安達 茂文(あだち しげふみ)さん/「龍神太郎源貞茂」刀鍛冶職人

COREZOコレゾ「刀づくりは、鉄づくり、折れず、曲がらず、斬れ味鋭い武器としての実用性を極めた先の美しさ、伝統技術を継承する刀鍛冶職人」賞

安達 茂文(あだち しげふみ)さん

プロフィール

1958年龍神村生まれ

15歳の春、父、貞楠(故人・刀銘「龍神太郎貞行」)に弟子入りし、刀工の世界に入る

22歳の時、人間国宝の刀匠月山源貞一(故人)に師事し、約3年間の修行を積み、創作活動に入る。

各種刀剣展入賞多数、龍神村文化奨励賞

動画 COREZOコレゾチャンネル

安達 茂文(あだち しげふみ)さん/「龍神太郎源貞茂」刀匠(その1)「日本刀の作刀行程・刀身彫」

安達 茂文(あだち しげふみ)さん/「龍神太郎源貞茂」刀匠(その2)「刀匠の仕事」

安達 茂文(あだち しげふみ)さん/「龍神太郎源貞茂」刀匠(その3)「刀匠の修行」

安達 茂文(あだち しげふみ)さん/「龍神太郎源貞茂」刀匠(その4)「日本刀の魅力と鑑賞の仕方」

安達 茂文(あだち しげふみ)さん/「龍神太郎源貞茂」刀匠(その5)「刀匠としての集大成」

受賞者のご紹介

龍神太郎源貞茂

安達茂文(あだちしげふみ)さんは、「龍神太郎源貞茂」の刀銘を持つ刀工。

小川さださんから、「龍神で刀鍛冶をやってる同級生がいる。」と伺って、和歌山県龍神村丹生川沿いの殿原にある鍛錬場にお連れ頂いた。

刀工というと、頑固で厳しそうなイメージがあったが、安達さんはとても気さくな方で、素人にも分かるように、優しく噛み砕いて刀鍛冶職人の仕事を説明して下さった。

日本刀は、日常にあるものではないので、安達さんから伺ったお話をできるだけ忠実に書き起こした。

戦時中、刃物鍛冶が軍刀づくり

「刀剣作りは父の代から。ここらは、林業が盛んやったんで、親父は、鉈(なた)とか、斧(よき)とか、山作業用の道具を作る集落の刃物鍛冶やってたんですよ。戦時中、軍刀の需要が増え、刀鍛冶の数が足らなくなって、刃物鍛冶も招集され、刀鍛冶から教えを受けて、軍刀をつくったそうです。」

「招集された刃物鍛冶がいくら手ほどきを受けても、刀をつくる玉鋼を鍛錬する技を習得するには、何年も何十年も掛かるんで、すぐに刀をつくれるわけがないんですわ。姿形は真似してできても、硬い鋼を叩いただけでは、ただの鋼のカタマリみたいなもんで、粘りや柔軟性がなく、鉄は、暑さ、寒さで、伸びたり、縮んだりするんで、親父がつくったものではありませんが、零下何十度にもなる寒い満州に送られた軍刀は、鞘の中で折れてたのもあって、武器としての値打ちはことさらもなかったらしいです。」

刃物鍛冶から刀鍛冶へ

「戦後、チェーンソーの普及などによって、鍛冶屋がつくる山仕事用の道具の需要が減少していく時代になってしもた。親父は、昔から刀鍛冶の仕事をしたかったとう云うのもあって、それまでの山作業の道具づくりの鍛冶屋の道を捨てて、刀鍛冶職人に手ほどきを受けて軍刀をつくった経験から、三十いくつの時に『龍神太郎源貞行』の刀銘で刀工としての創作を始めたんやのう。まぁ、鍛冶屋の道具は作り直さないかん、材料は未知のもん使わないかん、木炭は今までの何倍も必要になる、ということで、生活のこともあり、難しい判断に迫られたと思いますわ。」

「僕は、子供の頃から、親父が刀をつくっとんのを見よったでのう、男の子は、こんなん、興味あるでのう、親父が出張してる間に、ゴソゴソひっぱり出してきて、腰のベルトに差して、姿見に映してたりのう、ハハハハ。」

「それから、もう少し大きくなって、何するかと考えた時にね、僕は、何かおもしろいことをしたかったんやね。木の細工の仕事もしたかったんやけど、身近で親父がおもしろそうな仕事をしてることに気付いて、でも、これで食っていけるか不安があるし、親父もお袋もやめとけ、って云うけど、おもしろそうやし、自分の家にあるもんやから、習い易いやろ、と思て、この道に入ったんやけど、親父も苦労しとるんで、人に教えるどころやなかった。」

刀鍛冶修行

「それで、しばらくして、本流をどこかで習ろて来い、って云われましたんや。それで、年に1回開かれる、全国の刀鍛冶職人の会合に連れて行ってもらった時に、雲の上の人のような奈良の師匠に出会い、遊びに来るか、と云われて、下働きからさせてもろんけど、家でしとった仕事と全然違うんやのう、これが。」

「その仕事、技術を見た途端、これを自分ができるんかな、できんのかな、って、刀鍛冶職人の魅力に引きこまれてしもたんやな。家でしばらくかじっとったもんでのう、わりあいと吸収は早かったと思うけど。で、師匠んとこは、刀身彫りちゅーてな、刀身に彫刻するんですよ。これがまた素晴らしい。本来は、刀鍛冶は刀をつくり、刀身彫刻彫りは、別の職人がするんですけど、師匠は、全部自分でするところに、更に、魅かれてしもたんですよ。」

父より引き継ぐ

「約3年間修行して、戻ってきたら、親父のやり方と全然違う。で、好きなようにせえ、って、全部、僕に預けてくれたんですよ。でも、なかなか…。もう、45年になるかなぁ、やっと、刀のことが云えるようになってきた。云えてもやれんもんなんで、云えるようになったということは、少しは、やれるようになったんかなぁ、ああしよう、こうしよう、とやってみたら、全部、結果に出て来るようになったのう。」

「まぁ、なかなか思うようにはならんのですけど、昔のように暗中模索やないんですよ。おもしろいことに、一つ結果が出たら、他の答えも出て来るんですよ。鎌倉時代のものを目標にとか、ハードルを上げてもできないんで、できんのやったら、江戸の中期にもたくさん名工がいるんで、その辺りを勉強し直したら、まだまだ、希望が湧いてきました。」

「僕らのような刀でも、研ぎ屋さんに研いでもらうと、一部にそんな仕事の成果が出てくるんですよ。その一部が全部になればいいんやから、やってきたことは間違いじゃないですよね。いつかできる…。でも、僕も60過ぎて、手が動かんようになってきた。昔の人も、自分の技術をどう伝えるか、苦慮したんちゃうかなぁ。伝えるには、3人も4人も要らんのです。わかるもん1人に、懇切丁寧に教えたら、すぐに伸びるんですわ。」

刀づくりは、鉄づくり

「刀づくりは、鉄づくりと云うてもええやろのう。刀の材料になる玉鋼をつくるまでが大変なことで、島根県の十数tの砂鉄を大きな窯で3昼夜、製鉄して、できるのは2tぐらい。刀に使う玉鋼は、1級品ではなく、2級品を使い、刀鍛冶の技術で鍛錬して一級品に変えていくんです。その工程があるから、鋼に粘りが生れるんですよ。」

折り返し鍛錬で、折れず、曲がらず

「鋼を何回も何回も折り返し、鍛錬していくことで、粘りが生れて、折れ難くなり、曲がり難くなり、斬れるようになるんですよ。刀を背の方から見ると、電話帳のように何枚もの層になっています。」

「玉鋼は、できるだけ細かく割って、不純物の入っているものを取り除き、1.5㎏程積んで、鍛錬に入るんですけど、不純物を出し、伸ばして、折り返す、ということを繰り返して行けば、2枚、4枚、8枚、16枚、…、と多層になれば、なるほど、丈夫になって、刃先は電子顕微鏡で見るとミクロ単位のギザギザになっていて、それでよう切れるんですよ。」

「昔の人は、折れず、曲がらず、を先に考えたやろうから、その粘りからくる切れ味は、後から付いてきたんやろな。硬いのがよう切れる云うんは、大きな間違いで、硬い云うのは、戦時中の軍刀のように、もろいと云うこと。有事の時に折れたら最悪なんで、折れない刀をつくるのに生まれたのが折り返し鍛錬という技術なんやろな。」

折り返し鍛錬の回数

「刀鍛冶職人によって違うけど、数千枚から数万枚の層でしょうな。でも、やりすぎたら、脱炭ちゅーて、鋼の中のカーボンが無くなってしまい、焼き入れした時に、硬化しないので、焼きが入らない。カーボンが抜け過ぎると、刃に冴えがないちゅーて、刃先が鈍くなってしまいます。何回折り返すかは、炉の温度も違うし、ま、勘やろのう。」

「少しでもいいものをつくろうと、カーボン量の違うものを2種類、3種類とこさえたり、ブレンドしたり、いろんな工夫をします。なんでもそうやけど、頃合いと云うもんがあって、過ぎてもいかんし、足らんのもいかん、その辺は、もう、経験則と勘やのう。」

「この刀鍛冶の技術で包丁をつくってくれという依頼もあって、それは切れますけど、お客さんの要望を聞いて、材料からつくるのですから、それは短刀並みの値段になります。でも、今は、刀以外の余計なことは考えたくないので、他のことは、できる限りお断りしています。」

1㎏足らずの刀をつくるのに必要な砂鉄は60㎏

「刀一振りつくるのに必要な砂鉄は60㎏、玉鋼になって10㎏弱、割って、吟味して、一貫目、約4㎏を鍛錬して、刀になると1㎏足らず、ということになります。」

「今の溶鉱炉は電気炉で、数千度で加熱して鉄を液化し、他の金属を加えて、合金をつくりますが、木炭の最大火力は1,300度なので、刀は1,300度以下の温度でつくることになり、それ以上の温度を掛けると刀になりません。」

たたら製鉄

「岡山県や兵庫県の千種でも砂鉄が産出したけど、島根県産のものが一番純度が高く、真っ黒で、黒味を帯びた刀ができ、鉄鉱石が混じったものは赤味を帯びるので、砂鉄の産地がわかるんやけど、島根のちょっと固めの鉄分が多い土も、たたら製鉄に適しており、山国で木炭用の木材は、伐採しても20年のサイクルで難なく手に入ったんで、たたら製鉄が発達したんやな。」

注文を受けたら3本打つ理由

「これは注文をもらって、つくってる刀やけど、ここに傷が出て来てるやろ?原料の玉鋼に不純物が残ってたんで、針でちょこんと突いたぐらいのが、打ってるうちに、噛んできてこんな傷になってしまう。もっと手前で気が付けば、と思うけど、なかなかそう上手くいかんし、ここまでの状態になったものをもう一度溶かして、折り返し鍛錬をしても、もう80歳過ぎた人を20歳に戻せんのと同じで、無理なんです。」

「これに執着してあれこれするぐらいなら、もう1回、一からやり直した方が、夢も希望もあります。」

「お客さんから注文もらって、つくる時には、こうした傷が出ることもあるので、大体、3本こしらえます。今回は、1本目は傷が出たけど、2本目が候補として残っているので、もう1本打つんですが、ものすごく気が楽なんですよ。この次のがようなるのか、これの方がようなるのか、ひょっとして、これも、この次のもあかんようになって、4本目になるのか…、ということをやっとったら、どんどん、経費は掛かるし、時間は要るし、のう。」

今に残っている秘訣が一番いい

 

「僕らがおもしろいのは、鑑賞用をつくるんではなくて、ここまでの状態のものをつくることやのう。師匠や親父らが云うてたことを充分理解した上で仕事にかからんと、自分の流儀でやろうとしても、そんなこと、先人たちが考え付く限り試している訳で、『今に残っている秘訣が一番いい』と叩き込まれているのに、まずは、基本に忠実にやらなければ、無駄な仕事に終わってしまうわな。」

先に刃文、次に地鉄

「先に刃文、次に地鉄、て云うて、鉄をつくることを勉強しなさい、と云われました。刃文は時代を勉強することでもあり、今は、姿形は、図版があるんで、時間を掛けたらできますけど、鉄づくりは、一生かけてせんとあかんもんやから、できるところから勉強しなさいという、教えやのう。」

何でもバランス

「何でもバランスやのう、姿もバランス、刃文もバランス、それを上手く完了できたら、ええんやろな。ひとつ納得できても、次はこうしよう、ああしよう、というのがあるし、他人様がつくったものを見て、新たな目標ができることもあるし、これって、やめるまで続くんやろな。」

5つの伝統的なつくり方

「刀のつくり方は、起源の古い順に、大和伝(奈良)、山城伝(京都)、備前伝(岡山)、相州伝(神奈川)、美濃伝(岐阜)の5つあるんです。この5つの伝統的なつくり方には掟があって、鍛え方、地や刃文、切先の形等が決まっています。これを基本に、同じものをつくろうとしてもできないので、つくった職人の個性となって出てきます。」

刀の姿

「姿は、先反りと云うて、先の方で反るか、元の方で反るか、それとも、一番、格好のええのは、鳥居反り云うて、鳥居のように、両サイド均等に振り分けた姿が上品な格好になります。」

「もう一つは、これは形として云えますねんけど、目をつぶって、ススキの穂が風になびいた姿を想像してもらうと、これがとても品が良くて、ちょっとこっちの反りを戻したような形、ちょうどお城の石垣のような反りになるんです。この姿形の良い反りは、力点の働きで、斬った時に、振り抜き易いんですよ。」

とにかく、刀づくりは、鉄づくり

「お伊勢さんの式年遷宮では、20年に1度、毎回、刀も新しくこしらえています。何を見たかを云わないことを条件に宝物殿にある刀を見せてもらったことがあります。刀は、もちろん素晴らしいのやけど、ああいうもんを残して、今つくったばかりのような状態で保管されていることが素晴らしい。自分たちは、職人なんで、昔の人はこんなことしとったんやな、って見ただけで理解できるので、技術伝承にも繋がります。」

「刀で云うと、江戸時代より、室町時代、鎌倉時代と溯った方が上でしょうね。それは、今では、あの時代の鉄がつくれないからです。あの時代、たたら製鉄は、天下を左右する程の大きな利権です。出雲地方では、もののけ姫に出てくるようなたたら集団がいくつもあって、何かのはずみで良い鉄ができたんでしょうね。でも、そのノウハウは、一門の中だけで、守り、継承したと思います。たたらも、一カ所に留まらず、新しい砂鉄や土、木炭を求めて、前の痕跡は一切残さず、移動していたでしょう。この先は、僕の想像ですが、今のインフルエンザとか、何かの流行り病でその一門が全滅してしまった場合、一子相伝で書き物に残していなかったでしょうから、そこで、その技術は絶えてしまいます。」

「とにかく刀づくりは鉄なんです。江戸期の専門書に『土は鉄の母なり』という一文があります。鉄は反応し易くて、他の元素との化合物がすぐにできてしまいますので、もろさなどの要因となる炭素以外の硫黄やリン、マグネシウムなどを取り除き、純粋な鉄をつくることが最も重要なんですが、たたら製鉄の炉に使う土や松の木炭に付いていた松葉の炭が影響する程、繊細なものなんです。」

「今、僕らが使ってる玉鋼は、江戸時代中期の技術だそうです。それ以前の技術が分からない。なんでわからんか、と云うと、研究する予算と時間がない。単純に考えると、温度を上げる技術はなかったでしょうから、今の鉄の品質は良すぎるんじゃないか、もっと素朴な品質の鉄にやってみたら、とも思いますが、そうすると、今の技術を全部やり直すリスクが生じるため、今の技術を続けるしかなく、そうすると、これ以上の進化はないことになります。」

「塗りや作陶の技術もそうですけど、偶然、とんでもない技術が発見、発明されても、その秘訣を誰かに伝承、あるいは、書き物で残していない限り、その人が亡くなった時点で、また、「0」からのスタートとなるので、消えてしまった技術は山ほどあるでしょうね。」

刀の弱点

「実は、刀にも弱点があって、人間の骨と一緒で、裏からが弱いんです。時代劇で、棟打ちとかってありますけど、あんなことをすると、刀は、大きなダメージを受けます。刃側は抜群に強くて、丈夫やけどね、棟側は弱いんで、衝撃を与えると、意外な程、簡単に折れてしまいます。」

「日本刀は、良く斬れて、折れないようにするために、この刃側の白い部分に刃文というのを入れるんです。どうやって入れるかというと、直刃(真っ直ぐな刃文)の場合、棟側の黒い部分には、1mm程の厚さの粘土を置いて、刃側には置かないんです。そうすると、1mm程の段差が、刃側と棟側に付くわけです。」

「それを乾燥させて、真赤に焼くと、土には耐火性があるので、棟側には火が効かず、刃先には火が効きますので、効いた瞬間に鋼が膨脹します。刃側が膨脹して、棟側は膨張しないので、棟側に反るんですよ。」

「それで、水の中に入れて急冷すれば、棟側はゆっくりと冷えていくので、焼きが入らず、硬くなりません。刃側は、急激に冷やされ、焼きが入って硬くなるので、柔軟性と鋭い切れ味を持つ刀ができます。」

「昔の実戦で使われた刀の棟の角に刃傷が残ってるのがあるんですけど、相手の攻撃は、大事な刃先やもろい棟では受けずに、斜に受けてるんですね。」

「僕ら、刀鍛冶職人の仕事が終わると、鞘職人、柄職人、研ぎ職人、鍔職人に廻っていって、日本刀が完成します。日本刀の重さを実感して見て下さい。これに鍔が入ると、重量は重くなりますが、重心は手前に来るので、軽く感じ、振り切る感覚、バランスも違ってきます。」

刀鍛冶の技術の伝承

「今どきは、弟子にしてくれ、と電話をしてくる人がいます。電話で、仕事の厳しさを一つ、二つ話すと、二度とかかって来ません。そんなもんです。日本人が日本の文化を忘れていく反面、外国の方が日本の文化にものすごく興味を示してくれるようになったのは嬉しいですが、興味本位で押しかけてもらうのは困ります。」

「僕ら、田舎でこういう仕事をしていて、何かを追求していくと、どんどん新しくなる時代に逆行するように、どうしても古いこと、古いことを追いかけ、あえて、ローテク、どこか取り残されているような気がするんやけども、もうこの歳になったらこのスタイルを続けて行くしかなくて、あと30年、寿命があったら、もう少し色を付けれるかな、というところまで来てるような気もしてます。まぁ、続けてやってる内に、コロンと何か楽しいことが生れて来るかもしれんし、そこがものづくりのおもしろいところやのう。」

「今、何か有事なんてあってもろたら困るんやけど、何百年もかけて発展、進化し続け、伝承されてきたこの日本刀の技術を残して、継承していくことが、僕らに与えられた短い時間の役割やでのう。僕らは、あくまでも鍛冶屋で、『屋』なんですよ。鍛冶屋の一職人がやるべきことは、教わった昔からの技術をできる限り汚さないで、チャレンジをして、次の代に繋ぐことです。」

「それにしても、時間を掛けたくない世の中になってきて、ゆっくりと腰据えてやるような仕事は世間さんが許してくれんようになってしもたのう。」

 

日本刀は、かつては、武器であったが、江戸時代になって、戦が無くなると、簡単に刀を抜くことはなくなったそうだ。今では、時代劇等で模造刀を観ることはあっても、本物は、美術工芸品として美術館等で鑑賞される対象となっている。しかし、その美しさは、何百年も掛けて、武器としての実用性を極めた、刀鍛冶職人の技術の結晶だ。

 

COREZOコレゾ「刀づくりは、鉄づくり、折れず、曲がらず、斬れ味鋭い武器としての実用性を極めた先の美しさ、伝統技術を継承する刀鍛冶職人」である。

 

最終取材;2018.07.

初稿;2018.08.

最終更新;2018.08.

文責;平野龍平

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