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COREZOコレゾ「Uターン後、地域の伝統行事・文化を守り、人知れず善行を重ねる、地域社会奉仕の鑑」賞
堀尾 芳清(ほりお よしきよ)さん
プロフィール
徳島県三好市西祖谷山村出身、在住
地域ボランティア
後山からくり襖絵保存会 副会長
大歩危駅活性化協議会 会員
妖貝法螺吹き隊 隊員
大歩危駅前1日1ケごみ拾おう会 会員
山口屋(歩危マート)キッチン会議 議員
ジャンル
地域活性化
地域振興
地域ボランティア
経歴・実績
大阪の音響メーカーでスピーカーの製造を2年程した後、東京の塗装会社に転職して、10年間、塗装職人をした後、Uターンして、地元の塗装会社に就職
40歳の時に親方から事業を引き継いで、堀尾塗装を設立する
受賞者のご紹介
堀尾 芳清(ほりお よしきよ)さんは、徳島県三好市西祖谷山村の「後山(うしろやま)からくり襖絵保存会」の副会長で、塗装会社を経営しておられる。
2011年9月、「大歩危駅前1日1ケごみ拾おう会」の清掃作業に参加して、ようやく、同会会長の山口屋社長、山口 頼明(やまぐち よりあき)さんに認めて頂き、山口屋(歩危マート)キッチン会議への出入りをお許し頂いたので、しょっちゅう出入りするようになって、しょっちゅう顔を合わせるのが堀尾さんや梅本 定久(うめもと さだひさ)さんだった。
で、2011年10月、「復活した『襖からくり』の実演があるから、見に来やがれ!」と、キッチン会議議長と議長補佐から私情命令が下り、訳もわからず、夜道、ホテルまんなかのマイクロバスで連れて行ってもらったのだが、こんな道、よう運転できるなぁ、というような険しい山道を上って、後山という集落の四所(ししょ)神社境内にある集会所に併設された「後山襖からくり舞台」に着いた。
篝火が焚かれ、厳かな雰囲気の中、なんと、開演の法螺貝はキッチン会議議長が吹き、進行役は議長補佐だった。そして、襖からくり舞台の設営、操作には、梅本さんや堀尾さんが関わっておられたのだ。
ご自宅兼、事務所には、ご自慢の盆栽がずらり
2013年9月、地元ではユーメーな凡才(盆栽?)家だと聞いて、ご自宅兼、事務所に伺って、ご自慢の盆栽を拝見してから、お話を伺った。
「自慢やないけん、趣味でやってるだけじゃ。」とのこと。
ー 元々、何をしておられたのですか?
「ワシかえ?」
ー 他に誰がいてますの?
「ハハハハ、それもそうじゃ。学校出て、大阪の音響メーカーでスピーカーの製造を2年程した後、東京の塗装会社に転職して、塗装職人を10年間、やってた。その会社はマスチック工法といって、ローラー工法の一種やけんが、吹き付け塗装みたいに飛び散らんから、公団や高層住宅の内外装の仕事で忙しかったわ。」
「それから、父親の面倒を見るためにUターンして、地元の塗装会社に就職。40歳の時に親方から事業を引き継いで、堀尾塗装を設立した。橋梁以外は何でも塗るで。」
『襖からくり』とは?
徳島県三好市西祖谷山村では、明治時代から昭和30(1955)年頃まで、村の各地区にあるお堂前の広場に、移動組み立て式舞台を設置して、襖からくりが盛んに上演されていたそうだ。その夜、使われた襖絵は、明治後期から大正時代に作られたものを修復したそうで、舞台の背景画として、裏表両面に絵風景や動物が描かれた10枚もの襖絵が一瞬のうちに違う襖絵に変わるところが見どころである。
元々、人形浄瑠璃などの舞台背景だったのが、阿波では独自の文化として発展し、人形芝居や演劇の幕間に上演されるようになったという。伝承されているからくりの技法は8種類あり、平成19(2007)年、三好市指定有形民俗文化財に指定されたそうだ。
襖からくりに関わるようになったきっかけ
ー 襖からくりをするようになったきっかけは?
「有宮神社の神代踊りって知ってるかいな?」
ー 善徳(祖谷のかずら橋がある辺り)の神代踊りですか?
「いいや、善徳は天満宮やろ?有宮神社は、こっちの徳善(JR大歩危駅に近い)にあるけん。ま、向こうの方がちょっとだけ有名かな。」
ー 善徳と徳善、ややこしいでんな?徳善の神代踊りは知りまへんけど、神代踊りって雨乞いの神事でしょ?この辺りはその神代踊りが盛んなのですか?
「いいや、今は、徳善と善徳にしか残っていないと思うけんが、こっちに帰って来て、秋の大祭に有宮さんに奉納する神代踊りに参加するようになったんじゃ。TVの報道番組の取材で、神代踊りを大歩危駅前で演じて、それで、山口屋のご夫婦と親しくなったんじゃ。あの夫婦、よう知っとるじゃろ?ボランティア好きじゃから、ワシも誘われるままに、参加するようになったんじゃ。」
「襖からくりに関わるようになったのも、とっかかりは、山口屋のご夫婦じゃ。2003年に、後山(うしろやま)集落の阿弥陀堂で、襖絵と小屋掛け舞台の部材が見つかって、徳島市出身で、各地の農村舞台の調査研究している東京理大の川上光洋という先生が調査に来られて、後山の襖からくりは全国的にも珍しいしくみで、貴重なもんであることがわかったんじゃ。」
「その先生は、プロ野球の川上憲伸投手のお兄さんらしいけど、立派な先生でな、残っていた舞台の部材と、襖絵を詳細に調べて、図面と舞台の模型まで作ってくれた。模型は、ワシが預かって保管しとる。それで、こっちに来る度に、山口屋さんで打合せをして、一緒に飲んでたんじゃわ。」
2005年の襖からくり復活公演とは?
「岩崎 是昭(いわさき これあき)さんという人が会長になって、『祖谷からくり舞台保存会』を立ち上げ、川上先生にご指導してもらって、2004年度から、文化庁の補助を受けて襖絵の修復が始まり、襖からくりは、保存するだけではなく、使い続けることによって、伝統文化の伝承ができると、復活公演をすることになったんじゃ。幸い、50年程前に公演をしたことのある人が集落に2人おって、操作方法を習って、猛練習し、2005年には、舞台を復元して、復活公演をしたんじゃ。」
ー 堀尾さんも梅本さんも復活公演に関わったんでしょ?
「そうそう、あの頃、梅さんは役場の職員じゃったから、事務局やってたけど、舞台の復元と、復活公演の準備とか、どこでやるかとか、色々あって、皆んな、大変じゃったなあ。」
ー で、その復活公演は成功したんですか?
「その川上先生と親しい浄瑠璃の鶴賀若桜掾(つるが わかさのじょう)さんという、人間国宝の方まで来て下さってな、600人ぐらい集まって、そらもう、大盛況じゃった。」
襖からくりの仕組みは8種類
ー 襖からくりの仕組みが何種類かあるようですが、操作は難しいでしょうね?
「からくりには、『田楽(レンガク)返し』、『スマ田楽』、『大田楽』、『引き分け』、『引き抜き』、『切り落とし』、『ヨド田楽』、『三ツ折れ』という8種類の操作があって、垂直軸で、水平に回転するのが『田楽返し』じゃが、祖谷独特の技巧として、対角線を軸に斜めに回転する『スマ田楽』、水平軸で大車輪のように回転する『大田楽』、『田楽返し』と『大田楽』を交互に組み合わせた『ヨド田楽』がある。」
「『ヨド田楽』では、『田楽返し』の5枚の襖は、上框の中心に麻ひもを付け、鴨居から吊るし、下框の左右に付けた紐を連結して、両側の2人で操作し、『大田楽』の襖は、重心に麻ひもを付けて鴨居から吊り、襖の上下の框にも麻ひもを付け、1枚の襖の下に1人ずつ付いて操作するんじゃ。縄と麻ひもでするけんが、操作する者同士、息を合わせにゃいかんから、そら、難しいっちゃ、難しいけんな。」
『後山からくり襖絵保存会』を立ち上げ、常設のからくり舞台を…
ー その公演は何回かやったのですか?
「いや、その時はその1日だけで、舞台も解体したんじゃ。せっかく復活公演を実現したのに、舞台を組むのも解体するのも大変で、費用も掛かるけん、その後は公演できずにおったけど、2007年、『祖谷からくり舞台保存会』を母体に、『後山からくり襖絵保存会』を立ち上げて、いつでも使える常設の施設をつくろうということになり、2009年、助成金と地区住民と出身者の寄付で、襖からくりの舞台を併設した集会所が完成したんじゃ。」
「2008年には、大手生命保険会社から、地域の伝統文化継承や後継者育成に取り組む団体として、『後山からくり襖絵保存会』に助成金を下さるというので、会長の代理で、副会長のワシがもらいに行って、舞台幕を買わしてもろたんじゃ。」
『徳善襖絵からくり舞台実行委員会』の立ち上げ
「それで、完成した年にこけら落とし公演をやって、まだ使える襖絵が残っている徳善もやらんかということになって、『徳善襖絵からくり舞台実行委員会』が立ち上がったんじゃ。徳善の会長は梅さんじゃ。」
後山も徳善も演ってる人は同じ?
ー 後山も徳善も演ってる人は同じような気がしますけど・・・?
「そうそう、人おらんけん、両方で応援し合わんとできん。だから、秋の定期公演は毎週、後山と徳善が交代でやっとるだろ?両方同時にできん事情があるんよ、ハハハハ。徳善の方は常設ではなくて、昔ながらの移動組み立て舞台じゃけん、梅さんが、設計、施工、現場監督と大活躍じゃ。」
やれるもんがやらんと地域が成り立っていかん
ー はっはーん、徳善の舞台を組む時に、堀尾さんが敷居の溝に貼ったスベリの良くなるテープを、目の前で、梅さんにひっぺがされたんですね?
「ハハハハ、そう、そう。」
ー 怒らんかったんでしょ?人間、できてはりますなぁ?
「怒ったってしゃあないけんが、梅さんには梅さんの考えがあってのことじゃろうし・・・。」
ー 山口屋さん関係以外のボランティア活動もやっておられると伺いましたが?
「三好市に登録しているボランティア団体は30団体位あってな、分担して市内の清掃奉仕しちょるけん、ワシが会長をしている団体は、32号線の国道脇が担当じゃ。他に災害復興支援募金活動も続けてるけんな。この辺りは高齢化が進んでいるし、ワシら、まだ若い方じゃし、やれるもんがやらんと地域が成り立っていかんのじゃ。」
徳善の有宮神社の神代踊りとは?
2013年10月6日、徳善の有宮神社の神代踊りを見学に行った。なんと、堀尾さんは主役の獅子舞だった。太鼓を叩いていたのが、梅本さん、法螺貝を吹いていたのが山口頼明さんで、その他の祭りを担っている方々も、前夜、見せてもらった、後山の襖からくりのメンバーとほとんどカブっているのである。それだけ、祭りの担い手も地域にいないのである。
山の上にある有宮神社に奉納した後、石段参道を下に降りて、さらに、阿弥陀堂のある広場で、獅子舞と棒を持った男衆と花笠の女衆が神代踊りを踊って広場を廻る。最後は獅子と剛力(ごうりき)が戦い、決着が付かず、今年は引き分けで、また、来年、決着をつけよう、と総代さんが宣言して、神代踊りは終わる。
「まあ、見てもろたら、この中では若手の方じゃけんが、いやーっ、さすがにこの歳になると、ずーっと中腰で獅子舞を踊るのはキツイ。」と、堀尾さんは、かなりお疲れのご様子だった。
ー 息子さんはやられんのですか?
「やらん、やらん。ワシが子供の頃は、近所の子供が皆んな集まって、屋台も出てたんじゃがな、今は子供もおらんし、他に楽しみはいくらでもあるけんな。」と、ふっと寂しそうな表情をされた。
ー 今日、見に来てる人は、外から来てると思われる人が6人、地域の人が10人弱で、踊ってる人(約20名)より少ないのは、寂しすぎますよね?昨夜の後山の襖からくりも雨が降ってたとはいえ、観客が20名程では、演ってる人のモチベーションも上がりませんよ。もっと人が来るようになれば、若い人も寄ってくるように思いますが・・・。
「そうじゃな、でも、ワシらは、やるだけで精一杯じゃ・・・。」
ー 何の役にも立ちませんが、COREZO(コレゾ)賞、受賞しといてもらいましょか?
「ワシがか・・・?」と、堀尾さん。
堀尾さんの後のトイレがピッカピカなワケ
その後、お祭りの打ち上げにもお誘い頂いて、参加させて頂いたのだが、その集会所の手洗いが、神代祭りが始まる前から汚れていて、気になっていたのだが、堀尾さんの後に使用したら、ピカピカになっていたのである。で、尋ねると、
「ワシ、トイレの汚れてるのは好かんのじゃ。」
COREZOコレゾ「Uターン後、地域の伝統行事・文化を守り、人知れず善行を重ねる、地域社会奉仕の鑑」である。
後日談1.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式
懇親パーティーには自家製のキムチを差し入れて下さった
妖貝法螺吹き隊でも法螺貝をご披露下さった
後日談2.第3回2014年度COREZO(コレゾ)賞表彰式
2014年度も妖貝法螺吹き隊で法螺貝をご披露下さった
COREZO (コレゾ)賞事務局
初稿;2013.11.26.
最終取材;2013.09.
最終更新;2015.03.17.
文責;平野 龍平
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