中西 謙介(なかにし けんすけ)さん/梅古庵 代表/烏梅(うばい)職人

COREZOコレゾ 「生涯ここで暮らすなら烏梅を忘れるな 売れても売れなくても梅を焼け 家訓を守り 700年前に伝わった烏梅をつくり続ける 日本で唯一の烏梅農家十代目」 賞

中西 謙介(なかにし けんすけ)さん/梅古庵 代表/烏梅(うばい)職人

プロフィール

奈良県奈良市月ヶ瀬 梅古庵 代表

烏梅(うばい)職人

烏梅(うばい)

「烏梅(うばい)」をご存じなのは、草木染をやっている方や薬膳に詳しい方ぐらいだろう。

東京會舘の鈴木前総料理長(現顧問)から教えてもらったと云う「烏梅(うばい)」をこめみそしょうゆアカデミーの堀田雅湖さんを通じて知り、興味を持ってから約3年、ようやく機会を得て、奈良県の旧月ヶ瀬村(現奈良市)におられる唯一の生産者である中西さんを訪ねることができた。

「烏梅」とは、烏梅とは完熟した梅を燻蒸して乾燥させたもの。

「烏梅」は、約1400年前に遣隋使、遣唐使により薬として奈良に伝えられ、その後、梅には「クエン酸」が多く含まれていることから、紅花染めや化粧の口紅用の「紅」の色素を紅花から取り出す際に「媒染剤(ばいせんざい)」としても使用されるようになった。 

「媒染剤(ばいせんざい)」とは、繊維に色を定着させる薬剤を指し、紅を定着させ、色鮮やかに発色させる役割を果たす。

「烏梅」が月ヶ瀬梅林に伝えられたのは南北朝時代のことで、元弘元年(1331)、後醍醐天皇が敗戦落城の際、この地に逃れた近侍の女官達の一人が月ヶ瀬の梅を見て、助けてもらったお礼に、と烏梅の製法を教えた。烏梅を京の都に送ると高値で取引され、米より収入が良かったため、村人たちは競って梅を植え、烏梅づくりに精を出した、と伝えられている。

月ヶ瀬

「旧月ヶ瀬村」は、奈良県の北東端に位置して、三重県に接し、村内を東西に流れる名張川が渓谷を形成している。最寄り駅の「月ケ瀬口」へは、JRで名古屋から約2時間、奈良から約1時間。

2005年(平成17年)、奈良市に編入されて、住所表記は、月ヶ瀬村から奈良市月ヶ瀬になった。

古来、梅の名所だったが、後に梅からの転作で大和茶の生産でも有名になった。

梅古庵(ばいこあん・奈良県月ヶ瀬)

日本で唯一の烏梅農家

最盛期には月ヶ瀬地域で400軒以上もの烏梅農家があったが、明治以降、西洋から安価で手間の少ない化学染料が輸入されるようになると需要は激減し、烏梅を生産する農家も次々と養蚕や製茶業へ転身せざるを得なくなった。戦後には、中西さん1軒のみとなってしまったが、「生涯ここで暮らすなら烏梅を忘れるな。売れても売れなくても梅を焼け。天神様が守ってくれる。先祖からの言い伝えだ。」という家訓を守り、第十代も勤めを辞めて家業を継がれたそうだ。

烏梅の製造現場(製造は梅の完熟時期)

中西さんのお祖父様の案内

掘り込んだ炉に火をおこし、煤をつけた梅を竹の網に載せて燻す その際、蓋にかける筵も燻されている

木蓋の下は1mほど掘り込んである

梅を載せる網も燻されている

燻す薪はクヌギを使う

紅花染め

出迎えてくださった中西さんが着ておられるのが紅花で染めたシャツで、鮮やかなピンク色が美しい。

紅花染めは、化学反応を利用して行われ、まず、黄色~オレンジ色の紅花から、アルカリ性の灰汁で紅色(紅花に含まれる色素の内1%程度)を分離し、その後、烏梅(クエン酸)で繊維に紅色を染着する。

 現在、伝統技法を守る数少ない染色家のみが烏梅を媒染料として用い、手間暇をかけて染色を行っているが、特に、烏梅を媒染料とした紅の色は鮮やかで美しく、化学染料では出すことができない発色で、染色を繰り返すことでより濃い紅色となる。

奈良東大寺二月堂「お水取り」の「花ごしらえ」

奈良東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、国家や万民のために幸福を願う宗教行事として創始されて以来、令和5年(2023)で1272回を数え、「お水取り」、「お松明」という名で親しまれ、春の訪れを告げる行事として知られる。

その修二会の際には、僧侶が和紙で椿の造り花をつくり(花ごしらえ)、十一面観音にささげるのだが、その和紙を発色の良い深紅に染め上げるために、古来、この烏梅が使われてきたそうだ。

 一日3kgの紅花を水に浸けこみ、翌日、黄水洗いをして、藁灰の灰汁で揉み込んで赤色を抽出し、米酢を入れて木綿に染め、それを再び少量の灰汁に入れて濃い紅色にして、次に烏梅で発色させる。

 翌日、それを羽二重の上に流して、その上に残った輝くような紅の泥 (艶紅) を集めて、和紙に塗ることを4〜5回繰り返し、濃い紅にするのだが、和紙3枚染めあげるのに、3kgの紅花が必要とのこと。

「紅」とは、紅花から抽出される赤色色素を指し、江戸時代、化粧に用いられた色は、赤(紅)、白(白粉)黒(眉墨・お歯黒)の三色しかなく、有彩色の紅は、唇はもとより、頬、目元、爪、化粧下地としても女性の顔に彩を添えた。

当時、紅は、猪口や皿、椀、貝殻などの内側に刷かれた状態で市販されており、絶世の美女の名前にあやかって売り出された「小町紅」は、女性たちの乾いた状態で玉虫色に輝き、この輝きが良質な紅の証とされ、女性たちの憧れだったそうだが、その輝き形成の仕組みは現代科学をもってしても未だ解明されていないとのこと。

今も1825年創業の老舗が伝統製法を守って作り続ける、その玉虫色に輝く「小町紅」1つには、紅花約1,000輪必要で、海外高級ブランドの口紅よりも高価にも関わらず、何故か国産の烏梅は使われていないそうで、中西さんは、紅花も自家栽培して、烏梅を媒染剤に使った「口紅」を開発中とのこと。

烏梅茶

調べたところ、中国や台湾の「烏梅(うばい)」は、梅の実が熟す前の未熟なうちに収穫して燻すそうだが、月ケ瀬では、完熟して落果した直後の梅を使うそうで、烏梅茶は、鍋で煎じるか、水出しをして飲むが、燻蒸後、天日乾燥しているせいか、梅干しのような酸味はかなりマスキングされていて、スモーキーな風味もある。

煎じる場合、烏梅1粒に対して300ccの水を入れて鍋で煎じ、沸騰してから5分が目安で、酸味のお好みで煮出し時間を調節し。2~3煎可能。

水出しの場合、烏梅1粒に対して1ℓの水を入れて、冷蔵庫で24時間浸す。

生薬の「烏梅(ウバイ)」には、クエン酸の他、コハク酸、リンゴ酸、酒石酸などの有機酸やオレアノール酸などの成分が含まれ、主に健胃整腸に用いられてきたそうだ。

中国や台湾で飲まれている「酸梅湯(さんめいたん)」は、烏梅、山査子(さんざし=バラ科ミサンザまたはサンザシの成熟果実)、甘草(カンゾウ=ショ糖のおよそ150倍の甘味を有するといわれているグリチルリチン酸を多く含む)、陳皮(ちんぴ=ウンシュウミカンの果皮)、桂花(けいか=キンモクセイ)、洛神花(らくしんか=ハイビスカス)などを組み合わせてつくった飲み物で、烏梅の強い酸味が抑えられ、甘酸っぱくて爽やかさもあり、汗をたくさんかく季節や場所では、火照った身体の熱をクールダウンし、潤いを与える(薬膳効能のある)お茶とされている。

中西さんも独自の配合で「酸梅湯(さんめいたん)」をつくられているが、オススメは、烏梅茶そのものだ、とおっしゃる。

    観梅シーズンの梅古庵

    「烏梅」だけでなく、梅干し、梅エキス他の梅製品の製造販売、観梅時期(例年2月中旬から3月下旬)には茶屋の営業、また、「紅花栽培と染物」、「大豆栽培と薬膳味噌づくり」などの体験イベントにも力を入れて、烏梅の生産を続ける努力をしておられる。

    紅工房

    また、染色や紅に使う「紅花」も自家栽培しておられ、2024年4月完成予定で、口紅原料の製造、染物、収穫物保管を行う、「紅工房」を建築中とのこと。

    国産の「烏梅」を絶やさぬよう「烏梅」を使う、薬膳の烏梅茶、紅花染め、「紅」他に再注目して、応援していただきたい、と切に願う。

    COREZOコレゾ 「生涯ここで暮らすなら烏梅を忘れるな 売れても売れなくても梅を焼け 家訓を守り、700年前に伝わった烏梅をつくり続ける日本で唯一の烏梅農家十代目」である。
    取材;2023年9月
    初稿;2023年11月
    文責;平野龍平

     

     

     

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