目次
COREZOコレゾ「いごっそうもはちきんも何となく笑顔にして巻き込んでしまう、威風飄々サラリーマン」賞
神野 浩史(じんの ひろし)さん
プロフィール
高知県高知市出身、在住
地元の情報関連企業に勤めるサラリーマン
ジャンル
地域振興
環境保全
農地再生
人的ネットワーク
受賞者のご紹介
「しあわせみかん山」
神野 浩史(じんの ひろし)さんとはご縁があって、2011年に高知県香南市の「しあわせみかん山」というみかん山で初めてお目に掛かった。
高知の有志の皆さんで「しあわせみかん山倶楽部」という組織を結成し、放置されていたみかん山を借り受け、手入れし、「しあわせみかん山」と名付けて再生しようと取り組んでおられた。
みかん栽培に関してはメンバーの皆さんは素人だったので、柑橘類の生産農家をしていた方から剪定や手入れの指導をしてもらって作業したが、そのみかん山は長期間放置されていて、かなり手間取ったそうだ。
伺った時には、剪定した枝の片付けと肥料の米糠散布の作業を終えて、片付けたみかん枝で焚き火をしておられた。神野さんに初対面の挨拶をすると、「ここは美味しいと思いますよ。どうぞよかったら。」とホイルを巻いて焼いた焼き芋を割って手渡して下さった。積極的に食べたい食べ物ではなかったが、せっかく頂いたので食べてみると、飴色の蜜がたっぷりの部分で、大変美味しかった。
参加者は勤め人をはじめ、お寺の住職、自営業者他、さまざまな職業の方たちだそうだ。家族連れの方もいらっしゃって、お子さんたちがみかん山を駆け回っていたり、昼食の残りらしいおにぎりを焼いている方がいたり、沸かしたお湯でコーヒーを飲んでいる人がいたり、とっても和気あいあいとした雰囲気だった。
最後に、焚き火を囲んで、参加者各自の作業報告が終わると、参加したお子さんから「1みかん券」が全員に配られた。1回作業に参加する度に、「1みかん券」が1枚支給され、1枚で「しあわせみかん」20kg(2000円分)と交換できるとのこと。なんともほのぼのとした活動だ。
焼き芋を食べただけなので固辞したが、「1みかん券」を下さった。次回は作業に参加しろということらしい。
次回の作業日程を決めた後、参加者の皆さんの話題は、「次回の施肥作業はどうする?」ということに移っていた。当日の施肥はみかん山の半分もできなかったようで、今回撒かれた次回分の「米糠玉」を未だ確保できておらず、それ以上に、かなり弱っているみかんの木々には、米糠の施肥だけでは不充分なようだ。
「自分たちが育てて食べるみかんだから、農薬や化学肥料はイヤだよね。」、「有機農といっても、添加物をたっぷり食べている人糞は肥料に使えない。」、「鶏糞はどうか?」、「鶏糞も鶏が食べている輸入飼料に問題はないの?」他、さまざまな意見が出されていたが、農業のご経験がありそうな年配の方から、「競走馬の馬糞ならなんとかできるよ。」という話が出された。
「それは、最高ですよ。」と言う方もいらっしゃって、皆さん「なんで?」モードでその方の方を見ると、「競走馬(サラブレッド)にはヘンなエサはやれないから、それ以上の肥料はない。」とおっしゃる。「そうそう、全く無臭でサラサラの最高の肥料だよ。」と、その話を切り出した方もおっしゃって、一同、「ポッ、カーン」の後、「へぇー」とドヨメキが起こり、「それ、宜しくお願いしまーす。」ということになった。
高知のシロートみかん山では、肥料ひとつで、こんなに議論が盛り上がっているのである。少し前までそんなことドーでも良かったのだが、ここに集まっている皆さんは食の安全に関する意識が高いのかもしれない。
高知名物、じんちゃん宅での宴会
解散後、神野さんの自宅で宴会が開かれることになり、途中で食料品を調達したが、地元資本の大規模な食料品スーパーで、地場産を中心に品揃えも圧倒的で驚いた。恐るべし、高知。
情報関連企業に勤務する神野さんの仕事は、一日中デスクワークで、休日は、海、山、川他の自然の中で過ごすのが楽しみだそうだが、有機農業にも興味があり、「しあわせみかん山倶楽部」の他に、棚田での稲作、田植えに草払いから、自然食レストラン、環境保全活動、イベント、コンサート等、ありゃりゃと思う程、さまざまな活動に参加しておられ、それらの活動の仲間の皆さんが三々五々、10人以上集まって来て、大宴会になった。
神野さんは高知のたこ焼き?のようなものを作って振る舞って下さった。関西で食べ慣れたそれとは違う食べ物としては大変美味しかった。
神野さんとのご縁で、生まれて初めて、「ちゅー」や「きぃー」が飛び交う、ネイティブ・トサベニアンの皆さんとの宴会に参加させて頂き、感謝感激して、「なんかドラマの『龍馬◯』の世界みたいでんなぁ。」と言うと、「あんな言葉使わんきぃー。」と全員から突っ込まれた。
それはもう大盛り上がりで、終了したのは夜中の2時。神野さんは嫌な顔一つせず、皆さんが盛り上がっているのをニコニコとご覧になっていて、初対面なのにそのままご自宅に泊めて頂いた。
その後も度々、神野さん宅で宴会をすることになるのだが、この神野さんと仲間の高知の皆さんの盛り上がりと温かさは一体何なのだろう?
「いごっそう」と「はちきん」
高知の男性を「いごっそう」、女性を「はちきん」と呼ぶことがあるそうだ。その土佐弁の意味を調べてみると、どちらにも負のイメージはなく、褒め言葉に近いようだ。「はちきん(八金)」という言葉の由来からその言葉自体を嫌う女性もいらっしゃるそうだが、そもそもそういう女性は、調べた意味からしても、「はちきん」とは呼ばれないような気もする。
「いごっそう」は、「快男児」、「頑固で気骨のある男」、「行動は大胆不敵にして豪快」、「一本筋の通った憎めない頑固者」、「信念を曲げず自分を主張する」「裏も表も無い正直者」、「反骨精神がある」、「気乗りしないことは行動に移さない偏屈者」、・・・。
「はちきん」は、「おてんば」、「気が強く男勝り」、「気のいい性格で負けん気が強い」、「一本調子でおだてに弱い」、「後ろを振り返ることなく前進し続ける頑固者」、「行動力がある」、「ハキハキして快活」、「気っぷがいい」、「とにかく明るい」、「くよくよせず、強い」、「キツイこともサラリと言い放つが、本当の優しさを知っている」、・・・。
「酔っ払った『いごっそう』を担いで帰るのが『はちきん』」という解説もあって、どちらかというと、「はちきん」>「いごっそう」の印象である。
高知は、四国山脈で他国と遮られた独自の文化圏を形成していて、海と山の両方に恵まれているが、台風や洪水の被害に遭いやすい厳しい自然環境、黒潮の荒波に出漁するような生活環境、それに温暖な気候が、豪快で気骨があり、細かいことにこだわらず、物事を大きく捉える気質を育てたのではないかと言われているそうだ。
「いごっそう」と称されると自慢できる呼称らしく、自分を「いごっそう」に見せようとする見栄っ張りなところもあるが、一旦、「こうだ」と決めれば、自分より大きな力にも立ち向い、自分のことを先に考えるのを恥とする文化がるので、物事の成就を第一に考え、それが結果として多くの人を上手に巻き込んでいくという説もあった。
土佐出身の人物といえば、坂本龍馬、岩崎弥太郎、板垣退助、吉田茂、中江兆民、幸徳秋水、・・・。このような「いごっそう」(と呼んでいいのかもわからないが)を支えたかもしれない「はちきん」の存在の有無にも興味を持ったが、どのような印象を持たれるかはその方次第ということで・・・。
高知人気質とじんちゃんのアクティビティー
初対面の他所者にもあたたかい気質、風土、歴史がなんとなくわかったところで、「じんちゃん、じんちゃん」と、仲間の皆さんから呼ばれてとっても慕われておられる神野さんの「Face book」を覗いてみると、農作業、三線、祭り、はりまやナイトイベント、ほたるの夕べ、カヌー、・・・。そして一番多いのが、仲間の誕生パーティー他の宴会の話題なのである。中間管理職?として、多忙な日々を送っておられるはずなのに、よくもこれだけの行事に参加する時間があるなと感心するぐらいのアクティビティーだ。その上、掲載されているどの写真も実に楽しそうなので、軽い嫉妬を覚えるほどである。
高知県本山町大石にある「真美農山北村自然農園」の棚田を借りて、北村 太助(きたむら たいすけ)さんの指導のもと、無農薬、無化学肥料での米つくりを仲間の皆さんと続けておられる。北村 太助(きたむら たいすけ)さんを知ったのも神野さんのおかげだ。
神野さんや仲間の皆さんは各々がそれぞれに環境問題、食の安全、農地再生、地域振興他の興味深い活動しておられることを知って、志の高さとその行動力に感心したが、ご本人たちは、週末にさまざまな活動ができるのも、山も海も農地もすぐそばにあるからだとおっしゃる。東京や首都圏とは価値観や意識が違うというか、そんな小さなことには全く関心がなく、高知を心から愛しておられて、高知が少しでも良くなるように、自分たちが楽しみながら、できることをできるときにできるだけしておられるようだ。
今まで訪れた中で、こんなに自分の故郷が大好きな人たちが揃っていて、それぞれがそれぞれの意志で行動しておられる地域も珍しい。んーっ,これからの維新も高知から始まるのかもしれない。
多くの人を巻き込んでいる張本人かも?
神野さんに人が集まって来られるのか、人が集まっているところに神野さんが行っておられるのか実のところはよくわからないが、周りにはいつも笑顔が溢れている。
そんな神野さんという人物に興味を持ったので、観察していると、周りをよく見ておられて、必ず、周りの人を立てておられる。ご自分が意見する前に、相手の話をよく聞いて、人の意見に対して批判をされない。ご自宅で宴会をする時にも、参加者に気を遣わせないようにさらりとした気遣いをしておられて、ちょっとカッコええのである。周りを和ませて、笑顔にして、結果として、多くの人を巻き込んでいる張本人かも?と思える節もある。
「いごっそう」という言葉からは、「坂本龍馬」のような「威風堂々」とした姿(よく目にする写真)をイメージしてしまうのだが、神野さんはどちらかというと「ユルキャラ」(失礼)で、「柳に風」というか「威風飄々」としておられて、酔っ払った「いごっそう」の面倒を見て、担いで帰るようなタイプのように見える。
ひょっとして、能ある「いごっそう」やほんまもんの「いごっそう」もツメを隠しているのかも知れない。
コレゾ財団・賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、
「趣旨には賛同しちゅうきぃが、僕は何もしちゅらんきぃ。」と、おっしゃるので、
「ま、趣旨には賛同しちゅうきぃが?仕事外で、できることをできるときにできるだけ楽しんでやってはる珍しいタイプのサラリーマンやし、受賞しといてもらいましょ。」と丁寧に説得して、渋々、了解頂いた。
ホンモノを残していくには、実際のつくり手や担い手とその人たちに賛同して、消費したり、支援したりする人を繋ぐ人も必要なのである。
COREZOコレゾ「いごっそうもはちきんも何となく笑顔にして巻き込んでしまう、威風飄々サラリーマン」である。
後日談1.第1回2012年COREZO(コレゾ)賞表彰式
後日談2.第3回2013年COREZO(コレゾ)賞表彰式
信州小布施まで遠路はるばる来てくださった。
COREZO(コレゾ)賞 事務局
初稿;2012.11.02.
最終取材;2012.05.
最終更新;2015.03.04.
文責;平野龍平
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