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COREZOコレゾ「妖怪でまちおこし、夫婦、親族、地域住民一丸となっての地域活性化活動」賞
中島 義憲(なかしま よしのり)さん・真智子(まちこ)さん
プロフィール
株式会社妖怪村 代表取締役
受賞者のご紹介
「コナキジジイ」の伝承発祥地
2016年(平成18)年、四国の真ん中あたりにある、景勝地の大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)を有している山城町は、三好郡内の5町村と合併(新設合併)して市制施行し、三好市となった。
山城町の藤川谷の環境美化に取り組んでいたボランティア団体「藤川谷の会」が、1998年頃から、地域に数多く残る妖怪の話の掘り起こしをしようと、地元のお年寄り他から妖怪伝説の聞き取り調査を始めた。
すると、小さい頃、川原で「山じじ」という妖怪と遊んだことがあるという老婦人がいたり、「からす天狗」、「一ツ目入道」、「エンコ(カッパ)」等、地域には30以上の妖怪伝説が残っていることがわかった。「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する「こなきじじい」とそっくりの話もあった。
民族学者の柳田邦男さんが編纂した「妖怪名彙(1938)」に紹介された日本全国の妖怪の中に、「児啼爺(コナキジジイ)」の記載があり、漫画家の水木しげるさんもこの記述から発想して創作したという。
しかし、伝説発祥の地は「阿波の山分(さんぶん・山間部)の村々」との記述のみで、特定の場所は謎だったが、1999年に「山城町上名平(かんみょうたいら)」に伝承が残っていることが判明し、場所が特定された。
徳島の郷土史研究家の多喜田昌裕さんは、柳田邦男さんに師事していた民俗学者の武田明さんが「山城町上名平」を調査していたことを突き止め、実際に現地調査にも行くと、「駄々をこねたら、山からコナキジジイが『泣く子』が欲しいと連れにくるぞ。」とよう言われたと記憶していた年長者を取材することができた。
2001年、全国に知られている「コナキジジイ」の伝承発祥地が山城町であることを後世に伝えようと、活動を開始、柳田邦男さんや武田明さんのご遺族の協力、水木しげるさん、直木賞作家の京極夏彦さんの支援をはじめ、日本全国から寄付が集まり、山城・大歩危の藤川谷に「児啼爺」の石碑を建立した。
また、山から下りてくるという伝承から、コナキジジイが居ると思われていたのは上名平北側の山の方だろうということで、あざみ峠に「児啼爺発祥の地」の記念碑も建てられ、「児啼爺」は、旧山城町が商標登録もした。
「四国の秘境 山城・大歩危妖怪村」発足
「四国の秘境 山城・大歩危妖怪村(以下、妖怪村)」は農水省の発掘支援事業へのエントリーと水木しげるさんが会長を務める「世界妖怪協会」の「怪遺産」登録を目指して、「藤川谷の会」が中心となって、2008年に発足した。
「怪遺産」とは、後世に残したい妖怪文化の普及に貢献した地域などを対象に世界妖怪協会が認定する登録制度だそうだが、見事、2008年に水木しげるさんの生まれ故郷の鳥取県境港市に次いで2番目に認定され、山城町で行なわれた認定式には、妖怪協会を代表して京極夏彦さんもお祝いに駆けつけたそうだ。境港市とは妖怪を通じた交流が続いているとのこと。また、発掘支援事業は2年間、支援を受けることができた。
山城町もご多分に漏れず、少子高齢化、過疎化が続いている。これをきっかけに、「妖怪」をまちおこしの起爆剤にしようという気運が高まった。
「妖怪村」が中心となって、「児啼爺」の石像が建つ藤川谷沿いにその地域に出没したといわれる妖怪たちのモニュメントを手作りで製作し、設置した。今では大歩危から「児啼爺」の石像まで、片道約2.5kmの手軽な散策コースになっている。
「道の駅 大歩危」に「妖怪屋敷」をオープン
2010年には、市等に働きかけを続け、地道な活動も認められて、市の3セクが運営する「道の駅 大歩危」に、「妖怪屋敷」をオープンした。妖怪屋敷の展示品は妖怪伝説の残る周辺の6地域にお住まいの7~80歳代の有志の皆さんが、郷土の風土、伝説を残したいという思いを込めて、全て手作りされたもので、「妖怪村」の妖怪製作担当メンバーが各集落を指導に廻ったそうだ。
入場ゲートの「野鹿池の竜神」に出迎えられ、「山じち」、「のびあがり」、「夜行さん」等、山城町で伝承が確認されている50種以上の妖怪のうち、約40種が人形や着ぐるみで再現、展示されている。再現といっても、伝承なので何の資料も残っていない。おじいちゃん、おばあちゃんが、ああだった、こうだったと言うのをメンバーの皆さんが想像力を働かせて創作されたそうだ。
どれも妖怪の名前とイメージがピッタリで、どことなくユーモラスな雰囲気もあるのだが、「コワーイ!お父さん大キライ!」と、大声で泣きじゃくっていた年少さんぐらいのお嬢ちゃんもおられたり、小さなお子さんにはちょっと刺激が強いのかもしれない。
木彫や発泡スチロールで作っておられるそうだが、どれも素人の手作りとは思えない程の出来映えだ。妖怪製作担当メンバーの皆さんは、「何体も作っているうちに、上達するし、自分たちの納得できる物ができると、さらにいいものを作ろうとつい熱が入ってしまう。」とおっしゃる。
中でも「妖怪屋敷」の吹き抜けになったメインの展示場の壁を飾る「閻魔大王」は大作だ。大きな発泡スチロールのブロックをいくつもつないで作ったそうで、製作者ご自身も「自分でもようできたと思う。」とおっしゃるのも頷けるプロの大道具さんも顔負けの力作だ。
妖怪の人形や着ぐるみはほとんど送料と維持費原価程度という良心的な料金で貸出しもしていて、地元の学校やイベントだけでなく、遠くはナゴヤドーム等にも遠征しているそうだ。貸出しをすれば「妖怪村」や当地の宣伝にもなって大歓迎だが、どうしても塗装が剥げたりして戻ってくるので、修復作業が結構大変とおっしゃる。「妖怪屋敷」の展示品は、貴重な資料でもあるので、むやみに触ったりせず大切にご覧頂きたいとのこと。
法螺貝を吹きまくって、「妖怪」と「法螺貝」をPR
妖怪村では、妖怪伝説の残る山城町や大歩危をもっと知ってもらおうと広報活動、イベントにも積極的に取り組んでおられる。
「妖貝法螺吹き隊」は、山城町と祖谷のメンバーで構成され、妖怪と法螺貝をこよなく愛するグループで2008年度に結成された。編み笠と唐草模様の衣装を纏い「妖怪村」のイベントを始め、様々なイベントに登場し、法螺貝を吹きまくって、「妖怪」と「法螺貝」をPRしている。随時、実施される法螺吹き体験は、滅多に体験できないとあって大人気。メンバーの優しい指導で、「ブオ〜ッ」と音が出ると、皆さん大喜びだそうだ。
JR四国とタイアップした企画列車「妖怪トロッコ列車」にも妖怪たちが登場する。LED照明で飾られたトロッコ列車が夕刻、阿波池田駅から大歩危駅に向けて出発すると、途中駅に停車する度に妖怪たちがぞろぞろと乗り込んでくる。チビッコたちは大はしゃぎで、トロッコ車両内は記念撮影大会と化してしまう。家族連れに大人気の企画だ。妖怪の着ぐるみに入っているのは皆さん、地元のボランティアたちだ。
その他にも藤川谷沿いを妖怪伝説語り部の話を聞きながら妖怪と一緒に歩く「妖怪ウォーキング」や映画「ナイトミュージアム」にヒントを得て、夜の「妖怪屋敷」をガイドと探索する「妖怪屋敷ナイトミュージアム」や肝試し大会等を実施する「妖怪屋敷夏祭り」を企画、開催している。
「妖怪村」の最大のイベントが「妖怪まつり」
そして、「妖怪村」の最大のイベントが2001年から毎年11月20日前後の日曜日に藤川谷公園で開催されている「妖怪まつり」である。
普段は地域のコミュニティバスが運行されている以外は、地元の人が時たま車で通行するぐらいで、夜になれば本当に妖怪が出そうな寂しい場所だが、年々、盛況になっていて、この「妖怪まつり」の日ばかりは、周辺は他府県ナンバーの車で溢れ返り、都会の歩行者天国以上の賑わいだ。
地元の特産物や名産品を販売するバザーや手作りの飲食屋台が出店される。角切りにしたイノシシ肉と地元の野菜がたっぷり入った味噌仕立ての妖怪汁等が人気だ。
手作り妖怪コンテスト、妖怪に扮したバンド演奏や、妖怪踊りが披露され、大道芸等で大盛り上がりだが、メインイベントは妖怪パレードだ。山伏を先頭に20体以上の妖怪たちが練り歩く。観客たちの歓声とともに、あちらこちらで記念撮影大会が開かれて、時折、コミュニティバスの通行で中断されるのもご愛嬌、地元の上名小学校の子供たちの龍神を載せた御神輿もあったりで実にホノボノしたお祭りだ。
2014年、「怪フォーラム」が「妖怪まつり」の日程に合わせて、山城町の大歩危で開催され、藤川谷にも多くの人々が詰めかけた。
妖怪話は、山の中で安全に暮らす生活の知恵
「人に来てもらうにはここの魅力や特徴を見つけんとイカンなということで、いろいろ調べとったら、妖怪の話をするじいさん、ばあさんが沢山おってね、ここには賢見さん(賢見神社・山城町にある憑き物祓いで有名な日本一社の神社)もあるだろ?昔からそんな土地なんかもしれんと思ってね、さらに郷土史研究家の人らと一緒に調べたら、妖怪の話がたくさん残っていました。」
「この辺は『さがしい(山が険しい)』ので、危険とはいつも背中合わせで、崖から落ちたり、川で溺れたり、ちょっとしたことが命に関わる。危ないところに家を建てるな、近づくな、夜道を歩くなという当たり前の戒めを子供たちが言うことを聞くように妖怪話にしてきたのでしょうね。山の中で安全に暮らす生活の知恵みたいなもんです。この土地の歴史、風土、文化を伝える大切なもので、消滅せずに残っていたことにも大きな意義があり、僕らも次の世代に引き継いでいきたいと思っています。自然破壊が進んでいる現代にも通じる、山や川をむやみに荒らしてはいけないと自然の尊さを諭す妖怪話もあるんですよ。」
「妖怪村はボランティア団体なので、報酬も何もありません。ただ、地域を何とかしたいという気持ちだけでやっています。でも、皆んな、地域が少しでも良くなればと楽しんでやっています。楽しいから続けられるんです。事務局は、一人でも多くの皆さんにこの地域を訪ねてもらうこと、収入役は、妖怪グッズを企画、製作、販売したり、妖怪ガイドを養成して収入を得たりして、この会が存続出来るようにすることが役割です。」
「妖怪村そばクッキー」、「妖怪ストラップ」、「妖怪茶」、「妖怪丼」等、地域では数々の妖怪関連商品が生まれている。
「妖怪や妖怪村の活動に興味を持った皆さんには、是非一度、訪ねて欲しいんです。最初は興味本位でもきっかけは何でも構いません。いっぺんでも来てもらわんと何も始まりませんから。妖怪伝説が生まれ、伝承されて来たところがどんなところなのか、この険しい自然の地形や山肌にしがみつくように生活して来た人々の暮らしもご覧頂き、できれば僕らも少しでも話をさせてもらって、背景も感じてもらえたら嬉しいですね。妖怪村の活動を通じて、ここのフアンになって下さる方を増やし、また訪れたいと思って頂けるような地域にしていきたいと思っています。」
株式会社妖怪村
「児啼爺」の商標登録をしていた旧山城町が合併でなくなるため、「藤川谷の会」と「四国の秘境 山城・大歩危妖怪村」の会員の皆さんが出資、中島義憲(なかしまよしのり)さんが代表取締役に就任し、「株式会社妖怪村」を設立して、商標権を継承し、妖怪関連商品に商標の貸し出し事業を行っている。
実は、「藤川谷の会」会長と「四国の秘境 山城・大歩危妖怪村」村長は、宮本敬(みやもとたかし)さん、それぞれの会計、監事は、中島真智子(なかしままちこ)さんであるが、お二人は、中島義憲さんの義兄、奥さまである。
地域人口が減少する中、夫婦、家族、親戚が総出、掛け持ちで地域活動を維持しておられることが分かる。
年々、増加しているインバウンド観光客と妖怪のおかげで、地域は賑わうようになったが、地域活動を継続していくには、都会から戻ってきた地元の若者たちがもっと積極的に参加したくなるような、ボランティアで終わらせない仕組みづくりに日々取り組んでおられる。
COREZOコレゾ「妖怪でまちおこし、夫婦、親族、地域住民一丸となっての地域活性化活動」である。
取材;2019年8月
最終更新;2019年11月
文責;平野龍平
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