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COREZOコレゾ 「『自然の摂理に則った食べ物をつくりたい』、生きた土で育てた『鶯宿梅』を天日塩で3年間漬け込み、自家栽培の紫蘇で仕上げた、先祖伝来の梅干しづくりを続ける梅園主」 賞

徳重 俊一郎(とくしげ しゅんいちろう)さん/有限会社 徳重紅梅園 代表

プロフィール
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受賞者のご紹介
プロフィール
徳重 俊一郎(とくしげ しゅんいちろう)さん
有限会社徳重紅梅園 代表
宮崎県都城市生まれ。
大学中退後、一度は家業を離れ、会計事務所で社会経験を積む。
その後、平成13年(2001年)より本格的に家業へ戻り、現在は生産・加工の実務を担いながら、祖母・徳重 文子(とくしげ ふみこ)さんから受け継いだ土づくりと伝統製法を守り続けている。
徳重紅梅園では、在来種「鶯宿梅(おうしゅくばい)」を中心に、農薬・化学肥料に頼らない栽培を実践。収穫した梅を3年間熟成させる梅干しや、土鍋で1週間かけて炊き上げる梅肉エキスなど、昔ながらの製法による梅づくりを続けている。
プロローグ
宮崎県都城市。三方を山に囲まれたこの地で、60年以上にわたり梅を育て続けてきた徳重紅梅園。
そのはじまりは、創業者・徳重 文子さんが、荒れ地を切り拓き、自らの手で一本一本梅の木を植えたことからだった。
実は、俊一郎さんとは、以前、こめみそしょうゆアカデミーの堀田雅湖さんからご紹介いただき、東京の百貨店催事会場で一度お会いしていた。
今回、別の百貨店催事のため宮崎から上京されていた徳重 俊一郎さんを訪ね、催事前日の準備を終えた後、貸しミーティングスペースでお話を伺った。
その時、初めて口にした在来種「鶯宿梅」の梅干しは、一般的な南高梅とはまったく違っていた。
しっかりとした果肉の食感、力強い酸味、そして、口の中に長く残る深い味わい。
「これは、普通の梅干しではない」
そんな印象が、強く残っていた。
今回、改めて話を伺うと、その味の背景には、収穫量の少ない在来種を使い、さらに3年間熟成させてから商品にするという。
効率を考えれば、とても合理的なやり方ではない。
俊一郎さんは、「この土、この梅、この作り方を、このまま次の世代へ渡したい」と静かに語った。
徳重紅梅園創業者

宮崎県都城市の徳重紅梅園創業者は、徳重 俊一郎(とくしげ しゅんいちろう)さんの祖母、徳重 文子(とくしげ ふみこ)さん。
その人生の原点には、「梅」によって命を支えられた幼少期の記憶がある。身体が弱く、外で遊ぶこともままならない中、日々の暮らしの中で口にした梅は、文子さんにとって単なる食べ物ではなく、命をつなぐ存在だった。
その後も大病に見舞われるなど、幾多の困難を経験する中で、改めて実感したのが梅の力だった。やがて、「家族の健康を守りたい」、「この命を支えてくれた梅を、自らの手で育てたい」と決意し、昭和36年(1961年)、三方を山に囲まれた都城の地を自ら切り拓き、梅園の歩みを始める。
鶯宿梅(おうしゅくばい)
農学博士・田中 長三郎(たなか ちょうざぶろう)氏との出逢いがあり、文子さんに託されたのは、平安時代の文献『大鏡』にも記される在来種「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の苗木だった。
【鶯宿梅の由来】
平安時代、村上天皇の御所にあった紅梅が枯れた際、ある邸宅から代わりの梅が献上された。その枝には「勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答えむ(帝の命とあれば差し上げますが、毎年やってくる鶯に、自分の家はどうなったのかと聞かれたら、私はどう答えればよいのでしょう)」と記された文が結ばれていた。天皇はその風流な心に感服し、梅を元の主(紀貫之の娘)へ返したという。この「鶯が宿る梅」という名に恥じない気高さを持った梅こそが、紅梅園の原点となった。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。梅園を守り育てるため、農業だけでなく複数の仕事を掛け持ちし、自ら経営の基盤を築き上げてきた。
「土は命、食べ物は人の命」
その信念のもと、利益だけに偏らない生き方を貫きながら、現実と向き合い続けた歳月だった。
愛情を込めた土づくり

徳重紅梅園の土壌は、農薬や化学肥料に頼らず、梅園に生える野草に油粕や堆肥を与え、年間6〜7回草を刈る。その草を微生物たちが分解し、再び梅の木の栄養となっていく。微生物の力を活かした土づくり。その土に根を張った梅の木は、歳月とともに力強く育ち、豊かな実りをもたらしている。
収穫された梅は、すべて自園で丁寧に加工される。3年間熟成させる梅干し、土鍋で1週間かけて炊き上げる梅肉エキス。その一つ一つに、「いのちを無駄にしない」という哲学と、手仕事への揺るぎないこだわりが息づいている。
徳重紅梅園の日々の営みには、「いただいた命を余すことなく活かす」という想いが細やかに表れている。かつては収穫した野菜を、お客様への心遣いとして箱に添えて届けることもあったという。そんな文子さんの姿勢は、今も俊一郎さんへと受け継がれている。
自然とともに生き、土を育て、いのちをつなぐ——。徳重 文子さんが築き上げた徳重紅梅園の営みは、いま俊一郎さんによって守られ、次の世代へと受け継がれようとしている。
事業継承の経緯 ― 衝突を越えて受け継がれたもの
俊一郎さんが大学在学中、梅の収穫期に家族が夜遅くまで作業に追われる姿を目の当たりにし、手伝いとして関わるようになったものの、「手伝い」の感覚と「仕事」の厳しさのギャップから、祖母・文子さんと衝突を繰り返し、喧嘩別れをして家を飛び出すことに。
その後、縁あって会計事務所に勤め、社会人としての基礎と実務を学ぶことになるが、この経験が大きな転機となった。
平成13年(2001年)、お世話になった会計事務所の会長から「家業を継がせるために社会勉強をさせたんだ」と厳しく諭され、
俊一郎さんが大学在学中、梅の収穫期に家族が夜遅くまで作業に追われる姿を目の当たりにし、手伝うようになった。しかし、「手伝い」の感覚と、「仕事」として背負う責任との間には、大きな隔たりがあった。
祖母・文子さんと衝突を繰り返し、やがて喧嘩別れのような形で家を飛び出すことになる。
その後、縁あって会計事務所に勤め、社会人としての基礎や実務を学ぶことになった。
だが、この経験が、後に大きな転機となる。
平成13年(2001年)、お世話になった会計事務所の会長から、「家業を継がせるために、社会勉強をさせたんだ」と厳しく諭された。
文子さんと俊一郎さんの二人は、その会長の前で涙を流して向き合い直し、俊一郎さんは徳重紅梅園へ戻って、再び共に歩み始めた。
以来、俊一郎さんは生産と加工の実務を担いながら、文子さんが築いてきた土づくりと製法を受け継ぎ、今日まで歩み続けている。
東京での展開 ― 「ホンモノ」が広く知られるようになった転機
徳重紅梅園の名が広く知られるようになった契機の一つが、東京での百貨店催事への出展である。
きっかけは、「日本人が食べたい本物」といった趣旨の書籍に掲載されたことに遡り、その記念企画として、百貨店(高島屋)での催事に参加したのが最初であった。この出展が大きな反響を呼び、以降、継続的に催事へ出展するようになった。現在では約20年続く取り組みとして、年に2回、俊一郎さん自らが店頭に立つ形で展開されている。
大量生産とは対極にある紅梅園の梅づくりが都市部においても支持を得てきた背景には、「変わらない製法」と「つくり手自身の言葉で直接伝え、食べることのプロであるお客さまの声を直接聞く真摯な姿勢」がある。
徳重紅梅園の名が広く知られるようになったきっかけの一つが、東京での百貨店催事への出展だった。
始まりは、「日本人が食べたい本物」といった趣旨の書籍に掲載されたこと。その記念企画として、高島屋の催事に参加したのが、徳重紅梅園にとって初めての百貨店催事だったという。この出展が大きな反響を呼び、以降、継続的に催事へ出展するようになった。現在では約20年にわたり、年に2回ほど、俊一郎さん自らが店頭に立ち、お客さまと直接向き合っている。
大量生産とは対極にある、徳重紅梅園の梅づくり。
収穫量の少ない在来種を育て、3年間熟成させ、効率よりも「味」と「土」を守り続ける。
そんな変わらない製法と、つくり手自身の言葉で丁寧に伝え続けてきた積み重ねが、少しずつ、「ホンモノ」を求める人たちへ届いていった。
現在の役割分担
現在は共同代表体制を取り、実質的な生産・加工などの実務は俊一郎さんが担っている。
一方、文子さんは、97歳(2026年3月時点)となった今も、お客様一人一人に宛てた手書きの手紙を添えるなど、徳重紅梅園の「顔」として、お客様とのつながりを大切にしておられる。
その存在は、いまも紅梅園の精神的な支柱となっている。
徳重紅梅園の梅干しの特徴

原料の梅ー鶯宿梅

梅の品種別収穫量比率(推計)では、南高梅が約70%、白加賀梅が約15%を占め、鶯宿梅は、2〜3%程度に過ぎない。
この鶯宿梅は、現代の主流である南高梅のように、収穫量や扱いやすさを重視して改良された品種ではなく、古来の野生に近い在来種である。そのため、収穫量は南高梅のわずか3分の1ほど。果肉は硬く、一般的な梅干しによく使われる南高梅とはまったく異なる特徴を持つ。もともとは、梅エキスや梅シロップなど、「成分を引き出す加工」に適した梅とされてきた。
しかし、その分、一粒一粒に蓄えられた野生本来のたくましい生命力があり、果肉が非常にしっかりとしているのが特徴である。
数ヶ月で仕上がる一般的な梅干しとは異なり、この引き締まった果肉こそが、紅梅園の3年熟成梅干しを支える土台となっている。実際に、梅干しの成分分析比較結果にも顕著に表れており、全国標準値と比較すると、ビタミンA・カロテンは23倍、鉄分は9.9倍、ビタミンB2・E、葉酸は5倍、亜鉛は3.2倍。一方で、食塩相当量やナトリウムは半分程度に抑えられている。
唯一の調達原料である「塩」を極める

梅干しの原料は、梅、紫蘇、塩の三つ。梅と紫蘇は自社農園で栽培し自給できるが、塩だけは外部から調達しなければならない。
かつて日本の塩は、国の専売制によって管理されていた。平成9年(1997年)、塩専売法が廃止され、自由に塩を選べるようになると、文子さんはさまざまな塩を試し始めた。そして、さらに納得のいく塩を求め、ある方の紹介で中国・福建省へ渡り、現地で製法を確かめながら、天日塩を探し歩いたという。
そうして辿り着いた塩には、他の塩とは明らかに違う特徴があった。俊一郎さんによれば、「梅酢の上がり方が全然違う」という。
通常、梅干しづくりでは、塩漬け後、重石をかけながら時間をかけて梅酢を引き出していく。しかし、この塩は、同じ塩分量、同じ条件で漬けても、驚くほど早く梅酢が上がるのだという。
それは、梅の内部へ強く働きかける、この塩特有の力、際立った浸透圧の強さによるものなのだろう。
「三年漬け」 ― 時間がつくる滋味
「丸3年間」にもおよぶ塩漬け
紅梅園の梅作りを象徴するのが、この「丸3年間」にもおよぶ塩漬けである。
一般的な梅干しは収穫後、夏の土用干し(数ヶ月以内)を経て完成とされるが、紅梅園では「3年経てば薬になる」という先祖からの口伝を頑なに守り、あえてこの長い歳月をかける。
野生に近い鶯宿梅が時間をかけて内部から変化していくのを待つこの間に、じっくりと塩の角が取れ、味わいはまろやかに、そして深くなっていく。
時間そのものが、紅梅園の梅干しを育てているのである。
熟成で塩の角が丸くなる(まろやかになる)仕組み
俊一郎さんが語る「3年熟成で塩の角が取れる」という表現が気になったので調べてみた。
俊一郎さんは、1年ものの梅干しでは、まだ「塩角」が立っていると話す。漬けたばかりの梅干しは、塩の刺激が舌に強く届き、「塩辛い」「角がある」と感じやすい。
しかし、3年という歳月をかけることで、塩は梅の水分や酸とゆっくりなじみ、刺すような刺激が和らいでいく。梅に含まれるクエン酸やリンゴ酸などの有機酸、そして熟成の中で生まれるわずかな旨味成分が、塩味と酸味を一体化させ、単なる塩辛さではない、奥行きのある味わいへと変えていく。
特に鶯宿梅は果肉が硬く締まっているため、短い熟成ではその良さが出にくい。3年かけてようやく、塩、酸味、旨味がなじみ、鶯宿梅本来の深い味わいが現れてくるようだ。
詳しくは下記。
- 塩の「クラスター(集団)」が細かくなる
漬けたての梅干しの塩(塩化ナトリウム)は、分子が大きく角張った状態で存在していて、これが舌の味細胞を直接、強く刺激するため、私たちは「塩辛い」「角がある」と感じるが、3年という歳月をかけることで、塩の分子の周りに水分子が規則正しく並び、塩を包み込むような「抱水(ほうすい)」という状態になり、また、大きな塊だった塩の集団が細分化され、水分子のクッションに守られることで、舌に触れた瞬間の「刺すような刺激」が消え、丸みのある味へと変化する。 - 有機酸(クエン酸)との「緩衝作用」
梅の最大の特徴である強力な酸(クエン酸やリンゴ酸)が、塩と手を取り合い、熟成が進むと、クエン酸の「酸味」と塩の「塩味」が分子レベルで複雑に絡み合って、互いの刺激を打ち消し合う「緩衝(かんしょう)作用」が働き、鶯宿梅のような硬い梅でも、3年経つと種の中の「仁」にまで塩分と酸が到達する。これは、実全体が化学的に最も安定した「平衡状態」に達した証拠であり、これが「熟成の極み」と呼ばれる。 - 微量成分による「味の厚み」の生成
3年という時間は、梅のタンパク質をゆっくりと分解して、微量のアミノ酸(旨味成分)を生み出し、このわずかに生じた旨味が、塩味の周囲に薄いベールをかけるように作用する。これが、ただ塩辛いだけではない、奥行きのある「滋味」の正体。また、天然塩に含まれるミネラルや、梅由来の豊富なカリウムが塩化ナトリウムと共存することで、体内への吸収も穏やかになり、生理学的にも「身体に馴染む」感覚をもたらす。
紫蘇での漬け込み
こうして3年間の塩漬けを経た梅は、最後に紫蘇で漬け込まれる。使われるのは、梅園と同じく、開園以来50年以上にわたり、農薬や化学肥料に頼らず自社栽培してきたチリメンシソ。香り高く、鮮やかな発色を持つこの紫蘇によって、長い歳月を重ねてきた梅は、ようやく徳重紅梅園の梅干しとなる。
祖先より伝わる「紅梅園の梅干しの味」
紅梅園の梅干しは、自然栽培された鶯宿梅を、紫蘇と天日塩だけで漬け込んだ無添加梅干しである。そのため、カツオ風味やハチミツ漬けといった調味梅干しに慣れた人にとっては、とても酸っぱく感じるかもしれない。実際に口にすると、南高梅のような柔らかい食感とは異なり、果肉はしっかりとしていて、酸味も力強い。
だが、その味わいには、余計なものを一切加えない、梅本来の自然な力強さがある。これこそが、祖先より受け継がれてきた、「昔ながらの梅干しの味」なのだろう。
塩だけで漬け込む伝統的な梅干しの塩分量は、一般的に18〜20%程度とされている。しかし近年は、厚生労働省による減塩推奨や健康志向の高まりもあり、「塩分=悪」というイメージが強くなった。現在、スーパーなどで販売される梅干しの多くは、調味液や甘味料を加えた減塩タイプだと云われている。
一方、昔ながらの梅干しは、高い塩分濃度によって微生物やカビの繁殖を抑え、常温でも長期間保存できる保存食として受け継がれてきた。さらに、塩によって梅の水分がしっかり抜けることで成分が凝縮され、腐敗しにくくなる。
紅梅園の梅干しは、そうした日本古来の保存食文化を、今もそのまま伝えている。
「減塩梅干し(調味梅干し)」
今や主流となっている、「減塩梅干し(調味梅干し)」の塩分濃度は、5%〜10%程度なので、常温保存はできず、塩分を下げるとすぐにカビが生えたり菌が繁殖したりするため、これを防ぐために、一般的な「減塩梅干し(調味梅干し)」には以下のものが添加されていることが多い。
現在、主流となっている「減塩梅干し(調味梅干し)」の塩分濃度は、5〜10%程度のものが多い。塩分を下げると、微生物やカビが繁殖しやすくなり、常温での長期保存が難しくなるため、一般的な調味梅干しでは、保存性や味のバランスを保つ目的で、さまざまな原材料や調味料が使用されている。
- 保存料・酒精(エチルアルコール): 菌の繁殖を抑えるため。
- 酸味料(醸造酢など): 保存性を高めつつ、酸味を補うため。
- 甘味料(ステビア、スクラロース、はちみつ等): 塩を抜いた後の物足りなさを補うため。
- 化学調味料(アミノ酸等): 「旨味」を人工的に足すため。
などが用いられることが多い。
一方、紅梅園の梅干しは、梅、紫蘇、塩だけで仕込む、昔ながらの製法を今も守り続けている。
「減塩梅干し」の製法
現在、多く流通している「減塩梅干し(調味梅干し)」は、伝統的な梅干しとは製法が大きく異なる。
1. 脱塩(だつえん)工程
まず、塩分20%前後で漬け込まれた伝統的な梅干し(白干し梅)を、大量の水や温水に一晩ほど浸し、塩分を5%〜10%程度まで強制的に下げる。この工程により、塩と一緒に、梅本来のクエン酸、ミネラル、旨味成分まで一緒に流れ出てしまうため、「味が抜けた、ただの酸っぱい果実」のような状態になる。
2. 調味(ちょうみ)工程
「脱塩」で失われた味を補うために、旨みとして、カツオエキス、昆布エキス、化学調味料(アミノ酸等)など、さらに、酸味をマイルドにするため、はちみつ、ステビア、スクラロースなどの甘味料、腐敗防止と酸味を調整して、味の引き締めを行うため醸造酢やリンゴ酢などを加えた、調味液(ピックル液)に漬け込む。
- 旨味の添加: カツオエキス、昆布エキス、化学調味料(アミノ酸等)などを加える。
- 甘味の添加: はちみつ、ステビア、スクラロースなどの甘味料で、酸味をマイルドにする。
- 酸味の調整: 醸造酢やリンゴ酢を加え、腐敗防止と味の引き締めを行う。
3. 保存・安定化工程
塩分が低くなると、常温ではすぐにカビが生えたり腐敗したりするので、これを防ぐために「添加物」の力が必要になる。
- 酒精(エチルアルコール): 殺菌・防腐のため。
- 保存料(ビタミンB1など): 保存性を高めるため。(※合成保存料を避けるため、天然由来のビタミンB1=チアミンが使われることが多い)
- 着色料: 野菜色素などで、美味しそうに見える色を付ける。
こうした調味梅干しは、現代の減塩志向や食べやすさに合わせて発展してきた製法である。
こうした工程を経て、減塩志向や食べやすさに合わせて、現在主流となっている「減塩梅干し(調味梅干し)」がつくられている。
一方、徳重紅梅園では、梅、紫蘇、塩だけで3年間熟成させるという、昔ながらの製法を今も守り続けている。
「梅干し」と「調味梅干し」
実は、JFS(日本食品標準成分表)や食品表示法においても、「梅干し」と「調味梅干し」は明確に区別されている。
- 「梅干し」: 塩のみで漬け、天日干ししたもの。(伝統的なもの)
- 「調味梅干し」: 塩抜き後に、はちみつ、かつお節、ステビア、保存料などで味付けしたもの。(いわゆる減塩タイプ)
しかし、店頭ではどちらも「梅干し」として並んでいることが多く、その違いが意識される機会は、あまり多くないのかもしれない。
あなたならどちらを選びますか?
梅干しメーカーのジレンマ
ある大手梅干しメーカーの工場見学をした際、ご案内くださった社長さんが、脱塩(だつえん)工程と調味(ちょうみ)工程の説明の中で、こんな言葉を口にされた。
「せっかく漬け込んだ梅干しを大量の水に浸けて脱塩し、調味液で味付けをするのは、本意ではないのです。ですが、市場のニーズにお応えしないと、商売にならないのですよ。」
その言葉が、とても印象に残っている。
つくり手として、せっかく塩の力で数ヶ月熟成させ、梅の自己防衛本能(クエン酸やミネラルの凝縮)を引き出したのに、それを大量の水で「洗い流す」のは、本来の梅干しが持つ力を抜き取ってしまうような感覚に近いのかもしれないし、一度抜いた味を、化学調味料や甘味料、酒精などの「人工的な足し算」で埋める作業にある種の虚しさを感じておられるようだった。
伝統的な梅干しとは?
広大な梅林から、わずかな量しか採れない貴重な鶯宿梅を3年という歳月をかけて塩の角を丸くしていく。
1. 「塩」の質と体内での挙動(カリウムとのバランス)
一般的に「塩分=不健康」というイメージが強いが、実際には、塩の種類や、どのような食品として摂取するかによって、その性質は大きく異なる。不健康とされる塩分の多くは、ミネラル分を削ぎ落とした精製塩(塩化ナトリウム99%以上)を前提に語られていることが多い。一方、徳重紅梅園のように、自然の力を活かした伝統的な製法の梅干しには、梅由来のカリウムが豊富に含まれている。カリウムは、ナトリウム(塩分)を体外へ排出する働きを持つとされており、「塩分を取り込む」と同時に、「排出する力」も備えた食品とも考えられる。また、精製塩とは異なり、天然塩に含まれるミネラル成分も複雑に関係し合い、単純な「塩分量」だけでは語れない側面があるようだ。
2. 減塩梅干し(調味梅干し)の製法と添加物
現在主流となっている「減塩梅干し(調味梅干し)」は、一度、伝統的な梅干しを大量の水や温水に浸して脱塩(だつえん)し、その後、調味液で味を整える製法が一般的である。この脱塩工程では、塩分だけでなく、梅に含まれるクエン酸やミネラル、ポリフェノールなども一緒に流れ出ていく。
そのため、その後の調味工程では、旨味を補い、甘味料で酸味を和らげ、添加剤などによって、保存性や味のバランスを整えていく。
もちろん、これは現代の減塩志向や食べやすさに対応するための技術でもある。一方で、伝統的な梅干しが本来持っていた力を、一度「引き算」した上で、別のもので「足し算」をしているとも言える。
3. 「量」の概念:一粒の重みの違い
伝統的な製法の梅干しには、クエン酸が多く含まれ、代謝を促進して、疲労物質(乳酸)を分解、また、強力な酸が腸内の悪玉菌を抑え、食中毒の予防や便通の改善に寄与し、さらには、植物性ポリフェノール:の抗酸化作用により、血管や細胞の老化を防ぐ養生食でもある。
減塩梅干しは塩分が低いため、比較的食べやすい。そのため、一度に2〜3粒食べることも珍しくない。
一方、伝統的な梅干しは塩分濃度が18〜20%前後あり、非常に塩辛く、酸っぱい。だからこそ、一粒を少しずつ、ご飯とともに大切にいただくことになる。そこには、「たくさん食べる」のではなく、「一粒を味わう」という感覚がある。
また、伝統的な梅干しには、クエン酸やミネラル、植物性ポリフェノールなどが豊富に含まれており、古くから日本人の養生食として受け継がれてきた。
近年では、伝統的な梅干しに含まれる成分に、ACE阻害作用(血圧上昇に関わる酵素の働きを抑える作用)があることを示す研究もあり、一概に「梅干しの塩分=高血圧」と単純には結びつけられない側面もあるようだ。
「引き算・足し算」と「引かず・足さず」、どちらが腑に落ちますか?
目先の減塩のために、一度大切なものを「引き算」し、そこへ別のものを「足し算」して味を整えた梅干しか。それとも、「何も引かず、何も足さず」、自然の力と3年という歳月によって、梅本来の味を育てた梅干しか。
徳重紅梅園の梅干しは、そんな問いを、静かに投げかけているように思えた。
徳重紅梅園のその他の商品
土鍋に宿る「日本の手仕事」 ― 梅肉エキス

徳重紅梅園の梅肉エキスづくりも、独特の手仕事によって受け継がれている。
使用するのは、30年近く使い続けられてきた直径60cmほどの土鍋。煮詰めるごとに一回り小さな鍋へと移し替えながら、約一週間かけて濃縮していく。土鍋は熱伝導こそ緩やかだが、その分、高い保温性を持つ。急激な加熱を避けながら、じっくりと熱を入れることで、素材の成分を壊さず、深く濃い味わいへと変わっていくのだという。
俊一郎さんは、この工程を「日本の手仕事」と表現する。
効率では測れない、時間と手間。その積み重ねが、徳重紅梅園の梅肉エキスをつくり上げている。
種ごと梅肉

「種ごと梅肉」は、徳重紅梅園でしか製造・販売していない独自の商品である。
その発想の原点には、祖母・文子さんの日々の実践があった。古くから、梅干しの種には身体を整える力があるとされ、「種を飲み込むと内臓に良い」といった民間的な知恵も伝えられてきたという。
文子さん自身もこれを実践していたそうだ。
しかし、梅の種は硬く大きいため、そのままでは日常的に食べ続けるには負担が大きい。そこで生まれたのが、「種をすべてすりつぶす」という発想だった。徳重紅梅園の梅干しは、3年間じっくり熟成させているため、味は果肉だけでなく、種の内部(仁)にまで深く浸透している。
その状態になった梅を、殻ごとすべて丁寧にすりつぶし、ペースト状に仕上げる。すると、これまで捨てられていた種の部分まで余すことなく取り込まれ、味わいにも独特の深みが加わるのだという。また、極めて細かく粉砕されているため、口当たりに違和感はほとんどない。
俊一郎さんによれば、「種まで使う」という発想自体が珍しいのだという。
だが、この商品には、単なる加工品というだけではない、「もったいない」という生活感覚と、「いただいたものを余すことなく活かす」という、徳重紅梅園らしい考え方が、そのまま表れているように感じた。
昔ながらの純椿油

徳重紅梅園の重要な仕事の一つとなっている純椿油の製造。祖母の文子さんもかつてこの椿油づくりを手伝い、その製法を体得していた。現在もその製法は受け継がれ、ひいばあちゃんの代から伝わる方法によって製造が続けられている。
徳重紅梅園の梅林の周辺には、椿の木が防風林として植えられている。春には真っ赤な花が咲き誇り、彼岸の頃になると硬い殻が割れ、その中から濡れたような艶を帯びた黒い実が現れ、やがて自然に地へと落ちる。
この実を拾い集めるのは、近隣に暮らすおじいちゃん、おばあちゃんたちである。「集める」というよりも、「持ち寄られる」と表現する方がふさわしいほどに、地域の営みとして続いてきた。
こうして近隣の人々が拾い集めた実を、天日で乾燥させたのち、代々伝わる温度管理と圧搾法で搾油して、厚手の和紙で丁寧に濾過し、余分な処理を一切施さず、自然のままの状態に近いかたちで仕上げられる。
地域との関係性の中で、搾油は年に一度、三月頃に行われ、その年に集まった実だけを用いて仕込まれるため、生産量は限られ、極めて希少な油となる。
この椿油は、バージンオリーブオイルと同じ製法(低温圧搾)で作られており、オリーブオイルよりもオレイン酸を豊富に含んだ油で、食用としてお料理にも使え、保湿効果が高く美容面でも効果・効能のある油なので、美容にもおすすめとのこと。
徳重紅梅園の大切な仕事の一つとなっているのが、純椿油づくりである。祖母・文子さんも、かつてこの椿油づくりを手伝い、その製法を体得していたという。現在もその方法は受け継がれ、ひいばあちゃんの代から伝わるやり方で製造が続けられている。
徳重紅梅園の梅林の周辺には、防風林として椿の木が植えられている。春になると真っ赤な花が咲き、彼岸の頃には硬い殻が割れ、その中から、濡れたような艶を帯びた黒い実が姿を現す。やがて実は、自然に地へ落ちる。
その実を拾い集めるのは、近隣に暮らすおじいちゃん、おばあちゃんたちである。「集める」というより、「持ち寄られる」という表現の方が近いのかもしれない。そうした地域の営みの中で、この椿油づくりは続いてきた。
集められた実は、天日で乾燥させたのち、代々伝わる温度管理と圧搾法によって搾油される。さらに、厚手の和紙で丁寧に濾過し、余計な処理を施さず、自然に近い状態のまま仕上げていく。
搾油は年に一度、三月頃。その年に集まった実だけを使うため、生産量も限られている。
この椿油は、バージンオリーブオイルと同じ製法(低温圧搾)で作られており、低温圧搾によってつくられており、オレイン酸を豊富に含み、食用として料理に、また、昔から髪や肌の手入れにも用いられてきた。
梅づくりと同じように、この椿油にもまた、土地の風土と、人の手による営みが静かに息づいている。
徳重紅梅園の今後
「変えない」ことを次代へつなぐ
俊一郎さんは、「この製法は、自分の代で変えるものではない。次の世代へ、そのまま手渡すべきものだと思っています。」、「広げることよりも、今あるものをそのまま次の世代へ渡すことが、一番大事だと思っています。」と語る。
梅の栽培から加工に至るまでの一連の営みは、長い年月と土地の力によって成り立っている。だからこそ、安易に効率化したり、作り方を変えたりすれば、本来の味や、長年積み重ねてきたお客様との信頼まで変わってしまう。
俊一郎さんは、自らの役割を、「完成されたものを守り、次の世代へ手渡すこと」だとだと捉えている。その一方で、次の世代には、その時代に合った工夫や表現を加える余地も残していきたいという。ただし、土づくりや製法、その根幹だけは変えてはならない。
その背景には、「この梅干しの味と成分に含まれる豊富なミネラルやビタミンは、今ある土と梅があってこそ生まれるものだ」という、祖母・文子さんから受け継いだ信念がある。
祖母の代から受け継がれてきた製法と、その背景にある土や風土、そして樹齢60年を超える梅の木々を、これからも守り続けていくことに重きが置かれている。
まとめ
現在、俊一郎さんと文子さんは、共同代表として、実務と精神的支柱という形で見事な連携を取られている。文子さんは、97歳(2026年3月時点)になられた今も、顧客への手紙を書くなど、長年築いてきた関係性を支え続けておられ、さらには、パソコンも使いこなしておられるというから驚きだ。
幼い頃から身体が弱く、梅に支えられて生きてきた文子さん。その後も大病を経験する中で、改めて実感したのが梅の力だった。
「家族の健康を守りたい」、「この命を支えてくれた梅を、自らの手で育てたい」
そんな想いから始まった梅づくりを、文子さんは、60年以上にわたり続けてこられた。
徹底して「食べるもの」にこだわり、農薬や化学肥料を使わずに栽培した、自家製の梅製品や野菜を食べ続けてこられたことが、97歳となった今も現役で働き続けておられる、その元気の源となっているのだろう。
「自然の摂理に則った食べ物をつくりたい」、そして、「皆様に健康になっていただきたい」。
文子さんの想いは、実務を担う俊一郎さんにも受け継がれている。
俊一郎さんが守ろうとしているのは、「新しさ」ではなく、「何も引かない、何も足さない」、「変わらなさ」。
経済効率が優先されがちな現代において、「いかに効率よく、大きく、たくさん作るか」を追うのではなく、「収量が少なくても、実が小さくても、先代から受け継いだ土と製法をそのまま守り抜く」こと。
そして、「長年支えてきてくださった顧客の皆さんに、これからも変わらず、毎日、安心して召し上がっていただけるものを届け続けること。」とおっしゃる。
その静かな覚悟こそが、徳重紅梅園の未来をつくっていくのだろう。
COREZOコレゾ 「『自然の摂理に則った食べ物をつくりたい』、生きた土で育てた『鶯宿梅』を天日塩で3年間漬け込み、自家栽培の紫蘇で仕上げた、先祖伝来の梅干しづくりを続ける梅園主」賞である。
取材;2026年3月
初稿;2026年4月

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