奥坊 一広(おくぼ かずひろ)さん/トラベルニュース社・まちづくり観光研究所

COREZO コレゾ「まちづくりの先に観光がある、地域資産を大切にするまちづくり支援に行動する観光ジャーナリスト」賞

kazuhiro-okubo

奥坊 一広(おくぼ かずひろ)さん

プロフィール

大阪府出身、在住

株式会社トラベルニュース社 代表取締役

まちづくり観光研究所 所長

ジャンル

観光・地域振興

まちづくり

観光ジャーナリスト

経歴・実績

1987年 株式会社トラベルニュース社 入社

1999年 「トラベルニュース」編集長

2002年 代表取締役就任

2003年 まちづくり観光研究所 設立

受賞者のご紹介

奥坊 一広(おくぼ かずひろ)さんは、観光・旅行業の業界紙である「トラベルニュース」を発行しているトラベルニュース社の代表取締役で、徳島県の「大歩危・祖谷いってみる会」の会合で知り合った。以来、「大歩危・祖谷」や大阪で、時々、お目に掛かっている。

学生時代は映画が大好きだったそうで、大阪のフェスティバルホールにあった「朝日学生音楽協会」の会員になり、 そして運営委員になり、大学の講義よりもその協会が運営する会員向けの映画上映会、クラシック・ポピュラーのコンサートの企画・運営やフェスティバルホール内を中心としたコンサートの場内整理、誘導等に精を出し、当時のアイドルグループもよく間近でご覧になったとのこと。

にっかつ(旧日活)直営映画館からオピニオン誌を発行する出版社に転職

そのうちに、先輩から頼まれて、当時の にっかつ(旧日活)直営映画館でアルバイトをするようになり、そのままそこに就職してしまった。映画館の運営に携わるようになり、当初は映画ファンや映画を紹介する新聞記者との語らいは楽しかったそうだ。しかし、映画に凝り固まった人たちと付き合っていくうち、映画のことしか知らない人間になってしまう自分が次第にイヤになってきて、オピニオン誌を発行している出版社に転職した。社長と誕生日が一緒というのが採用された理由だったらしい。

そこで、記者の心構えや記事、写真の編集やレイアウト等の編集者としての基本を叩き込まれた。その出版社が発行する雑誌は広告とのタイアップ記事が多く、営業兼、編集記者というスタイルには違和感があったが、ロンドン帰りの営業専従者が入社し、取材と編集に専念できるようになって、企業の経営者や関西在住の作家などを中心に100名以上に取材したという。

その出版社には約3年間勤務したが、発行誌の休刊が決まり、次に住宅関連情報誌に編集者としてまた転職。商品である住宅のモデルルームの写真をバカチョンカメラで撮影させるような編集長の姿勢や編集方針には馴染めなかったが、営業責任者から営業企画のポストを与えられ、営業サイドから編集業務に携わった。

航空写真カメラマンに採用される

どこか物足りなさを感じながら勤めていたが、ある時、写真の現像を依頼していた現像所で航空写真カメラマンの募集を見つけた。 地上のカメラマンは山ほどいるが、航空写真のカメラマンなら人数も少なく勝負できると思って、大阪の八尾空港にあったその航空写真の会社に面接に出掛けた。すると、その場でセスナに乗せられ、「飛行機酔い」しないか試されたそうだ。「ウッ」と、込み上げてくるものもぐっとこらえて、苦みばしった顔で「ぜーんぜん、大丈夫です。」と言って、採用された。

勤務を始めてしばらくすると、その会社は実態のない金の地金取引で世間を騒がせた豊◯商事に乗っ取られた。その会長がマスコミの目の前で刺殺される事件が起こった後、別の企業の管理下に置かれ、測量用の垂直写真の撮影を命じられた。通常の航空写真撮影はオッケーだったが、元々、「飛行機酔いは大丈夫」と、ヤセ我慢をして採用されただけに、飛行中に爆撃手のように真下を見て撮影するのはかなり辛かったそうだ。

「在職中の3年間でセスナに400時間、ヘリに20時間乗りましたよ、ハハハハ。」と、奥坊さん。

観光・旅行業の業界紙の「トラベルニュース」に転職

そうこうするうちに、編集のイロハを教えてもらった先輩から、トラベルニュース社を紹介され、義理で面接を受けることになった。旅行は好きだったが、業界紙には全く興味がなく、面接で紙面のレイアウトなどに付いて言いたい放題言ったところ、「そこまで言うなら、アンタがやってみろ。」と言われ、引っ込みがつかなくなってしまった。航空写真の会社を辞めるのには一苦労あったそうだが、なかなか波乱万丈でロマンチックな転職人生に終止符を打つことになった。

トラベルニュース社は国内旅行業に従事してる(していた)者なら誰もが知っている大阪にある全国の宿泊、食事、観光施設と交通の出先案内所を収録している「大阪案内所要覧」の発行元で、トラベルニュース紙を年間購読すると、その要覧がもらえる仕組みになっている。インターネット等が普及していなかった時代にはその要覧が国内旅行業社の必需品で、随分とお世話になったものだ(注:筆者は長年、旅行業に携わっていた)。

だから、奥坊さんに初めてお目に掛かった時にも、「あの大安(だいあん・大阪案内所)要覧作ってる会社?」と尋ねた程だ。トラベルニュース紙のキャッチフレーズは、「楽しく読めて ときどき役に立つ観光専門紙」だそうで、奥坊さんの実際の人物像と同じく、完璧に肩の力が抜けている。

一般の旅行者の皆さんが読めば、「しばしば役に立つ」情報

トラベルニュース社の編集方針・企業理念は、「観光の現場の声を大切に伝える」こと。観光っていいな、旅行って楽しいなということを、観光を担う人、旅行する人たちの現場の声を大切に伝えたいと考えている。そのために、つねに一旅行者の感覚と、観光を手段として旅行者に元気を授けようと努力している人たちを敬う心根を持ち続けることを約束し、旅行者と観光事業者と地域(旅行先)のすべてが、観光による利益を等しく享受できる三位一体、三方よしの理想を追求している。その原動力の基は、人と地域が元気になれる力が「観光力」として捉え、いくつかの編集方針を掲げておられる。

トラベルニュース紙は元々、旅行・観光業界紙の位置付けなので、一般の消費者や観光客はご存じない方が多いと思うが、旅行・観光業界従事者が「楽しく読めて ときどき役に立つ」ということは、一般の旅行者の皆さんが読めば、「しばしば役に立つ」はずだ。

「トラベルニュース紙を一般の消費者が購入するのはちょっと考え難いけど、ネットの情報はもっと見てもらいたいですよね?」と尋ねると、「(アンタに言われるもでもなく、)そう思てやってるねん。ネットの情報にはなかなか広告料を払ってくれはれへんけど、多くの一般の方々にもご覧頂いて、送客の効果があれば、話は違ごてくるからね。」と、奥坊さん。

実際、インターネットでの一般旅行者向けの情報発信にも力を入れておられ、「今すぐにでも出たくなる旅」等のページも充実しつつある。送客、誘致する側の旅行・観光業界の情報を訪れる側の皆さんにも共有してもらいたいという思いが現れている。

近年の観光客のニーズは多様化しており、業界用語で「着地発信型観光」と呼ばれている旅行スタイルがある。本来、旅行者を受け入れる側の地域(着地)側が、その地域でおすすめの観光資源を基にした旅行商品や体験プログラムを企画・運営する形態の観光を担うのは地域のツアー会社やガイド会社、あるいはその従事者であって、発地(旅行客の出発地)側の旅行会社ではないはずだ。

出発地側の旅行会社がそのような受入れ側のコアな地域情報を知っているはずがなく、受入れ側の旅行会社が発信する地域(着地)側の情報を網羅できれば、旅行者の利便性も向上するはずだし、かつての国内観光業者が愛用した「大阪案内所要覧」のように、旅行者のバイブルとなり、直接観光客を誘致するための広告料も見込めるのではないかと思う。

「まちづくり観光研究所」を設立

また、奥坊さんは、「観光まちづくり」、すなわち「観光客誘致を目的としたまちづくり」ではなく、まず、その地域が生活をして楽しい住民本位の「まちづくり」が先にあって、暮らしたくなるような「まちや地域の魅力」が高まれば、自ずとそれが観光客の誘致にも繋がるとおっしゃる。まちづくりや地域の魅力づくりの結果のひとつが「観光」であるというわけだ。これは地域振興を成功させてこられた他のコレゾ賞受賞者の皆さんとも共通する考えでもある。

2003年には、同じ志を持つメンバーに研究員になってもらって「まちづくり観光研究所」を設立された。これはトラベルニュース社が1997年より行ってきた観光振興アドバイザー事業をより発展、充実させるためにつくったものだ。「住民参加のまちづくりが結果として観光地になる」ことが基本視点で、まちづくりや観光地のあるべき姿を研究し、あくまでも地域に住む人たちが「地元資産」のすばらしさを見直すことで、より魅力ある地域になるようお手伝いするのが目的という。

「まちづくり観光研究所の基本的なスタンスは、地域住民が地域の中で眠っている素材を掘り起こし、磨くことで『地域の誇り』とします。その誇りの素材を他地域から見にきてもらうことが、結果として観光になるという考え方です。『観光』という言葉の意味が『国の光を見る、または示す』といったことでもわかるように、『国』を『地域』に置き換えると『地域の光を見る、地域の光を示す』という意味になります。」

『資産』は、地域の人たちが大事に守り育てたもの

「一般的には地域の素材を「観光資源」と言っていますが、『資源』という言葉の響きには『無造作にあるもので誰でも勝手に使っていい』というイメージが強いため、ウチの研究所では『観光資産』という言葉を使っています。『資産』は地域の人たちが大事に守り育てたもの、資産になるよう大事にしてきたものと位置づけしているからです。」

「そういった意味からも観光地になるためのまちづくりを行うのではなく、まちづくりの行き着く先が観光であるというスタンスを持ち、あくまでも地域に住む人たちが『地元資産』のすばらしさを見直し、より魅力ある地域になるようにお手伝いをするのが『まちづくり観光研究所』です。」と、奥坊さん。

「シンクタンク」ではなく、行動する「ドゥータンク」

「まちづくり観光研究所」は単に思考するだけの「シンクタンク」ではなく、行動する「ドゥータンク」であり、机上の理論にとどまらず、観光の現場に足を運び、動き、集い、語ることに重きを置く。これまでに、総務省より地域再生マネージャーの指定を受けて「愛媛県新居浜市の商店街活性化事業」、国土交通省近畿運輸局「観光まちづくりマーケティング事業」業務、四国観光立県推進協議会の「観光振興アドバイザー事業」等々を受託し、実績を上げておられる。

また、地域支援事業の独自の取組みとして、「夕陽と語らいの宿ネットワーク事務局」を運営しておられる。これは、夕陽にこだわり、夕陽を観光素材と捉えた宿づくり、地域づくりに積極的な宿泊施設が集い、単に夕陽が見えるだけではなく、地域や自館の夕陽情報を宿泊客に案内、提供する夕陽のコンシェルジェが常駐していることを入会条件に掲げ、夕陽を核に人の輪が広がることを目的に2001年に発足し、活動を続けておられる。

奥坊さんは過去に何度か「大歩危・祖谷いってみる会」で開催された、観光振興に関するパネルディスカッションのコーディネーターをしておられるのだが、そのパネラーとしてご出席された江崎喜久さん立花律子さんもコレゾ賞を受賞して頂いている。奥坊さんにコレゾ賞の趣旨と今後のコレゾ財団の活動方針をご説明したところ、即座にご賛同下さった。

COREZOコレゾ「まちづくりの先に観光がある、地域資産を大切するまちづくり支援に行動する観光ジャーナリスト」である。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;12.12.03.

最終取材;2013.12.

最終更新;15.03.03.

文責;平野 龍平

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