グローバル化より、ローカルの独自性が大事、日本の大切な風景を残すデザインの力とは?

COREZO(コレゾ)「ローカルの志と本気をカタチにする正義のヒーロー、行動で示し、デザインの力で日本の大切な風景を残す、土佐のいごっそうデザイナー」賞

梅原 真(うめばら まこと)さん

https://corezoprize.com/makoto-umebara

“design”の本来の意味

日本語になっている「デザイン」というと、ファッションデザインとか、インテリアデザインとかをイメージするように、狭義の「図案」や「意匠(物品の外観に関する形、模様、色彩、又はこれらの組み合わされるもの)」と、世間一般に認識されているように思うが、高知在住のデザイナー、梅原さんは、デザインの役目は、新たな価値を生み出す社会構想と問題解決だ、とおっしゃっている。

梅原さんは、フリーになって独立する時に、肩書きを何にするか考えたが、ピッタリくるものがなかった。そこで、ただの「デザイナー」にして、自分の仕事を通じて、新たな「デザイナー」の意味、「デザイナー」像を創ってしまえばええやんか、と使い始めたという。

梅原さんのところにやってくるのは、「魚・農産物・ものが売れない」、「一本釣り鰹漁がなくなる」とか、「会社が潰れる」、「村の存続の危機だ」等、切羽詰まった状況でやってくる地方の農林水産業に関わる依頼主ばかりで、パッケージ等の外観や見せ方をデザインするだけでは、とても解決できない。人生相談から始めて、現場の状況を把握し、売るにはどうすればどうすればいいか、問題解決の方策を考え、売れるまでのプロセスをトータルでデザインしてこられたそうだ。

改めて、“design”を辞書でひくと、「ある目的または、問題解決のために、効果が期待できるように思考・概念の組み立てを行い、具体的に立案・計画して、それを様々な媒体に応じて表現すること」というのが本来の意味のようで、梅原さんのやっておられる仕事とピッタリ合致しているのである。

デザインの力で日本の大切な風景を残したい

梅原さんは、大学卒業後、高知のテレビ局関連会社に就職して、美術・大道具を担当していたが、次第にやれる仕事に限界を感じ、フリーになった。がむしゃらに働き、仕事に追われる日々が続く中、ひとつひとつの仕事に全力で取組んできたが、お金は稼げても、後には何も残らないのではないかという空虚な気持ちが心を占めるようになったという。

そんな時、転機が訪れた。大規模な巻き網漁に押されて危機的状況にあった土佐の一本釣り鰹漁の漁師さんから、わらで焼いた本物の鰹のたたきを商品化して、活路を見いだしたいという依頼が入った。

一本釣りは土佐の風物詩、この大好きな風景を残したいと力が入った。洗練されたデザインにはしないで、生産者の熱意を精一杯込めた。当時、海産物のパッケージは青が常識だったが、敢えて炎の色に近い深いオレンジ色にし、わら焼きの美味しそうなイメージを出した。昔ながらの一本釣りの風景を手書きで描き、キャッチコピーはそのまんま「漁師が釣って 漁師が焼いた」にした。

「一本釣り・藁焼きたたき」の商品名で、販売が開始されると、予想をはるかに超え、9年後には20億円以上を売上げ、一本釣り鰹漁の現場に活気が戻った。

一生懸命考えた土佐の一本釣り鰹漁再生のストーリーが現実になって、残っていくことに喜びを感じ、これこそ自分がやるべき仕事だと心に決めた。デザインの力で新たな価値を生み出し、日本の大切な風景を残すために世の中の考え方を変えていきたいと思ったそうだ。

それ以降、評判を聞き付け、各地から依頼が舞い込み、依頼者ととことん向き合うことで、売れていなかった商材から次々とヒット商品を生み出しておられる。

東京や都会、大企業からの儲かりそうな仕事を全て断わる理由

「地方を支える一次産業が健全でないと日本の風景を守れない」と、東京や都会、大企業からの儲かりそうな仕事は全て断り、一貫して、予算も条件も厳しい地方と農林漁業に関するものばかりを引き受けているという。

予算が厳しいが故に、依頼者の人生相談に始まり、コピーライター、イラストレーター、グラフィックデザイナー、フォトグラファー、・・・、1人何役もこなす。「それってデザイナーの仕事?」という仕事まで、依頼者に関すること全てを、ほとんど1人でやってのける(気になるこの話の続きは、終盤に・・・)。

引き受ける条件は、依頼者の志と本気度。熱意と覚悟を、会って、見て、話を聞いて決める。今や、売れないものや非効率なものは価値がないと見なされ、地方の「いいもの」がどんどん失われていく時代だが、生産者が志を持って本気で作った「いいもの」は、デザインを掛け合わせて付加価値を付ければ、必ず売れるという確信があり、売れるようにすることでその存続が可能になり、風景を守ることができると考えておられる。

条件の厳しい案件程、やりがいを感じ、そんな自分の人生を賭けている依頼者の良き伴走者になりたいと熱が入るそうだ。

COREZO(コレゾ)、「土佐のいごっそうデザイナー」の心意気、「ローカルの正義のヒーロー」たる所以なのである。

都会を真似するのではなく、「地域独自のモノサシ」を持とう

1988年、評判を聞きつけた旧十和村役場から、これまで見たことも書いたこともない総合振興計画作成協力の依頼を受け、翌年1月、数字やグラフを並べ立てたこれまでの他の自治体のものとは全く異なる「十和ものさし」として完成させた。

10年後のビジョンを明確かつ、具体的に打ち出し、「自然が大事、人が大事、やる気が大事」、「都会を真似するのではなく、地域独自のモノサシ」を持とうと、今の「四万十ドラマ」に通じる考え方をつくり上げた。

その振興計画策定中、村長に「あの沈下橋(ちんかばし)の風景こそ、この村の風景そのものです。是非、残しましょう」というと、「抜水橋(ばっすいきょう)は村民の悲願である。高知のまちのもんに何がわかる?」と一蹴されてしまう。

なら、日常的に沈下橋を渡る暮らしをしてやろう

本気で手掛けてきた振興計画である。「はい、そうですか。」と、引き下がる梅原さんではなかった。それなら日常的に沈下橋を渡る暮らしをしてみようと、1989年8月5日、家財道具を積んで、高知市内からこの橋を渡り、沈下橋の向こう側の小さな集落に移り住んだ。

「沈下橋」とは、河川敷と同程度の低い位置に架橋され、橋長が短く、低予算で作ることができるが、増水時には、水面下に沈下して、橋として機能しなくなる。また欄干がないことが多く、安全性にも問題があるという。「抜水橋」は、「沈下橋」の反意語で、増水時でも、沈まない高さに架橋され、橋として使用できる「永久橋」と同義とのこと。

仕事をこなしながら、山から水を引き、風呂の薪を割り、川で鮎獲りをしたり、・・・と、自然に寄り添う暮らしを約5年間続けた。沈下橋はその名の通り、大雨で増水すると、川に沈んで外出もできなくなり、食料品の調達や仕事の納品にも支障をきたした。想像していたよりもはるかに厳しい現実があったが、不便さより、むしろ豊かさを感じ、実体験として見えてきたものもたくさんあったという。その沈下橋の向こう側からの視点こそが、それからの梅原さんの考え方、発想、デザインの原点になっているそうだ。

沈下橋の向こう側からの視点、発想とは?

「年に何回か集落のみんなで一斉清掃するんやけど、オレはカラがデカいんで、四万十川の中のゴミ拾いやなくて、川沿いの木々に引っ掛かってるレジ袋を棒で取る役で、これが枝に絡まってしまうとなかなか取れへんのや。でな、僕らの子供の頃はどこの店屋に行っても、焼き芋でもなんでも新聞紙に包んでハイ!やったやろ?川を汚さんように、四万十流域の産品は新聞紙で包もうや、と云うたら、みんなが賛成してくれて、『しまんと新聞ばっぐ』ができた。これも何回もコンクールやってたら、次々にオモロいアイデアがでてくるんや。」

「それから、四万十流域は植林したヒノキが多いんやけど、木材需要が減って、山も荒れている。売れへん、売れへん、ゆうてるだけやったらアカンやんかと、ヒノキを木材でなく『香り』ととらえ、端材や間伐材を活用して、10cm角の小さなヒノキ板に焼き印を押して、天然のヒノキオイルに漬けたのをユニットバスに入れたら、香りだけでもヒノキ風呂に変えてしまえるやろ?それを浴用芳香剤『四万十のひのき風呂』という商品にして売り出したら、企業がノベルティでも買ってくれたりで、3億円以上も売れてる。ヒノキオイルも四万十でつくってるんやけど、オイル1Lつくるのに1tもヒノキがいる。売れれば、間伐も進んで、森林の保全、再生にもつながるというしくみや。」

これらが、沈下橋の向こう側からの視点、発想だそうだ。

高知県の森林率は84%で日本一、見方を変えれば…

「『はちよーん(84プロジェクト)』もそう、高知県の森林率は日本一で84%もあるけど、山ばっかりというマイナスのイメージやろ?実際、製造品出荷額は全国最下位や。でもな、見方を変えると、CO2の巨大な吸収装置があって、自然の恵みが多くて、あらゆる産業に使える天然資源はニッポンイチや。」

「84プロジェクト」のコンセプトは「森林をタノシクする」。森林率の高さをむしろ誇り、その大切な財産である森林をはじめ、自然環境を守るためにも、高知県から新しい環境ビジネスを起し、森林まるごとブランド化するプロジェクトで、まず、知ってもらうために、山で働く男たちのユニホームの背中に「84」を入れた。

山仕事をするオヤジに「その数字はなんですかぁ~」と聞く。オヤジは振り返り「高知の森は、日本一の84はちよんヨ!知っちょきや~」と答える。ユニホームに84を入れるだけでオヤジは元気になる。(「ニッポンの風景をつくりなおせ」より)という訳だ。

原則として「高知県でとれた材木(84材)、農畜産水産物(84食材)、加工食品(84食品)に関わること」という基準があるが、「84はちよん作業着」、「CO2のカンズメ」 「間伐84はちよんデスクキット」、「84はちよん大工の家」、「84はちよんジビエ」等、ユニークで魅力的な商材が次々と生まれている。

被災者と社会をつなぐパイプをつくらんとアカン

東日本大震災後に岩手県、宮城県南三陸町等を訪れ、その惨状に、「被災者と社会をつなぐパイプをつくらんとアカン」という思いが込み上げてきたそうだ。

そこで、被災者と支援者は対等という思いを込めて、「ツクルシゴトツクル」というキャッチフレーズで、「しまんと新聞ばっぐ東北プロジェクト」を進めておられる。仮設住宅や避難先で暮らす被災者が古新聞で新聞バッグをつくり、協賛する企業にノベルティとして購入してもらい、その売上の中から被災者への収入を還元するしくみだ。

「預金してくれたからゆーて、日本の銀行がどこの国でつくったかもわからん、訳のわからんもんをお客さんに渡しとったらアカンと思わん?ノベルティひとつにしても同じお金を使うなら、社会貢献とか企業の姿勢が伝わるもんの方がええやろ?この前、メガバンクから興味があるので会いたいという連絡があってな、今度、東京に行くんや。こんなんがどんどん拡がって行ったらええやんか?ほら、古新聞バッグを入れるパッケージもできてて、これやったら海外の企業にも使てもらえるやろ?」

「東北の支援も四万十、高知で発想したアイデア、活動を活かしてるだけなんや。84(はちよん)もそうやろ?高知の山を立て直せたら日本中の山も立て直せるやんか?原点は全部ココにあるワケや。」

「コミュニケーションデザイン」とは?

売れない商品とは、消費者とのパイプが上手くつながっていない状態で、デザインの力で消費者との間にパイプをつなぎ、太くすることで、コミュニケーションを生み出し、売れるようにすることが、「コミュニケーションデザイン」だそうだ。

梅原さんは、現場に何度も足を運び、依頼者とのコミュニケーションを重ねることからデザインを生み出しておられるそうだが、依頼主とのパイプが太くなればなる程、依頼者と消費者とのパイプも太くなるのだろうと拝察する。

梅原さんのデザインに共通しているのは、パッケージやネーミング、キャッチも「えっ、何やこれ?」、「おっ、何かおもろそう」、「どんなんやろ?」、「うまそ〜、どんな味やろ?」と、手にとって、中身を覗きたくなったり、食べてみたくなるものばかりだ。それが「コミュニケーションのスイッチが入った」状態だそうで、んー、マンマと梅原さんの術中にハマってしまっているではないか…。

コミュニケーションスイッチが入る仕組み

梅原さんは、勤めを辞める前後に、東京・八重洲の宝くじ売り場で、「黙って買う」、「祈る」、「当る」という3枚の貼紙をした売り台にホッカムリしたおばちゃんが座っているのを見かけて、思わず買ってしまったそうだ。3枚の貼紙の特に気が利いている訳でもないごく当たり前な言葉とそのおばちゃんを含めた売り台全体の雰囲気に人を動かす力があることを実感したという。それが、今の梅原さんのデザインにも通じているのかもしれない。

都会に行かず、高知で仕事を続けるワケ

「何でもかんでも東京の価値観に合わそうとするから、地方の個性が失われるんや。都会からやって来て、地域プロデューサーとかを名乗っとるのがおるがやろ?オレから言わしたら、何やそれ?おこがましいちゅーがよ。その土地に根付いて、暮らして、働きもせんと、ちょっと見ただけで、そこの何がわかるがか?そんなんとかコンサルとかを有難がって、何でも頼りたがる地方の人たちもイカン。自分らの考えを持たんのがアカン。」

「何で高知で仕事してるかって?ここに住んで、ウチの畑で野菜も作って、仕事をしているから、高知のマーケティングやデザインの素は身に染み付いちょるきに。四万十にも5年住んだからこそ、わかることもある。ローカルの仕事は、ローカルの環境、生活、価値観や考え方がわかって、依頼者と同じ目線に立たんとええもんはできんし、都会に移す理由は何もないやん。」

確かに、地方には、都会で生活、活動していては、見えないこと、気づかないことがたくさんある。里山が人工林であることすら知らない都会人も多い。「風景を見ればその国の豊かさがわかる。」という梅原さんの残したい日本の風景とは、ただ美しい景観ではなく、地域とその文化、産業を創り、育ててきたのは人であり、そんな人々の営みや地域への熱い思いが醸し出している風景のような気がする。だからこそ、地方を支えてきた「一次産業を何とかしたい。」と思っておられるのだろう。

「自分のモノサシ」を持つこととは?

梅原さんは、都会にあるもの・価値観と比べて、「この地域には何もない」、あっても「こんなものしかないから、売れるはずがない」、「ここは寂れてしまってどうしようもない」、・・・と、勝手に思い込み、ネガティブに考えて、コンプレックスにしてしまう人が地方には多すぎると指摘する。

それは、「他人のモノサシ」で相対的に見ているからで、絶対的な「自分のモノサシ」で見れば、その地域の大切な個性やすぐ足元にある宝(かけがえのない価値)が見えて来て、今までマイナスだと思っていたことをプラスに変える発想も生まれるはず。そんな「自分のモノサシ」を持つことこそが、「真の豊かさ」だとおっしゃっている。

「考え方をデザインする」というのは、どう考えていくかをデザインすることだそうだが、根本的な考え方(従来型の間違った常識・思い込みも含めて)をポジティブな方向に変えることなのかもしれない。

まとめ

2015年度、地域創生関連予算の総額が1兆円を超えるそうである。その降って湧いた予算をどう使っていいかわからない地方行政が多いらしく、地域プロデューサーやコンサルが引っ張りだこだそうである。

「その土地に根付いて、暮らして、働きもせんと、ちょっと見ただけで、そこの何がわかるがか?そんなんとかコンサルとかを有難がって、何でも頼りたがる地方の人たちもイカン。自分らの考えを持たんのがアカン。」とおっしゃる梅原さんの言葉が耳に痛いのではないだろうか?

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COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2015.06.23.

最終更新;2015.06.23.

文責;平野 龍平

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