及川 眠子(おいかわ ねこ)さん/作詞家

COREZOコレゾ 「『文化のないところに人は来ない』、『納税場所は自分で選ぶこともできる』と、疲弊する地方に『地域貢献』するモデルを自ら示し、『ニッチ』を極め続ける作詞家」 賞

及川 眠子(おいかわ ねこ)さん/作詞家

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受賞者のご紹介

プロフィール 

及川 眠子(おいかわ ねこ)さん

作詞家

1960年、和歌山県和歌山市生まれ。1985年、「三菱ミニカ・マスコットソングコンテスト」最優秀賞受賞作品、和田加奈子『パッシング・スルー』で作詞家デビュー。

Wink『愛が止まらない』『淋しい熱帯魚』、やしきたかじん『東京』、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』主題歌『残酷な天使のテーゼ』『魂のルフラン』など、多数のヒット曲を手掛ける職業作詞家。

ご本人は、自身を「売れるタイプではない」「ニッチな人間」と語り、「変なものが時代を変える」という感覚を持ち続けている。

作詞に留まらず、エッセイ、舞台、ミュージカル訳詞、アーティストプロデュース、ドラァグクイーン・ユニットのプロデュースなど、既存ジャンルに収まらない活動を展開。

近年は、自ら選出するノンフィクション作品の顕彰「及川眠子賞」も主宰している。

プロローグ

和歌山県田辺市龍神温泉の小川 さださん(おがわ さだ)さんから、作詞家の及川 眠子(おいかわ ねこ)先生がよく龍神温泉に来られている話は伺っていた。

2026年度 第17回 COREZO(コレゾ)賞表彰式を東京の如水会館で開催することになり、小川さんが、祝賀懇親会の料理をしてくださる鈴木前料理長とも親しい及川先生にも声掛けをしたところ、「行くのはいいけど、人が表彰されているのを見てるだけじゃつまらない」とおっしゃっている、と連絡があった。

著名な作詞家として表彰するのは、本来、音楽業界や別の顕彰事業が担うべき領域だし、そもそも、COREZO賞は、次世代に引き継ぐべきホンモノのものづくりや活動を表彰する、権威なし、名誉なし、賞金なし、の三なし賞だ。及川先生が法人税の納税という形で地域貢献されていることも聞いていたので、それならCOREZOでも表彰できるのではないか、ぜひ詳しいお話を伺いたい、ということで、今回、初めてお目に掛かり、私用で来られていた大阪で取材させていただくことになった。

先生と呼ばれている方だから、どんな方だろうと思っていたら、マネージャーや付き人のような方を伴うこともなく、約束の10分前には、ご自身でキャスターバッグを引いて待ち合わせ場所にお越しになった。

とても気さくな方で、何度も質問されているであろう、ご自身の仕事に関する話にも嫌な顔ひとつせず、にこやかに応じてくださる。こちらがお渡ししたお茶のペットボトルも、取材後、ご自身のハンカチで包み、丁寧にバッグへ仕舞われた。

筆者は、そういう業界に関わっていたことがあり、タレントや文化人の移動手配は、事務所やマネージャーが行うのが当たり前だったが、取材後、南紀白浜へ向かうJRの切符もご自身で自動券売機で購入されていた。

「白浜の宿は、これまで、支配人が良くしてくれていたので、丘の上で見晴らしの良いホテルを利用してきましたが、支配人が替わってしまって…。今日の宿は、食事が割と良くて、今月末まで半額なんですよ」と、及川先生。

そういう庶民の感覚もごく自然に持たれていて、ヒット曲を連発されている。

白浜へ向かう特急をホームで一緒に待ちながら、「詞は、どこかから降りて来るのですか?」と、我ながら間の抜けた質問をしたところ、

及川先生は、両手で頭の周りをぐるっと回すような仕草をされて、「いつも、いろんな情景や情報、詞の原型のようなものが頭のどこかにあって、それを引き出してくるような感覚ですね」とおっしゃった。

生まれ故郷と東京

和歌山

「和歌山、嫌いだったんですよ」

取材の冒頭で、和歌山市内で生まれ育った及川先生はそう笑いながら話された。

「和歌山にいたままで、音楽の仕事をやりたかったのにやれなかったっていう、その想いを抱えたままいるより、東京に行って失敗した方が絶対マシだろうと思ったんです。」

作詞家になりたくても「9割以上はなれない」とも話されていたが、24歳の終わりに東京へ出た。

それ以降、和歌山へ帰るのは盆正月ぐらいで、それも、お母様がおられたから帰っていただけで、帰省しても実家からほとんど出ることはなかったそうだ。

龍神温泉

小川さださんとの出会い

転機になったのは、2014年暮れのお母様のご逝去だった。弟さんたちは既に大阪に住んでおり、実家も処分することになった。

「もう、そしたら和歌山へ来る理由がなくなるから、久しぶりに旅行でもしようかなって」と思い、友人と高野山、龍神、熊野、白浜を巡った。2015年頃のことだったという。

その時、Facebookで知り合っていた田辺市議会議員の方から、「龍神へ行くんだったら、季楽里龍神に泊まってあげて」と言われ、龍神温泉に立ち寄った。

そこで、小川さださんと知り合った。

その時点では、「じゃあ仲良くなって、しょっちゅう和歌山来るわ」という話にはならなかったそうだ。

龍神温泉についても、「ただ泊まっただけです」、「いいお湯だなぐらいですね」という程度だった。

だが、和歌山を離れて30年ほど経ち、「よそ者」の目で見た時、感覚が変わったという。

「好きとか嫌いとかなくて、『あ、いいとこじゃん』って思ったんです」

気候、風景、空気感。地元にいた頃には見えなかったものが見えるようになった。

「じゃあまた来ようかなっていう気になったところから始まってますね」と、及川先生。

旅行会社への違和感

翌年、再び和歌山へ行くことになって、旅行会社に手配を依頼した。

実は、前夫が旅行会社を経営しており、ご自身も仕事を手伝っていたので、旅行業の仕事や手配の仕組みはある程度分かっていたという。

ところが、その旅行会社の手配に強い違和感を覚えた。

「行程が良くない」、「泊まるホテルが良くない」、「こことなぜ契約してないんだ」、「レンタカーをなぜ手配できないのか」と、旅行会社に関わっていた頃、自分たちが言われてきたことを、そのまま感じたそうだ。

「だったら自分でやる」、そう思い、自分で宿や移動を手配することになった。

小川さださんとの関係

そこで、前年、知り合った小川さんに連絡したところ、「ここからここまで乗せますよ」、「お送りしますよ」と、自身の車での送迎や段取りを引き受けてくれた。

ただ、その時点では、小川さんと「意気投合したわけではない」、「職業違うと、意気投合しないですよ」、むしろ、「親切にしてもらって、申し訳ないな、みたいな感じ」だったそうだ。

その後、和歌山へ行く話をすると、「一緒に連れて行ってほしい」という人が増えた。

高野山や熊野三山へは行ってみたい。でも、どう回ればいいのか分からない。大人数のバスツアーも気が進まない。

そんな人たちを連れて行く際、「(小川)さださん、なんとかできる?」と相談すると、「じゃあ、私がアテンドします」と、さださんが動いてくれた。ならば、「季楽里龍神に泊まってあげよう」という流れになった。

「龍神に泊まってるの?なんで?」と聞かれると、「便利だから」と答えているそうだ。

「高野山へも、白浜へも、熊野へも、1時間ちょいで行く」、「さださん、車出してくれるし」、それから折に触れ、和歌山に来る時には、さださんへ連絡するようになったという。

「もちろん、しない時もありますけれどもね」と笑いながら、「さださん、今では、私がプロデュースしているドラァグクイーン・ユニット活動の『推し活隊長』ですよ」と、及川先生。

東京的な人との距離感

「和歌山は、未だにそんなに好きじゃないですよ」と笑う。

それでも、「生まれ故郷」との距離感は、少しずつ変わっていったようだ。

和歌山を離れて30年ほど経ち、「よそ者」の目で見た時、「あ、いいとこじゃん。」と思えたという。

「でも、どこが好きかって聞かれたら東京ですよ。」と即答される。

元夫が経営していた旅行会社の関係で、トルコのイスタンブールには住居もあり、カッパドキアなど各地にも支店があったので、トルコ各地を回る生活も経験しておられる。

「トルコにいた時に、トルコと日本どっちが好きって聞かれましたけど、『日本』って」と笑いながら話された。

東京の居心地の良さは、「オンオフっていうより、人との距離感を保っていたい」ので、「便利さっていうより、人との距離感なんですよ」とのことだ。

音楽業界の中でも、職業作家は、アーティストでもスタッフでもない。スタジオへ行けば「おはよう」と挨拶し、仕事が終われば「お疲れさま」で、その場を離れる。深くプロデュースに関わる仕事もあるが、それでも基本的には、一定の距離感が保たれているという。

やっていることは、あくまで個人作業。家にこもって詞を書く。たまに外へ出ても、必要以上に深く関わり過ぎない。

しかも音楽業界の中では、作家は著作権を持っているため、立場が強い側にあり、40年も続けていれば「先生」として大事にもされ、一定の距離感を持って接してもらえる。

舞台など、ほかの仕事ではもっと関係が密になり、派閥のようなものも生まれやすい。しかし、職業作家にはそれがあまりない。悪口は言われているかもしれないが、それもあまり聞こえてこない。個人作業だから、そこに気を取られずに済む。

そして、その感覚は東京という街にも通じていて、マンションで隣人に会えば、「こんにちは」と挨拶はするが、お互い、それ以上は踏み込まない。

「この職業を続けてきたから、それが心地よくなったのかもわかんないですけどね。」

そうした東京的な人との距離感が、及川先生には心地良いのだそうだ。

和歌山が嫌いだった理由については、「しがらみっていうよりも、人との距離感も近いし、親もいるから、詮索されたりとか、いろいろ人間関係が近すぎて窮屈、そういう部分ですよね」とも話された。

地域貢献のモデル

納税場所の選択

ごまさんスカイタワー

及川先生が、個人会社「及川眠子事務所」の法人登記を、和歌山県田辺市龍神村の「ごまさんスカイタワー」へ移したのは、5年ほど前だという。

ごまさんスカイタワーは、高野龍神スカイライン沿いに建つ展望施設で、松下興産が建設後、田辺市に寄贈した施設で、現在は、小川さださんの法人が指定管理を担っている。

左;及川先生、右;真砂田辺市長

龍神温泉を訪れる内に、小川さださんを通じて地域との繋がりもでき、当時の真砂充敏田辺市長(現職)とも面識ができていたそうだ。

「ネット民なんかは勘違いするの。住んでると思ってるんですよ」、「コンビニもない、冬期は、路面凍結で道路が閉鎖される。住んでないって」と笑われた。

仕事場も生活拠点も東京にあり、あくまで「本社登記」を龍神へ移しただけだという。

法人登記を移した理由

その理由も非常に現実的なものだった。

「東京は、もう税金ジャブジャブありますからね。」とも話されていたが、地方が疲弊している現状を見る中で、「こういう方法もあるよ。」という「事例」を示したかったのだそうだ。

「どっちみち税金は払わなきゃいけない。だったら、どこへ納めるかですよ」。

ふるさと納税のように返礼品があるわけでもない。実際に住むわけでもない。ただ、法人登記を地方へ移すことで、その地域へ税金が落ちる。「でも、本社の登記を移しても、半分以上は東京に納めていますけどね」ということらしい。

しかも、そこに変な「郷土愛」は持ち込まず、「別に、私に対する福利厚生をしろって言ってるわけじゃない」し、「具体的に何に使って欲しいとかっていうのはないんですけど、多少なりとも地域貢献にはなるかな」と、率直に語られた。

納税する以上、「文句は言わせてもらう」し、「気に入らなかったら、いつでも引き上げますから」と笑って話されていたが、それも、「地域にお金を落として終わり」ではなく、「納税者として地域を見ていますよ」という感覚なのだろう。

田辺市龍神村を選んだ理由

和歌山市ではなく田辺市龍神村を選んだ理由についても、「和歌山市には既に実家がなく、親戚もほとんどいない」、「法人関係の書類が届いた際には、小川さださんが転送してくれる」、「当時の真砂市長(現職)とは面識があった」など、極めて現実的な理由だった。

及川先生は、「地方は疲弊していますからね」、「本当に心からふるさとを愛してる人は、少しでも手助けしたいじゃないですか」、「それなりに法人税を納付している人なら、節税だけでなく、法人登記を移し、『税金をどこへ納めるか』を自分で選ぶこともできる」、「地方出身の起業家や、個人事務所を持ってる人に『ふるさとへ本社を移す』選択肢もある』という、一つの事例を示しただけだという。

「別に和歌山じゃなくてもいいんですよ。税金をちゃんと使って、もっと地域を良くしてくれるところがあれば、そっちへ持っていきますから」と笑って話されていた。

地域の観光

過疎化が進む龍神村の観光について話が及んだ。

地元の住民が気づかない魅力

及川先生は、「私、いろんなこと提案してますよ」「夕焼けとか星空を売ればいいじゃん」って、でも、「住んでる人たちはわかんないんですよ」とおっしゃる。

実際、龍神村には、自然の豊かさ、夜空の暗さや空の広がりがそのまま残っている。ただ、住んでいる人にとっては、それが「当たり前」になっていて、価値として見えにくい。「あそこら辺、条件が良いと天の川が見えるから」、でも、星空を活かすなら、電線や照明の問題も含め、「真っ暗な場所」を意図的につくる必要があるという。

しかも、夕焼けや星空のような自然は、見えなかったとしても客は怒らない。「オーロラと一緒ですから」、「自分の運が悪いってことだけなんですよ」。

逆に、無理に「作った観光」、「例えば、『猪豚』グルメツアーとかってやると、『思ったより美味しくなかった』とか」。そうなると、期待値を下回った途端、失望へと変わってしまう。

できない理由より「どうすればできるか」

また、龍神村の観光客誘致には、公共交通が少なく、観光客の「足」が弱いという問題がある。

しかし、及川先生は、「ダメなんですよ、で終わる人は売れない」とも語る。

「白タク規制がある」、「路線バスが少ない」、「人口減少が進んでいる」、…。そうした「できない理由」を並べるのではなく、「じゃあ、どうするか」を考えなければ、人も商売も動かないという。

実際、及川先生は、元夫の旅行会社を手伝い、トルコ旅行のオペレーション会社を立ち上げ、短期間で日本のFIT(個人旅行)市場でトップクラスまで伸ばした経験も持つ。

「安いところと勝負したって勝てない」、「じゃあ、どこで差別化するかですよ」とも話されていた。

文化のないところに人は来ない

「文化のないところに、人は来ませんよ」と、及川先生。

人口減少は、龍神だけの問題ではない。地方の多くが抱えている。その中で、何を残し、何を磨き、何を「その土地の価値」として伝えていくのか。

及川先生は、地域の観光振興には、その土地に根付いた「地域文化」こそが重要と考えておられるようだ。

勉強してから来なさい

新世紀エヴァンゲリオン主題歌『残酷な天使のテーゼ』などのヒット曲があるため、「アニメ業界の人」と思われることも多いそうで、和歌山県内の自治体から「アニメの聖地にしたい。」という相談を受けたこともあるそうだ。

「アニメを作った人たちから、音楽を発注された側」であり、「音楽業界の人間」ですから、「私にそんな相談をして来ること自体、勉強不足なんですよ」と、及川先生。

また、「友ヶ島がラピュタっぽい」とか、「アニメファンが多い」、…。そんな理由だけでは、「聖地」にはならない、「似てる、ではダメ」。

『エヴァンゲリオン』は箱根と強く結びついているし、『君の名は。』も、作品世界とその舞台の地域や土地が一体になっているからこそ、「聖地巡礼」が成立する。

結局、「何を売るのか」、「何を文化として積み上げるのか」を、自分たちで考えなければいけない、とおっしゃる。

運なんて誰にでも回ってくる

「運なんて誰にでも回ってくる。ただ、その運を掴めるかどうかは別だ」と、及川先生。

その巡ってきた運を、ちゃんと受け止められるだけの日頃の鍛錬が必要で、努力していない人は、運が巡って来ても、それを運だとも気づけず、不運だと思って終わってしまう。

それは地域や企業も同じだという。

「『でも』とか『だって』ばかり言ってる時点で、努力してないんですよ」、「一回イベントをしただけで地域の文化が育って、次々、人が来てくれる訳がない」、「もう滅びてくださいって私は言うんですよ」

厳しい言葉にも聞こえるが、「文化」を育てる努力をせず、人に聞いただけで集客できると思っている、安易な考え方へのアンチ・テーゼなのだろう。

大曲の花火大会

その一方で、及川先生が審査員を務められた秋田県「大曲の花火大会」について、

「1年、2年の努力じゃない」、「100年続けてきた」とおっしゃる。

主催者のカリスマ的リーダーが人と地域を引っ張り、花火師もスタッフも、それに付いていったそうだ。その積み重ねが、「世界の大曲」を作ったのだという。

「文化」は、一度イベントを打って育つものではない。

長い年月を掛けて、地域の人たちが本気でその土地固有の物語や資源を磨き、積み上げた先に、その地域文化に魅かれたリピーターが押し寄せるようになるのだろう。

及川先生の今後

ニッチを極める

今回の取材の最後に、これからの活動について伺うと、「ニッチを極めるんです」と、即答された。

「私ってやっぱりマニアなんで、元々マニアックなんですよ」、「本来は売れるタイプの作詞家ではない」とも話されたが、Winkの曲がヒットした時、プロデューサーからは、「着眼点が全く違う。」と言われたそうだ。

「変なんだよね」、「世の中を変えられるものって、変なものなんです」

吉田拓郎も、松任谷由実も、サザンオールスターズも、デビュー当時は「異端」だった。今の時代なら、藤井風や、米津玄師もそうだという。時代の王道になるものは、最初から「王道」だったわけではなく、最初はどこか「変」で、「異質」なものだったそうだ。

過去のヒット作品は、自身の特異な着眼点が時代と合致した結果だと分析されていた。

面白い仕事だけやる

新世紀エヴァンゲリオンの主題歌『残酷な天使のテーゼ』などのヒットによって、生活のために無理をして仕事を選ぶ必要はなくなった。

「食べるのには困らない」、「そんな贅沢もしないし、物欲もない」、だからこそ、「嫌な仕事は断る」、「面白い仕事だけやる」という働き方ができるのだという。

すると逆に、「面白い仕事が来る」のだそうだ。

「流れの中で取りこぼされていくニッチなものがある」、「案外、自分の好きなものって、そういうところにあるんです」とも話され、そして今は、「好きなことだけを、ゆるっとやります」と、今後も商業的成功より自分が面白いと感じることを追求していかれるようだ。

現在は、ミュージカルや校歌制作のほか、ドラァグクイーン(華やかな女装パフォーマー)ユニット「八方不美人」のプロデュースなど、「面白い」と思える仕事を中心に手掛けておられる。

ドラァグクイーン・ユニットに関しては、「8年前に始めた頃は、まだニッチだったんですよ」と振り返るが、「最近、市民権を得てきたから、なんかつまんないな」と笑われていた。

校歌制作

及川先生の校歌制作について調べてみると、地域性をどこかに取り入れる(なので必ず現地視察をさせてもらう)。また、どれだけの大人数で歌っても、絶対に言葉とメロディがきちんと届くことに常々気を付けておられるとのこと。

和歌山市立藤戸台小学校、海南市立東海南小学校、日高川町立央和中学校、三重県立熊野青藍高等学校、能登半島地震後に統合・新設された輪島市門前学園など、出身地の和歌山を始め、多くのの校歌を手がけておられることが分かる。

及川眠子賞

また、先生は大のノンフィクション好きで、「賞って、自分が読んでおもしろいって思っても選ばれてなかったり、なんか気に入らないことが多いんですよ」、「だったら、自分で作っちゃおうって」、自ら「及川眠子賞」という賞まで作ってしまったそうだ。

一年間で読んだノンフィクション作品の中で、「一番面白かった」と思う作品に、自費で賞を贈る。そして、記念品を用意して、歴代受賞者たちとの食事会を開いているという。

まとめ

今回、及川先生を取材する前に、COREZO賞受賞候補者として、岡野 あつこ(おかの あつこ)さん/夫婦問題研究家®/夫婦相談士®/離婚カウンセラー新井 充(あらい みつる)さん/公益財団法人 総合安全工学研究所 理事長/東京大学 名誉教授のお二人をご紹介くださった。

多忙を極めておられるはずなのに、COREZO賞の趣旨をよく理解くださっていて、感謝申し上げたところ、「賞を取ってないけど、面白い人って、世の中にいくらでもいる。」と、及川先生。

及川先生は、「作詞家になりたくても9割以上はなれない」、でも「運なんて誰にでも回ってくる」と話されていたが、ただ、その運を掴めるかどうかは、日頃の鍛錬次第だという。

上京して、1985年三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト最優秀賞を獲得した作品、和田加奈子『パッシング・スルー』で作詞家デビューされたそうだ。

改めて、及川眠子公式サイトの作品リストを拝見すると、その膨大な作品数と、ジャンルの幅広さに驚かされる。

その鍛錬とは、「ニッチを極める」、「自分の着眼点を磨く」、「人と違うものの見方をする」等々あると思うが、類稀な才能に加え、そうした鍛錬を重ね、自身の独自の個性を磨き続けてこられたのだろう。

そして、その感覚は、「何を売るのか」、「何を文化として積み上げるのか」という、地域や観光の話にも繋がっていく。

及川先生は、「売れる」・「売れない」が常に問われる音楽業界で、作詞家として、長年、言葉と文化を生み出し続けてこられた。

「文化のないところに、人は来ない」、「『できない理由』を並べるのではなく、『じゃあ、どうするか』を考えなければ、人も商売も動かない」という、ご自身の経験を踏まえた感覚は、本来、地域行政や観光事業の実務者が持っているべき感覚だろう。

その感覚は、地域文化を単発の「公演」や「イベント」ではなく、住民主体の「積み重ね」として育て続けてきた、元杉田劇場館長の中村 牧 さんの姿勢とも、どこか通じるものがあるように感じた。

取材の終盤、「そういえば、関西の観光地の中でも、龍神温泉って結構ニッチですよね」と問いかけると、及川先生は、「そうそう、ニッチですよ」、「でも、住もうとはしないですよ」、「住むのは病院の近くがいい」と、笑って応えられた。

関西では知られていても、全国的にはまだ広く知られている訳ではない龍神温泉に度々訪れておられるのは、「知る人ぞ知る温泉地」的なところにも惹かれておられるのかもしれない。

「良いところは良い」、「でも、生活は別」という、とても現実的な距離感なのだ。

「納税場所は自分で選ぶこともできる」と、疲弊する地方への『地域貢献』の事例を示され、その地域には、何の要求もしないが、「気に入らなかったら、いつでも引き上げますから」という姿勢は、適度な距離感と緊張感を生んでいる。

その納税先に現実的な理由から選ばれたのが、及川先生の感覚でニッチな龍神温泉がある和歌山県田辺市である。

今後も「ニッチ」を極め続けていただきたい。

 

COREZOコレゾ 「『文化のないところに人は来ない』、『納税場所は自分で選ぶこともできる』と、疲弊する地方に『地域貢献』するモデルを自ら示し、『ニッチ』を極め続ける職業作詞家」である。

取材;2026年5月

初稿;2026年5月

文責;平野龍平

 

 

 

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