原田 啓司(はらだ けいじ)さん/徳島県「司製樽」親方・木桶職人

COREZOコレゾ「人にあげるんが惜しいもんをつくれ、という師匠の教えを胸に、昔ながらの桶・樽をつくり続け、直しながら、大事に使い続ける文化を守り伝える木桶職人」賞

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原田 啓司(はらだ けいじ)さん

プロフィール

司製樽(つかさせいたる)代表

桶・樽職人

経歴・実績

1984年徳島県生まれ

地元にある桶・樽製造会社に勤め、工場長を経て、

2012年10月、徳島県阿南市にて桶・樽を製作する工場「司製樽(つかさせいたる)」を立ち上げる。

工場長時代にそらぐみと作ったおひつは、2011年グッドデザイン賞を受賞。

動画 COREZOコレゾチャンネル

木桶職人集団「結い物で繫ぐ会」による日東醸造㈱足助仕込蔵の木桶修理作業

受賞者のご紹介

原田 啓司(はらだ けいじ)さんは、徳島県阿南市で、桶・樽を製作する「司製樽(つかさせいたる)」を営む桶・樽職人。

木桶職人復活プロジェクト

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醸造用の仕込み桶をつくったり修理したりできる専業の製桶メーカーは、日本で、いや、世界で大阪府堺市にある、株式会社ウッドワークさん、1社しか残っていない。

小豆島のヤマロク醤油の山本社長は、未来永劫、木桶でしか醤油を仕込まないと決意し、ならば自前でつくるしかないと、「木桶職人復活プロジェクト」と称して、仲間の大工さんたちと、ウッドワークの上芝さんの下で修業をし、ホンモノの醤油を醸造用の木桶から造れる、世界で唯一の蔵元となり、2013年から、毎年、2~3本の新桶をつくっておられる。

2016年製の新桶の内の1本を日東醸造の蜷川社長が購入し、それを引き取りに小豆島に行く、とおっしゃるので、ノコノコとついて行った。

引き渡し式は、翌日開催される、ヤマロク祭り(ヤマロク醤油さんのお客様感謝デー)で行われるとのことで、到着した日は、もちろん、宴会だ。

その宴会に同席しておられたのが、桶職人の原田さんだった。

「木桶職人復活プロジェクト」は、年々、広がりを見せていて、日本全国の桶職人をはじめ、日東醸造さんのように、木桶で仕込んでいる醤油屋さんや、それを取り扱っているお店の方、ホンモノの醤油をこよなく愛する人たちが、手伝いに来られている。

原田さんもその一人で、蜷川社長が購入した桶の製作も手伝われたそうだ。

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―「木桶職人復活プロジェクト」に参加されたのは?

僕は、日常生活用品としての桶・樽職人なので、仕込桶のように大きな桶をつくったことがありませんでしたし、その技術が途絶えそうだという噂も聞いていたので、それをつくる過程に参加できるなんて、千載一遇のチャンスだと思って、喜び勇んで参加しました。

―参加されて如何でしたか?

同じ桶でも、サイズが違うので、使う道具や道具のサイズも違い、勝手が違いましたが、すごく勉強になりました。

桶樽職人をはじめるきっかけ

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―桶樽職人をはじめられたきっかけは?

高校を卒業してから、一般的な企業勤めをはじめ、バリスタやたこ焼き屋、また、看護士を目指して、看護学校へ通ったり、23歳までの間に「これだ」と思った職業には一通り、トライしてみましたが、どの仕事にも一生続けられる確信が持てませんでした。

それで、何がやりたいのか、自分自身を見直そうとバックパッカーでアジア各地を放浪する旅に出たのですが、その道中、いろんな異文化に触れながらも、「もっと日本のことを知りたい」という想いが強くなっていくのを感じました。

帰国後、友人に付き合って、職業安定所へ行ったのですが、そこで、たまたま「桶樽製造」という求人募集を見つけ、すごく興味を魅かれて、すぐに連絡を取り、見学に行きました。

職人さんの手にかかると、バラバラだった木の板が1つにまとまり、桶や樽になっていくんです。その手さばきが見事で、惚れ惚れしてしまいました。今、身の回りにあるものは、プラスチックなんかの工業製品ばかりですが、手仕事でしか出すことができないなんともいえない美しさや味わい、手触り…。これだ、自分もこういうものをつくれるようになりたい、と思い、その製樽会社に就職しました。

僕は、運が良くて、師匠と呼んでいますが、当時、78歳の職人さんから引退される前に直接技術を教えてもらうことができました。毎日が新鮮な驚きと感動の連続で、楽しくて仕方がなかったです。

独立するきっかけ

―それで、独立されたのは?

やがて、その桶樽会社の工場長を任されるようになったのですが、機械を使った量産品が中心で、市場では、一体、その商品が幾らで、どこで、どう売られているのかも全く分からないままつくっていました。

「はたして、自分がつくっているものは、お客様に喜んで使ってもらえているのだろうか?」というような、疑問を感じるようになり、「自分がつくりたいものをつくって、直接、お客様に買ってもらいたい。」と、独立を決意しました。

桶づくりに必要な特殊な道具や機械はどこにも売っていない

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―道具をつくる職人さんがいなくなったと聞きましたが?

そうなんです。桶・樽の需要が激減している上に、安価な中国製品が市場を席巻していて、国内の桶・樽産業は衰退の一途をたどっているのが現状で、今や、桶づくりに必要な特殊な道具や機械はどこにも売っていなくて、手に入りません。

それで、徳島県内だけでなく、四国中、関西、信州等々を巡り、元職人の皆さんを探しだして、使っておられない道具を頼み込んで、譲り受けるだけでなく、その方々の技術も学ばせて頂きました。

さらに、古道具店等でも道具や機械を探し、材木屋では、桶用の上質の木材を探し、手に入れました。

最近では、桶職人をしていたご主人が亡くなられて、大事に手入れをして使われてきた道具がこのまま朽ち果ててしまうのは忍びないと、娘さんに頼んで、ネットで僕を探し出して下さって、連絡を頂いたこともあります。有難い話で、すぐに大阪に飛んでいきました。お礼と云ってはなんですが、その職人さんが残されたおひつや桶を実演販売の時に販売させてもらっています。

―いい話ですね。でも、道具の確保は切実ですね?

そうなんですよ、いくら大事に道具を使ったとしても、刃を研いだりしていると、どうしても減ってくるので…。つくれる加治屋さんや道具屋さんの伝手を見つけるとかしないといけませんね。

おひつや飯切りは合理的な道具

―小学生の頃まで家にあったと記憶していますが、いつの間にか家庭におひつがなくなりました。電気ジャーの保温は、時間が経つと臭くなるし、かといって、電源を切っておいても、ベタついてしまって、美味しくないんですよね。

そうなんですよ。おひつに入れたご飯は、天然の木が余分な水分を吸うので、より、美味しくなります。また、冷めても、今度は、木が吸っていた水分が放出されて、ご飯が固くなりにくいので、美味しさが保たれます。もっと、もっと、見直されてもいいと思います。

今でもお寿司屋さんでは、天然木の飯切りが使われていますが、ご飯の余分な水分を飛ばして、一番いい状態のすし飯をつくるのに適した、とても理にかなった道具なんですね。

おひつは、手間がかかる、値段が高価な割に傷んでも直せない等のイメージがあるようですが、ちゃんとした腕の職人が良い材料を選んでつくったものは、丈夫で、長持ちしますし、直しながら大事に使って頂ければ、桶や樽は3世代にわたって使えると言われています

手入れも使った後、やわらかめのタワシで、ご飯粒が残らないようにしっかり水洗いをして、乾かすだけですから、何の手間も掛かりません。

日々の手入れをして、修理さえすれば、何年でも、何十年でも使える道具

しかし、長く使うためには、タガは使っている内にゆるんでくるので、締め直さないといけませんし、折々の「直し」が必要不可欠です。でも、裏を返せば、日々の手入れをして、修理さえすれば、何年でも、何十年でも使える道具なんです。

桶や樽は、もともと「結物」と呼ばれ、何百年と想像もできない長い年月をかけ磨かれてきた技術の結晶で、こんないい道具をこのまま忘れ去られてしまうのは本当に勿体ないです。桶や樽は、ほんの数十年前までは、ごく当たり前に、どこの家庭でも使われていた、日用生活品です。その良さを見直してもらい、再び、家庭で使われるようにしたいんです。

僕は、桶・樽に関してなら、どんなことでも相談できる、お客さまに身近に感じてもらえる職人になりたいと願っています。

お客さんと対話しながら良さを伝えたい

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―ご商売の方は?

独立当初は、ネットで情報発信をして、販売もしていたんですが、ネットにはどうしても限界があって、伝えたいことが上手く伝えられないんですね。僕は、工場で作業するだけでなく、人と出会い、人と向き合って仕事をするのが向いていると思っているので、今は、実演販売を中心にしています。

手間と材料費が掛かっているので、それなりの値段になるのですが、実際に、目の前でいつも工場でしている仕事を見てもらい、お客さんと対話しながら良さを伝えていると、皆さん、結構、買って下さるんですよ。

実演販売だけでなく修理も喜んで引き受ける

僕の師匠が若い頃は、桶屋の仕事は、新しいものを作るばかりではなく、時期が来ると、年に何回かは、桶や樽の修繕をしに村々を回っていて、修理の仕事の方が多かったそうです。

それ以前には、どこの村や町にも桶屋さんが一軒はあり、身近に職人がいた頃は、直しながら大事に使う文化や環境があったんですね。

でも、高度成長期になると、壊れたら捨てて、新しいものに買い替えるというという、使い捨ての時代になってしまいました。

ある時、「おばあちゃんの嫁入り道具ですが、まだ使えると思って」と、飯切りの修理を頼まれたことがあって、世代を越えて残るものに関わって、さらにその次の世代に残す仕事を僕もしているんだ、と思うと、とても嬉しくなりました。今は、やりがいを感じて、修理にも取り組ませてもらっています。

実演販売の折には、修理も実演するので、それをご覧になられて、修理依頼を頂くことも多く、僕の師匠やそれ以前の頃のように、使い手に身近に寄り添う、つくり手になりたいと思っています。

伝統的な製法でつくられる桶・樽は、「そっくい」と云う、ご飯粒を潰したのりを使い、タガで締めることで強度を出しています。それだけ、板と板の合わせ面がピタリと合う精度が要求されるのですが、ご飯のりで貼り合わせただけなので、タガを外せば、板は、一枚、一枚、簡単に剥がれ、傷んで修理する時、側板1枚でも交換できます。でも、大量生産品は、板と板を強力な接着剤で貼りあわせて強度を出しているので、修理はききません。

また、修理は、僕たち職人が先達の皆さんの技や仕事を学ばせてもらう貴重な場でもあります。いずれ、僕も僕がつくった桶・樽が次の世代の職人さんに修理してもらう時に恥ずかしくないよう、師匠から頂いた、桶・樽を作る技術と「人にあげるんが惜しいもんを作れ」という心構え、この2つを大事にして、これからも心技体を磨いていきたいと思っています。

実演販売で、僕の仕事を見てくれた子供さんや若い人たちの中から、僕のように桶・樽職人を目指してくれる人が現れたら、すごく嬉しいですね。

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職人さんというと、寡黙なイメージだが、宴会のときには、とってもおちゃめでよーしゃべる若者だった。

でも、翌朝、ヤマロク祭りで、実演販売を開始して、道具を持つと、キリっとした職人の顔に変身される。修理の相談に来られた主婦の方も何人かいらっしゃった。

筆者は、炊飯器や電子ジャーで保温したご飯が大嫌いで、家で使ったことがなく、おひつが欲しくて、桶屋さんに頼んでいたのだが、なかなかつくってもらえないので、原田さんのおひつはこの先も手に入ると思い、原田さんが道具を譲り受けた職人さんの遺作だというおひつを購入した。

使い始めて、そろそろ半年、週に2~3回、ご飯を炊くが、ご飯は美味しくなるし、使用後、タワシで水洗いして、乾かすだけで、未だに新品同様で、すこぶる具合がいい。

これは、もっと多くの人が使って、その良さを再認識するべきだと思う。

「このおひつも、僕が活きている限り、修理を引き受けますので、末永くお使いください。」

と、原田さん。丁寧につくられたホンモノを長く使い続けるのには、なくてはならない存在だ。

COREZOコレゾ「人にあげるんが惜しいもんをつくれ、という師匠の教えを胸に、昔ながらの桶・樽をつくり、直しながら、大事に使い続ける文化を守り伝える木桶職人」である。

文責;平野龍平

2016.06最終取材

2016.10初稿

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