焼きものはウソはつかんが、漆塗りはウソをつくって、茅葺きにも通じる話

焼きものはウソはつかんが、漆塗りはウソをつく

ネット上で見つけたのだが、某局の朝の連ドラの話らしい。

「焼きものは失敗したところも上手くいったところも、焼けばそのまま器に出てくるが、漆塗り、特に輪島塗は、何度も何度も塗り重ねるので、途中の工程を手抜きしても仕上げだけ綺麗に塗れば、パッと見は素人にはわからない。でも、見えなくてもウソをついたらダメだ。だませるからこそ、余計にだましたらダメだ。」

という輪島塗の塗師屋さんの話のようで、上等な塗の器は、日頃の手入れを怠らなければ、傷んだら塗り直して、孫子の代まで何10年と使えるという。

同じような話を茅葺師さんからも伺ったことがある。

ホンモノの茅葺師

長野県小谷村の株式会社小谷屋根代表で茅葺師の松澤 朋典(まつざわ とものり)さんのお話だ。お父さまの松澤 敬夫(まつざわ けいお)さんは、伊勢神宮の遷宮にも茅葺師として奉公しておられる。

https://corezoprize.com/tomonori-matsuzawa

より、ダイジェストで抜粋

茅葺きの大事なポイント

「茅葺きの大事なところは内側で、外からは見えないんですが、寿命を延ばすためにも、後々、修理し易いように葺いておかなければなりません。例えば、修理の方法に差し茅というのがあって、痛んだ茅を抜き取り、新しい茅を差して、差した茅のしなりを利用して、下の茅を押さえて行くのですが、ごまかして、下手に縄とか針金で止めてあったりすると、後で余計な手間が掛かるのでやり直しておきます。」

「次は、自分たちがやるのか誰がやるのかわかりませんが、いつも20年後のことを考えて仕事をしています。いい仕事をしておけば、後に残っていくんです。というのも、僕も屋根を壊す毎に勉強をさせてもらっているからです。」

「以前、祖父が葺いて、父が修理した屋根がいよいよダメになって壊したんですが、大事な部分はちゃんと残っているんですよ。どこから縄をよんであるかとか、どうしてこんなに保っているんだ?こうなっているのかとか、先人達の仕事から教えてもらうことばかりです。小谷には、父が15歳の頃に葺いた屋根がまだ普通に残っていて、今、父は72歳ですから、60年近く修理も何にもしていないんですよ。」

茅葺師の心構え

「基本をしっかり身に付けていない人が多いというか、自己流で、困ったらその時に考えればいいや、っていう行き当たりばったりの仕事をする人が多いような気がします。後で無理矢理つじつまだけ合わせても、そこから痛むんですよ。どの屋根もひとつひとつの工程毎にやるべきことがあって、同じ作業の繰り返しのように見えて、毎回、その現場、現場で違うんです。」

「絶対に外しちゃいけない基本が根本にあって、後は、経験から応用して、その現場に一番いいやり方で葺いていかねばなりません。それに、手間と時間はかけようと思えばいくらでもかけられますが、僕たち職人は、1軒葺いていくらなんで、できるだけ無駄な手間を省いて、早く、安く、確実に、その上、丈夫に、きれいに葺くのが仕事です。

茅葺は、かつて村や集落で住民たちが協力し合い、持ち回りでしていたものだそうだが、茅葺の家が少なくなり、若者が都会に出て人手も足りないので、業者に頼むことになる。予算が足りないとボランティアやアルバイトを募って、施工することもあるそうだ。そういう現場で茅葺をしたことのある人が施工するケースが増えているらしく、基本に忠実に施工せず、体裁よく刈り込んで外見だけ整えたような茅葺はすぐに痛んで、雨漏りするそうだ。

詳細はこちら

https://corezoprize.com/tomonori-matsuzawa

補足

松澤さんのご紹介ページで、小谷屋根で使っておられる小茅を「オオヒゲナガカリヤスモドキ」と説明したが、「カリヤス」ではないかという説もあり、明確になり次第、改めてお知らせする予定。

まとめ

生産者主導の世の中になり、生産に参加することがなくなった生活者は、単なる消費者になってしまった。人類と類人猿の違いは、食物や道具を創れるか創れないかだが、作る、編む、縫う、漬ける、仕立てる、見立てる、誂える等の生活技術をどんどん失い続けている日本人は、類猿人に見える。

「誂え」は、消費者の生産参加である。家電やプラスチックで作られた工業製品等の「誂え」は利かないが、辛うじて、家づくりには、「大工さん」に頼んで、「誂える」という手が残っているのに、ハウスメーカーの営業マン任せにして工業製品を購入し、「誂え」という生活技術まで放棄してしまっている。

と、工業デザイナーの故秋岡芳夫さんはこの世を憂いておられた(1981年のこと)。

身に付けた技や知恵と自分の身体を駆使して、茅葺屋根を葺けるというのは、凄いことだ。血と汗と涙が滲むような厳しい修行と努力の先にしかないものだが、自分で何もつくれない者の目から見ると、惚れ惚れする程カッコいい。

「父ほど経験を重ねていても、これだけ茅を葺いてきて、いまだに満足できる屋根を葺けたことがねぇや、思い通りなるなんてありっこねぇし、研ぎひとつ取ったって一生勉強だ、っていつも言ってるぐらいですから、僕も日々、自分が納得できるやり方を追求しながら、一生懸命努力するしかありませんよね。」

と、松澤さん。

職人さんの世界にゴールはないようである。

人にも自分にも正直で、真っ当で当たり前なことを当たり前に続けておられる職人さんは、心底、素晴らしいと思う。敬服するより他はない。

こういう職人さんと職人さんの仕事を子供たちの世代にも残したいと思うのは筆者だけではないだろう。

信頼できる職人さんを見つければ、ご自身の家づくりで実現できる。

「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」(魯迅)

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COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2015.04.16.

編集更新;2015.04.16.

文責;平野 龍平

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