小田 和人(おだ かずひと)さん/森から海へのつなぎ人

COREZOコレゾ「とにかく山を良くしたい、ズブの素人から始めた森から海へのつなぎ人」賞

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小田 和人(おだ かずひと)さん

プロフィール

三重県鳥羽市、伊勢市

ODAWA創林株式会社 代表

ジャンル

自然保護

林業

森林保全事業

経歴・実績

三重県認定林業事業体

「三重の木」認証建築業者認定

2010年 三重県バイオトレジャー認定

2012年 農林水産省ボランタリー・プランナー任命

受賞者のご紹介

放置されたウバメガシの間伐専門の林業

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「きく」ちゃんこと、三重県鳥羽市の江崎 貴久(えざき きく)さんから以前、「一次産業が衰退していく中で、鳥羽では初めて、海を守るために、海に面した山々で放置されたウバメガシの間伐専門にやる林業を立ち上げてくれた方がいます。一次産業を観光業で何とか支え、漁業者の方とも連携して、アラメやアワビを増やすために、山側からも海側からもいい循環を作らなければいけないと思っています。」という話を伺って、その間伐専門の林業の方のことが気になっていた。

2012年の10月に開かれる「きく」ちゃんが代表を務める「鳥羽市エコツーリズム推進協議会」の会議を取材させてもらうことになり、「その林業の人ってどんな人?」と、尋ねたところ、「会って話した方がよくわかりますよ。」と、会議終了後に引き合わせて下さった。

協議会の会議終了後、鳥羽市役所の前のお寿司屋さんで「きく」ちゃんの追加取材をさせてもらっていると、小田 和人(おだ かずひと)さんがやって来られた。実に人なつこい笑顔をしておられるのだが、いかにも、「若い頃はきっちりヤンチャしてました」という雰囲気満載のゴッツイお方さまだった。挨拶を交わして、一通り、ご紹介して頂いた経緯をご説明した。

地球環境問題に関心

「僕(?)ね、少学5年の時に理科か何かの授業で化学合成洗剤の使用が河川に与える影響みたいなことを調べたことがあって、それまで、そんな川の汚染なんて考えたこともなく、川や海で遊んでいたもんだから、ずーっと心のどこかに引っ掛かっていたんだと思うんですね。」

「20歳ぐらいの頃から、地球環境問題に関心が高まって、そういう関係の本を片っ端から読んでいたんですよ。それで、山を何とかしたいという想いがいつもあって、16、7年前に備長炭を使った特産品の販売を始めたのですが、その頃には既に山は荒れかけていて、備長炭にするには木々は限界の太さにまで育っていました。その特産品の商売は時期尚早だったようで、さっぱり儲からずに、辞めてしまったのですが、その後も山のことは気になっていました。」

アル中から一念発起

「それから、焼き鳥屋をしたり、トラックのドライバーなんかをした後、屋台のラーメン屋を始めたんですよ。次に店舗が見つかって、ラーメン店を開店したのですが、開店して2ヶ月で急性肝炎になって、4ヶ月間入院したんです。若い頃から、お酒が好きで、それも酔い潰れることがなかったので大量に飲酒していたのが原因でした。」と、小田さん。

今の元気溌剌なお姿からは想像もできないが、アルコール依存症と診断され、その上、鬱病も発症して、持ち前のプラス思考が全く逆転しだした。何かやろうとすると、全てマイナスに考えてしまう。担当医から、「アルコール依存症から立ち直れる人は数%しかいない。先のことは考えずに、過去のことを反省しなさい。」と言われたが、「自分は、過去を忘れて、前を向いて行こう。絶対、治る。必ず、治す。」という妙な自信と決意を持って、通常、3ヶ月のところを1ヶ月延長してもらって、断酒と治療に専念したそうだ。

山をなんとかしたい

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一時退院した時に、「自分がアル中なんて、なんでこんな人生になってしまったのか?もしやり直せるなら、裕福で楽な人生をしたいのか?今のどん底の人生から始めたいのか?」と自問自答をした。その時、「結局、今のどん底の自分から始めるしかないだ。」と気づいて、急に楽になったという。「今よりもっと裕福になりたい」、「いい生活をしたい」と思っていたら、さらに悩み、落ち込んでいただろう。「山を何とかしたいと思っているなら、どんなにしんどくても辛くても自分のやるべきことをやるべきだ。」という決心もその時にしたそうだ。

退院すると、片っ端から周囲の自治体に「山の仕事はないか?」と尋ね回ったが、山持ちでもなく、林業未経験者には何の仕事もなかった。林業に就きたい人の総合相談会である「森の仕事ガイダンス」を林野庁が開催するというのを聞きつけ、勢い込んで出掛けていった。ある県のブースに行くと、「熱意はわかりますが、隣の県の方が需要があるのでは?」と言われて、隣の県のブースに行くとまた同じことを言われ、結局、6県をタライ回しにされ、林業未経験者はお門違いだったのがわかっただけだった。

それでも諦めなかった。山林の多い岐阜県庁に行くと林業の事業体を紹介され、「仕事が出たら連絡する。」と言われたきり、一切、連絡はなかった。愛知県庁に行くと、「おたくの県民だから」と三重県庁に照会してくれたが、そこでも仕事はなかった。

ズブの素人が山の仕事に

そんな時、ふとしたことで知り合った林業に携わる方から、「尾鷲の現場で人手が足らんが、行かんか?」と、連絡があった。小田さんはなんとなくあまり気乗りがせず、別の人に話を聞きに行かせたところ、勝手に小田さんを頭にして、間伐作業を請負ってきた。

友人の派遣会社の所長から派遣切りにあった従業員の働き口を探して欲しいと頼まれていたこともあって、仕方なく、そこからも雇い入れて、カードでチェーンソーを買って、作業に行くことにした。総勢9人は誰も山仕事をしたことがなく、チェーンソーを使ったことのある経験者も3人だけという素人集団だった。

時にはロープを伝わないと登れないような急峻な山道を重いチェーンソー、燃料、水や食料を背負って現場まで2時間歩いた。途中で足の爪が何枚も剝げ、あまりのキツさに何度も嘔吐した。くじけそうになる度に、「お前のやりたかったことだろ?ここで止めたらまた病気に逆戻りだ。」という声がどこからともなく聞こえてきて、歯を食いしばってなんとか現場まで辿り着いた。

ところが、現場を見て驚いた。とんでもなく急斜面な上に、間伐する木材が聞いていた話とは全く違って、素人集団には手に負えない程太いのである。それでも手分けして、必死に、1本、1本、間伐していった。食事以外に休憩も取らずに作業をしたが、冬の凍てつく寒さの中、特に、不慣れな雨の日は心底辛く、作業も進まなかった。何とか自分たちで要領を考え、体得し、3ヶ月間頑張って、請負った間伐を終えた。小田さんは購入したチェーンソーや雇い入れの日当の支払いで130万の赤字が出たが、中抜きされているのを気の毒に思った元請けが赤字を埋めて下さった。

「今から振り返っても、とても素人が間伐できるような現場ではなかったのですが、なんとか間伐という仕事がやれるというメドはつきました。何より奇跡的にケガ人が1人も出なかったのが幸いでした。」と、小田さん。

尾鷲のような遠い現場より、地元

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尾鷲のような遠い現場より、地元だと思い、今度は間伐経験者として、「いせしま林業組合」に仕事を探しに行った。何度も通って専務理事と親しくなり、6回目にようやく、「きちんと仕事ができなければ、次はない。」という条件付きで、仕事をもらうことに成功した。間伐作業に向かうと、山は低くて、現場まで15〜20分で歩けた。緩斜面で、木々も細く、尾鷲とは雲泥の差で、思うように間伐ができた。作業は早く、仕事も丁寧だと評価され、継続して仕事をもらえるようになった。尾鷲でのキツかった作業経験が活きたのだった。

そして、地元の雇用も増やしたいと思い、「ODAWA創林」を立ち上げた。

三重県が選定するバイオトレジャーに選定

「小田さんってね、突然、ウチに訪ねて来て、間伐材の利用の話になったので、おかげ横丁で薪ストーブ用の薪が要ると聞いたという話をしたら、次に会ったら、もう薪用の倉庫を用意しているの。思い立ったらすぐ行動する、ホンマ、実行力のある真っすぐな人なんよ。そうそう、ウバメガシの薪でバイオトレジャーに選定されたよね?」と「きく」ちゃん。

「バイオトレジャー」とは三重県が選定する売れるポテンシャルを持った地域のお宝資源のこと。「OWADA創林」の「伊勢志摩産ウバメガシ薪」は平成22年度に選定されている。

「間伐したこの辺のウバメガシは火のつき、火の持ちが良くて、備長炭にするより、薪にした方がいいことがわかったんでね、薪割り機も導入して、薪を使ってもらうために、薪ストーブも取り扱おうと、三次燃焼できる環境に優しく、燃費の良い薪ストーブメーカーを見つけて、代理店にしてくれと連絡したら、総代理店の部長がウチの会社を見にきましたよ、ハハハハ。」

「それに、東日本大震災があって、イザという時の備えとして、燃料や灯になる薪の備蓄の提案もしています。また、地元の学校に薪づくりの体験学習を提案していて、下級生がキャンプで使う薪を上級生が作り、その下級生が上級生になった時には次の下級生のために薪を作れば、誰かのために働く大切さも学べると思います。」

「せっかくだから、この辺のウチで間伐した現場を見に行きますか?」とおっしゃるので、お連れ頂くことにした。準備のために、まずは倉庫に行くと、山のように薪がある。「そうそう、ここが薪用の倉庫。もう1箇所あるんやけどね、売るほど在庫ありますよ、ハハハハ。」と、小田さん。

仕事で山に入ってみると、それは酷い…

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軽四に乗り換え、山間部に入って行った。

「伊勢志摩は植林が少なくてね、ほとんどが雑木林なんですが、海岸沿いには特にウバメガシが多いんです。山の外側から見ていると山には緑があふれているように見えますが、実際に仕事で山に入ってみると、それは酷いもので、腐葉土も無く、石がゴロゴロして赤土が見えている状態に愕然とします。自然保護のために間伐をしてはいけないなんて言ってる人がいますが、とんでもない話です。」

「少し前まで、そう、50年ほど前までの日本は、化石燃料に頼らず、炭や薪を生活のエネルギーとして使っていたので、常に山で木や枝を間引いたり、間伐が行われていました。間引きや間伐には、地面まで太陽光を届かせる効果があり、それで下草が生え、土壌を強くしていました。そのお蔭で山の保水力が保たれ、今のような洪水や渇水に悩まされることも少なかったのです。そして、海にも充分な栄養を補給していましたから、海の生物も豊富だったのです。この辺は去年、間伐したんですが、地面にまで陽が届いて、もう下草が茂っているでしょう?」

「通常、手入れの行き届いている山では雨はシャワーのように優しく降るんですけど、木々が混みあってくると、雨は葉をつたい、大粒の雫となって地面を叩くんですね。そのために土が削られ、土砂が流れ出し、どんどん山の保水力が失われて、ちょっとした大雨が降ると洪水が起きたり、簡単に土砂崩れを起こします。また、川の水量も年々少なくなっていて、海まで栄養が行き届かず、海藻の繁茂に影響が出ています。海藻が育たないと、貝や魚の繁殖にも影響がおよび、どんどん地域の自然の循環を壊していくんです。」

ある程度木を残しながら、山を再生していくこと

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「今、私たちがやらなければならないのは、木を切り出すだけではなく、ある程度木を残しながら、山を再生していくことを考えることです。伐採した木の一部を残して並べ、少しでも土の流出を食い止めようという試みも始めています。目先のことに捕われずに、将来の環境のことも考えながら、間伐を進めることが大事です。保水力があり、滋養も豊富な腐葉土を山に増やすことも考える必要があります。これまでは全体の7〜5割を残すように間伐していましたが、経験上、その逆でもいいだろうと思っています。そんな研究をしている学者の先生と連携し、検証した上で、実施したいですね。」

「それに、最近、イノシシや鹿、熊などが人里に下りてきて畑を荒らしたりして問題になっていますが、昔はそんなことはありませんでした。山の手入れが行き届いていて山にも動物たちの食べ物が豊富にあったからです。また、人が手入れをした里山が緩衝地帯になって、動物たちが人里に降りてくるのを防ぐ役目も担っていたのです。山を手入れして、動物たちの餌場を作る取組みも始めています。」

山もあって、川もあって、豊かな海を作り出している

「江崎さんからの依頼で、海に来てくれたお客さんを山へも案内することもあるのですが、皆さん、山のことは知らないことが多く、とても新鮮に感じていただけるようで、鳥羽の山をもっと知ってもらうために山でのツアーも積極的に行っていきたいと思っています。鳥羽というと海のイメージが強いと思いますが、山もあって、川もあって、豊かな海を作り出している。そんな自然の原点を鳥羽で見て、感じて欲しいと思っています。そのためには、私たちが美しい自然を再生して、守っていき、それを目的に訪れて下さる観光客が増えれば、嬉しいですね。」と、小田さん。

今後の活動、将来の目標は?

「私たちODAWA創林は、『森から海へのつなぎ人』をキャッチフレーズに、山を元気にし、海を豊かにするために、森林の間引きや間伐、雑木林の再生利用を通じて、今一度森の価値を創造し、森と海と人と動物が共存して生きられる社会を構築していくことを目的として設立しましたが、この鳥羽市でも人工林や天然林に手を入れ、間伐をしっかり行なう『森と海・きずな事業』が始まり、微力ながら、私たちもお手伝いをさせて頂いています。ゆくゆくは、世界の森に貢献していきたいですね。」

小田さんは放っておくと、いつまでも熱く語って下さる。辛い時期を乗り越えて、諦めずに挑戦を続け、ご自身が一番やりたかった「山を良くしたい」という想いを少しずつ実現し、ごく自然体で社会貢献までされていることに感銘を受けた。

コレゾ賞受賞のお願いをしたところ、ご快諾頂き、受賞者名簿をご覧になって、お二人もお知り合いがいらっしゃると喜んで下さった。

 

COREZO(コレゾ)「とにかく山を良くしたい、ズブの素人から始めた森から海へのつなぎ人」である。

 

後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談2.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2014.12.

最終更新;2023.04.19.

文責;平野龍平

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