、八女の歴史を見つめてきたこの建物に興味を持ってもらい、早くしないとダメになることを知ってもらったり、活用方法も考えてもらったり、さらに、再生・活用できるよう、関心の輪が広がっていくことを願い、『ミテ(見て)・シル(知る)市』と題して、建物の内外でマーケットと展示会を行いました。」

「建物の前にも飲食や古道具、雑貨等の店舗を出してもらうと、結構、caféっぽくなって、夜に映画の上映会をしたら、雰囲気もよくて、評判も上々だったんですよ。それに、マスコミの取材や報道もしてもらえて、実施した甲斐がありました。」

当時のままを再現する難しさ

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「これは、その時に撮ってもらった写真なんですが、この瓦屋根を全部葺き替えて、まっさらのピカピカの瓦になったら、ガッカリでしょ?土を載せてやりたいんですよ。そうなると、だるま窯を作らないといけないですね?」

ー 当時のままに再現するという名目で補助金でも引っぱってくればいいのでは?

「引っぱってくるとしたら、そういうやり方のほうが、却って引っぱりやすいかもですね。そういう手でどうにかできんかなぁ、と思っているんですよね。う〜ん、やっぱり、この雰囲気は残したいですよね。」

ー 町家紳士録で郡役場が撮影されたのは何年前ですか?梁や柱に雨水は廻ってないのですか?

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「あれが2年前かな、痛みはさらに進んでいますね。今年、シートをもうひと棟にもかけましたが、相当、ヤバイです。どんどん屋根の土も落ちてきています。このように、建物の中にも植物が育っていまして・・・。元々、床板が貼ってあったんですが、腐ってしまって、土間が剥き出しになっています。」

ー これだけ大きな建物の基礎をやりかえるには、それだけの技術を持った曳家さんも必要ですよね?

「そうなんですか?」

ー たまたま、今年、長野県の小布施の隣町の須坂で親子で曳家をしておられる方を取材して、受賞もして頂くので知っているだけですよ。曳き家で移動した3階建ての繭蔵とその建物を曳家している動画を見せてもらったのですが、凄い技術ですよ。もう、そんな曳家さんも絶滅寸前のようですが・・・。

「もうホント、今は、何でもがそうだと思います。」

『旧八女郡役所 2018計画』を実現するために

ー これからの抱負を

「もちろん、『旧八女郡役所 2018計画』を実現することですが、今年の4月に京都のまちづくりセンターというところから、地域おこし協力隊として有能な若い人が来てくれて、『ミテ・シル市』の実現にも尽力してくれました。」

「3年間は、八女で活動してくれるのですが、その後も、こちらで活動できるようにするのと、北島さんや中島さんが元気なうちに、後を引き継ぐ形と継続できる仕組みを作っておかなければなりません。郡役所の再生とも連携をして、個人が負担するのではなくて、何かファンドのようなものをつくるとかも検討しています。」

COREZO(コレゾ)財団・賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、

「私は、お話ししたように、色んな活動に首を突っ込んではいますが、割と空回りのものが多く、空回りでも徹底的にから回っていれば、また違った見方が出来るかもしれませんが、北島さんや中島さんを始め、他の受賞者の方達に比べると、地元にとっての成果が全くありませんよ。」

「あと数年して、郡役場の再生で、何らかの実績を上げることが出来るかもしれないですし、もし受賞させてもらえるのでしたら、それからの方がコレゾ賞にふさわしいのではないか、と思いますが・・・。」

ー 成果を問われると、COREZO(コレゾ)財団・賞も耳が痛い話です。言うだけで何もしない人が多い世の中で、成果が出ようが出まいが、いろんな行動を起こしておられることにこそ、意義があり、行動し続ける先にしか、結果は生まれないと思います。『ミテ・シル市』を開催されたことでも、見えてきたものや収穫はあったでしょうし、COREZO(コレゾ)賞は、ワタクシ個人が、スゴい、面白い、人に伝えたい、残したい、と感じた人を勝手に選んで、表彰しているだけです。どなたかの「手仕事のある風景」のマップにも似ていませんか?

ー 権威なし、名誉なし、賞金なしの3なし賞で、その人にはその人にしかできないことがあり、それをやっている人を表彰しているので、他と比較はできませんから、順位もなし、他の批判もなし、その上、なんの得もない賞ですが、唯一、あるとすれば、受賞者の顔ぶれだけが賞の値打ちです。そんな賞の値打ちに、康太郎さんにも、是非、加わって欲しいのです。宜しくお願い致します。

と、お願いしたところ、

「わかりました。私でよければ。」と、しぶしぶ、承諾して下さった。

売りたいものだけを売る

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朝日屋さんは、酒屋さんだが、大手のアルコール飲料を中心にした酒屋ではなく、こだわりの酒を揃えたセレクトショップでもない。

日本酒は、ほぼ、八女の銘酒、『繁枡』、焼酎も4つメーカーの銘柄のみで、その他は、康太郎さんが見つけてきたワインなのだが、この品揃えの絞り込み方が、潔く、カッコええのである。調味料や食料品の棚もあるのだが、日東醸造のしろたまり他、こだわりの商品が厳選されている。売れるものを売るのではなく、売りたいものだけを売るという姿勢、付き合いたくない生産者との付き合いや面倒くさいことはしたくない、という店主の強い哲学を感じるのである。

また、このご紹介記事を書くにあたって、康太郎さんが情報発信されていると拝察する「朝日屋だより」というブログを、改めて読んでみた。

りんねしゃの飯尾裕光さんが、「今は、いくらいい商品でも、商品力だけでは、買ってもらえない。その背景やつくり手、売り手の思い、言動や活動まで賢い消費者は見ています。」とおっしゃっていたが、康太郎さんが選んだ商品なら買いたいと思うし、いつか、再生後の旧八女郡役所で、COREZO(コレゾ)賞表彰式をやってみたいので、是非とも、誰がどう見ても非常にハードルが高い、この『旧八女郡役所 2018計画』を実現して頂きたいが、この人ならサラリとやってのけそうな気がする。

それが実現した時には、町家再生ファンドのような仕組みも確立できているはずなので、自ずと、北島さんの後継には、どなたが適任かが見えてくるだろう。

取材当日は、平日の午前中にもかかわらず、お客さまが引っ切りなしに来店されていた(こんなことは滅多に無いと謙遜されていたが、大ウソだろう)。

 

COREZO(コレゾ)「八女町家再生いちばんの大物、旧八女郡役所をどう保存、再生するかが楽しみな、つくり手の思いを売る酒屋」である。

 

高橋 康太郎(たかはし こうたろう)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、一切、返答致しません。

 

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2014.10.26.

最終取材;2014.10.

最終更新;2015.03.24.

文責;平野 龍平

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