中村 美智子(なかむら みちこ)さん/中村屋傘店 代表/岐阜和傘職人

COREZOコレゾ 「かつての和傘の一大産地に嫁ぎ 夫のひと言から和傘に魅せられ 岐阜和傘の文化と技術を守り伝える 和傘職人」 賞

中村 美智子(なかむら みちこ)さん/中村屋傘店 代表/岐阜和傘職人

プロフィール

中村屋傘店 代表

岐阜和傘職人

岐阜和傘

岐阜和傘は、岐阜県岐阜市の加納(かのう)と呼ばれる岐阜駅から南の周辺を中心に生産されている和傘のこと。 

歴史

1639年(寛永16年)、加納藩の藩主となった松平丹波守光重が、旧領の明石藩(兵庫県)から傘職人を連れてきたことが、岐阜和傘の誕生の契機となった。

1756年(宝暦6)、石高の減少や度重なる水害による財政難のため、下級武士に和傘の内職(骨づくり)を薦めるとともに、和傘の複雑な工程を分業化し、長良川の舟運を利用して、江戸などへの大量の出荷する体制を確立したことにより、特産品として発展した。

明治以降も、和傘の全国シェアは2〜4割を占め、最盛期は、1950年(昭和25年)頃で、年間1500万本もの数が作られていた。その後、洋傘に取って代わられ、和傘の需要は急激に減少した。

岐阜加納地区が一大産地となった背景

美濃和紙の産地に近く、周辺の山間地で良質の竹が採取できるなど、原材料に恵まれていた。

傘骨(かさぼね)にする真竹(またけ)割りから、油を引き天日で干す仕上げまで、細分化すれば100に及ぶ和傘の工程を職人が分業し、問屋が全体を差配する大量生産システムを確立した。

傍に長良川が流れていたことで、舟運により伊勢湾の桑名に運び、廻船で江戸・大坂などの大消費地への流通システムを確立できた。

和傘の種類

蛇目

細身で骨の中ほどに糸飾りをつけ、柄竹は黒塗りで軽く、傘の色柄も豊富な雨用の和傘を蛇の目傘と呼び、かつては、傘を開くと、紺や赤など基本となる色に白く太い円が広がり、この模様が蛇の目(へびの目)に見えるところから「蛇の目傘」と呼ばれるようになった。いまではこの模様の入っていないものも蛇の目傘と呼ばれる。

番傘

日用品の雨傘の中でも太いくて装飾の少ないシンプルな和傘を番傘と呼び、骨や胴回り、柄竹も太いため見た目的に男性に好まれるが、太い柄竹は握りやすいので女性でも楽に使える。
番傘は基本的には蛇の目傘とは違いかがり糸や模様などの装飾はほとんどなく、色番傘や番蛇の目を除き紙の色は白となっている。

和傘の構造とつくり方

 

中村屋傘店

岐阜県岐阜市の岐阜駅南側周辺の加納(かのう/地名・旧加納町)に嫁いだ中村さんは、ある日、突然、ご主人から、「傘(和傘)」を売るから、と云われたそうだ。前述した通り、かつて、加納では、和傘づくりが盛んで、地域の方々の多くは、何らかの工程の仕事をしておられたそうで、中村さんのご主人のお身内にも和傘づくりに携わっていた方がおられ、町の中には何軒も仕上げの傘干し場があり、晴れた日にはたくさんの傘を天日干しする風景が見られたと云う。

残念な事に今ではそういった風景はほとんど見ることができなくなって、中村さんご自身もご主人からそんな話を聞くまでは、自分の暮らしている地域が和傘の産地だったのも知らなかったが、着物好きで、自分の和傘が欲しいと思い、講座に参加して、和傘づくりの体験をされた。

骨組みづくりはともかく、傘紙を貼るのは難しく、とても自分には無理だと思ったが、昔の傘を何本か見て、こんな傘をつくってみたい、技術を継承して残していきたい、と中村さんの和傘づくりが始まった。

和傘は実用品

和傘は、かつて、履物屋さんや傘屋さんで売っているものだったが、今では、着物を着る際の、雨のために和傘を用意しようにも傘屋さん、履物屋さん、着物を扱う呉服屋さんにも売っていないから、ネット通販(中村屋傘店)になる。

蛇の目傘が芸術的な美しさを持っているのは、世界の実用工芸品が芸術的な美を持っているのと同じように、おそらく、雨の多いこの日本の歴史のなかで、実用品として生まれ育ってきたから。洋傘と反対で、持ち手の方を下に置くなど、使い方さえ守って上手に使えば、貼り替えなくても、10年以上使える実用品だ、と云うことを伝えていきたい、とおしゃる。

取材日当日は、あいにくの雨、それもかなり降っていたので、クルマまで傘を貸してくださった。当たり前だが、しっかり雨を弾いてくれて、何の問題もなかった。実は、以前、岡田 サヨ子(おかだ さよこ)さんから和傘を購入して所持しているのだが、もったいなくて一度も雨天にさしたことがなかった。梅雨があり、雨の多い日本でつくられて、使い続けられてきたのだから、問題があろうはずもなく、しっかり実用品であることを実感させていただいた。

中村さんが和傘は使わない方が痛みますよ、とおっしゃっていたが、既に購入して10年以上経つので、きっと傘紙の油が固まっていると思われ、今後、怖くてその傘を開くこともできない。こういうのを「宝の持ち腐れ」と云う。

和傘の文化を残すには

撮影用途他に和傘のレンタル、和装の方に使っていただくきっかけづくりに、日傘の販売にも力を入れ、少しでも和傘に興味を持つ方々を増やすため、和傘づくり体験講座も開いておられる。

COREZOコレゾ 「かつての和傘の一大産地に嫁ぎ 夫のひと言から和傘に魅せられ 岐阜和傘の文化と技術を守り伝える 和傘職人」である。
取材;2023年9月
初稿;2023年11月
文責;平野龍平

 

 

 

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