田上 重之(たがみ しげゆき)さん/「野球のまち阿南」の大立役者

田上重之

COREZOコレゾ「夢は、阿南市を草野球の聖地にすること、『野球のまち阿南』構想推進の小さな大立役者」賞

田上 重之(たがみ しげゆき)さん

田上重之

プロフィール

1952年徳島県阿南市生まれ

地元の高校を卒業後、市役所に入り37年間、福祉関連の仕事を歴任

38年目から野球のまち推進事業を担当

定年退職後、市参与(2019年12月退任予定)

受賞者のご紹介

野球のまち阿南

阿南市は、人口約7万人、徳島県南東部に位置し、蛍光体やLEDの生産が盛んだが、これといった有名な観光資源がなかった。

2007(平成19)年、四国初のナイター設備と電光掲示板を完備した、両翼 100m、中堅 122mの本格的な野球場、JA アグリあなんスタジアム が完成したことが契機となって、「野球のまち阿南」を掲げ、草野球開催地として、交流人口を増やしてきた。

その立役者が、田上重之(たがみしげゆき)さんである。田上さんは、地元の高校を卒業後、 阿南市役所に入り、37年間福祉関係の職務を歴任し、福祉のエキスパートと して活躍。38年目から、野球のまち阿南推進事業を担当し、2010年「野球のまち推進課」初代課長に就任した。。22歳の時に始めた早起き野球がきっかけで、阿南市の野球連盟の事務局長も務め、40年以上野球に関わっておられる。

JA アグリあなんスタジアムこけら落としに欽ちゃん球団

「阿南市には、草野球をする土壌がありました。高校野球はどこ行ってもありますよね?でも、草野球は、また、別の世界で…。阿南市内には、60歳以上の野球チームが10チームありますが、徳島市には1チームしかなく、鳴門市や小松島市は、ひとつもありません。還暦野球の大会で、他の県に行って、一市に10チームもあるっていうことが普通でないことに気がつきました。」

「県営球場というのが、徳島市と鳴門市の2つしかなく、県南に全くなかったので、阿南市に野球場も含めた運動公園建設の計画ができたものの、なかなか前に進みませんでした。」

「新しい球場もできたら、何か展開ができるんじゃないかなと思い、とにかく先に野球場を作ってもらおうと、県会議員とかに働きかけたり、5000人の署名を集めたり、1995(平成7)年からいろんな運動をして、ようやく、2007(平成19)年に野球場が完成しました。陸上競技場は来年(2020年)完成予定なので、10年以上、早くできましたが、待っていたら、もっと時間が掛かったと思います。」

「当時、タレントの萩本欽一さんがつくった『茨城ゴールデンゴールズ』という野球チームが話題になっていて、野球関係の伝手を辿ってお願いし、地元放送局と組んで、「野球のまち阿南創設記念大会」と銘打ち、四国独立リーグのチームとの試合を企画したところ、大人気となって、こけら落としは成功しました。」

草野球チームの誘致

「故障したプロ野球選手の治療でも有名な整形外科医の先生が、『長野県生涯野球大会』を主催しておられて、その草野球大会がとても参考になったのですが、『西日本生涯還暦野球大会』という大会をつくって、草野球チームを阿南に呼び込みました。」

「それから、大なり小なりの草野球大会、合宿の誘致、野球観光ツアー、というふうに野球ネタで全国各地からお客さんを呼びこむ、という事業をはじめました。」

「プロ野球の試合を招致しようとする自治体もありますが、プロの試合なら、何万人と観客は呼べるでしょうけど、大半はその日のうちに帰ってしまいます。草野球の大会なら、何日間かかけて、トーナメントやリーグ戦をしてもらえば、1チーム十数人としても宿泊が発生する。阿南市内の宿泊施設のキャパは数百で、平日はビジネス客が多いが、空いている週末に誘致すれば、空室も埋めることができて一石二鳥です。」

「それに、プロ野球のチームは12球団しかありませんが、草野球チームは、全国に30,000チーム以上あると云われていますから、年間100チーム来てくれて、食事をしたり、試合後、宴会をやってもらえたら、その方が、まちにお金が落ちるので、活性化につながります。」

ABO60(あなん・ベースボール・おばちゃん・60歳以上)

「ただ試合をしに来ていただくだけでは面白味がないので、いろんな工夫をしています。」

「アグリあなんスタジアムは、プロの試合ができる立派な設備を完備しているので、それを活用して、スピードガンでの球速表示、ウグイス嬢が選手の名前を呼ぶ、電光スコアボードに選手名を出す等、まるでプロ野球の選手になったような気分で試合をしていただけるようにしました。」

「四国はお遍路さんへのお接待の文化が根付いていまして、試合で全国から集まった野球チームの皆さんに、女性団体の皆さんがいろいろ差し入れやお接待をして下さる、そういうことがマスコミに取り上げられて、ウチの婦人会も、ウチも、と声が上がり、60歳以上のチアガールのグループまでできて、チアリーディングの応援団付きで野球ができるようになりました。」

「市内の旅行会社と提携して、1泊2食2試合1交流会付きの『野球観光ツアー』を企画し、対戦相手がいなくても、申し込まれたチームのレベルに応じた地元の対戦チームまで手配したり、大会を開催する場合は、運営も積極的に引き受けたところ、県外からも還暦野球連盟に加盟するシニアチームなどを中心に阿南に来て下さる方が増えました。」

高校野球合宿の誘致

「合宿は、気候が温暖で、比較的甲子園に近く、本格的な室内練習場も完備しているので、選抜大会の前には、積雪で練習ができない北国のチームが来てくださっていましたが、夏季大会前の甲子園出場校の合宿も受け入れていまして、地元高校には、練習試合で強豪校の胸を借りるチャンスが生まれ、実力の底上げにもつながっています。」

経済効果は、1億3000万円超え

「こうした取り組みが評判を呼び、野球のために阿南市で宿泊した人は、この10年で10倍以上増え、2018年度には、延べ5,000人を突破し、直接の経済効果は、1億3000万円を超えたと評価されています。」

「次の目標は、海外の方々にも阿南をもっと知ってもらおうと、ご縁がある、台湾のナショナルチーム、オリンピック出場チームの合宿誘致をなんとか実現したい、と動いています。」

阿南市を『草野球の聖地』に

「私が子供の頃、男の子がなりたい夢は、プロ野球選手、女の子は、看護婦さんという時代でした。私も野球選手になりたくて、自分なりに練習をしましたが、身体が弱く、諦めざるを得ませんでした。」

「でも、選手になることは諦めても、大好きな野球への想いは断ち難く、草野球チームの監督をしたり、阿南市野球連盟の事務局長をしたり、何かしら野球には関わっていました。」

「アグリあなんスタジアムが完成するのを機に、『野球のまち構想』を思いつき、当時の市長をなんとか説得して、大好きな野球で故郷に恩返しができると、裏方に徹することにしました。社会人になって、物事を動かしているのは裏方だということが分かっていましたし、裏方は、今のように60歳超えてもできますからね。」

「それで、球場スケジュール、対戦相手チームの手配、試合や大会の運営・盛り上げ、宿泊、さらには宴会の手配…、それって、市職員の仕事なのかと云うことまで、要望があればできる限り叶えられるよう奔走してきました。全ては、阿南市に来て下さる草野球チームに気持ちよく試合をしてもらい、喜んでもらって、また来ていただくためにやってきたことが、リピーターをつくり、次々に新規利用者を呼び込む原動力になったのではないか、と思います。」

「私の夢は、阿南市を『草野球の聖地』にすることです。一期一会でやってきましたが、そろそろ引き継ぎをやっていかないかん時期になってきましたね。後継者を育てて、夢を一緒に叶えていきたいです。」

2019年12月、阿南市は、新市長に替わり、市参与職は解かれることになったそうだが、当初、地元の人たちからも相手にされなかった「野球のまち阿南」構想を現場で推進し、実績を積み、成果を上げてこられた田上さんなら、立場、カタチは変わっても、阿南市を「草野球の聖地」にする夢を叶えられるだろう。

COREZO「夢は、阿南市を草野球の聖地にすること、『野球のまち阿南』構想推進の小さな大立役者」である。

取材;2019年10月

最終更新;2019年11月

文責;平野龍平

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