松澤 朋典(まつざわ とものり)さん/茅葺師・小谷屋根

COREZOコレゾ「小茅こと、カリヤスを素手で扱い、親子で伝統的な茅場と茅葺技術を守り、伝える茅葺師」賞

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松澤 朋典(まつざわ とものり)さん

プロフィール

長野県小谷村

株式会社小谷屋根 代表

茅葺師

二級建築施工管理技士

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松澤 敬夫(まつざわ けいお)さん

プロフィール

長野県小谷村

株式会社小谷屋根 代表

茅葺師

ジャンル

住まいづくり

伝統建築

伝統文化

受賞者のご紹介

 

松澤 敬夫(まつざわ けいお)さん、朋典(とものり)さん親子は、長野県小谷村で株式会社小谷屋根を営む、茅葺き職人さん。茅場も確保して、小谷地方の伝統的な茅葺き技術を継承しておられる。

2014年7月、株式会社修景事業の金石健太(かねいしけんた)さんと西山哲雄(にしやまてつお)さんのご紹介で、小布施の小布施堂本店でお話を伺うことができた。

ニッカボッカーズを履いた作業着姿の朋典(とものり)さんはガタイがゴツく、陽に焼けてとっても精悍な風貌だ。

茅葺き職人になったきっかけ

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ー 茅葺き職人になられたきっかけは?

「生まれ育った小谷村にはスキー場がたくさんあって、小さい頃からスキーをやっていたので、周りの先生やコーチからスキーで大学に進学したらどうかと勧められていました。やりたい気も少しはありましたが、スキーでは食べて行けない現実も見てきましたし、家が屋根屋で、僕の小さい頃は、茅葺きはたまにやっていたぐらいで、ほとんどが板金屋根でしたが、何か建築に関わる仕事がしたかったのと、将来、自分の家を建てるなら、自分で設計したいという夢もあって、東京の建築関係の専門学校で3年間勉強しました。」

「卒業して、建築会社に就職し、現場監督のような仕事に就いて、現場の仕事を身に付けながら、いろんな資格も取ろうと思っていました。そうして約3年が経過した頃、ある学校法人の校舎の建設現場にいたのですが、1年半ぐらいの工期の途中で、勤めていた会社が倒産してしまったのです。その会社の上司も社員も皆んな居なくなりましたが、現場は、別の会社に引き継がれて動いていました。完成まで見届けたいという思いもあったのですが、給料も出ないのにどうするか迷っていたら、その学校の先生の計らいで、給料は安かったのですが、竣工まで関わらせてもらえました。」

「で、現場が終わって失業して、中途半端でやめるのは悔しいし、親にも申し訳なくて、就職活動を始めたのですが、時期が悪かったのか、なかなか働き口が見つかりませんでした。そんな時、滅多に連絡もしていない父親から、どうだ、がんばってるか?って、電話があって、色々話をしているうちに、戻ってきて茅葺きの仕事をヤル気はないか?って言ってくれたんです。」

「でも、建築の仕事がしたい、と言って専門学校を出させてもらったのに、このまま帰るのはどうにも申し訳が立たない、と言うと、俺だって一緒に仕事できるのは、あと10年程だわ、その10年で全部おめぇに教えるわ、ヤル気があればの話だけどな、って言われて、あんまりこんなことを言わないのに、これってどういうことかと考えました。父が本気なら、僕も本気で父の技術を引き継ぐことができれば、親に甘えるってことでもないんだな、ということに気付き、すぐに、家に戻って、一緒に仕事を始めました。」

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ー 声を掛けてもらったタイミングも良かったんですね、即決だったのですか?お父様は勤務先が倒産したことはご存じなかったのですか?

「そうですね、その時の電話で返事をしました。父は、倒産のことは全く知らなかったと思います。帰ってきて欲しそうな話をしている、っていうのは、周りから何となく伝え聞いて、気にはなっていたのですが、自分から中途半端で帰るのは、許せなかったんですね。」

ー 家業に戻られて何年ですか?茅葺き屋根だけですか?

「あと2ヶ月でちょうど10年です。僕は、茅葺きだけですが、先に戻った8歳上の兄は、当時、板金の仕事がほとんどだったので、板金屋根を主にやっています。父は、板金が流行りだした50年ぐらい前に、茅葺きの仕事が無くなって食っていけなくなるかも知れねぇ、時代に逆らっちゃイケねぇって、東京に修行に出て、仕事を覚えて板金も始めたんです。」

茅の基礎知識

 

ここで、この先の朋典さんの話がよくわかるように、ちょいとばかり茅のおベンキョー。

茅の種類

茅または萱(かや)という植物は存在せず、屋根を葺くのに用いる草本の総称で、古くから屋根材や飼肥料などに利用されて来た、茅葦(よし)、ススキ、カリヤス、チガヤ、スゲ(菅)、シマガヤ、麦わら、稲わら等のイネ科植物が、屋根葺き材として利用されて、茅と呼ばれるそうだ。

ヨシは、水辺に生育し、欧米ではリード(reed)またはウォーターリード(water reed)と呼ばれていて、青森や宮城の産地では、屋根葺き材料として腐りにくいので珍重されるが、通常、ススキより値段が高く、より一般的に屋根葺き材料として使われるのがススキで、山茅(やまがや)とも呼ばれる。地域によって、使われる茅の種類はさまざまで、岩手県では、茅といえば、ススキを指す。

大茅と小茅

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松澤さんが住んでおられる小谷村や中部地方では、ススキは大茅と呼ばれ、小茅(こがや)と呼ばれるオオヒゲナガカリヤスモドキが伝統的な茅だそうだ。

カリヤスもイネ科ススキ属の草本で、古代から草木染めの染料(青みがかった黄色に染まるらしい)として栽培されてきたが、化学染料の普及で栽培地はほとんど無くなったらしい。

オオヒゲナガカリヤスモドキは、カリヤスに似て、小穂の基部に長い毛があり、姿形がカリヤスよりも大型であることからその名がついたという説がある。日本固有の種であるらしいが、オオヒゲナガカリヤスモドキもススキと同じススキ属なので、交雑して、見分けがつかない種もあるという。

※2014年12月、COREZO(コレゾ)賞表彰式の時に修景事業で茅葺きに取り組んでおられた金石さん、西山さんから、実は、小茅(こがや)はカリヤスだという説もあると伺った。よくご存知の方がいらっしゃったらご教授願いたい。

茅場とは?

かつては、里山等の村落共有地で茅場を維持管理して、茅を育て、農閑期に茅を刈り、陽に干して、毎年1軒づつ、住民総出で村落内の家の屋根を葺き替え、出た古い茅は堆肥に使い、茅場はのびやき(茅の生育を促すために茅場を焼く)し、次の葺き替えに備えるという循環型の暮らしを営みながら、村落全体で、村落内にある家屋の維持もしていたそうである。ススキや葦といった植物は、刈れば、翌年、また生えてきて、毎年、屋根材として必要な量を確保できるということも、重要なポイントであったのだろう。

大茅(ススキ)は小茅にくらべ、繁殖力が強く、小茅の茅場を維持するためには、大茅を駆除する必要があり、手間がかかるが、一般的に、ススキで葺いた屋根の寿命が、2〜30年ほどなのに対し、小茅の屋根は、5〜60年保つと言われ、小谷地方では、わざわざ手をかけて、小茅の茅場を維持してきたそうだ。

一人前に茅が葺けるようになるには?

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ー 一人前に茅が葺けるようになるにはどれぐらいかかるものですか?

「昔は、農業があっての屋根仕事だったんです。農閑期に村落で管理していた茅場で茅を刈り、干して、毎年1軒づつ、村落内の家の屋根を住民総出で葺き替えていたので、何十年かに1度、自分の家の番が回ってくる訳です。その頃から10年で覚えられないと見込みがないと云われていたそうで、つまり、10棟もやれば、モノになるかならないかがわかったようです。ただやっているだけでできるようになるもんじゃないし、真面目にやっているだけでもダメで、勘も鋭くなくっちゃイケナイ、とか言われました。」

茅葺師修行とは?

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「僕にできるかなと思いつつも、親にできて自分にできないのも悔しいし、右手を動かしているときは左手をどうしているかとか、とにかく、父や他の職人さんのちょっとした所作も見逃さないように、作業中の音も聴き逃さないように、休みもなしで、何もかも盗んでやろうと必死でやってきました。」

「勿論、最初は見習で、何もわからないので、あれ持って来い、これ持って来い、って言われるままの下働きしかできなかったのですが、見習は見て習う訳ですから、そんなのいちいち指図されなくても先に動いて、段取りができる最高の手間になってやる、って意気込みで働いていました。職人さんたちの動きをよく見ていると、この人のやり方は、要領がいいなとか、全然違うなとか、周りが散らかってるなとか、何となく、わかるようになってきて、注意する方もされる方も時間の無駄だし、いいことは真似しても無駄な動きだけは絶対にしないように心掛けていました。」

「2年目になって、たまに、ちょっと来い、って言われて、徐々に、仕事をさせてもらえるようになりました。3年目にもなると、茅使いや工程も大体わかるようになって、あとから入った若い人たちを教えなきゃいけないし、失敗もできないので、悩んだり、相談したりしながら、4年目には、一通りできるようになって、5年目に、現場を任されるようになりました。」

茅葺師の仕事とは?

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ー 年間、何棟ぐらい葺かれるのですか?

「丸々、一棟というのは4棟ぐらいでしょうか、片面修理だとか、部分修理、トタンを巻く工事とかを合わせると多いときは年間10棟以上施工しています。ただ、大きな建物の葺き替えは3ヵ月以上かかることもあるので、一概に年間何棟とは言えません。」

ー 今、職人さんは何人で、朋典さんより先輩の職人さんは何人おられるのですか?

「僕を入れて6人で現場のやりくりをしていますが、僕より先にいた先輩職人は、独立したり、故郷に戻ったりで、もういません。」

ー 引き受けておられる現場の範囲と受注は何年先まであるのですか?

「西の方は、広島辺りまで行ったことがありますし、北は青森にも行っています。一応、声を掛けてもらって、スケジュールさえ合えば、日本全国、どこへでも行きますが、どうしてもウチでという依頼でない限り、その地域特有の形ややり方を知っている地元の業者さんがやるのが一番だと思うので、探して尋ねてみて下さい、とお伝えしています。現場のスケジュールは4年先まで埋まっていますね。」

葺き方の違い

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ー 葺き方も地方によって違うのですか?

「違いますね。形はある程度似せて作ることはできるのですが、茅は葦を使うところもありますし、葺き方も雪の多い地域と少ない地域ではかなり異なります。」

−− 茅葺きを専業とする屋根屋さんは増えているのですか?

年配の人はどんどん辞めていってますが、京都なんかでは若い人たちが増えているようです。近年、茅葺きの古民家を保存しようという機運が高まり、行政からの発注が増えているというのもあると思います。」

小谷屋根で使う茅とは?

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ー 茅場も持っておられるのですか?

「昔は、村落毎に茅場があり、その維持管理、村落内の家の屋根の葺き替えも村人総出でやっていました。その後、茅だけ自前で用意して茅葺き業者に依頼するようになり、今では、自分たちが材料の調達からするのがほとんどです。ウチの村落にも茅場はもうなくて、毎年11月頃に近所の村落が管理している茅場で刈らせてもらって、倉庫等を借りて保管しています。」

ー 使っておられる茅が違うと伺いましたが?

「小谷地方で伝統的に使っている茅は小茅(こがや)と呼んでいますが、正式名称は、オオヒゲナガカリヤスモドキというらしいです。これに対して、ススキを大茅と呼んでいます。小茅はススキに比べ細く丈も短いので、刈り取りに手間が掛かる上に、より繁殖力が強いススキを駆除して、繁殖力の弱い方を育てる茅場の維持には手間がかかり、だんだん廃れてしまって、ウチが刈らしてもらっている茅場ぐらいしか残っていないのではないでしょうか?現場によっては大茅(ススキ)も使いますが、維持管理されているススキの茅場も少なくなっていて、今では、広大な敷地がある富士裾野の自衛隊演習地内とかが茅場になっています。」

小茅と大茅の違いとは?

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ー 耐久性は、小茅の方があると伺いましたが?

「ススキは茎の中も詰っていて、棒状で強度があるので、並べた後でも、ある程度突いたりしてカタチを整え易いのですが、小茅は細くてストローのように中空なので、折れ易く、繊細な取扱いが要求されます。針取りっていう、束ねた茅を縄や針金で小屋裏の木材や竹(垂木等)に縫い止める工程では、小茅をきちんと束ね、揃えて並べなければなりません。少しでもズレれば、後で修正が効かないんで、やり直しとかの手間が増えます。その代わり、水はけがよいので、地方の気候風土によって違うと思いますが、雪の多い小谷の辺りでは、小茅の方が断然長持ちします。」

茅葺きの大事なポイントとは?

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「茅葺きの大事なところは内側で、外からは見えないんですが、寿命を延ばすためにも、後々、修理し易いように葺いておかなければなりません。例えば、修理の方法に差し茅というのがあって、痛んだ茅を抜き取り、新しい茅を差して、差した茅のしなりを利用して、下の茅を押さえて行くのですが、ごまかして、下手に縄とか針金で止めてあったりすると、後で余計な手間が掛かるのでやり直しておきます。」

「次は自分たちがやるのか誰がやるのかわかりませんが、20年後のことを考えて仕事をしています。いい仕事をしておけば、後に残っていくんです。というのも、僕も屋根を壊す時にはいつも勉強をさせてもらっているからです。」

「以前、祖父が葺いて、父が修理した屋根がいよいよダメになって壊したんですが、大事な部分はちゃんと残っているんですよ。どこから縄をよんであるかとか、どうしてこんなに保っているんだ?こうなっているのかとか、先人達の仕事から教えてもらうことばかりです。小谷には、父が15歳の頃に葺いた屋根がまだ普通に残っていて、今、父は72歳ですから、60年近く修理も何にもしていないんですよ。」

茅葺屋根の寿命は?囲炉裏で燻されると寿命が延びる?

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ー 大工棟梁の中村さんも解体の時が先達たちの知恵と技を学べる絶好の機会だとおっしゃっていました。茅葺きの家に住んでいる人から2〜30年で葺き替えという話を聞いたことがありますが・・・?

「色んなやり方があるので一概には言えないのですが、茅の良し悪しもありますし、葺き方にもよりますし、適宜、修理をしておくと葺き替え時期が大幅に先になることもあります。刈り込めば、形は整えられるんですけど、内部の肝心な部分の葺き方が悪いと、それに関連した部分が3年も経たずに腐ってしまうこともあります。」

ー 新築で茅葺きの需要はあるのですか?

「時々、ありますよ。公共の施設とか、個人の別荘、茶室、東屋とか・・・。」

ー 囲炉裏で燻されると寿命が延びるとい聞いたことがありますが、そういう建物って囲炉裏で燻されないでしょ?寿命は短くなるのですか?

「そんなことはないですよ。ウチは、神社だとか、観音堂とかのお堂も葺きますが、囲炉裏なんかはなくて、お線香の煙とかロウソクの火ぐらいでしょ?それに普段は閉じられていて、祭事の時しか開けなくても、茅葺き屋根の通気性がいいからか、ウチの辺りでは一代に1回って云われていて、大体、5〜60年に1回、葺き替えるって感じですね。」

一代に1回の大仕事とは?

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ー そんなに保つんですか?トタンで巻いている茅葺き屋根を良く見かけますが、そちらの茅の保ちはどうなのですか?

「15年〜20年に1回ぐらい補修をしての話ですが、ウチで葺いた屋根なら、その補修も大規模なものではありません。でも、差し替えも3回目ともなれば、費用もそれなりに掛かるようになるので、葺き替えた方がいいってことになって、それがウチの方じゃ、一代に1回の大仕事、って云われているんです。茅は雨露で濡らさないように包んじゃった方が長持ちするんで、葺き替えてすぐにトタンを巻いてくれって頼まれることもありますよ。トタンを葺き替える時に剥がすとわかるのですが、通気口を付けても付けなくても、茅自体はほとんど痛んでいないですね。」

「父が3〜40代の頃には、小谷だけでも茅葺きの親方が11人ぐらいいたって云うんですよ。あの親方の葺いた屋根は一代で2度も葺き替えなきゃダメだから、もう、そこには頼まねぇとか、フルイに掛けられて辞めていった人もいたらしく、最後にウチだけが残ったようなんですよ。」

茅葺屋根の現状

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ー では、もう小谷には松澤さん以外に茅葺き屋さんは残っていないのですか?11人も親方がおられたということは、その頃には、村や集落で協力して茅葺きをする習慣は無くなっていたのですか?

「そうですね、高度経済成長期っていうんでしょうか、その頃から何もかもが急速に変わったようです。集落が全焼したりしたので、火事に弱いとか、茅葺きなんて古いぞなんて、板金屋根が増えましたし、先程もお話ししたように、茅場の管理や茅葺きは、農業と密接な関係にあったので、都会に働きに出る人や勤め人が増えたりで、村落の共同作業や年中行事としては維持できなくなってしまっていたようですね。」

「父は、若くして茅葺き職人になったので、茅葺きが廃れるギリギリのところで技術を受け継ぎ、経験ができて、今でも現役で僕たちに技術を継承してくれているのですが、当時、2〜30代でバリバリだった職人さんは、もうご高齢で、葺ける人はいるとは思いますが、葺いている人はいませんし、父より若い世代の屋根屋は、板金が主流になってしまって、茅葺きはほとんどやっていないので、伝統的な本来の茅葺きの技術を受け継ぎ、現役で働いている人はごく僅かだと思います。」

伊勢神宮の遷宮に呼ばれる職人とは?

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ー お父さまは伊勢神宮の遷宮に呼ばれてまだ戻っておられないとか?

「そうなんですよ、職人の世界は縦社会で、何回か遷宮に携わってきた年長の職人さんが班長なんかをされます。父は1回目なので、下っ端の職人で行ったのですが、その技術が買われたのか、今年、12宮ある別宮が遷宮なんで、どうしても、もう1年帰るのを待ってくれ、と神宮から直接云われたようで、途中で帰って来たら、務まんなかったって思われるのは心外だから、と言って、結局、1年間、延びちゃったんですよ。」

ー 名誉だし、神事だし、断る職人さんはいらっしゃらないんでしょうね?

「最初の何ヵ月かは無給、そのあとは時給いくらで、神道だからお盆も休みじゃないので帰れない・・・、という仕事環境で、欲も家族も地域も捨ててここに奉仕に来て下さい、と云われたのはそういうことか、とわかったらしいです。準備もあるので、遷宮の5年前に全国から選ばれた職人さんが召集されるんです。父も声は掛けられていたのですが、その年の3月の中頃になっても、何の音沙汰もないので、今回は行かなくてもいいのかな、と思っていたら、間際になって、3月末までにこっちに来て下さい、って云われて・・・。」

「仕事は、夕方4時半にサイレンが鳴ると、いくら作業が途中でも止めなければならないらしく、その後、近所の職人さん達は農業をやったりしているらしいのですが、屋根屋には屋根屋の宿舎があって、父は、そこに寝泊まりしているので、やることがないし、パソコン教室にでも通おうか、なんて言ってましたね。」

伊勢神宮の遷宮に呼ばれる父の子は…

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ー ということは、お父さんは5年前からこちらの現場は一切なさってなくて、朋典さんが仕切っておられるのですか?

「結果的にそうなっています。それまでは、父に相談したり、指示してもらいながらやっていたので、見積りも独りでやったことがなかったのですが、1年先、2年先の計画が動いていて、父の代わりが務まるかなんて言ってられない状況で、以前の見積りを参考にしたり、父ならどうするだろうか、と常に考えながら行動していました。」

ー 次の遷宮には朋典さんも呼ばれるのでは?

「実は、今年の7月15日に、倭姫宮(やまとひめのみや)って云ったかな、別宮の軒付祭というのがあるらしく、父が装束を着て、茅を載せる祭事をやるそうです。その社殿は小さくて、大勢で取りかかると3週間で葺けてしまえるらしいのですが、その時に来て欲しいって云われていて、こっちの現場もあるし、向うの日にちは決まっているので、弱ったなぁって・・・。」

ホンモノの茅葺き職人とは?

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ー 既に、次の布石を打たれているんですね?でも、ホンモノの茅葺き職人であるお父様から直接指導を受けることができて、幸運でしたね。お父さんの仕事をご覧になっていて、どのように感じておられますか?

「そうですね、道具を使う音から他の人とは違っていました。父ほど経験を重ねていても、これだけ茅を葺いてきて、いまだに満足できる屋根を葺けたことがねぇや、思い通りなるなんてありっこねぇし、研ぎひとつ取ったって一生勉強だ、っていつも言ってるぐらいですから、僕も日々、自分が納得できるやり方を追求しながら、一生懸命努力するしかありませんよね。」

ー 他の茅葺き職人さんと一緒に仕事をされることはありますか?他の職人さんの茅の葺き方とご自身が学ばれた葺き方との違いを感じられたことはありますか?

「ありますよ。どうだこうだと言える立場ではありませんが、自分が見たり、学んだりしてきたやり方と随分違うことも多く、こんなやり方でいいのかなと思うことがよくあります。以前、切妻が3つ合わさったような変わったつくりの茅葺き屋根の現場に、ウチからは僕ひとりで行ったのですが、ほぼ同じ面積の屋根のひとつは別の業者の職人さん2人で葺いて、その人たちとはやり方が違ったので、僕の方は1人で別の屋根を葺いたのですが、同時に葺き始めてこっちが先に仕上ったということもありました。」

茅葺き職人の心得

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「基本をしっかり身に付けていない人が多いというか、自己流で、困ったらその時に考えればいいや、っていう行き当たりばったりの仕事をする人が多いような気がします。後で無理矢理つじつまだけ合わせても、そこから痛むんですよ。どの屋根もひとつひとつの工程毎にやるべきことがあって、同じ作業の繰り返しのように見えて、毎回、その現場、現場で違うんです。」

「絶対に外しちゃいけない基本が根本にあって、後は、経験から応用して、その現場に一番いいやり方で葺いていかねばなりません。それに、手間と時間はかけようと思えばいくらでもかけられますが、僕たち職人は、1軒葺いていくらなんで、できるだけ無駄な手間を省いて、早く、安く、確実に、その上、丈夫に、きれいに葺くのが仕事です。

茅葺師をやっていてよかったと思う瞬間とは?

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ー 桶職人の伊藤さんも同じことをおっしゃっていました。茅葺きの仕事で、一番充実感とか満足感を覚える瞬間は?

「うーん、やっぱり、最後、茅を刈っている時ですかね。屋根に上がって刈り、休憩の度にハサミを研ぎ、また刈る・・・、身体的にも一番キツイのですが、仕上げて行くのは楽しいですし、それに、仕上がりをお施主さんに喜んでもらえると、あんなに嬉しいことはありません。この仕事をやっててよかったな、と思える瞬間です。」

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COREZO(コレゾ)財団・賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、快諾して下さった。

 

百均のドレッシングをかけているのを見て気づいたことって?

「僕も最近になって、せっかく無農薬で育てた野菜に何が入ってるかわかんない百均のドレッシングをかけているのを見て、意味ねぇじゃん、って気づきだして、カミさんに自分たちで作ろうよ、って言って、今では、子供のお母さん同士が集まって、醤油づくりも始めて、搾りカスは刻んだ大根の葉っぱと混ぜてふりかけを作ったり、塩も塩分濃度の高い近所の温泉を汲んできて作っています。」

職人さんの勲章とは?

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ー オオヒゲナガカリヤスモドキという伝統的な茅を使って葺いている方が、百均のドレッシングの愛好者ではなくてホッとしました。ところで、茅葺き職人さんの手を見せて頂けますか?

「昨日まで地域の消防の大会だったんですが、職業病というか、常に茅を束ね、掴んで引っぱり出す作業をしているもんですから、指が内側に曲がってしまって、気をつけをする時に、痛くって伸びないんですよ。僕、ラッパなんで、右手は持つからいいんですが、左手の指が伸びていないって何度も怒られて、苦労しましたよ。」

ー その傷だらけのゴツい手は職人さんの勲章ですね?まさか、素手で作業されているのですか?

「初めは、手袋を使っていたんですが、半日も保たずに穴が空いちゃうんですよ。お金もないし、もったいないし、手が一番強いやと思って、それからは素手です。切ったり、怪我もするし、トゲなんて無数に刺さったりしますけど、抜くのも面倒臭いので、揉み込んじゃいますが、3〜4日もすると、自然にポロって取れますよ。素手の方がより細かな微妙な作業がし易いですし、茅を扱う感覚が身に付くのも早いように思いますけど、いつのまにかこんなグローブみたいな手になっちゃいました。父もそうですけど、ウチにいる人は皆んないつの間にか素手で作業をしていますね。」

ニッカにはドレッシーなブリーフバッグ?

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ー 朋典さんのような若い方が、伝統的な茅葺きという仕事を継いでおられるのは、頼もしい限りですが、次世代に残せるように、お子さんも含めてさらに若い後継者も育てて頂きたいですね。

「子供はまだ1歳なのでどうでしょうか、やってくれたら嬉しいですが、一度は、外での経験もして欲しいですね。僕も現場を任せてもらえるようになるまで育ててもらったので、若い人たちを育てていきたいと思っています。」

翌日、安曇野の葺き替え現場を見学させてもらった。立派な古民家だったが、茅葺きの民家としては標準的な大きさだという。足場を組んで屋根をかけてあるので、じっとしているだけで汗が噴き出してくる暑さの中での大変な仕事だが、作業中の朋典さんは、オッサンでも惚れ惚れする程カッコよく、さらにひと回りもふた回りも大きく、頼もしく見えた。

結納返しに奥様からもらわれたというドレッシーなブリーフバッグが、朋典さんの戦闘服である作業着姿にピッタンコだった。

 

COREZO(コレゾ) 「小茅こと、オオヒゲナガカリヤスモドキを素手で扱い、親子で伝統的な茅場を茅葺き技術を守り、伝える茅葺師」である。
本稿については、ご了解を得て、一部、株式会社修景事業のブログを参考にさせて頂いた。この場を借りてお礼申し上げる。

 

後日談1.第3回2014年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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小谷地方で大きな地震があったにもかかわらず、ご出席下さった

お父様の敬夫さんは伊勢から戻れなかったとのことだった

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ホンモノを守り、育て、伝える職人トーク・セッションにもご登壇下さった

松澤 敬夫(まつざわ けいお)さん、朋典(とものり)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、一切、返答致しません。

 

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2014.07.16.

最終取材;2014.12.

編集更新;2015.03.18.

文責;平野 龍平

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