梅原 真(うめばら まこと)さん

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COREZO(コレゾ)「ローカルの志と本気をカタチにする正義のヒーロー、行動で示し、デザインの力で日本の大切な風景を残す、土佐のいごっそうデザイナー」賞

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梅原 真(うめばら まこと)さん

Contents

プロフィール

デザイナー

梅原デザイン事務所 代表

特定非営利法人NPO84プロジェクト 理事長

ジャンル

コミュニケーションデザイン

地域振興

経歴・実績

1950年 高知市生まれ、香美市在住

小学生4年生の時に父親の転勤で和歌山に転居

大学卒業後、高知市内のテレビ局関連会社に就職、美術・大道具を担当

1979年 テレビ局関連会社を退職

1980年 梅原デザイン事務所設立

1988年 「一本釣り・藁焼きたたき」

1995年〜(株)四万十ドラマのプロデュースに関わる

1997年 四万十川流域から各界著名人に水への思いを募り、エッセイ集「水」を出版

「四万十のひのき風呂」

1998年〜赤岡町まちづくりワークショップ

2005年 「しまんと新聞ばっぐ」

「絵金蔵」完成

2009年〜「84(はちよん)プロジェクト」開始

2010年 これまでの仕事・デザインをまとめた「ニッポンの風景をつくりなおせ」を出版

2012年〜「しまんと新聞ばっぐ東北プロジェクト」

受賞者のご紹介

カワラマンの山田脩二さんとデザイナーの梅原真さんが…

2013年2月、阿波池田の「四国酒まつり」にカワラマンの山田脩二さんと一緒に出掛け、昼間から蔵出しのお酒の試飲をはしごして、夜、「酒まつりの夕べ」の会場の「渓谷の湯宿 大歩危峡まんなか」で、イベントの開宴まで予行演習を兼ねて、二人で飲んでいた。

「梅原さんってデザイナー、知ってますか?僕は、人の事をあまりほめたりしないんだけど、彼のはスッキリしてて、いかにもデザイナーがデザインしましたという押し付けがましさがなくて、好きなんですよ。」と、差し出されたのが、「ニッポンの風景をつくりなおせ」という梅原さんのこれまでの仕事・デザインをまとめた本だった。失礼ながら、お名前は存じ上げなかったが、その本の中で紹介されているパッケージデザインにはいくつも見覚えがあった。

「へぇー、これも、これも、この方のデザインだったんですね?」、「そう、彼も彼のデザインも有名ですよ。それになかなかの男だし、明日、彼が空いているなら会いに行きましょうか?」ということになって、了解が取れたとのことで、翌朝、小原庄助さん状態の山田さんと一緒に列車で土讃線では数少ない有人駅の一つ「土佐山田」に向かった。

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山田さんは、「ケッコー、出たとこ勝負師」で、大歩危を発つ時にしておけばいいのに、土佐山田の駅着後に電話をしてもなかなかつながらなかったが、ようやく連絡が取れて、車で迎えに来て下さった。「すんません、電話は気にしてたんやけど、近所の人たちとのソフトボール大会があって…、これでも僕、町内では若手なもんで・・・。」と、梅原さん。

北大路廬山人のような風貌(山田さん談)で、とにかくガタイがデカく、車もデカかった。

随分前(のことだと思う)に、山田さんが写真の仕事を頼まれて長野県の小布施に行かれた時に、梅原さんも仕事で来られていたようで、「そうそう、山田大先輩のアシスタントをさせてもらいましたよ。」(梅原さん)、「ハハハハ、オイ、コラ!もっと下からライトを当てんかい!とかじゃなくって、あの時は、コレ、こんな感じでどう?いいですねって、気持ちのいい仕事ができたんですよ。」(山田さん)というようなことで親しくなられたとのこと。

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後日、その小布施を訪れ、山田さんの写真が飾られた「桝一客殿」のホールを拝見したが、小布施のまちとその建物に溶け込んでいて、とても心地のいい空間だった。山田さんによると、写真のサイズ、点数、位置まで、全て、その施設のアートディレクションをしておられた梅原さんと意見が一致したそうだ。

赤岡町の「絵金蔵」って何?

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久しぶりに会われたようで、お二人の会話を後部座席で聞きながら、香南市赤岡町にある「絵金蔵(えきんぐら)」に連れて行ってもらった。

赤岡町は高知県東部、江戸時代に土佐浜街道沿いに発展した町で、合併して香美市になるまでは日本一面積の小さな自治体だったらしい。

で、「絵金蔵」って何?ってことだが、江戸時代末期、土佐藩に幼少の頃から絵が上手いと評判の弘瀬金蔵という人がいて、江戸での狩野派の絵の修行を短期間で終え、若くして土佐藩家老の御用絵師となったが、周囲の嫉妬から、狩野派一門の贋作を描いたという嫌疑を掛けられ、所払い、狩野派破門の処分を受けた。

各地を放浪の末、赤岡町に移り住み、「町絵師・金蔵」を名乗り、まちの人たちに頼まれるがまま、芝居絵屏風等を数多く描いて人気を博し、「絵金」の愛称で親しまれ、現在も毎年7月に、各家が所蔵する屏風絵を商店街でお披露目する「赤岡絵金祭り」が開かれているそうだ。

祭りは年に1度とはいえ、商家の軒先でお披露目するので、百数十年の年月を重ね、随分と痛みも見られるようになり、まち(市街地)の外に美術館をつくる計画があったが、まちの人たちが集まって考えた結果、まちにあった米蔵を活用して「絵金蔵」が生まれた。祭り以外の日は湿度管理の行届いた収納庫で保管しながら、絵金の作品と大衆文化の関わりを伝え、世代も地域も越えて人がつながって、「まちを元気にしたい」という思いも込められているという。

絵金の屏風絵は闇の中にあってその存在感と異彩を放つといわれており、展示室は、絵金祭りの夜に倣って薄暗く、見学者は提灯(電球)を持って中に入り、絵がロウソクの灯に浮かび上がるような照明になっていて、見せ方に工夫が施されている。また、展示室の屏風絵はレプリカだが、ホンモノは、収蔵庫の壁の穴から現存する23枚のうちの2枚ずつが月代わりで覗ける仕掛けになっている。

さらに、薄暗がり中で、よく見えなかったのだが、絵金(多分)?が四つん這いになって屏風絵を書いている姿を模したような像(フィギア?)がデデーンとあって、ジブリアニメの名作、「風のナウシカ」に出てくる巨神兵を思わせ、何とも不気味で、極彩色の絵の具を使い、圧倒的な筆の勢いで描く絵金の鬼気迫る様子が伝わってくるような気がした。

「犬も歩けば赤岡町」って?

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赤岡町の人通りの少ない寂しい商店街の一角に、ひと際目立った「おっこう屋」というけったいな店舗があり、梅原さんについて店内に入って行くと、店主と思しき妙齢のおねーさんとは親しいらしく、「はいはい、まあまあ、仁淀川のお茶でもどうぞ。」とお茶を入れて下さった。

聞くと、江戸時代からある商家を借りて営業しているそうだが、店内には、古道具、骨董品、古着をはじめ、雑貨、アクセサリー、地域の人たちが持ち込んだいう手作り小物、リサイクル品等々が、所狭しと並んでいる。さらに奥に進むと古井戸のある中庭があり、価値があるのか、ないのかわからん物々が雑然と放置(整頓?)されていて、まっこと摩訶不思議な空間だった。

山田さんは、梅原さんが関わった「犬も歩けば赤岡町」という本を見つけて購入し、オマケに金継ぎのぐい飲みをもらって、道中、ずっとそれでお酒を楽しんでおられた。

店主と思しき妙齢のおねーさん(メーシをもらってないので名前もわからん)によると、1997年頃から始まった赤岡町のまちづくりワークショップに参画していた梅原さんから、「今あるものに目を向け、生かしていかなあかん」と、提示されたコンセプトが、「歩くまち赤岡」、「再生のまち」で、梅原さんとの出会いが、この店を開くきっかけになったという。

註:本原稿校正時に、梅原さんから、「おっこうや」の店主のおねーさんのお名前は、陽に焼けて色は黒いけど、「間城(ましろ)綾江」さんだよ、と教えて下さった。

今では、高知県内、四国だけでなく、関東や関西からも「ネットで見た」とやってくる人が絶えないという。まちの活性化に一役も二役も担っているようである。

阪神キャンプ地の安芸の近所なのに、「ちゅうにち」?

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お昼を食べるのに、その店主と思しき妙齢のおねーさんに案内してもらったのが、外観からは八百屋だかよろず屋だか何だかわからんお店。奥が食堂になっていて、「香南市ちゅうにち同盟」と書かれたハッピが店内に掛けてある。「阪神のキャンプ地がこの近所の安芸やのに、ここらは中日のファンが多いのか?」と思いきや、「ちゅうにち」というのは、麺は中華、だし汁はうどんという(中と日か?)、何だかよーわからん赤岡の名物だそうだ。

そういえば、昔、筆者が通っていた中学と高校の学食(同じ業者)の「そば」がこれだったが、それよりはずっと旨かった。他に大阪ではそんな「そば」は見かけたことはないので、あの経営者は赤岡の出身だったのか?と思ったりしながら、話を伺っていると、どうも「絵金蔵」にも梅原さんが大きく関わっておられることがウスウスわかってきた。まちにもともとあった土蔵を活用しようと提案したのも梅原さんのようであった。

「この町には、古くからある昔ながらのサンパツ屋があって、時々、車で散髪に来るんやけど、店もそこのおっちゃんもめっちゃ味があってな、1日でも長く続けて欲しいんや。」と梅原さん。

梅原さんは、一見、コワイ人、モトイ、強面に見えるが、マジメに生きている人たちをつい応援してしまう、根はとってもヤサシイお方だというのがおわかり頂けるだろう。

註:上記一節(ひとふし)は、本稿校正時に、梅原さんから、「だが、は逆説なのでわかりにくいゾ。」とのご指摘があり、推敲に推敲を重ねた。

僕、ゲーダイやなくて、テンテンのないケーダイ(経大)

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その後、海岸まで行き、太平洋の大海原を見た後、物部川をさかのぼって、河川敷から一段上がった梅原さんのご自宅兼、事務所に到着、2階のLDKに通して頂いた。遠景に山々、手前には物部川が流れ、庭には自家菜園もあり、そりゃーもー素晴らしいロケーションの中でお酒を頂きながら(山田さんは昼食時もずっと)、夕暮れ時まで楽しく過ごさせて頂いた。

中学生の頃、一世を風靡した男性週刊誌の表紙を飾っていた大橋歩さんのイラストに憧れ(「ニッポンの風景をつくりなおせ」の帯は大橋歩さん作だそう)、デザインの仕事に興味を持ったそうだ。事務所にはその表紙を集めたポスターが貼られていた。

「デザインをやりたかったら、普通、ゲーダイ(芸大)に行くでしょ?僕、テンテンのないケーダイ(経大)なんですよ、ガハハハ。父親の仕事の関係で和歌山に引っ越したんですが、自然の多い高知が好きでね、夏休みとか休みの度に祖母のところに遊びに来ていましたよ。」

デザインの力で日本の大切な風景を残したい

大学卒業後、高知のテレビ局関連会社に就職して、美術・大道具を担当していたが、次第にやれる仕事に限界を感じ、フリーになった。がむしゃらに働き、仕事に追われる日々が続く中、ひとつひとつの仕事に全力で取組んできたが、お金は稼げても、後には何も残らないのではないかという空虚な気持ちが心を占めるようになったという。

そんな時、転機が訪れた。大規模な巻き網漁に押されて危機的状況にあった土佐の一本釣り鰹漁の漁師さんから、わらで焼いた本物の鰹のたたきを商品化して、活路を見いだしたいという依頼が入った。

一本釣りは土佐の風物詩、この大好きな風景を残したいと力が入った。洗練されたデザインにはしないで、生産者の熱意を精一杯込めた。当時、海産物のパッケージは青が常識だったが、敢えて炎の色に近い深いオレンジ色にし、わら焼きの美味しそうなイメージを出した。昔ながらの一本釣りの風景を手書きで描き、キャッチコピーはそのまんま「漁師が釣って 漁師が焼いた」にした。

「一本釣り・藁焼きたたき」の商品名で、販売が開始されると、予想をはるかに超え、9年後には20億円以上を売上げ、一本釣り鰹漁の現場に活気が戻った。

一生懸命考えた土佐の一本釣り鰹漁再生のストーリーが現実になって、残っていくことに喜びを感じ、これこそ自分がやるべき仕事だと心に決めた。デザインの力で新たな価値を生み出し、日本の大切な風景を残すために世の中の考え方を変えていきたいと思ったそうだ。

それ以降、評判を聞き付け、各地から依頼が舞い込み、依頼者ととことん向き合うことで、売れていなかった商材から次々とヒット商品を生み出しておられる。

東京や都会、大企業からの儲かりそうな仕事を全て断わる理由

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「地方を支える一次産業が健全でないと日本の風景を守れない」と、東京や都会、大企業からの儲かりそうな仕事は全て断り、一貫して、予算も条件も厳しい地方と農林漁業に関するものばかりを引き受けているという。

予算が厳しいが故に、依頼者の人生相談に始まり、コピーライター、イラストレーター、グラフィックデザイナー、フォトグラファー、・・・、1人何役もこなす。「それってデザイナーの仕事?」という仕事まで、依頼者に関すること全てを、ほとんど1人でやってのける(気になるこの話の続きは、終盤に・・・)。

引き受ける条件は、依頼者の志と本気度。熱意と覚悟を、会って、見て、話を聞いて決める。今や、売れないものや非効率なものは価値がないと見なされ、地方の「いいもの」がどんどん失われていく時代だが、生産者が志を持って本気で作った「いいもの」は、デザインを掛け合わせて付加価値を付ければ、必ず売れるという確信があり、売れるようにすることでその存続が可能になり、風景を守ることができると考えておられる。

条件の厳しい案件程、やりがいを感じ、そんな自分の人生を賭けている依頼者の良き伴走者になりたいと熱が入るそうだ。

COREZO(コレゾ)、「土佐のいごっそうデザイナー」の心意気、「ローカルの正義のヒーロー」たる所以なのである。

都会を真似するのではなく、「地域独自のモノサシ」を持とう

1988年、評判を聞きつけた旧十和村役場から、これまで見たことも書いたこともない総合振興計画作成協力の依頼を受け、翌年1月、数字やグラフを並べ立てたこれまでの他の自治体のものとは全く異なる「十和ものさし」として完成させた。

10年後のビジョンを明確かつ、具体的に打ち出し、「自然が大事、人が大事、やる気が大事」、「都会を真似するのではなく、地域独自のモノサシ」を持とうと、今の「四万十ドラマ」に通じる考え方をつくり上げた。

その振興計画策定中、村長に「あの沈下橋(ちんかばし)の風景こそ、この村の風景そのものです。是非、残しましょう」というと、「抜水橋(ばっすいきょう)は村民の悲願である。高知のまちのもんに何がわかる?」と一蹴されてしまう。

なら、日常的に沈下橋を渡る暮らしをしてやろう

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本気で手掛けてきた振興計画である。「はい、そうですか。」と、引き下がる梅原さんではなかった。それなら日常的に沈下橋を渡る暮らしをしてみようと、1989年8月5日、家財道具を積んで、高知市内からこの橋を渡り、沈下橋の向こう側の小さな集落に移り住んだ。

「沈下橋」とは、河川敷と同程度の低い位置に架橋され、橋長が短く、低予算で作ることができるが、増水時には、水面下に沈下して、橋として機能しなくなる。また欄干がないことが多く、安全性にも問題があるという。「抜水橋」は、「沈下橋」の反意語で、増水時でも、沈まない高さに架橋され、橋として使用できる「永久橋」と同義とのこと。

仕事をこなしながら、山から水を引き、風呂の薪を割り、川で鮎獲りをしたり、・・・と、自然に寄り添う暮らしを約5年間続けた。沈下橋はその名の通り、大雨で増水すると、川に沈んで外出もできなくなり、食料品の調達や仕事の納品にも支障をきたした。想像していたよりもはるかに厳しい現実があったが、不便さより、むしろ豊かさを感じ、実体験として見えてきたものもたくさんあったという。その沈下橋の向こう側からの視点こそが、それからの梅原さんの考え方、発想、デザインの原点になっているそうだ。

沈下橋の向こう側からの視点、発想とは?

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「年に何回か集落のみんなで一斉清掃するんやけど、オレはカラがデカいんで、四万十川の中のゴミ拾いやなくて、川沿いの木々に引っ掛かってるレジ袋を棒で取る役で、これが枝に絡まってしまうとなかなか取れへんのや。でな、僕らの子供の頃はどこの店屋に行っても、焼き芋でもなんでも新聞紙に包んでハイ!やったやろ?川を汚さんように、四万十流域の産品は新聞紙で包もうや、と云うたら、みんなが賛成してくれて、『しまんと新聞ばっぐ』ができた。これも何回もコンクールやってたら、次々にオモロいアイデアがでてくるんや。」

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「それから、四万十流域は植林したヒノキが多いんやけど、木材需要が減って、山も荒れている。売れへん、売れへん、ゆうてるだけやったらアカンやんかと、ヒノキを木材でなく『香り』ととらえ、端材や間伐材を活用して、10cm角の小さなヒノキ板に焼き印を押して、天然のヒノキオイルに漬けたのをユニットバスに入れたら、香りだけでもヒノキ風呂に変えてしまえるやろ?それを浴用芳香剤『四万十のひのき風呂』という商品にして売り出したら、企業がノベルティでも買ってくれたりで、3億円以上も売れてる。ヒノキオイルも四万十でつくってるんやけど、オイル1Lつくるのに1tもヒノキがいる。売れれば、間伐も進んで、森林の保全、再生にもつながるというしくみや。」

これらが、沈下橋の向こう側からの視点、発想だそうだ。

高知県の森林率は84%で日本一、見方を変えれば…

「『はちよーん(84プロジェクト)』もそう、高知県の森林率は日本一で84%もあるけど、山ばっかりというマイナスのイメージやろ?実際、製造品出荷額は全国最下位や。でもな、見方を変えると、CO2の巨大な吸収装置があって、自然の恵みが多くて、あらゆる産業に使える天然資源はニッポンイチや。」

「84プロジェクト」のコンセプトは「森林をタノシクする」。森林率の高さをむしろ誇り、その大切な財産である森林をはじめ、自然環境を守るためにも、高知県から新しい環境ビジネスを起し、森林まるごとブランド化するプロジェクトで、まず、知ってもらうために、山で働く男たちのユニホームの背中に「84」を入れた。

山仕事をするオヤジに「その数字はなんですかぁ~」と聞く。オヤジは振り返り「高知の森は、日本一の84はちよんヨ!知っちょきや~」と答える。ユニホームに84を入れるだけでオヤジは元気になる。(「ニッポンの風景をつくりなおせ」より)という訳だ。

原則として「高知県でとれた材木(84材)、農畜産水産物(84食材)、加工食品(84食品)に関わること」という基準があるが、「84はちよん作業着」、「CO2のカンズメ」 「間伐84はちよんデスクキット」、「84はちよん大工の家」、「84はちよんジビエ」等、ユニークで魅力的な商材が次々と生まれている。

被災者と社会をつなぐパイプをつくらんとアカン

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東日本大震災後に岩手県、宮城県南三陸町等を訪れ、その惨状に、「被災者と社会をつなぐパイプをつくらんとアカン」という思いが込み上げてきたそうだ。

そこで、被災者と支援者は対等という思いを込めて、「ツクルシゴトツクル」というキャッチフレーズで、「しまんと新聞ばっぐ東北プロジェクト」を進めておられる。仮設住宅や避難先で暮らす被災者が古新聞で新聞バッグをつくり、協賛する企業にノベルティとして購入してもらい、その売上の中から被災者への収入を還元するしくみだ。

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「預金してくれたからゆーて、日本の銀行がどこの国でつくったかもわからん、訳のわからんもんをお客さんに渡しとったらアカンと思わん?ノベルティひとつにしても同じお金を使うなら、社会貢献とか企業の姿勢が伝わるもんの方がええやろ?この前、メガバンクから興味があるので会いたいという連絡があってな、今度、東京に行くんや。こんなんがどんどん拡がって行ったらええやんか?ほら、古新聞バッグを入れるパッケージもできてて、これやったら海外の企業にも使てもらえるやろ?」

「東北の支援も四万十、高知で発想したアイデア、活動を活かしてるだけなんや。84(はちよん)もそうやろ?高知の山を立て直せたら日本中の山も立て直せるやんか?原点は全部ココにあるワケや。」

都会に行かず、高知で仕事を続けるワケ

「何でもかんでも東京の価値観に合わそうとするから、地方の個性が失われるんや。都会からやって来て、地域プロデューサーとかを名乗っとるのがおるがやろ?オレから言わしたら、何やそれ?おこがましいちゅーがよ。その土地に根付いて、暮らして、働きもせんと、ちょっと見ただけで、そこの何がわかるがか?そんなんとかコンサルとかを有難がって、何でも頼りたがる地域の人もイカン。自分らの考えを持たんのがアカン。」

「何で高知で仕事してるかって?ここに住んで、ウチの畑で野菜も作って、仕事をしているから、高知のマーケティングやデザインの素は身に染み付いちょるきに。四万十にも5年住んだからこそ、わかることもある。ローカルの仕事は、ローカルの環境、生活、価値観や考え方がわかって、依頼者と同じ目線に立たんとええもんはできんし、都会に移す理由は何もないやん。」

確かに、地方には、都会で生活、活動していては、見えないこと、気づかないことがたくさんある。里山が人工林であることすら知らない都会人も多い。「風景を見ればその国の豊かさがわかる。」という梅原さんの残したい日本の風景とは、ただ美しい景観ではなく、地域とその文化、産業を創り、育ててきたのは人であり、そんな人々の営みや地域への熱い思いが醸し出している風景のような気がする。だからこそ、地方を支えてきた「一次産業を何とかしたい。」と思っておられるのだろう。

そういう仕事でオレのギャラはどこから貰ろたらええねん?

「でもな、ひとつ問題があるんや。そういう仕事でオレのギャラはどこから貰ろたらええかゆーことや。」

「そりゃー、東北支援の事業で梅原さんがたんまり儲けてるとなると美しくありませんよね。全国どこでも使えるええネタやし、こういうことが拡まらんようでは、日本もいよいよですよ。一次的にはお金にならなくても、同じことをやりたいところは出てくるはずですから、二次利用からはきちんとロイヤリティを頂いても誰も文句いわんと思いますよ。」

「ま、それはそうやな。新聞紙ばっぐも、ひのきの湯もいろいろ試行錯誤してやってきて、それなりのノウハウは蓄えてるし、似たような形はマネできても、オリジナルの志はマネできんからな。」

「その通りやと思います。そうそう、お会いする前に、梅原さんのことをネットで調べたら、TV番組に取り上げられたことがたくさんヒットしましたよ。」

断り切れんで、TV番組の取材を受けたら…

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「それやがな、それがやな、たいへんやったんや。そうなるのはわかってたんで、TVの取材は断ってきたんやけど、どうしても断り切れんで、去年(2012年)、某局の取材を受けて、番組が放送された途端に、案の定、電話がじゃんじゃんかかってきた。仕事にならんので、電話に出んかったら、今から羽田から高知に向かいますなんて留守電に入れてくる人まで現れて、電話を切っておいたら、顧客からは何で電話がつながらんの?と怒られるわ、結局、丸一年、仕事になれへんかったわ、ガハハハ。」

「人気者はつらいよ」だ。

「自分のモノサシ」を持つこととは?

梅原さんは、都会にあるもの・価値観と比べて、「この地域には何もない」、あっても「こんなものしかないから、売れるはずがない」、「ここは寂れてしまってどうしようもない」、・・・と、勝手に思い込み、ネガティブに考えて、コンプレックスにしてしまう人が地方には多すぎると指摘する。

それは、「他人のモノサシ」で相対的に見ているからで、絶対的な「自分のモノサシ」で見れば、その地域の大切な個性やすぐ足元にある宝(かけがえのない価値)が見えて来て、今までマイナスだと思っていたことをプラスに変える発想も生まれるはず。そんな「自分のモノサシ」を持つことこそが、「真の豊かさ」だとおっしゃっている。

「考え方をデザインする」というのは、どう考えていくかをデザインすることだそうだが、根本的な考え方(従来型の間違った常識・思い込みも含めて)をポジティブな方向に変えることなのかもしれない。

「コミュニケーションデザイン」とは?

売れない商品とは、消費者とのパイプが上手くつながっていない状態で、デザインの力で消費者との間にパイプをつなぎ、太くすることで、コミュニケーションを生み出し、売れるようにすることが、「コミュニケーションデザイン」だそうだ。

梅原さんは、現場に何度も足を運び、依頼者とのコミュニケーションを重ねることからデザインを生み出しておられるそうだが、依頼主とのパイプが太くなればなる程、依頼者と消費者とのパイプも太くなるのだろうと拝察する。

梅原さんのデザインに共通しているのは、パッケージやネーミング、キャッチも「えっ、何やこれ?」、「おっ、何かおもろそう」、「どんなんやろ?」、「うまそ〜、どんな味やろ?」と、手にとって、中身を覗きたくなったり、食べてみたくなるものばかりだ。それが「コミュニケーションのスイッチが入った」状態だそうで、んー、マンマと梅原さんの術中にハマってしまっているではないか…。

コミュニケーションスイッチが入る仕組み

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梅原さんは、勤めを辞める前後に、東京・八重洲の宝くじ売り場で、「黙って買う」、「祈る」、「当る」という3枚の貼紙をした売り台にホッカムリしたおばちゃんが座っているのを見かけて、思わず買ってしまったそうだ。3枚の貼紙の特に気が利いている訳でもないごく当たり前な言葉とそのおばちゃんを含めた売り台全体の雰囲気に人を動かす力があることを実感したという。それが、今の梅原さんのデザインにも通じているのかもしれない。

先述した「絵金蔵」も、「赤岡絵金祭り」当日と同じように、町中の灯が消された真夏の夜、提灯を持ってまちを歩き(展示室に入り)、ろうそく(のような)の明かりだけで絵金の屏風絵を見るという疑似体験ができる趣向が凝らしてあるので、あの何とも怪しげな屏風絵のおどろおどろしくも美しい独特の雰囲気と、当時の大衆はこういう絵を夜な夜な見て楽しんでいたのか、というのがそれとなく伝わって来るのだ。明るい白い壁の近代的な美術館で照明を当てて整然と並べて見せられたら、「うわっ、何やこれ、えげつない絵やなぁ。ちょっと薄汚れているし…。」というような、全く違う印象を持つかもしれない。

それに、穴からホンモノを「チョットだけ」覗き見ることができるワクワク、ドキドキ感の演出も、実際にその祭りの中で23枚全部見たくなる動機と「まちを元気にしたい」と「絵金蔵」をつくったまちの人たちの思いにつなげるコミュニケーションスイッチが入るように仕組まれているように思う。

絵金の絵も赤岡のまちの風景の中にあってはじめて絶対的な価値と輝きを放ち、まちの人たちの思いと相まって、それこそが、まちの風景そのものであるという梅原さんのメッセージが伝わってくるように感じた。

そもそも、デザイナーの仕事って?

と、そんなこんなで、最終コーナーにまで話が進んできて、この期に及んでなのだが、「ん?梅原さんのやっておられる仕事って、デザイナーの仕事なの?デザインって一体何?」という素朴な疑問が沸いてくる。

日本語になっている「デザイン」というと、ファッションデザインとか、インテリアデザインとかをイメージするように、狭義の「図案」や「意匠(物品の外観に関する形、模様、色彩、又はこれらの組み合わされるもの)」と、世間一般に認識されているように思うが、梅原さんは、デザインの役目は、新たな価値を生み出す社会構想と問題解決だ、とおっしゃっている。

梅原さんは、フリーになって独立する時に、肩書きを何にするか考えたが、ピッタリくるものがなかった。そこで、ただの「デザイナー」にして、自分の仕事を通じて、新たな「デザイナー」の意味、「デザイナー」像を創ってしまえばええやんか、と使い始めたという。

梅原さんのところにやってくるのは、「魚・農産物・ものが売れない」、「一本釣り鰹漁がなくなる」とか、「会社が潰れる」、「村の存続の危機だ」等、切羽詰まった状況でやってくる地方の農林水産業に関わる依頼主ばかりで、パッケージ等の外観や見せ方をデザインするだけでは、とても解決できない。人生相談から始めて、現場の状況を把握し、売るにはどうすればどうすればいいか、問題解決の方策を考え、売れるまでのプロセスをトータルでデザインしてこられたそうだ。

それって、コンサルタントとかプロデューサーの仕事では?

コンサルタントは顧客の相談に応じて、問題解決の方策を助言したり、提供する仕事で、プロデューサーは予算管理も含めてチーム全体を統括するのが職務。何せ、どの依頼も予算がなく、チームをつくる余裕等どこにない。

コンサルタントやプロデューサーの仕事はもちろん、その下でチームを構成するコピーライター、イラストレーター、グラフィックデザイナー、フォトグラファー、・・・、それらを束ねるアートディレクターから、現地調査、マーケティング、商品企画・開発、販売計画、事業全体のディレクションまで、人に頼むとお金がかかるので、何でもほとんど1人でこなしてきたそうだ。

今は事務所にスタッフもおられるが(梅原さんを含めて3〜4人)、その必要最小人員で、数々のヒット商品を生み出して来られたのだから驚きだ。そんなスーパーマンみたいに何でもできる器用な方には、出会ったことはないし、何という職業と呼べばよいのか思いもつかない。

“design”の本来の意味

「阿蘇地域振興デザインセンター」におられた坂元英俊さんと以前から付き合いがあったので、デザインには別の意味があるのは知っていたが、改めて、“design”を辞書でひくと、「ある目的または、問題解決のために、効果が期待できるように思考・概念の組み立てを行い、具体的に立案・計画して、それを様々な媒体に応じて表現すること」というのが本来の意味のようで、「おっ、これは梅原さんのやっておられる仕事とピッタリ合致するやん?」と思った次第である。

ま、でも、それはともかく、「梅原さんのモノサシ」で、それが「デザイナー」なら「デザイナー」であって、他人がとやかく言うのは、大きなお世話なのである。

COREZO(コレゾ)賞の軸ってどこなん?

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2013年6月、人脈の広い梅原さんに2013年度のCOREZO(コレゾ)賞候補者に関して、ご意見を伺い、できれば、ご紹介も頂きたいという大義名分で梅原さんを再訪した。山田さんにもご一緒頂く予定だったが、事情があって一人で伺った。ご挨拶をして、各方面からご紹介頂いた高知県内の候補者リストをお見せすると、

「COREZO(コレゾ)賞の軸ってどこなん?おまんのやりたいことって一体、何やの?事業の軸はブレたらアカンやろ?」と、いきなり厳しいツッコミが入ってきた。

「ええ、まぁ、そのーっ、えーっと・・・、この通り、ボーッとしていますが、人を扱う会社に勤めておりましたし、取材を重ねて来て、その方にお会いして、話を伺って、現場を拝見させてもらえば、COREZO(コレゾ)賞に相応しいかどうかは、だいたいわかるようになりました。権威なし、名誉なし、賞金なしのなんの役にも立たない、また、得にもならない賞ですが、受賞頂いた皆さんの人物と志、その活動こそが、この賞の値打ちの全てなので、決しておちゃらけにならないよう、わかる人だけにはわかってもらえるように、取材と選考には全力で取組んでいます。ご相談というのは口実で、今日は、来られなかった山田さんの全権委任も受けて、今年の12月7日の予定は空いておられるかを尋ねに参りました。」

「ん?今んとこ空いてるけど、どういうこと?」

「梅原さんにもCOREZO(コレゾ)賞を受賞して頂きたいというお願いです。」

「えっ、オレがか?ガハハハハ、ま、わからんヤツらには、ばかばかしいとしか思われんようなことを本気でやってるのは、それなりの価値はあるわな。悪い意味とちゃうんやで。それで、今年も大歩危でやるの?山田さんも来るんやろ?ウチから近所やし、別にええよ。」

と、なんとか受賞のご承諾を頂き、「ところで、四万十ドラマの畦地さんにだけには、是非、お会いしたいのですが、ご紹介頂けませんか?」とお願いすると、「近々、東京に一緒にいくんやけど、畦地はひと足先に行く、ゆうとったなぁ、いつ行けるや?」と、その場で電話をして、訪問日時を決めて下さった。

COREZO(コレゾ)「ローカルの志と本気をカタチにする正義のヒーロー、行動で示し、デザインの力で日本の大切な風景を残す、土佐のいごっそうデザイナー」賞である。

後日談1.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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表彰式当日は宮崎出張で、高知空港から駆けつけて下さった

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梅原真さん×山田脩二さん「時事放談」
「グローバル化よりローカルの独自性」梅原さん
「まちおこしなどせずに、寝かして熟成した方がいい」山田さん

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懇親パーティー

梅原 真(うめばら まこと)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2013.07.14.

最終取材;2013.12.

最終更新;2015.03.12.

文責;平野 龍平

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