鈴木 進悟(すずき しんご)さん/神岡鉄道レールマウンテンバイク

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COREZOコレゾ「神岡鉄道廃線後、地域住民の心の財産を観光資源に変え、過疎化地域活性化の夢を乗せて走るガッタンゴー」賞

鈴木 進悟(すずき しんご)さん

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プロフィール

特定非営利活動法人神岡町づくりネットワーク理事長

日本ロストライン協議会 会長

日本ロストライン協議会;廃線路・跡地の活用を目指す、全国のNPO法人などで構成する団体

2012年、日本鉄道賞「蘇ったレール」特別賞

2014年、JTB交流文化賞「最優秀賞」

2014年、地域づくり「総務大臣賞」

2018年、国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」他、受賞多数

受賞者のご紹介

鈴木進悟(すずきしんご)さんの本業は、建設業、金属加工業だが、唯一無二の乗り物、「Gattan Go!!(ガッタンゴー)」を運営する、NPO神岡町づくりネットワークの理事長でもある。

Gattan Go!!(ガッタンゴー)

「Gattan Go!!(ガッタンゴー)」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?

「ガッタンゴー!!」は、左右に2台並べて連結した電動アシスト付マウンテンバイク(=/・RMTB)で廃線になった線路の上を走る乗り物。

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電動アシスト自転車のハイブリッド車の他、子供でも安全にガッタンゴーを体験できる観覧シート付き、EV自転車にサイドカーを連結して一人乗りを可能にしたタンデム車、スタッフがオートバイで牽引する木製トロッコなど、いろんな年齢層が楽しめる多彩なRMTBが用意されている。

自転車にはない、レールの継ぎ目を通過する際のガタンゴトンという振動と、レール上を風を切って人力で進んでいく感覚が人気を呼んでいる。

筆者は、国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」の選考委員を務めているのだが、書類選考時に、この団体の応募書類を拝読して、どのようにしてこのような前例のない取り組みが実現できたのか、また、どんなご苦労があったのか、聞いてみたい、と率直に思った。

飛騨市神岡町

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この「ガッタンゴー!!」があるのは岐阜県飛騨市神岡町、神岡町と聞いてなんとなく思い浮かぶのは、ニュートリノの研究でノーベル賞受賞者を2人も生み出し、度々、ニュース等で報道されてきた「カミオカンデ」や「スーパーカミオカンデ」ではないだろうか?

でも、「カミオカンデ」や「スーパーカミオカンデ」のある神岡町がどこにあるか知っている人は少ないだろう。

飛騨市神岡町はかつて鉱山の町で、岐阜県最北部の富山県との県境にあり、神岡鉱山の起源は16世紀末ごろらしく、1874(明治7)年に三井財閥が経営を始めて以来、鉛・亜鉛の産出量が東洋一といわれた鉱山事業を核とした企業城下町が形成され、1960(昭和35)年には人口が2万7千人に達するなど大いに栄え発展してきた。

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1971年当時、神岡鉱山を操業していた三井金属鉱業株式会社は、富山県の神通川流域で発生した「イタイイタイ病(患者が「痛い、痛い」と苦しむところから名付けられた)」の患者から集団訴訟を受け、敗訴している。

この地にカミオカンデ(1983年完成)やスーパーカミオカンデ(1996年稼動)が建設されたのは、岩盤が強固な鉱山跡と採掘技術の高さにノーベル賞受賞者である小柴教授が着目し、利活用されたからだそうで、さらに大規模なハイパーカミオカンデの建設が計画されている。

やがて、鉱石が枯渇し、輸入鉱石がより安価に調達できるようになると、鉱山は順次合理化、縮小され、2001(平成13)年には、全面的に採掘中止となり、採掘中止後の現在も三井金属鉱業株式会社の100%出資子会社の神岡鉱業株式会社が鉱物のリサイクル等の事業を行っているが、町外資本の大型店舗の進出や富山市、高山市への顧客流出によって、神岡町の中心市街地も急速に衰退した。

さらに、公共事業の大幅な減少によって、町の基幹産業の一つであった建設業でも廃業する企業がでるなど、地域雇用環境も深刻さを増しており、2015(平成27)年には、人口は約8,400人にまで減少し、過疎化が進行している。

NPO法人「神岡・まちづくりネットワーク」設立の経緯

2001年(平成13)年、そうした状況に危機感を持った神岡町観光協会の発案により、「神岡町夢を語る会」が発足し、「神岡町夢づくりがやがや会議」が開催され、そこで出された約3,000 項目のアイデアを集約した「神岡町市街地活性化構想」を策定、さらに「ふるさと散策の道」を地図化した。

神岡町の現状を変革し、まちを活性化するには、行政に任せるだけではなく、相互に提案しあえる組織が必要であり、地元町民やあらゆる団体の力をこの組織に結集することで、さらに強力に事業を推し進められる、との考えから、その活性化構想を具体的に進めていく受け皿団体として、2002年、鈴木さん自ら理事長となり、NPO法人「神岡・まちづくりネットワーク」が設立された。

折しも、神岡町商工会議所が創立60周年記念事業として、「ふるさと散策の道」のひとつである「がおろ(河童)の道」遊歩道整備に取り組んでいたことから、その維持管理を担うとともに、過疎の町を観光によって活性化するため、旧神岡鉄道の保全と利活用を模索しながら、地域資源の活用を通じた交流人口の拡大に取り組んでこられた。

神岡鉄道

神岡鉄道は、神岡鉱山から掘り出された亜鉛鉱石や硫酸輸送を主目的に国鉄神岡線として1966年に開業し、猪谷(富山県)-奥飛騨温泉口(岐阜県)間(19.9km)を運行していた。その全線の内、64%がトンネルや橋で、「奥飛騨の地下鉄」という異名があった。

1984年には、旧国鉄特定地方交通線を引き継ぎ、三井金属鉱業株式会社が大株主(51%)となって、第三セクターの神岡鉄道に転換したが、やがて輸送手段がトラックに切り替わり、2004年で貨物営業を休止し、貨物営業が収入の7割以上を占めていたことから、2006年末限りで廃止を迎えた。

2004年(平成16年)、神岡町は、同じ吉城郡の古川町、宮川村、河合村と合併して飛騨市となった。

2006年に神岡鉄道の廃止が決まったとき、神岡町出身の初代飛騨市長は、神岡鉄道を観光鉄道として復活させる考えで、神岡鉄道の主要株主である三井金属鉱業株式会社から線路・車両などの施設を譲り受けた。

ところが、2008年、それに反対する候補者に初代市長が敗れ、2代目の新市長は、レールや鉄橋を撤去する方針を打ち出し、逆風が吹くことになる。

神岡鉄道は廃線となったが、その歴史と記憶は地域の人々の胸に刻まれ、「心の財産」となっており、この思いを形として残し、後世に伝えていくため、鈴木さんたち地元の有志が集まって、「神岡鉄道協力会」を立ち上げ、全線保存を目標に全区間草刈りなどのボランティア活動が始まった。

同時に、鉄道資産を「そのままの形」で保存・活用し、鉄道資産を取り巻く「町並み」を残すためにも、レールを利活用して、鉄道車両に替わる「乗って楽しい」アトラクション的なものを新たに作ることはできないか、とメンバーで考えた結果、レール上を軌道自転車で走らせるという発想が生まれた。

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町の鉄工所にも相談し、試行錯誤の結果、現在も採用されているのだが、2台のマウンテンバイクを横並びにして、オリジナルのガイドローラー(鉄輪)付金属フレームにがっちりと固定する「レールマウンテンバイク」を考案し、仕組みの一部については特許も取得した。

この「レールマウンテンバイク」は、マウンテンバイクの後輪タイヤが直接鉄道レール上に接地して駆動する仕組みで、ガイドローラーの鉄輪がレールに接しているため、ペダルをこげば、通常のサイクリングにはない「ガッタン、ゴットン」というレールの継ぎ目の音と振動を感じながら、安全かつスムーズ(電動アシスト付)にレール上を走行できる。

試作機はポイント部分で脱線することもあり、レール側で改善を加えるなど、工夫と苦心の末、実用化に成功し、2007年のゴールデンウィークに、飛騨市観光協会が運営を担い、飛騨市も協力する形で、廃線跡のうち、「まちなかコース」2.9km(往復5.8㎞)で実験走行を実施したところ、「珍しい体験」とマスコミが取り上げてくれて、その年の夏休みにも実験走行を開催することができた。

2代目市長に替わって、逆風が吹いていたが、旅番組やニュースで紹介される度に問い合わせが殺到し、実験運行日には、予約が取れない程の盛況となった。

そして、2011(平成23)年には、運営がNPO法人「神岡・町づくりネットワーク」に移管され、2012年からは、4~11月のシーズンを通じての運行となり、15年度には年間乗車4万人を突破、その後、17年度まで3年連続して乗車人数は4万人を超え、今や人気の高いアトラクションに成長した。

現在、市から線路を含めた鉄道施設を指定管理料「0円」で管理委託され、保線管理、整備も全て「ガッタンゴー」の売上で賄っている。

この廃線を活用した、全く新しくて、「楽しい」体験の創造が認められ、ガッタンゴーの運営をしているNPO法人神岡・町づくりネットワークの取り組みは、日本鉄道賞「蘇ったレール」特別賞(2012年)をはじめ、数々の賞を受賞している。

ロストラインフェスティバル

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飛騨市ロスト・ライン・パーク

2016年(平成28年)に就任した3代目の現市長は、レールマウンテンバイクの実績を評価し、ガッタンゴーで活用してきた旧神岡鉄道の旧奥飛騨温泉口駅から旧漆山駅までの10.5キロを地域と飛騨市の観光資源としての活用や地域振興を図ることを目的とした「飛騨市ロスト・ライン・パーク」と名付け、「鉱山の町」として歩んできた歴史と文化を活かす施設の整備に取り組んでいる。

2017年には、レールマウンテンバイク開始10年を記念して、飛騨市とNPO法人神岡・町づくりネットワークの協働で「ロストラインフェスティバルin 神岡」が開催された。

全国には、廃線=「ロストライン」が数多く存在しているが、これら廃線遺構を利活用する試みは全国に拡がり、各地域で活力を生む新たな「ツーリズム」として知られるようになってきている。

NPO法人「神岡・町づくりネットワーク」では、そんな各地域での取り組みの情報を共有し、ともに事業を磨き合えるような全国ネットワークを構築したい、という願いから、「大館・小坂鉄道レールバイク」と宮崎県の「高千穂あまてらす鉄道株式会社」の賛同を得て、全国の団体に参加を呼び掛け、その「ロストラインフェスティバルin神岡」に合わせて「日本ロストライン協議会」の設立総会を開催した。

おくひだ1号の復活運行

そのイベントに合わせ、ガッタンゴーの利用促進につなげようと、神岡鉄道で使われていた「おくひだ1号」の車両を奥飛騨温泉口駅に展示することが検討されたが、保存されていた車両検修庫からトレーラーで車両を移動する費用は、2,000万円以上かかることが分かった。

そこで、「線路がつながっているなら走らせればいい」と思い付き、試しにエンジンをかけてみたら動いたのだが、駆動系の腐食などで走行はできなかったため、車両の修繕、線路の点検調査費用として100万円を市が予算化し、神岡鉄道の元職員やJRの職員などに協力を仰いで、往年の「おくひだ1号」が約10年ぶりに本線を復活運行することが実現し、イベントの大きな目玉となった。

これについて、国土交通省は「鉄道事業の実態はなく、飛騨市が自前の資産を動かすだけ」という解釈をしてくれ、廃止になった鉄道路線を現役時代の車両が走る珍しさも手伝って、テレビや新聞などメディアが詰めかけ、鉄道ファンや近隣の人々など、多くの人々が集まったそうだ。

おくひだ1号の運行体験

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これを契機に、「おくひだ1号」を自分で運転して(元神岡鉄道運転士が同乗指導)、旧奥飛騨温泉口駅から神岡大橋駅までの本線・片道750mを走行できる運転体験の企画が生まれ、2019年度も4月から11月まで、ガッタンゴーの運休日である水曜日に4回開催する予定で、すべて募集開始と同時に予約が埋まるほどの人気だそうだ。

「漆山渓谷コース」を新たに開設

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1日に走行できる便に限界があるため、従来の「まちなかコース」は、土日祝日には予約が取れない状態が続いており、開業12年目の2018年4月、安全対策等の整備が完了して、旧漆山駅~二ツ屋トンネル間往復6.6㎞、第2高原川橋梁を渡って、スリルと景観が楽しめる「漆山渓谷コース」を新たに開設し、こちらも好評だという。

「漆山渓谷コース」の体験試乗

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2019年4月、筆者も「漆山渓谷コース」の体験試乗をさせてもらったのだが、鉄橋があったり、トンネルがあったりと、大人でもなかなか楽しく、同じ組で走行した香港人のご夫婦は、ネットでこれを見つけて、自前のサイクリングヘルメット持参で、中部空港からレンタカーでわざわざ来たそうだ。

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遊園地のアトラクションと違って、実際に使われていたレールの上を自分でこいで、走行するのは、楽しいもので、先頭車両に乗って、運転席越しに走行風景を見るより、ずっと開放感があり、懐かしい「でんしゃごっこ遊び」の感覚で、子供たちは大喜びだろう。

ただ、富山県側から岐阜県側に向かって緩やかな登り勾配になっており、電動アシスト付でも、登りが3㎞続くのは、日頃運動不足の老体には、少々、キツかった。

行政から厳しい安全対策が求められており、途中で止まったり、降りたりするのは禁止で、ヘルメットと安全帯着用が義務付けられ、最大10台ほどが1度に走行するが、その前後を安全管理する係員がバイク仕様車両で走行し、これまでに事故は発生していないそうだ。

全長19.9kmの旧神岡鉄道全線営業の夢に向って

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鈴木理事長によると、全長19.9kmの旧神岡鉄道全線のうち、現在の利用区間は、2コースを合わせて、6.2㎞、約31%を利用しているにすぎず、まだ、約3kmの長大トンネルや雄大な渓谷、清流の川面などの景観が楽しめる未整備区間が13.7kmあるという。

全線営業できるようになれば、全線を走破する長距離「ウルトラコース」やタイムトライアルイベント、「ゆっくり、のんびり半日コース」他、バリエーションに富んだ様々なコースの設定やイベントが実施できる、と夢が膨らむ。

廃線の危機にあるローカル線の活性化のお手伝いをしたことがあるが、マイカーが普及し始めた1965(昭和40)年代以降、乗客は減り続けている。スイスは周りの観光大国に対抗するため、国策としてレールツーリズムを打ち出して成功しているが、インバウンド観光客を含めた沿線住民以外の乗客を呼び込まない限り、大きな維持費、固定費がかかるローカル鉄道事業の存続は厳しいだろう。

廃線になった場合、多額の費用の掛かる鉄路を事業者が撤去して自治体がもらい受け、道路や遊歩道、サイクリングロード等に整備している事例は多いが、廃線路を残し、そのまま利活用したレールマウンテンバイクを考案し、事業として成功させているのは、前例がなく、画期的な取り組みだ。

廃線後、直ぐに「神岡鉄道協力会」を立ち上げ、全線保存を目標に全区間草刈りなどに取り組み、設備の状況や保線、整備が必要な箇所を実際に確認、把握していたことは、事業化に向けて功を奏しただろうし、車や人が横断する踏切があれば、いろんな規制が掛かるらしいが、旧神岡鉄道沿線には、1箇所もないそうで、また、線路の勾配が緩く、電動アシスト付なら登り勾配も何とかなるところもできる条件が揃っていたと思う。

しかし、神岡鉄道の場合も、撤去費に相当する費用を事業者からもらい、いつでも撤去できるよう市がプールしているそうで、一度、レールを剥がしてしまうと、二度と敷設されることはなく、車両が走らなくなっても、かつて鉄道があった町の風景を残し、後世に引き継ぎたいという、「一念、岩をも通す」強い思いがあったからこそ、前例がない事業に対する様々な規制や抵抗勢力に屈せず、実現できたのだろう。

地域住民の心の財産を観光資源に

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レールマウンテンバイク「ガッタンゴー」を集客できるアトラクション、観光資源に育てた発想力と実行力は、称賛に値するし、「ロストラインツーリズム」を生み出し、補助金に頼ることなく、雇用創出と観光交流人口の拡大というカタチで地域に貢献している他に比類のない素晴らしい市民活動である。

筆者は、都会生まれの都会育ちで、子供の頃、住んでいた関西の私鉄沿線の街並みはすっかり変わってしまったが、この歳になっても、その私鉄に乗り、最寄り駅を通ると、当時の風景を思い出すように、鉄道ファンや鉄道マニアでなくても、幼い頃の鉄道のある風景は心に残っているものだ。

「ガッタンゴー」は、地域住民の皆さんに「心の財産」を残し、子供たちに引き継ぐだけでなく、それを目的に神岡町を訪れた人たちの心にも楽しい思い出と共に鉄道のあった風景を刻んでくれるだろう。

COREZOコレゾ「神岡鉄道廃線後、地域住民の心の財産を観光資源に変え、過疎化地域活性化の夢を乗せて走るガッタンゴー」である。

取材;2019年4月

最終更新;2019年6月

文責;平野龍平 

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