黒田 勉(くろだ つとむ)さん/合資会社黒田旗幟店 代表

COREZOコレゾ 「大漁旗や鯉のぼり 全国的にも数少なくなった 手描き手染めの製法で、染めから仕立てまですべての工程を自前で行う 旗幟店 四代目」 賞

黒田 勉(くろだ つとむ)さん/合資会社黒田旗幟店 代表

プロフィール

愛媛県宇和島市栄町

合資会社黒田旗幟店 四代目 代表

国の伝統的工芸品産業功労者褒賞受賞、「えひめ伝統工芸士」認定

黒田旗幟店

黒田 勉(くろだ つとむ)さんは、明治37年(1904年) 創業で、鯉のぼりや武者絵のぼり、大漁旗などを製作してておられる、合資会社黒田旗幟店の代表。

同じ宇和島市の井伊商店の井伊 友博(いい ともひろ)さんからのご紹介で訪問した。

宇和島は、伊達藩で漁師町として栄えてきたこともあって、大漁旗等の需要があり、曽祖父の代から続く旗幟店の四代目で、子供の頃から手伝っていて、高校を卒業したら家業を継ぐものだと思っておられたそうだ。

旗幟の技術は、主に二代目の祖父に教えてもらったが、今は、五代目の息子さんが戻って家業を継がれ、教える立場になると大変なことが多いとのこと。

大漁旗

大漁旗は、かつては、その名の通り、大漁を知らせる目的もあったようだが、今では、船主が発注するものではなく、漁船完成・進水時や大漁・航海安全を祈願して、造船に関わった造船所や鐵工所、塗装屋、取引先、友人他が船主に贈るもので、店舗の開店時に祝いの花輪が並ぶように、進水して初航行する際に何枚(正式な数え方は旒 (りゅう)または流れ(ながれ))もなびくと見栄えが良いため、多い時には、1回に何十本もの注文が入るそうだ。取材時にも2月納期で20本の受注があるとのことだった。

往時は、大きな船だと、1度に100本の注文が入ったこともあって、船主さんが気に入ってくださるのは有難いのだが、(全て別のデザインで100本なので)色合いを変えたり大変で、それを一件やると、漁師さん気質もあって、他の船も負けられないということで、さらに注文が入るという、そんな時代もあったけど、今や、漁師さんも経営者になって、そうしないとやっていけない時代にもなっているから、「5本でいいよ」という方も増えてきた、と黒田さん。

手描き・手染めの工程

筆を使って紅で布に下絵を描く

隣り合った色が混ざらないようにするために餅米と塩で作った糊を置く

大小さまざまな刷毛を用いて染料を塗り、しっかり乾かした後、色止めの豆汁を塗り、再度乾かす

その後一晩水に浸して糊を洗い落とし、天日で乾燥させて染め上がり

特殊な作業

恵比寿さんなら、口髭、眉毛、生え際は、刷毛目やボカシを入れるので気を使うところで、髪の毛のラインやボカシを入れる際には、粘り気のある凝った染料で、柿渋と松煙を混ぜた「渋墨」を使い、顔の輪郭や濃淡をつけるのは、べんがら(酸化第二鉄を主要発色成分とする赤色顔料)を使うが、家屋の外装に塗られるだけあって、何年経っても、他の色が抜けても、べんがらだけは残っているぐらい染料としても強く、そういう染料も使って仕上げている、と黒田さん。

鯉のぼり

黒田さんは、かつての主要品目で、この辺りは10m級のものを立てる。3〜40年前は、鯉のぼり一本でやろうかという時期もあったが、10年前ぐらいから徐々に減って、昨年はほとんど注文が入らなかった。注文が入っていたら、せっせと作るのだが、作らなくなると張り合いもなくなるし、ノウハウも忘れてしまう、とおっしゃる。

まとめ

現在の取り扱いは、大漁旗と祭りやイベントの旗幟が半々とのこと。

かつてはこの近隣には、旗幟店が5〜6軒あったそうだが、今や黒田旗幟店さん1軒を残すのみ、手描き手染めの製法で、染めから仕立てまですべての工程を自社で行っているところは、全国的にも数少なくなってきたので、逆に生き残っていくチャンスでもあるが、時代の流れで、絵付けに使う、塗料や刷毛が手に入らなくなっているそうだ。

技術の継承や解決しないとならないことが、積もり積もっておられるようだが、五代目のご子息に上手く引き継がれて、創業以来変わらない手描き手染めの製法での旗幟づくりを続けていただきたい。

COREZOコレゾ 「大漁旗や鯉のぼり 全国的にも数少なくなった手描き手染めの製法で、染めから仕立てまですべての工程を自前で行う 旗幟店 四代目」である。

取材;2024年10月

初稿;2024年11月

文責;平野龍平

 

 

 

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