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COREZOコレゾ 「自然番組映像制作、里山保全活動他を通じて、美しい風景の背景にある『自然と人の共生と営み』を分かりやすく伝え、それを楽しんで守る人々をつなぎ続けるインタープリター(翻訳者)」 賞

小野 泰洋(おの やすひろ)さん/株式会社 NHK エンタープライズ/元NHK自然番組プロデューサー

プロフィール
COREZOコレゾチャンネル
受賞者のご紹介

プロフィール
小野さんは、NHKで、エグゼクティブプロデューサーとして、自然・文化を題材にしたドキュメンタリーを長年制作し、定年後は、主にNHKの番組制作を行う、国内最大級の映像制作・総合プロデュース企業である、株式会社 NHK エンタープライズからの委託を受け、Amazonプライム向け番組や世界自然遺産の生中継等の制作に従事されている。
文系学部出身で文化生態学の学びも生かし、自然を生物学的な対象としてだけでなく「自然と人の交流・共生」の物語として捉えてこられたが、横浜の大岡川での活動で、小野さんが師と仰ぐ森昭雄さんと出会い、この現場での体験が、小野さんのその後の活動指針に決定的な影響を与えることになる。
その森昭雄氏が提唱した、画一的な整備(ビオトープ)ではなく、人の手で生き物を手助けする「エコアップ」=「単なる自然再生ではなく『人づくり』である」という考え方に深く共鳴し、映像制作においても、自然そのもの以上に「そこを楽しみ、守る人」の存在を描くことを活動の核に据えてこられた。
特に、森氏から教わった「楽しさが長続きを生む」という哲学に基づき、大人が原体験を思い出して楽しそうに活動する姿を見せることで、子どもの五感に「野生の感覚」を刷り込み、将来のレジリエンス(生きる力)を育むという、世代を超えた「心の中の自然再生」を目指す姿勢に決定的な影響を受けておられる。また、自らを「森産業の下請け会社」と任じて、点在する活動をネットワーク化していく「黒子」としての役割に徹する姿勢も、森氏との交流から導き出されたもののようだ。
現在は、映像の枠を超え、博覧会展示制作、能登の田んぼ支援、福島の里山再生、都市での子ども自然体験創出、配信用映像提供やビオトープ導入助言など、現場での活動やYouTubeでの個人発信にも表現の場を広げ、NHK時代に蒔いた「種」を人脈資産として回収しつつ、媒体横断で「自然と人の関係」を伝え続けておられる。
代表的な仕事・プロジェクト

世界初、アネハズルのヒマラヤ越えを追跡
シベリアからヒマラヤ山脈を超え、インドへと渡る世界最小のツル「アネハズル」。登山家の間で「鶴が飛ぶ日は登頂の好機」と伝わるこの壮大な旅を、衛星追跡という手法で記録。野鳥の会や新聞社と連携し、過酷な自然に挑む生命の神秘を世に届けた。
コウノトリ野生復帰の記録(兵庫県豊岡市)
コウノトリの野生復帰プロジェクトを、放鳥の瞬間だけでなく、放鳥前から放鳥後の一年間にわたり長期取材。単なる環境保護の記録ではなく、地域の人々と鳥が再び共生していく、自然と人間社会が再び繋がり直すプロセスを丁寧に描き出した。
教育現場に蘇る自然(横浜市)
都会の小学校の校庭に田んぼを作る活動を一年間取材。土に触れ、トンボが舞う環境が子供たちの心にどのような変化をもたらすのか、自然が持つ「教育の力」を映像化した。
集大成としての『日本の里山』
自身のNHK「卒業制作」と位置づけておられるのが、全国300カ所以上を取材した番組シリーズ『日本の里山』。「人と自然が共存している場所はすべて里山である」という広い定義のもと、日本各地に残る豊かな共生の姿を網羅的に記録。その膨大なアーカイブは、私たちが未来に引き継ぐべき「本物(ほんもの)」の風景の記録となっている。
一般立入禁止の宗像大社・沖ノ島で特別取材
世界文化遺産であり、神職以外は立ち入りが厳格に禁じられている福岡県宗像市の「沖ノ島(おきのしま)」での特別取材を実現された。
伊勢神宮から始まったご縁
この信頼関係の種は、かつて「伊勢神宮の森」を取材した際に蒔かれたものだった。
「遷宮という行事ではなく、日本人はなぜ森を神だと思うのか、その根源を取材したい」と云う、真摯な想いに共感し、当時サポートしてくれた神社本庁の神職が、後に宗像大社の宮司となっていた。「小野さんならいいですよ」と、その縁を何年も大切に温め続けた長年の「信頼」の蓄積が歴史的な上陸取材へと繋がった。
神職が交代制で守り続ける絶海の孤島での取材は過酷で、宗像大社の施設は、神職の寝泊まりするスペースのみ。取材陣だけでなく、起用したタレントさんも船中泊やテントでの野宿となったが、自然と神域を守る人々の営みを世に伝えるため、取材を敢行された。
「不可能を可能にする」取材の原動力
小野さんの仕事人生を支えてきたのは、「一度お付き合いした人とは、ずっと丁寧に付き合い続ける」という愚直なまでの誠実さ。
「長い付き合いを大事にしてきた結果が、今に繋がっている」とおっしゃる、その謙虚な言葉の裏には、対象となる自然や人々への深いリスペクトと、最高の瞬間を切り取ろうとするプロフェッショナルとしての矜持が宿っている。
一見、行きたいところに行き、やりたい仕事ができて、「羨ましいサラリーマン生活」のように見えるが、その裏側には、人知れぬ苦労もあったそうで、それを一切表に出さず、ただ「楽しい」という純粋な好奇心と、相手への敬意を積み重ねてこられた、その歳月が、数々の「不可能を可能にする」取材の原動力となっているようだ。
和食もまた、自然が生み出した文化である

自然の豊かさを伝える手段は、映像だけではなく、「食」と「自然」を結ぶことになる。偶然の出会いから、小野さんは「和食もまた、自然が生み出した文化である」と考え、ジャンルを超えた繋がりを大切にしてこられた。
東京會舘 鈴木元料理長とのご縁
ある忘年会の隣席という偶然の出会いで、小野さんの名刺にあった「ヒゲじい」のキャラクターデザインに東京會舘の鈴木元料理長が反応したことから交流が始まった。「ヒゲじい」は、NHKの人気自然番組『ダーウィンが来た!』(2006年〜放送開始)に登場する、白いヒゲと眉毛が特徴のキャラクターで、鈴木元料理長がこの番組をよくご覧になっていたことから、互いの「里山への深い理解」という共通項で共鳴し合った。
里山の知恵を料理でどう表現するか
「里山の知恵を料理でどう表現するか」という問いに次々とアイデアが溢れ出し、映像と料理、二人のプロフェッショナルが響き合い、自然の価値を多角的に発信する新しいカタチが生まれた。
遺伝子が喜ぶ「自然との折り合い」を伝える
人間もまた、自然の一部であるという自覚
小野さんが番組制作を通じて一貫して伝えてきたメッセージは、「人間も動物である」というシンプルな、しかし根源的な真実。長い地球の歴史の中で、人間が誕生したのはほんの一瞬であり、私たちの遺伝子は、猿であった時代、さらにその前の時代から、自然と共に生きるよう設計されている。「自然と交流できている実感があるとき、遺伝子は安心して機能する」と、小野さんは、人間の幸福や健康の基準を、この「遺伝子が喜ぶかどうか」に置いておられる。
日本的な自然観:支配ではなく「折り合い」
欧米の「人間が万物の霊長であり、自然を支配する」という考え方に対し、日本人は古来、自然を畏れ敬い、支配できないものとして「うまく付き合う(折り合いをつける)」文化を育んできた。小野さんは、学生時代に学んだ「文化生態学(人と環境の関わりを学ぶ学問)」を土台に、この日本特有の世界観こそが、現代の地球環境問題を解く鍵になると考えておられる。
「貧しさ」の裏にある合理性
一見、不便で貧しく見える暮らしの中にも、その土地にぴったり合った合理的で持続可能な知恵が隠されていて、その美しさを発見し、伝えることが小野さんのライフワークとなっていった。
日本の里山

集大成『日本の里山』に込めた願い
NHKの卒業制作と位置付けた約300本の番組『日本の里山』は、日本各地で、人々がいかに自然の豊かさを保ちながら恵みを得てきたか、その精緻な仕組みと暮らしぶりを記録し続けることで、「自然の中で生きることは、本来心地よいものである」という感覚を呼び覚まそうとしてこられた。
四国の山奥の神社に漁船が奉納されていたり、水俣の漁師が川の上流の祠に海産物を供えたりする文化。これらは、海の民が「山が海を支えている」ことを体験的に理解していた証拠。山の養分が川を伝い、豊かな海を育む。小野さんは映像を通じて、この目に見えにくい「生命の繋がり」を可視化し、里山の再生が日本全体の豊かさを取り戻すことに直結していることを伝え続けてこられた。
頭(文化)では自然を遠ざけていても、身体(遺伝子)は自然を求めているのである。八百万の神が宿り、食事のたびに「命をいただきます」と唱える日本文化の底流にある「自然への敬意」。小野さんは今も、その尊さを伝え、次世代へと繋ぐための「物語」を紡ぎ続けておられる。
里山の定義
「里山」という言葉が一般化する一方で、その真意を正解に捉えている人は少なくなっている。小野さんは、里山を「人の暮らしの中で維持されてきた自然の総称」と定義する。
原生林のような手付かずの自然(奥山)とは異なり、薪を拾い、茅を刈り、田畑を耕す、そうやって人間が適度に介入し続けることで、持続可能な豊かさを保ってきた場所、それが里山。人里近くの雑木林や茅場、田畑・人工林・農山漁村景観を含む、人為的管理で維持された持続可能な自然を指す。
そこには「根こそぎ取らない」「水を汚さない」といった、森・川・海が一体となって豊かさを生み出すことを人々は体験的に理解し、永続的に恵みを受け取るための先人たちの知恵が、生活の作法として詰まっている。
里山の現状
日本全国の里山は高齢化と担い手不足で荒廃が進んでいて、耕作放棄地や手入れの行き届かない森林は、獣害や山火事の増加といった二次的な害を引き起こす原因となっている。
荒廃の影響
- 田んぼの死: 耕作放棄された田んぼは、わずか3年で雑草が粘土層を突き破り、水を蓄える機能を失うと同時に「土の知恵」も失われる
- 獣害の連鎖: 手入れの消えた森や放置された果樹園は藪(やぶ)となり、人里との境界線が消滅。それが熊などの出没を招き、さらなる人口流出を引き起こす悪循環を生む。
- 森の不調: 林業の不振により手入れの行き届かない森が増え、間伐不足と林業不振で含水率が低く、延焼しやすい森が拡大し、山火事リスクも高まり、かつては防げていた災害や害を防げなくなっている現実がある。
ため池の「泥」が育む明石のタコ —— 循環の可視化
小野さんの視点は、新幹線の車窓から見える風景の裏側にまで及ぶ。例えば、兵庫県明石周辺に広がる「ため池」。一見、濁った泥水のように見えるその水が海へ流れ込むことで、豊かな栄養分が供給され、明石のタコや魚介類を育んできた。
現在は、ため池の減少により海の栄養が不足し、あえて水を撹拌(かくはん)して泥を流す「かいぼり」のような作業を人の手で行う必要がある。こうした「陸と海の密接な繋がり」を、小野さんは実感を伴う言葉で私たちに伝え続けている。
「あと10年」の瀬戸際にある日本の風景
全国300カ所の里山をご覧になってきた小野さんが抱く危機感は切実で、
「毎年『あと10年が限界だ』と言い続けてきましたが、今、本当にギリギリの段階に来ています」とのこと。
米価の高騰や熊害の深刻化により、ようやく農山村の価値や環境維持の重要性が議論され始めた。しかし、風景を維持する担い手の不足は待ったなしの状態。小野さんは、単なる経済的な議論を超えて、「この環境そのものを守ることの価値」を議論の核心に据えるべきだとおっしゃっている。
絶滅寸前の里山を、次世代の「感性」で繋ぎ直す
絶望的な状況の中で、小野さんが唯一見出した希望が、若者たちの「ディープな地方志向」。彼らは利便性の高い「地方都市」ではなく、あえて「村」や「山の中」といったディープな環境を目指し、そこでオーガニックな暮らしを実践して、最先端の感性で都市との新しいチャンネル(販路や交流)を築き始めている。
「東京に住めないから田舎へ行くのではない。東京で生き抜けない人間は、より高い生活力を求められる田舎でも暮らせない」
そう断言する小野さんが出会ったのは、世界一周を経験した後に自らの意志で奈良県下北山村を選んだ、ある若い夫婦だった。
川で髪を洗い、リモートで幼稚園に通う子供
その夫婦を訪ねた際、小野さんは衝撃的な光景を目にした。川で髪を洗って帰ってきたばかりの奥様と、コロナ禍で「リモート幼稚園」に通う3歳のお子さん。
「最もアナログな川の暮らしと、最先端のデジタル。その両方を当たり前のものとして身につけて育つ子は、どんな環境でも生き抜ける強さを持つはずだ」
小野さんは、この極端な二極を軽やかに飛び越える若者たちの感性に、里山再生の「光」を感じ取った。
「自伐型林業」と「小さな経済」の萌芽
その土地の木を切り出し、自分たちの手で消費の仕組みを作る「自伐型(じばつがた)林業」や、スペースを貸し出しながら地域と繋がる暮らし。かつての里山が持っていた「自然の力を残しつつ、恵みを享受する」という知恵を、現代の若者たちはオーガニックな価値観やデジタルツールを駆使してアップデートしている。小野さんは、こうした「新しいタイプの里山と都市の交流」が、衰退しつつある農山村に新たな血を巡らせるとおっしゃる。
「外からの視点」が気づかせる故郷の価値
地元の人が当たり前だと思っていた川の美しさに、ネパールからの研修生が感動して水浴びをする。そんな「外からの視点」が、時に地域の人々に自分たちの宝物の価値を再認識させることがある。
小野さんは、日本各地を歩き、映像に収め続けてきた「究極の外部視点」を持つプロフェッショナルとして、これからも里山の価値を言語化し、そこに集う多様な人々を繋ぐ役割を担い続けておられる。
災害を生き抜く、里山の「サバイバル能力」
東日本大震災、そして能登半島地震。小野さんは能登の田んぼのオーナー会員として支援を続ける中で、ある確信を得る。
「里山で暮らす人々には、水道が止まっても山の水を引き、蓄えた保存食で命を繋ぐ力が備わっている」
都会的なインフラに依存せず、身近な自然から「食べるもの」や「水」を自らの手で調達できる。そのたくましさは、単なる暮らしの知恵を超え、予測不能な災害時代を生き抜くための最強の武器となる。野の草を摘んで天ぷらにし、美味しくいただく、そんな「当たり前」の営みの中にこそ、現代人が見失った「サバイバルの真髄」がある。
これは、現代人の失われた「生きる力」を、里山の知恵で取り戻すということであり、「自然と向き合う生活がいかに人間を強くし、豊かにするか」を可視化し、それを求める都会の感性と、知恵を持つ地方の現場を繋ぎ続けてこられた。
都会の子に宿る「自然への渇望」と田舎の現状
小野さんは、現代の教育現場における「都会と田舎の逆転現象」にも鋭い視線を向ける。東北の美しい田園地帯で目にしたのは、豊かな自然を背に、わざわざ街のスイミングスクールへ向かうバスに乗り込む子供たちの姿。一方で、横浜などの都市部では、わずかに残された自然の中で夢中で遊ぶ子供たちや、環境教育に熱心な教師たちの姿がある。
「都会の子供の方が、実は自然に対する感度や意欲が高い場合がある」という事実に、小野さんは、希望の種を見出し、自然の価値を相対的に理解できる都会育ちの若者が、やがてその感度を持って地方(里山)を目指してくれたら、と新しい循環の可能性を信じておられる。
地域を残すには
経済環境が厳しさを増し、各地でシャッター通りが増える中、小野さんは生態学的な視点で地域の存続を捉えておられる。
「残る町には、必ず文化の求心力がある。たとえ店が少なくなったとしても、『この町にはこれがある』『ここがいいんだ』と住民が胸を張れるアイデンティティがあるかどうかが、町の運命を分けるのです」
小野さんが取材を通じて見てきた「生き生きとした町」には、必ずその土地の文化を愛し、守り抜こうとする「キーマン」の存在があった。
豊岡の事例:コウノトリを核にした地域再生と教育
兵庫県豊岡市は、市長自らプロモートして、「コウノトリが住めるまちづくり」を推進。地域の歴史と誇りに根ざしたこの取り組みは、有機農業の拡大と経済効果を生み、他者が容易に模倣できない成功モデルとなっている。
コウノトリの町で出会った、一人の少女の「誇り」
その象徴的な出来事が、兵庫県豊岡市のコウノトリ野生復帰プロジェクトの取材中に起きた。
あるイベント中、市長に対し「成功のハウツーを公開すれば、他所に真似され、価値が下がるのではないか」という意地悪な質問が飛びだした。その時、会場から一人の少女が真っ先に手を挙げ、こう答えた。
「これは豊岡の人にしかできないことです。他所の人が簡単に真似できることではありません。」
彼女はかつて小学生の時、コウノトリを育むお米を広めるため、自ら市長へ学校給食への導入を直談判し、実現させた経験を持つ子だった。自分の故郷に絶対的な誇りを持ち、自ら行動して町を変えてきた彼女の言葉は、どんなプロの解説よりも力強く響いた。
番組という種が、未来の「郷土の守り手」を育む
小野さんは、この少女の姿に里山と地域の未来を重ねる。
「町の環境を考え、誇りを持って育った子は、たとえ一度町を離れたとしても、いつか必ずその場所を支える力になる」
小野さんが300カ所の里山を巡り、作り続けてきた番組は、まさにこうした「誇り」の種を蒔く作業でもある。映像を通じて、自分たちの足元にある自然や文化がいかに唯一無二で価値あるものかを伝えること。そのメッセージを受け取った子供たちが、次世代の「求心力」となって、日本の風景を繋ぎ止めていくのである。
小野さんは、映像の力を信じ、未来の「物語の主人公」たちへエールを送り続けている。
ディレクターたちが「自分の故郷」を撮りたくなる理由
小野さんが手がけた300本の番組『日本の里山』に携わったスタッフは、実はその多くが自然番組の未経験者だった。しかし、取材を進めるうちに彼らは一様に「自分の故郷も取材したい」と言い始める。
小野さんは、この現象にこそ里山再生のヒントがあると考えていて、外から光を当てることで、身近すぎて気づかなかった故郷の価値に目覚める。そんな「誇り」と「アイデンティティ」を持てる土壌があるかどうかが、生態学的な意味で「残る町」と「消える町」を分けるのである。
横浜・大岡川から全国へ広がった「水辺の文化」
小野さんが「人と自然の共生」をライフワークに据えるきっかけとなった、横浜市職員との出会いがあった。その方こそ、森昭雄さんだった。
かつて日本で一、二を争うほど汚濁していた横浜の「大岡川」。その水質測定をしていた森さんが「川にも文化がある」と立ち上がり、「どぶ川にふたをするな」という強い信念から暗渠(あんきょ)化の危機から救った。この方が蒔いた種は、後に「ホタルの水辺」や「トンボ池」として全国に広がる活動の源流となる。
「技術を伝える前に、まずその土地に『核』となって活動してくれる人を見つける。地元を愛し、活動を楽しいと思える人がいる場所を探し、そこに知恵を授ける」
森さんが提唱した、画一的な整備(ビオトープ)ではなく、人の手で試行錯誤しながら生き物を助ける「エコアップ」、すなわち「人づくり」であるという考え方に小野さんは深く共鳴し、映像制作においても、自然そのものを追う以上に「そこにいい人がいるか、守り楽しむ人がいるか」を描くことを活動の核に据えてこられた。
特に、森氏から教わった「楽しさが長続きを生む」という定義に基づき、大人が原体験を思い出して楽しそうに活動する姿を見せることで、子どもの五感に「野生の感覚」を刷り込み、将来のレジリエンス(生きる力)を育むという、世代を超えた「心の中の自然再生」を目指す姿勢に大きな影響を受けたとおっしゃる。
また、小野さんは自らを冗談めかして「森産業の下請け会社」と呼んでおられたのは、森さんの「自分の下請け会社(志を同じくする協力者)を各地に増やし、それらを島状につないで大きなネットワークを築く」という壮大なビジョンに基づき、小野さん自身がそのネットワークを可視化し、つないでいく実働部隊としての役割を誇りを持って自認されていたことを物語っている。
選択と集中の必要性と急速な自然回帰への配慮
「縮小」と「再生」の時代に、全ての地域を均等に残すことは困難であり、守るべき拠点を定めて持続可能な形で次世代に繋げるバランス感覚が求められる。
「すべてを残す」から「大事なものを残す」へ
里山再生の最前線を見続けてきた小野さんの視線は、極めて現実的だ。
かつて葉タバコ産業や鉱山で栄えた町が、経済の変遷とともに山へと帰っていく。その喪失感には共感しつつも、小野さんは「すべてを無理に残そうとすることの限界」を指摘する。
「無理な投資や事業で延命させるのではなく、どこを拠点として残し、どこを自然に還すのか。そのバランスを考える勇気が、これからのまちづくりには不可欠です」
全面保全は非現実的。残す拠点は守り、残せない場所は「幸せのまま終える」設計を、と。日本は人が離れると急速に藪化するため、最低限の管理・介入で「荒れない」状態を維持する発想が必要。
急速な自然回帰への配慮
人が住まなくなった途端、凄まじい勢いで藪(やぶ)化し、森へと戻っていく日本の里山。温暖化と豊富な雨量が、そのスピードをさらに加速させている。
小野さんは、この「自然の圧倒的な復元力」を脅威としてだけでなく、一つの摂理として受け止めておられる。大切なのは、荒廃に任せるのではなく、そこに暮らした人々が「幸せなまま終えられる」形を模索すること。そして、自然に戻るプロセスさえも、適切にコントロールしていく知恵を持つことだ、とおっしゃる。
残すべき理想の里山
小野さんが「出会うのが遅すぎた」と悔やむほど感銘を受けたのが、佐賀県唐津市の2つの棚田だ。
忍者のように守り続ける「蕨野(わらびの)の棚田」
唐津市の内陸部、八幡岳(はちまんだけ)の中腹にある「蕨野(わらびの)の棚田」には、200段にも及ぶ壮大な石垣が天に向かって続いていて、そこには、崩落した山の石を積み上げ、内部に精緻な暗渠排水を通した驚くべき土木技術が息づいている。
高齢の女性たちが忍者のように石垣をよじ登り、除草剤で石垣を弱めないよう、手作業で草を刈る。その執念ともいえる営みが、この大きな構造物を、そして日本の原風景を守り続けている。
山と海が直結する宇宙「大浦の棚田と天然岩ガキ」
もう一つの理想郷が、唐津市の北西部、玄海灘に突き出した東松浦半島の海岸線にあり、伊万里湾を望む「大浦の棚田」。ここでは山・田んぼ・海が一つの宇宙として繋がっている。
農家が漁師を兼ねているため、「半農半漁」の知恵として、海の豊かさを守るために農薬を使わず、虫害を避けるために収穫を早めるなどの工夫を凝らし、清らかな水を海へ流し続けている。
山のミネラルを含んだ水が、河口に天然の岩ガキを育て、カブトガニが棲まう豊かな生態系を育む。「山を守れば海が潤う」という真理が、恵みの循環を生み出して、確かな産業として成立している。
是非、一度、訪れてみたいものだ。
次世代に向けて
「記憶」は消えても「感覚」は身体に刻まれる
「6歳より前の具体的な記憶はなくなっても、『あの泥の感触が心地よかった』『あの水の冷たさが楽しかった』という感覚は、身体の奥底に刻まれ続けます」
小野さんは、大人が子供に与えられる最高のギフトの一つは「幼少期の刷り込み」であると説く。
この原体験こそが、大人になったときに「自然を大切にしたい」と本能的に思うための揺るぎない土壌となる。
「危ない」の向こう側にある、野生の感性
現代社会では、マスコミや教育現場での「リスク管理」が強調されるあまり、海や川を「怖い場所」として遠ざける傾向がある。しかし、「動くものに興味を持ち、環境に触れようとするのは、動物として生き抜くための本能。大人が『危ない』と過剰に抑え込むことは、子供が本来持っている豊かな感性を閉じ込めてしまうことに繋がります」と、小野さんは警鐘を鳴らす。
かつて小野さんが愛知万博のキャラクターを起用して立ち上げた番組『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!』。そこには、リスクを恐れるのではなく、子供たちの「行ってみたい!」という野生の好奇心を呼び覚ましたいという強い願いが込められていた。
一生の「心地よさ」を決める、幼少期の感覚を耕す
小野さんは、自身のお子さんを「実験対象」として、この哲学を実践してこられた。成人したお子さんが、ふとした瞬間に「あの場所にもう一度行きたい」と口にされるそうだ。場所の詳細は覚えていなくても、泥や水の感覚を身体が覚えている、とおっしゃる。
この「感覚の種」は、成長した後のあらゆる選択に影響を与える。例えば、仕事で疲れたときに羽根を休める場所や日々の暮らしで選ぶ道具、身体に馴染むファッション、健やかな命を育むための食べもの等々、幼少期に豊かな自然に触れた子は、無意識のうちに「遺伝子が喜ぶ選択」ができるようになると云う。
自然体験が「命への敬意」を育み、「席を譲る心」を育てる
小野さんは、文部科学省の調査結果にある興味深いデータに注目されている。
「子供の頃に自然体験を多くした子は、大人になってから電車やバスでお年寄りに席を譲る割合が高い」という相関関係。
一見、自然とマナーは無関係に思えるが、小野さんは実体験からその核心を見抜いておられる。かつて野球に打ち込んでいたご子息が、誰に教わるともなく「チームのルールとしてお年寄りに席を譲ろう」と言い出したとき、小野さんは気づいた。
「自然の中で五感を使い、自分より大きな存在や、儚い命に触れてきた子は、言葉を超えた『命へのリスペクト(敬意)』や『いたわり』を身体で覚える。それが社会に出たとき、他者への優しさとして現れるのです」と。
親世代の「再教育」:危ないの向こう側にある宝物
子供たちに豊かな感性を残すためには、まず親世代の意識改革が不可欠だと小野さんは説く。
「『汚いから』『危ないから』と遠ざけるのではなく、親がリスクを正しく見守った上で、子供を泥や水の中に放り出す勇気を持つこと。親自身が自然の心地よさを知る世代であるうちに、その感覚を子供たちへ『刷り込む』機会を作らなければなりません。」
護岸工事で失われゆく川辺や里山の風景。それらを経験として知っている大人たちが、今、次の世代を導く「教育者」としての役割を担うべき時が来ている。
まとめ
「小野さんの次の話が聞きたい」と思うのは、筆者だけではないはずだ。それは、映像を通じて、未来をより良くするための「共生の設計図」を描き続けてこられたからだ。
今日の取材の中で、これまでに蓄積された膨大な自然と人との共生の「財産」を踏まえて、次世代や親世代の再教育へと繋げる提案があり、バラバラだった点と点を結び、私たちが次に進むべき道筋を示してくださった。
小野さんは、自らの役割を風景の「インタープリター(翻訳者・解説者)」と定義し、「なぜ、この風景は美しいのか?」、その問いの背景にある、自然と人が紡いできた物語を解き明かし、誰にでもわかる映像と言葉で伝えてこられた。メディアを通じて広く伝える段階から、次は、YouTubeや地域活動などの直接的な場を通じて、ご自身の手の届く範囲で、一人ひとりの心に「風景の意味」を深く刻み込み、着実に種を育てる「現場」へ場を移し、「これまで蒔いてきた種を育て、一つずつ実を摘み取っていく」活動へ、それが現在進行形の挑戦なのだろう。
小野さんは、東京會舘の鈴木前料理長とこめみそしょうゆアカデミーの堀田雅湖さんからの推薦で、COREZO賞の打診を受けた際、「自分なんかでいいのかな」と思いながらも、驚きと同時に、言いようのない嬉しさを感じ、それは、「自分がこれまでやってきた仕事を、誰かがちゃんと見ていてくれた」という事実に対する、つくり手としての純粋な喜びだった、とおっしゃっていただいた。
「人のつながりって大事だなっていうのは、ずっと長いこと仕事してると、一番最初に蒔いた種が今につながってくるとかっていうのが、年を取れば取るほどいっぱい出てくる。」という、小野さんの言葉に共感しつつ、締め括りたい。
COREZOコレゾ 「自然番組映像制作、里山保全活動他を通じて、『自然と人の共生と営み』を分かりやすく伝え、それを楽しんで守る人々をつなぎ続けるインタープリター(翻訳者)」である。
取材;2026年3月
初稿;2026年4月

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