COREZO(コレゾ)「かつての治水整備事業推進派が40年ぶりに駒生川(こまおいがわ)のサケの遡上を実現した手づくり魚道」賞
橋本光三(はしもと みつぞう)さん
プロフィール
北海道網走郡美幌町
経歴・業績
平成25年度 土木学会北海道支部地域活動賞
平成27年度 手づくり郷土賞(一般部門)受賞
受賞者のご紹介
橋本 光三(はしもと みつぞう)さんは、北海道網走郡美幌町を流れる「駒生川(こまおいがわ)に魚道を作る会」の会長。
落差工
橋本光三さんの生業は、農業で(現在は引退し、大半を人に貸している)、美幌町駒生にある農地周辺の水はけが悪く、長年、度重なる浸水に悩まされてきた。農作物の生産性を上げるためには排水路が必要だったので、1979年、橋本光三さんがリーダーとなって役所に掛け合った結果、何年にも亘る河川改修によって多数の落差工と呼ばれるダムが建設され、明渠(めいきょ)排水路も整備された。
※落差工とは、河床(川底)洗掘を防止して、河床の高さを安定させ、河床勾配を緩和して、乱流を防止し、流向を定めるために、河川を横断して設けられる施設を床固めまたは床止めを指し、床止めに落差がある場合はこれを落差工(らくさこう)と呼び、落差が極めて小さい場合は帯工(おびこう)と呼ぶ、とのこと。
その治水整備の結果、水はけの悪い農地は劇的に改善され、2~3割も生産性が向上したそうだ。
治水整備の結果、魚が遡上できない川になった
ところが、2005 年のある日、橋本光三さんは、お孫さんから「魚が川をあがれなくなってるよ。」と言われたことが気になり、落差工をよく観察してみると、サケの群れが排水路の落差工の下に溜まり、川を上ろうと必死にジャンプしていた。
駒生川は、網走川の支流で人工護岸が施されているが、サクラマスやアメマスをはじめ、ウグイやフナなどたくさんの魚がくらしているそうだ。しかし、中流域に設置された9個の落差工のために、毎年のようにやってくるサケは、落差工の手前で息絶えてしまっていて、魚たちが遡上できない川になってしまっていたのである。
魚道をつくる決意
橋本さんは、自分たちの都合で、駒生川での生命の営みを途絶えさせてしまっていることを深く反省して、魚道をつくろうと思い立った。
魚道(ぎょどう)とは、魚の遡行が妨げられる箇所で、遡行を助けるために川に設ける工作物。 川に棲息する魚類の中には、サケのように一生の間に川の上流と下流・海を行き来する(回遊する)種では、川にダムや堰などの障害物が設置された場合に、魚の遡上が妨げられるため、それらの回遊する種は川に住めなくなり、その川から絶滅してしまう。
歴史的には、魚道はそのような事態を防ぐために設けられ、サケ・マス・アユなどの漁業資源を保つために作られたのが始まりであるが、近年では、生態系保全の観点から、あらゆる魚と水生生物が対象に含められる傾向にある、とのこと。
2006年、自然型川づくりによる治水対策と多様な環境確保を目的に当時の網走土木現業所が開始した、住民・行政・技術者による「駒生川ワークショップ」に参加し、流域での一貫した河川管理と改良を提案したが、改良工事が実施されたのは、北海道の管理区間までで、落差工のある区間の工事は叶わなかった。
「駒生川に魚道をつくる会」を発足し、魚道を手づくり
2009年、市民と行政( 河川管理者交渉・助成金等の情報提供)、大学( モニタリング実施) に所属する人たちで構成する、任意団体「駒生川に魚道をつくる会」(会長:橋本光三、メンバー9名)を発足し、北海道の助成金に応募して魚道資金を獲得し、2011年、落差工第1号魚道が完成した。
設計は、専門家の岩瀬晴夫氏が担当し、できるだけ現地資材使用して、一日でつくることができ、手入れが容易であること、を基本とした。
その後、2012 年の2ヵ年で遡上に影響があるとされる7基の手づくり魚道を完成させたが、これら7基の手作り魚道づくりには、地域住民はもちろん、行政関係者、大学生など様々な人たちが参加した。
40年ぶりのサケの遡上を確認
改善前には、落差工の1mの落差が魚の遡上を妨げていたが、魚道には、石を詰めたネットと丸太壁で落差を軽減し、さらに、石をつけた木製のパレットを利用した斜路壁を設置して、多様な流れを生み出すことによって、ドジョウやカジカなどの泳ぎが不得意な魚でも段差を越えられるように工夫した。丸太壁と斜路壁の間には、プール(減勢池)をつくって、魚の休憩場と落差を越える助走区間ともなっている。
また、護岸のコンクリートにドリルで穴を開けて木材を固定し、高さ1メートルの落差を20センチ前後の階段状に改良した落差工もある。
さらに、畑から取り除かれた石や地域にあるカラマツ等の身近な材料を利用することで、魚道作成に必要な経費を大幅に減らした。
「魚道現場に接する農地は自分が貸している土地だったので、農地使用の交渉はスムーズにでき、資金は、北海道の補助金で目鼻がつき、裏方仕事を担当してくれる町田善康さん(美幌町博物館学芸員)という逸材とその仲間の皆さんたちとの出会いも全てラッキーだった。」と、橋本さん。
2013年に、サクラマスの幼魚と40年ぶりのサケの遡上を確認、2014年、サケの幼魚が確認され、2015年には、最上流域でアメマスの稚魚を確認するに至った。
魚道の改良
さらに、手づくり魚道に手ごたえを掴んだ「駒生川に魚道をつくる会」では、2013 年12月、アイスハーバー式魚道の改良を実施した。
アイスハーバー式魚道というのは、階段式魚道の一形式で、隔壁の中央部を高くして水上に突出させ、非越流部を設けたもの。非越流部の下流側では、流れが穏やかな水面が確保されるので、魚が休憩できるようになっている。両側の越流部分の隔壁に潜孔が設けられる場合が多いが、この形式も上流部の水位変化に余り対応できず、潜孔が土砂で詰まり易い欠点があるそうだ。
駒生川の最下流にはアイスハーバー魚道つきの落差工があり、サクラマスのような遊泳魚は遡上できるが、遊泳力の弱い底生魚(カジカやドジョウ)は困難なので、底生魚の遡上が課題だったという。
そこで、改良は隔壁(中央のコの字の壁)の両サイドにある越流水通しのうち、右岸側の水通しに角材と土のうを埋め込み、表面にネットを張って、底生魚がのぼりやすい緩やかな斜路勾配にし、左岸側の水通しはいままで通り、大型のアメマス、サクラマス、サケが利用するようにした。
こうして、今では、たくさんの魚の遡上が可能になり、再び、魚が遡上するようになった現在も活動を継続し、つくった魚道の見回りや手入れ、補修をしつつ、美幌管内にある駒生川より規模の大きな福豊川で新たなタイプの「手づくり魚道」設置等の支援をしている。
また、川に棲む魚類のモニタリングを続けているが、川に隣接する森に暮らすシマフクロウ等、様々な生きものについての調査も開始し、手作り魚道によって取り戻された自然の姿を記録して、子供たちの体験学習会や観察会も定期的に実施し、域外からの視察の受け入れ、フォーラム開催等を通じて、自己学習の普及と河川環境の大切さを伝える啓蒙活動を行っている。
共生できる自然保全を目指す
「この辺りの土地の水はけの悪さから、河川の治水整備を訴えた地域のリーダーが私でした。その結果、農業の生産性は向上しましたが、サケが遡上できない河川にしてしまいました。原生自然に復元するには、人を排除するしかありません。もうすでに人が暮らしているのですから、どちらとも折り合いの付く形で、共生できる自然保全を目指すしかありません。」と、橋本さん。
それまで「生物の移動を妨げてはならない」など、念頭にはなかったのが、平成9年(1997年)に「河川管理施設等構造令」が改正されて、その第35条2項で「床止めを設ける場合において、魚類の遡上等を妨げないようにするため必要があるときは、国土交通省令で定めるところにより、魚道を設けるものとする。」と、初めて魚道の設置が義務付けられた。
ただし、義務付けたのは改正以降に造る落差工に関してであって、すでに造った構造物に魚道をつけろ、というものではないので、平成9年以前の落差工は「そのまま」が原則だ、とのこと。
というのも、既存の施設のうち改定構造令に適合しない施設を全て適合させようとすると、莫大な事業費を必要とするので、現実的でないことと、河川は自然公物であり段階的にその安全度を高めていくべきもので、安全度の目標を定めたからといって改定のたびに目標を達成しなければならないということではない、という河川特有の法解釈があるからだそうだ。
「手づくり魚道」は、自然と生態系の保全に対して、有効な手段
そのため、例え、周辺の生態系に悪影響があったとしても、改正後の「河川管理施設等構造令」が及ばない、落差工等を改修するのは現実的には困難であり、橋本光三(はしもとみつぞう)さんたち、「駒生川(こまおいがわ)に魚道を作る会」が実行に移した地域住民による「手づくり魚道」は、自然と生態系の保全に対して、大変有効な手段であることを証明した。
また、この手づくり魚道は、地域住民が中心となったことで、地域住民が河川に興味を持つキッカケをつくっただけでなく、専門工でなくても誰もが施工できる簡易なもので、地域で容易に手に入る身近なものを利用し、できるだけ安価に施工できるよう、工夫が凝らされており、同じような問題を抱えているどこの地域でも応用できる汎用性が高い。
COREZOコレゾ「かつての治水整備事業推進派が40年ぶりに駒生川(こまおいがわ)のサケの遡上を実現した手づくり魚道」である。
文責;平野龍平
2016.04.最終取材
2016.09.初稿
コメント