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営業しナイ、行政の仕事はしナイ、気に入らない仕事もしナイ、3ナイ孤高の中村棟梁が建てない家とは?
佐賀県唐津市、中村 武夫(なかむら たけお)棟梁
「以前、東京の建築家が受けた古民家の移築再生工事の後始末を頼まれたんだけど、図面を見ると、木組みの収まりを一切考えていないから、微妙に合わない。ま、そんなこったい、と思ったけど、木のクセをを読みながら、寸法を調整して収めるのが大工の腕さ。集成材と違って自然の木(もく)は図面通りには収まらないよ、座学で勉強しただけではわからんって。」
「昔の建物、江戸時代の末期頃までは、法隆寺もそうだけど、木(もく)の縦方向は大鋸や鋸で挽いているんじゃなくて、割ってたの。木割りだと木の繊維方向にしか割れないから狂いが出にくい。でも、鋸で挽くと木の繊維も方向も関係なくカットしてしまうから、挽いた直後は真っすぐだけど、狂いやすいんだね。昔は機械もなかったから、鋸で挽くより割った方が手間がかからなかっただろうし、その方が理にも叶っていたよ。」
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最後の宮大工といわれた故西岡棟梁の教え
もの言う人さまの家を建てるのは大変やろなぁ。自分たちはもの言わん仏さんの家しか建ててへんからなぁ。職人は突き詰めれば勘ですわ。勘は教えようがあれへん。自分たちは飛鳥の工人たちの技術、技法をずっと口伝で伝えられてますのや。どんな難しいもんかと思てましたが、何でもない当たり前のことですねんけど、わかる人にしかわからしまへん。
一人前になるには早道はありまへんで、一生、修行ですわ。ごまかしのないほんまもんの仕事をしなはれ。道を極めなはれ。あんたにしかでけへん、これ以上はでけへんちゅう仕事をしていきなはれ。
山の尾根筋の木はガキ大将
「西岡棟梁の本を何度も読んでいたから、いろいろ尋ねたかったが、もう胸が一杯で、おっしゃることを聞くことだけで精一杯だった。尊敬する西岡棟梁に会えて、話を聞かせてもらって、私も、大工の道を極めたい、自分が思う家を設計して建てたい、と思って独立する決心をした。」
「『材で買わず山を買え』、『木は生育の方向のまま使え』、『木造建築は寸法で組むな、木のクセで組め』等の教えは当たり前のことだが、今の大工はそんなことすら知らんよ。」
「山の尾根筋の木は、ガキ大将みたいなもんで、いつも風雨にさらされて構えているから外部に向いているし、谷筋の木は、良家のお嬢さんみたいなもんで、外部に使って風雨に当たったら泣き崩れてしまうけど、優しい表情でお客をもてなす内装材には向いている、というようなこと。」
古家を解体して先達たちの技を学んだ
「自分たちが見習いの頃はユンボも重機もなかったから、全部手作業で解体した。古い家を解体する時に簡単に外れると思ったのになかなか外れない組み手等をよく見ると、先達たちの技術や工夫や知恵が詰まっている。西岡棟梁がおっしゃる通り、自分もそうして仕事を覚えた。」
「今は、重機で解体してしまうから、そんな機会もないし、金具とボルトで止めた新建材の家を解体しても学ぶところは何もないよ。」
奥さまの美津代さんの話
「この人が独立した頃は、唐津も景気が良くて、仕事も次々入ってきたけんが、せっかく稼いだお金も全部、材木や道具や機械に注ぎ込んでしまって、もっとアパート経営とかに投資してたら、今頃、楽できたっちゃ。」
「私は、大工のことは、ようわからんかったばってんが、この人が建てている家の現場を見て、この人の腕はホンモノ、この人が腕を振るえるように支えるのが私の務めかもしれん、と思い込んでしまったのが運のツキで、一緒になって苦労ばかり。今も苦労しちょるけんが、大工の腕だけはホンモノやった。今の世の中では、なかなか難しんけんね、何とかホンモノは残さんといかん、とおもちょるよ。」
材木との出会いも一期一会
「材木も一期一会、材木市場でいい木(もく)を見つけたら、その場で買わないと次はなか。」
住む人が病気になったり、不幸になるような家はつくれない
「食べて行くにはどんな仕事でもこなさないといけないと思うけど、ずっとこの腕1本で生きて来たし、営業も宣伝も一度もしたことがない。人が住むのに、プレカット(機械切削)やホチキスとネジでとめるような新建材だらけのビニールハウスではダメでしょ?息が詰まってしまう。」
「それが今の建築基準だからね。家庭内暴力やいろんな社会問題が起きるのもそんなのが原因のひとつだと思いますよ。大工になった次男や三男には悪いけどね、やせ我慢でもなんでもなく、住む人が病気になったり、不幸になるような家は私にはつくれない。西岡棟梁も宮大工の仕事がない時は農業をして食べてたというから、ビニールハウスみたいな家を作るぐらいなら、私も農業をするよ。もうやってるけどね。」
まとめ
中村建築は、唐津市と合併する前の浜玉町では一番の工務店だったそうだ。
2010年の肩の筋を切る怪我をされて、大工を引退したという噂が地元で流れ、一時、途絶えていた仕事が徐々に戻ってきているとのことで何よりだ。
中村棟梁は、施主との打ち合わせから設計、施工、現場監督まで、古き良き時代の大工棟梁の仕事のスタイルを頑なに守ってこられた。そのスタイルが今の時代にマッチするのかどうかは別として、営業、販売、設計や広告宣伝などの余計な経費がかからない分、リーズナブルなのは間違いない。
中村建築の作業場には、古材も含めて十分に自然乾燥が済んだお宝のような木材と年代物の建具の在庫が10棟分ほど眠っている。できることなら、もう一度、家を建てたいものだ。
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COREZO (コレゾ)賞 事務局
初稿;2015.05.10.
編集更新;2015.05.10.
文責;平野龍平
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