河村 浩之(かわむら ひろゆき)さん/株式会社日出味噌醸造元 代表取締役社長

COREZOコレゾ 「忘れられた幻の『江戸味噌』を70年ぶりに復刻し、江戸・東京の味の中心だったフレッシュな味噌文化を、食の多様化と未来へつなぐ、味噌蔵三代目」 賞

河村 浩之(かわむら ひろゆき)さん/株式会社日出味噌醸造元 代表取締役社長

プロフィール

受賞者のご紹介

プロフィール

河村 浩之(かわむら ひろゆき)さん

大正8年(1919年)創業の老舗味噌蔵 株式会社日出味噌醸造元 三代目。

1967年東京都生まれ。
1990年大学卒業後、1996年に株式会社日出味噌醸造元へ入社。
2005年、代表取締役社長に就任。

戦後、先代が復刻した「江戸甘味噌」を受け継ぐ中で、「本来、江戸の人々が日常的に食べていた味噌とは何だったのか」という疑問を抱き、戦前の文献や味噌技術書の調査を開始。

昭和14年の技術書に記された「江戸味噌」の存在に着目し、古い単位や配合を現代の数値へ換算しながら試作を重ね、2014年、戦時中の統制によって忘れられていた「江戸味噌」を約70年ぶりに復刻した。

「江戸味噌」は、大豆を蒸し、多量の米こうじを用い、高温・短期間で熟成させる独自製法による“フレッシュな味噌”で、素材の味を活かし、和食のみならず洋食にも調和する高い汎用性を持つ。

河村さんは、この味噌を単なる復刻商品ではなく、失われていた味噌文化の多様性を現代に取り戻す存在として位置づけ、研究と普及活動を続けている。

また、江戸味噌をベースにした「煮抜き」の研究・再現にも取り組み、東京の味のルーツや、関東における濃口醤油文化との関係についても独自の考察を重ねている。

現在は、2016年に開設した「東京江戸味噌 広尾本店」にて、「江戸味噌」「江戸甘味噌」「仙台味噌」「田舎味噌」など、戦前まで東京で親しまれていた味噌文化を発信している。

プロローグ

「江戸味噌」と「江戸甘味噌」

東京には、「江戸甘味噌」と云う味噌がある。江戸時代、短期間で醸造できるよう、多くの米こうじを使った速醸法でつくられるようになった味噌で、多こうじだから、甘味が強いのが特徴。

一方、東京の株式会社日出味噌醸造元社長、河村浩之(かわむら ひろゆき)さんは、昔の文献を読み解き、その記述をもとに「江戸味噌」を復刻された。しかし、現在、江戸の伝統味噌として広く認知され、市場に流通している「江戸甘味噌」とは異なることから、「江戸味噌」という名称で展開されている、とこめみそしょうゆアカデミーの堀田 雅湖(ほった まさこ)さんから伺った。

関西で生まれ育った筆者は、どちらの味噌にも馴染みがなく、その名称を聞くこと自体が初めてだった。もちろん味わったこともなく、興味津々。堀田さんが河村社長をご存知だったことからご紹介いただき、東京江戸味噌 広尾本店でお話を伺うことができた。

概要

「江戸甘味噌」と「江戸味噌」

戦時中の食料統制で生産が途絶えた「江戸甘味噌」と「江戸味噌」

戦後、河村社長の先代のお父さまが「江戸甘味噌」を復刻し、これが東京の伝統的な味噌であるとして世に広まった。しかし、これは本来の「江戸味噌」という大きな括りの中にある、特殊な甘味噌仕立ての味噌であり、大元となる「江戸味噌」は復刻されないままだった。

味噌蔵社長の違和感と本来の「江戸味噌」の発見

河村社長は、毎日、味噌汁として食べるには、甘すぎる「江戸甘味噌」に長年違和感を抱いておられた。約10年前、文献調査の過程で、昭和14年の技術書に「江戸味噌」という記述を発見。そこに記されていたのは、日常的な味噌汁に適した「甘口味噌」であり、河村社長は、これこそが本来の江戸の味噌ではないかと確信された。さらに調査を進めると、戦前の文献には「江戸甘味噌」という名称は見られず、「江戸味噌」と記されていた。

復刻と展開

河村社長は、文献発見から約2年をかけて「江戸味噌」を復刻した。しかし、業界では「東京の味噌=江戸甘味噌」という認識が根強かったため、あえて「江戸味噌」という別名称で展開しておられる。

江戸味噌と江戸甘味噌の製法と特性 

成分と用途の違い

塩分は、「江戸味噌」が約10〜11%であるのに対し、「江戸甘味噌」は5〜6%と低い。麹の比率も、「江戸味噌」が「大豆1:米麹1」であるのに対し、「江戸甘味噌」は「大豆1:米麹2」と、米麹を倍量使う。

そのため、「江戸甘味噌」は強い甘みを持ち、主に料理用として使われる。一方、「江戸味噌」は甘み・塩味・旨味のバランスが良く、味噌汁にも料理にも使いやすい、汎用性の高い味噌となっている。

特殊な製法

江戸味噌」は、①塩分を少なく、②麹を多く使い、③「温仕込み(あつじこみ)」によって高温を保ちながら発酵を進めることで、10日〜2週間という極端な短期熟成を実現している。

また、大豆を「煮る」のではなく「蒸す」ことで、濃い赤褐色となり、深く豊かな風味が生まれる。

香りの特徴と万能性

「江戸味噌」は、米と大豆の分解がほぼ同時に完了するため、一般的な味噌のようなアルコール発酵の過程を経ない。そのため、いわゆる「味噌らしい香り」が強く出ず、すっきりとしたフレッシュな味わいになる。

さらに、煮込んでも香りが変化しにくく、料理の中でも素材の味を損なわない。

甘み、旨み、塩味のバランスも絶妙で、他の調味料を多く加えなくても味が決まり、素材の持ち味を引き立てる万能性を持っている。

江戸時代の味噌文化と食文化への影響 

江戸の味噌4種

江戸時代から戦前まで、東京で主に食べられていた味噌は、東京由来の「江戸味噌」「江戸甘味噌」、伊達藩由来の「仙台味噌」、そして関東近郊の農村でつくられていた麦味噌「田舎味噌」の4種であった。

そばつゆの起源

江戸時代初期、醤油が普及する以前は、「江戸味噌」をベースにした「煮抜き(にぬき)」と呼ばれるつゆが、そばつゆとして使われていた。

その後、1800年頃から砂糖やみりんが普及すると、醤油・砂糖・みりんによって、「江戸味噌」が持っていた旨味と甘味が代替されるようになり、現在の甘辛い醤油味のつゆへと繋がっていったのではないか、と河村社長は推測しておられる。

関東における濃口醤油普及の仮説

関西で薄口醤油が普及した一方、関東で濃口醤油が主流となった背景についても、河村社長は独自の仮説を立てておられる。人々が、「江戸味噌」を絞った色の濃い「煮抜き」の味に慣れ親しんでいたため、それに近い色味と味わいを持つ濃口醤油が、関東の人々に好まれたのではないか、というのである。

「江戸味噌」復刻の意義と現代における価値 

歴史的・文化的価値

「江戸味噌」は、単なる調味料ではない。江戸時代から続く歴史的系譜を持つ文化的な味噌であり、江戸の食文化を知る上でも重要な存在といえる。

現代の食卓への適合

かつて高級品とされた「江戸味噌」は、フレッシュで汎用性の高い「短期熟成」の味噌である。戦後、長期熟成味噌が主流となったことで、味噌が使われる料理の幅は狭まっていったとも考えられる。

一方、復刻された「江戸味噌」は、米麹由来のバランスの取れた味わいを持ち、江戸料理や江戸の食文化の再現だけでなく、多様化した現代の食生活にも自然に適応する。

 文化の多様性の維持

この「江戸味噌」が失われることは、味噌文化の多様性の一部が失われることを意味する。その復刻と継承は、単に一つの味噌を残すことではなく、日本の食文化の幅と可能性を未来へつないでいく営みでもある。

江戸時代から戦前の東京で一般的に食べられていた味噌

簡単な挨拶の後、こちらの店舗では、江戸時代から戦前の東京で一般的に食べられていた「江戸味噌」「田舎味噌」「江戸甘味噌」「仙台味噌」を、本来の「江戸・東京のみそ」として取りそろえ、提供しておられるということで、まずはテイスティングと、出汁で溶いた4種類の味噌を試飲させていただいた。

生みそを試食して購入し、家に帰ってみそ汁にすると、イメージと違うことが往々にしてある。それは、多くのみそが火を入れることで味わいが変化し、さらに他の食材と合わせることで、みその個性が隠れてしまうからだ。

また、出汁や具材によっても印象は大きく変わる。そのため、こちらの店舗では、みそを出汁で溶いた、もっともシンプルなみそ汁で、それぞれの個性を味わってもらっているという。出汁は、昆布を使わない江戸前のカツオだし。江戸のみその良さを最大限に引き出す組み合わせとのことだった。

1. 田舎味噌(1年熟成・辛口麦味噌)

種類;麦みそ(辛口みそ)、塩分;12%、麹歩合;9歩(ほどよい甘さ)、熟成期間;12か月、大豆処理;蒸熟(蒸し)

当時の文献には、「江戸みそ」とは別に、江戸では「田舎みそ」と呼ばれる麦みそがよく食べられていたことが記されている。江戸から見て“田舎”でつくられることから、この名前がつけられたそうで、現在の栃木や埼玉など、近隣農村で醸造され、水路を使って他の農産物とともに江戸へ運ばれていた。江戸という都市部でつくられる「江戸味噌」に対し、近隣農村から届く「産直品」のような立ち位置だったようだ。

九州や四国で一般的な麦みそ(白みそ系)とは異なり、製造方法や見た目にも違いがある。麹の割合、熟成期間、塩分、大豆の処理方法などが異なり、特徴的な濃い赤色をしている。江戸周辺には多くの生産者が存在したが、時代の変化とともに戦後は姿を消し、「幻のみそ」となってしまった。

麦味噌の個性

麦味噌とは、原料のこうじを麦から作るみそのことで、麦麹特有の個性である力強い香りがある。現在市場に流通している「みそ」は、ほとんどが米みそに分類され、米からこうじでつくられ、江戸味噌、江戸甘味噌、仙台味噌は米みそに分類される。

麦味噌とは、原料のこうじを麦からつくる味噌のことで、麦麹特有の力強い香りを持つ。現在、市場に流通している味噌の多くは米みそであり、米こうじを使ってつくられている。「江戸味噌」「江戸甘味噌」「仙台味噌」も、この米みそに分類される。

「江戸味噌」との共通点

田舎味噌は、熟成期間1年、塩分12%。フレッシュな「江戸味噌」とは対極にある味噌である。しかし、「大豆を蒸している」という点では、「江戸味噌」と大きな共通点を持つ。

一般的な味噌のように大豆を煮る場合、雑味とともに旨味も流出するため、比較的淡白で上品な仕上がりになる。一方、大豆を蒸す製法では、旨味が“丸ごと凝縮”されるため、加熱に強く、煮込むほどに力強いコクが生まれるそうだ。

2.仙台味噌(長期熟成・辛口赤味噌)

種類;米みそ(辛口みそ)、塩分;14%、麹歩合;7歩、熟成期間;6~10ヶ月、大豆処理;蒸熟(蒸し)

品川にあった伊達藩下屋敷。そこには3000人の江戸詰藩士のために、地元と同じみそをつくる蔵があり、原料の大豆からこうじまでを仙台から運ぶという徹底したもので、一部は江戸市中で販売され、「仙台みそ」として知られていた。

明治になると藩邸は廃止され、その味噌蔵が独立して、ひろく販売を開始、さらに明治中期にそのつくり方が公開されると、東京中のみそ屋がつくるようになり、戦前までの東京では、「江戸みそ」と人気を二分するほどに普及していった。

品川にあった伊達藩の下屋敷。そこには、3000人もの江戸詰藩士のために、地元と同じ味噌をつくる蔵があった。原料となる大豆からこうじに至るまで仙台から運び込むという徹底ぶりで、一部は江戸市中でも販売され、「仙台みそ」として知られていた。

明治になると藩邸は廃止され、味噌蔵は独立。広く販売を開始し、さらに明治中期に製法が公開されると、東京中の味噌屋がつくるようになった。こうして仙台味噌は、戦前の東京で「江戸みそ」と人気を二分するほど普及していった。

保存食としての味噌

「江戸みそ」と同様に蒸された大豆は、低温で仕込まれ長期熟成され、元々、保存食だったので、塩分も14%と非常に高い。色こそ同じ赤かっ色だが、「江戸みそ」とは対極の長期熟成らしい特徴を持ち、辛口味噌に分類される。

保存食としての味噌

「江戸みそ」と同様、大豆は蒸して仕込まれるが、こちらは低温で長期熟成される。もともと保存食として発達した味噌であるため、塩分は14%と高い。色こそ同じ赤褐色だが、「江戸みそ」とは対極にある、長期熟成ならではの特徴を持つ辛口味噌である。

味噌らしい香りの正体

長期熟成の過程では、米麹に含まれるデンプンを麹菌の酵素が分解し、「ブドウ糖(糖)」へと変化させる。さらに、耐塩性酵母がこの糖をアルコール発酵によってアルコール(エタノール)と二酸化炭素に分解し、そのアルコールが他の成分と反応することで、仙台味噌特有の「重厚でふくよかな熟成香」が生まれる。これが、一般によく知られる“味噌らしい香り”の正体だという。

この強い香りは、魚の生臭さを消すのに適しており、江戸の町でも魚を煮たり、しっかりした味をつける際には重宝された。さらに、この特徴と高い保存性によって、仙台味噌は東京市場で「江戸味噌」と人気を二分するほど普及していった。

しかし、出汁で溶いてみると、味噌の個性が非常に強く、せっかくの出汁の香りが後ろに隠れてしまう。素材を活かすというより、“味噌の味”が前面に出てくるのだ。これが「江戸味噌」との最大の違いであり、仙台味噌は「味噌が主役」になる力が強い。そのため、素材を活かす江戸の洗練された料理文化においては、時に“強すぎる”存在でもあった。

3. 江戸甘味噌(短期熟成・超高麹歩合)

種類;米みそ(甘みそ)、塩分;5%、麹歩合;20歩、熟成期間;2週間、大豆処理;蒸熟(蒸し)

米こうじの割合は20歩。これは、10歩が等倍なので、大豆の量に対して米麹を2倍使うということになり、「江戸みそ」の約2倍にあたる。食塩も約半分の5%と低く、こってりとした強い甘さを持つ、調味用途の味噌である。料理の隠し味や田楽、どじょう鍋など、濃い味付けの料理には欠かせず、煮込むことで、他の味噌にはない深いコクと美しい照り(ツヤ)が生まれる。「江戸みそ」の中でも、特に甘みそに分類される存在だ。

江戸みそ同様、戦時中に製造が禁止されたが、戦後に復刻され、現在では「江戸・東京のみそ」として広く知られている。もともとは、江戸のある老舗味噌屋に伝わる秘伝の名物味噌であり、同店を離れた職人たちによって、明治後期から大正期にかけて東京中へ広まった。当時は「東京甘みそ」と呼ばれることが多く、「江戸甘みそ」という名称が広く使われるようになるのは戦後になってからだという。

日出味噌醸造元の「江戸甘味噌」は、過去16回の受賞歴を持つ、鑑評会仕様の特製品である。料理の味付けや田楽みそなど、調味用途に適した味噌であり、味噌汁に使う場合は、単独ではなく他の味噌とブレンドするのがおすすめとのこと。ひと味違う、コクのある味噌汁に仕上がるそうだ。

甘みそ(あまみそ)

京都の西京味噌(白味噌)や江戸甘味噌は、「甘みそ」に分類される。塩分は5〜7%程度と極めて低く、麹を大豆の2倍以上(20歩以上)使うことで、お菓子のような強い甘みを持たせた味噌である。

主に、和え物や田楽、あるいは料理の隠し味など、調味用途を主とする特殊な味噌として使われる。

4. 江戸味噌

種類;米みそ(甘口みそ)、塩分;9%、麹歩合;11歩、熟成期間;2週間、大豆処理;蒸熟(蒸し)

大正・昭和初期の文献をもとに、70年ぶりに復刻。蒸した大豆を使用し、米麹は大豆とほぼ同量。江戸みそ独自の仕込み方法により、高温下で一気に発酵を進め、わずか2週間ほどで熟成させる。「ほどよい塩加減」と軽やかな甘み、そして、味噌特有の匂いを感じさせない“フレッシュな味わい”が特徴で、和洋を問わず、さまざまな料理に自然に溶け込む。

わずか2週間で仕上げるため、米と大豆の分解がほぼ同時に完了し、一般的な味噌のようなアルコール発酵の過程を経ない。そのため、いわゆる“味噌らしい香り”がほとんどなく、大豆と米麹のフレッシュな香りがそのまま生きている。

麹は11歩という、大豆とほぼ同量の贅沢な配合。これだけ大量の麹を使うことで、塩分を9%まで下げても、甘すぎず、辛すぎず、それでいて物足りなさを感じさせない味に仕上がる。

出汁で溶いたものをいただくと、仙台味噌の時のように出汁の香りは消えておらず、むしろ、出汁の旨味を味噌が後ろからグッと押し上げているような味わいに驚かされた。

さらに、この「江戸味噌」は、煮込んでも香りが飛ばない。それどころか、蒸し大豆のコクが溶け出し、煮込むほどに味が深まっていく。醤油が普及する以前、江戸の料理を支えていたのは、この“煮込める味噌”だったのである。

テイスティングの意図

河村社長は、あえて「長期熟成」という共通項を持つ二つを先に並べ、その中で「原料(米こうじか麦こうじか)」を変化させることで、後の「江戸味噌」の個性、特徴を際立ててくださった。

①田舎味噌(長期・麦)

「長期熟成」の味噌であり、原料は「麦こうじ」。麦特有の野性味や、米味噌とは異なる“別の日常の味”を体験することで、江戸の食文化の多様さを知る。

② 仙台味噌(長期・米)

同じく「長期熟成」だが、こちらは「米味噌」。現代の私たちがもっとも馴染み深い、“味噌らしい味噌”の正体を知る。

③ 江戸甘味噌

戦後、先代のお父さまが復刻され、現在、「江戸・東京のみそ」として広く知られ、市場に流通している「江戸甘味噌」。とても甘く、贅沢で濃厚な味わいを持つ、特殊な調味用味噌である。

④ 江戸味噌(短期・米 / 本命)

最後に登場するのが、「江戸味噌」。仙台味噌と同じ「米味噌」でありながら、①塩分を少なく、②麹を多く使い、③「温仕込み(あつじこみ)」によって短期熟成で仕上げることで、バランスの取れた“フレッシュな味”を実現している。

味噌の分類

食品表示基準(消費者庁)【法律:食品表示法】

米(こめ)みそ

大豆に「米麹」と塩を加えてつくったもの。日本で生産される味噌の約8割を占める、もっとも一般的な味噌である。

例;江戸味噌、信州味噌、西京味噌、仙台味噌など。

麦(むぎ)みそ

大豆に「麦麹(大麦またははだか麦)」と塩を加えてつくったもの。麦特有の芳醇な香りと、さらっとした甘みが特徴。主に九州、四国、中国地方で親しまれている。

例: 薩摩みそ、備後みそなど。

豆(まめ)みそ

大豆に「豆麹」(大豆そのものを麹にしたもの)と塩を加えてつくったもの。米や麦を使わず、大豆だけでつくられるため、濃厚な旨味と独特の渋みを持つ。中京地方(愛知、三重、岐阜)が中心。

例: 八丁味噌、名古屋豆味噌など。

調合(ちょうごう)みそ

上記の味噌や麹をブレンドしたもの。米みそと麦みそを混ぜたものや、米麹と麦麹を混ぜ、一つの樽で一緒に仕込んだもの(混合麹)などがある。

名称表示

「米みそ」「麦みそ」「豆みそ」「調合みそ」のいずれかを必ず記載。

「味噌」の定義

大豆(必須)、米・麦などの麹、食塩を原料とすること。「大豆」が入っていないと、法律上「味噌」と名乗れない。

原材料の表示

配合量の多い順に記載する。

【法律:不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)】

「食品表示基準」だけでは曖昧な「味の表現(甘口・辛口)」などを具体的に数値化したルール。

甘みそ

塩分量の目安;5〜7%前後、麹歩合(大豆10に対して); 12割以上、江戸甘味噌など(お菓子に近い)

甘口みそ

塩分量の目安;10%前後、麹歩合(大豆10に対して); 8〜12割未満。江戸味噌はこのバランス。日常の汁物用。

辛口みそ

塩分量の目安;12%前後以上、麹歩合(大豆10に対して); 8割未満(5〜7割)、一般的な信州・仙台味噌。

「みその表示に関する公正競争規約」(全国味噌公正取引協議会)

色による3区分=熟成期間中に起こる「メイラード反応」(糖とアミノ酸が反応して褐色になる現象)の度合い

白みそ

大豆を「煮る」ことで着色成分を抜き、短期間で熟成させたもの。例; 西京味噌など

淡色みそ

中程度の熟成。精米歩合の高い米を使い、明るい黄色〜茶色に仕上げたもの。例; 信州味噌(一部)など

赤みそ

大豆を「蒸す」、または長期間熟成させることで、褐色を濃くしたもの。例; 江戸味噌、仙台味噌、八丁味噌など

江戸味噌と江戸甘味噌

江戸味噌の成り立ち

かつて江戸には180軒あまりの味噌屋があったそうだ。

みその自家醸造が一般的だった時代、「みそ買う家には蔵が立たぬ」「買いみそは恥」と云われていた。しかし、人口増加と慢性的な土地不足、狭い家屋が密集する江戸の住宅事情では、場所と時間を要する味噌の自家醸造は困難だった。その一方で、江戸では毎朝みそ汁を飲む習慣があり、味噌は大量に消費されていた。

そのため、江戸時代初期には各地からさまざまな味噌が持ち込まれていたが、次第に街中の醸造家によってつくられるようになり、味噌は「買うもの」へと変わっていった。

醸造家にとっても、大量の味噌を長期間かけて発酵させる従来のみそづくりは、江戸の都市環境には不向きだった。そこで、塩分を減らし、蒸した大豆が熱いうちに大量の米こうじを混ぜ込み、一気に発酵を進めることで、短期間で仕上げる技術が確立されていった。

通常なら半年以上かかる醸造期間が、約2週間〜20日。夏場であれば、わずか10日ほどで出来上がる。しかも、雑菌の繁殖を抑えながら良質な味噌をつくるというのは、現代の感覚から見ても、きわめて合理的かつ洗練された技術だったそうだ。

しかし、こうして出来上がった味噌は、一般的な味噌のように長期保存が利かなかった。冷蔵庫のない時代、夏場には、ひと月もすると酸味が出てしまうという問題があったのである。

そこで江戸のいたるところに小規模な味噌醸造元が生まれ、人々は近所の店で、必要な分だけを毎日少量ずつ買う「当用買い」をするようになった。こうした江戸の住宅事情と流通環境の中では、江戸味噌に保存食としての役割は求められなかった。その代わりに求められたのは、塩分控えめで日持ちはしなくとも、“フレッシュ”で味の良い味噌だった。

「味噌クサさ」がなく、素材の味を邪魔しない。吟醸酒のように、すっきりと洗練された味わい。それこそが江戸味噌の特徴だったのである。

「コメ=お金」だった時代、たっぷりの米こうじと、高度な醸造技術を使って短期間でつくる江戸味噌は、本来、非常に贅沢な味噌だった。それでも庶民が日常的に口にできたのは、富と人口が集中した、世界有数の巨大都市・江戸だったからこその話である。

「江戸味噌」=「赤みそ」 

江戸では、濃い赤褐色をした江戸味噌は、単に「赤みそ」と呼ばれていた。

江戸の風俗を記した『守貞漫稿』には、「江戸に赤味噌、田舎味噌を買食し、自製するものなし」とあり、「江戸味噌」という名称は使われていない。また、他の文献でも「赤みそ」と記されるのが一般的だったそうだ。なぜなら、「江戸味噌」という名称は、地方の人々が“江戸で食べられている味噌”を指して呼んだ名称であり、江戸っ子たちは、自分たちが日常的に食べている味噌を、わざわざ「江戸味噌」とは呼ばなかったからである。

現在では、「赤みそ」といえば、中部地方の豆みそを指すのが一般的である。しかし、『日本国語大辞典』や『大辞林』、さらには戦前の辞書には、「・・・仙台みそ、江戸みそ、いなかみその類」と記されているそうで、それほどまでに「江戸味噌」は、当時の人々にとって一般的な味噌だったのである。

「江戸味噌」が「幻のみそ」となった経緯

仙台味噌の普及と、大資本の参入、みその安売り

江戸庶民に広く愛された江戸味噌は、明治維新以降、仙台味噌の普及と、大資本の参入による価格競争の中で、徐々に衰退の道をたどっていく。

明治2年、明治政府によって版籍奉還が行われると、江戸(東京)から藩邸が消え、多くの武士たちが郷里へ戻っていった。人口は半分近くにまで減少したともいわれる。有力藩の一つだった仙台藩も同様で、大井にあった広大な下屋敷は引き払われた。しかし、そこで藩士たちのために郷里と同じ味噌をつくっていた屋敷内の味噌蔵が独立し、広く販売を開始する。なお、一部は、それ以前から江戸市中でも流通していたそうだ。

仙台味噌は、東京の人々の好みに合っていたようで、米こうじが少ないため原価を抑えやすく、さらに塩分が高いため保存性にも優れていた。そのため、広域流通や大量生産にも適していたのである。

さらに、明治中期になると、仙台味噌の製造技術が公開され、当時の大資本家たちが次々と味噌業へ参入した。歯抜けのようになった江戸の藩邸跡地には、大規模な醸造所が建設され、仙台味噌の大量生産が始まる。

こうして価格競争が激化し、江戸味噌をつくっていた小規模な醸造元は、次第に淘汰され、そして江戸味噌は、東京市場でのシェアを徐々に仙台味噌に奪われていったのである。

流通網の破壊 

大正11年、関東大震災が東京を襲った。東京市内の味噌製造所は約70%が焼失し、保存性の低い江戸味噌の流通を支えていたインフラも、壊滅的な被害を受けた。それでも江戸味噌は、なお50%近いシェアを維持し続けていたという。しかし昭和に入ると、さらに大きな時代の波に呑み込まれていく。

戦争がうばった記憶

昭和17年、太平洋戦争下の統制令により、「米を多く使うぜいたく品」という理由で、江戸味噌は製造を禁止された。実際には、昭和14年頃からすでに生産制限が始まっていたという。

終戦後、味噌の統制そのものは解除されたものの、こうじの原料となる米はGHQによる統制が続き、大豆不足も深刻だった。そのため、江戸味噌づくりが再開されることはなかった。不自由なく味噌を製造できるようになるのは昭和30年代に入ってからだが、その頃には、20年にもおよぶ空白によって、東京人の食習慣そのものが大きく変化していた。江戸味噌の記憶は、すでに遠いものになっていたのである。

さらに、戦禍によって多くの東京の味噌屋が被災・消失したことも致命的だった。江戸味噌は、「近所に味噌屋がある」という小規模流通を前提とした味噌である。しかし、まだ現在のような低温流通も存在しない時代、高い保存性を持ち、広域流通に適した大量生産型の味噌へと置き換わっていくのは、ある意味で必然でもあった。

こうして、さまざまな事情が重なり、江戸味噌は再びつくられることなく、歴史の中に埋もれていった。

江戸甘味噌

先代(河村社長のお父さま)が、ある百貨店から「全国の物産展を開催するので、何か味噌を出してほしい」と依頼を受けた。その際、「そういえば東京にも味噌があったな」と思い至り、当時、自社でつくっていたわけでもなかったため、文献を紐解き、昔の杜氏たちに話を聞きながら復刻したのが「江戸甘味噌」だった。

本来、「江戸味噌」という大きな括りがあり、その中のごく一部に、特殊な甘味噌仕立ての「江戸甘味噌」が存在していた。しかし、戦後に復刻されたこの「江戸甘味噌」が、次第に「東京・江戸のみそ」として定着していったそうだ。

江戸味噌

河村社長も、ご実家である株式会社日出味噌醸造元へ入社した当時は、「東京の味噌」といえば「江戸甘味噌」であり、昔の人はこれで味噌汁をつくって飲んでいた、と聞かされていたという。

ところが、実際に味噌汁をつくってみると、少し甘すぎる。「毎日飲む味噌汁としては、ちょっと重いし、つらいのではないか」、そんな違和感を、次第に抱くようになったそうだ。

一方で、ご自宅では、「江戸甘味噌」を味噌汁や日常の料理に使うことはほとんどなかった。ただ、「味噌ピー」という自社商品の原料として、“甘味噌”の技術だけは細々と残っていたという。

河村社長自身、特別に「江戸甘味噌」の話を聞かされて育ったわけではなかった。しかし、「東京の味噌」としてプロモーションを行ったり、「東京都ふるさと認証食品」を取得したりと、「江戸甘味噌」普及には積極的に関わってこられたそうだ。

そんな中、地産地消をテーマにした、東京の小学校栄養士たちの集まりから声がかかった。東京の地産地消食品を探し続け、ようやくたどり着いたのが「江戸甘味噌」だったという。

「これについて教えてほしい」と、河村社長のところに訪ねて来られた。そこで質疑応答を重ねるうちに、「小学校で味噌の授業をしてほしい」と依頼を受けた。

河村社長も、商売としての知識は持っておられたが、「一度、きちんと調べ直した方がいい」と考え、本格的な文献調査を始められたのである。

本来の江戸のみそとは?

そんな時、オフィスにあった昭和14年の味噌技術書を、河村社長がたまたま手に取った。そこには、「江戸甘味噌」ではなく、「江戸味噌」と書かれていた。

「あれっ、『江戸甘味噌』じゃないの?」

そう思い、製法を見ていくと、配合比率らしき数値が載っている。しかし、その数値は、どう見ても現在の「江戸甘味噌」の配合ではなかった。むしろ、一般的な甘口味噌に近い配合だったのである。

「おかしいな」

そう思って、さらに調査を進めた。「石」や「一升」など、昔の単位をリットルやキロといった現代の単位に換算しても、確かにそれは「江戸甘味噌」ではなく、やはり、一般的な甘口味噌に近い配合だった。

「これなら、毎日飲む味噌汁として成立するはずだ、これこそが「江戸味噌」ではないか」

そう考え、試作を始めたという。

さらに文献を調べていくと、戦後の資料には「江戸甘味噌」という名称が登場するものの、戦前の文献には、その名称が見当たらない。記されているのは、すべて「江戸味噌」だった。

現在、「江戸甘味噌」と呼ばれている味噌も、江戸時代に存在していたことは確かだが、それは一部の味噌屋だけがつくる、秘伝の名物味噌のような存在だったことも分かってきた。ところが明治期に入ると、杜氏たちの社会的立場が変化し、各味噌蔵の技術が外へ流出し始める。河村社長の会社にも、大正時代、そうした味噌屋から杜氏長が移ってきた記録が残っているそうだ。

この頃から、「江戸甘味噌」の製法は東京中へと広がり、一定の普及を見せるようになったと考えられている。ただし、当時の文献では「江戸甘味噌」ではなく、「東京甘味噌」と呼ばれていたそうだ。

実際に、試作した「江戸味噌」で味噌汁をつくってみると、「これなら毎日飲める」と感じたという。

そして、「江戸甘味噌」ではなく、こちらこそが本来の“江戸の日常味噌”だったのではないか、と確信を深めていった。その後、戦前の文献を中心に資料収集と試作を繰り返し、2年をかけて、ついに「江戸味噌」は70年ぶりに復刻されたのである。

江戸味噌の特徴

江戸味噌は、一見すると濃い赤褐色の、いかにも力強い味を想像させる味噌である。ところが、ひと口味わうと、その印象は大きく変わる。意外なほどさっぱりとしていて、クセがなく、軽やかな甘みがすっと引いていく。上品で洗練された味わいが特徴だ。

この味の背景には、原料と製法がある。江戸味噌は、大豆とほぼ同量の米こうじを用いる甘口味噌であり、塩分はおよそ10%前後とやや控えめである。一般に、こうじの割合が多いほど甘みが強まり、同時に発酵の進みも早くなる。そのため、江戸味噌は長期熟成ではなく、短期間で仕上げられる。

「江戸味噌」は短期熟成だが、発酵を早めるために大量の米こうじを使うことから、往時はぜいたくな味噌とされていた。現代では、「長期熟成=高級」という価値観が一般的である。しかし、これは戦後に定着したものであり、江戸時代から戦前にかけては、江戸味噌のように、こうじを多く使う短期熟成の味噌こそが上等とされていた。

「江戸味噌」の最大の特徴は、「フレッシュさ」にある。長期熟成味噌に見られる独特の強い香り、いわゆる“味噌らしい匂い”が少なく、素材の持ち味を損なわない。味はしっかりしていながら重さがなく、甘みは軽やかで、後味はすっきりとしている。その印象は、日本酒でいえば吟醸酒に通じるものがある。

この特徴は、現代の食卓において重要な意味を持つ。長期熟成味噌は深いコクと個性を備える一方、その強さゆえに用途は和食に偏りがちである。それに対し江戸味噌は、和食のみならず洋食にも自然に溶け込み、多様な料理に適応する。

食の多様化が進む現代において、その汎用性の高さは大きな価値を持つ。

製法の独自性

江戸味噌の外見上の特徴である濃い赤褐色は、大豆を煮るのではなく、蒸して仕込むことで生まれる。この製法によって、大豆の旨味や成分が煮汁へ流出しにくくなり、深い味わいがしっかりと残る。さらに、短期発酵において問題となりうる異常発酵を抑制する役割も果たしている。

煮抜き

「江戸味噌」に水を加えて布でこし、さらに酒とカツオ節を加えて煮詰め、再び布でこした液状調味料が「煮抜き」である。その味見をさせていただいたのだが、まさに“そばつゆ”のような味わいで驚かされた。

江戸時代初期、醤油が普及する以前は、「江戸味噌」をベースにした「煮抜き」と呼ばれるつゆが、そばつゆとして使われていたという。しかし1800年頃になると、砂糖やみりんが普及し、醤油・砂糖・みりんによって、「江戸味噌」が持っていた旨味と甘味が代替されるようになっていったそうだ。

河村社長は、関東で濃口醤油が主流になった背景についても、一つの仮説を立てておられる。人々が、味噌を絞った色の濃い「煮抜き」の味に慣れ親しんでいたため、それに近い色味と味わいを持つ濃口醤油が選ばれるようになったのではないか、というのである。

河村社長は、「煮抜き」の試作を繰り返し、試飲会などを通じて検証を重ねてきた。そして現在では、「煮抜き」こそが東京の味のルーツであり、現在の甘辛い醤油味のつゆへと繋がっていったものだと、強い確信を持っておられる。

「江戸味噌」復刻の意義

発酵食品の世界では、熟成の長短が、食文化の幅を形成している。例えばチーズなら、長期熟成のパルミジャーノに対し、モッツァレラは熟成期間が短く、フレッシュな味わいを持つ。一般に、長熟のものは個性が強く、そのまま食べるなど用途が限られる。一方、短熟でフレッシュなものは汎用性が高く、さまざまな料理にも使うことができる。

こうした異なる特徴を持つ“長熟と短熟”の両方が存在することによって、発酵食品の文化には幅と深みが生まれる、と河村社長は語る。

しかし味噌においては、この「フレッシュ」に相当する領域が、長らく失われてきた。その中にあって「江戸味噌」は、数少ない“フレッシュな味噌”として位置づけられる。

戦後、日本の食卓は急速に洋風化し、食の多様化が進んだ。その一方で、味噌の消費量は減少を続けている。この背景には、味噌が持つ汎用性の狭まりも無関係ではないのではないか、と河村社長は考えておられる。

素材を活かし、料理を選ばない「江戸味噌」の特性は、こうした状況に対する一つの答えとなりうる。

「江戸味噌」は、単なる一種類の味噌ではない。味噌文化の幅と可能性を体現する存在であり、その“フレッシュ”という特質こそが、これからの食卓において重要な意味を持つ鍵になる、と河村社長は語ってくださった。

まとめ

河村社長は、現在、「江戸甘味噌」として知られる味噌は、戦後に復刻されたものであるが、本来、江戸時代から東京で主に食されていたのは、日常的な味噌汁に適した「江戸味噌」であったことを文献調査と実証実験を通じて突き止め、先代が復刻された「江戸甘味噌」と「江戸味噌」の立ち位置を明確にして、「江戸甘味噌」の大元である「江戸味噌」を復刻された。

「江戸味噌」は、大豆を蒸し、麹を多く使い、高温・短期間で熟成させる独自製法により、アルコール発酵を伴わず煮込んでも風味が変わらないという特徴を持つ。河村社長は、甘み・旨み・塩味のバランスが絶妙なこの万能調味料は、醤油普及前のそばつゆ「煮抜き」のベースであったことが関東で濃口醤油が普及した背景を解き明かす鍵であり、また、現在の甘辛い醤油味のつゆに繋がった東京の味のルーツでもある、と確信しておられる。

この「江戸味噌」の復刻の歴史的・文化的な意義はもちろんのことだが、 河村社長は、味噌文化についても深く掘り下げておられ、長期熟成の味噌が主流になったことで、食の多様化により、味噌の消費が減少を続けている現代の食卓において、素材を活かし、料理を選ばないフレッシュな「江戸味噌」が持つ特徴を世に広め、味噌文化の多様性を未来に継承することにもつなげていっていただきたい。

河村社長は、現在「江戸甘味噌」として知られている味噌が、戦後に復刻されたものである一方、本来、江戸時代から東京で主に食されていたのは、日常的な味噌汁に適した「江戸味噌」であったことを、文献調査と実証実験を通じて突き止められた。

そして、先代が復刻した「江戸甘味噌」と、本来の「江戸味噌」の立ち位置を整理し、「江戸甘味噌」の大元にあたる「江戸味噌」を70年ぶりに復刻されたのである。

「江戸味噌」は、大豆を蒸し、多量の麹を使い、高温・短期間で熟成させる独自製法によってつくられる。アルコール発酵を伴わないため、煮込んでも風味が変わりにくく、甘み・旨み・塩味のバランスにも優れている。

河村社長は、この味噌こそが、醤油普及以前のそばつゆ「煮抜き」のベースであり、関東で濃口醤油が普及した背景を解き明かす鍵であると同時に、現在の甘辛い醤油味のつゆへと繋がる、“東京の味のルーツ”でもあると確信しておられる。

さらに河村社長は、「江戸味噌」の復刻を単なる歴史的・文化的再現としてではなく、味噌文化そのものの可能性として捉えておられる。

長期熟成味噌が主流となったことで、味噌の用途は和食中心へと偏り、食の多様化が進む現代において、味噌の消費は減少を続けている。

その中で、素材を活かし、料理を選ばないフレッシュな「江戸味噌」が持つ特徴を世に広め、味噌文化の多様性を未来に継承することにもつなげていっていただきたい。

COREZOコレゾ 「忘れられた幻の『江戸味噌』を70年ぶりに復刻し、江戸・東京の味覚の中心だったフレッシュな味噌文化を、食の多様化と未来へつなぐ、味噌蔵三代目」である。

取材;2026年3月

初稿;2026年4月

文責;平野龍平

 

 

 

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