玉田 元康(たまだ もとやす)さん/歌手/ボニージャックス

COREZOコレゾ 「『90歳でソロデビュー』、生涯現役! 合唱団の指導・指揮をはじめ、ソロとして、コーラスグループとして、豊かで艶やかな低音を響かせ続ける歌手」賞

玉田 元康(たまだ もとやす)さん/歌手/ボニージャックス

 

プロフィール

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プロフィール 

玉田 元康(たまだ もとやす)さん

1935年生まれ。早稲田大学グリークラブ出身。
1958年(昭和33年)、男性コーラスグループボニージャックスのメンバーとしてプロデビュー。

ダークダックス、デューク・エイセスと並び、戦後日本の男声コーラス文化を築いた存在として知られる。NHKをはじめ数多くのテレビ番組に出演し、紅白歌合戦にも連続出場。童謡、唱歌、抒情歌からCMソングまで幅広く歌い、日本の茶の間に「男声コーラス」という文化を届けた。

メンバーの引退や逝去を経て、現在は吉田 秀行(よしだ ひでゆき)さんとともに活動を継続。

2025年3月、90歳で初のソロCDをリリースした。

現在91歳(2026年4月時点)。今なおステージに立ち続け、ソロ、ボニージャックス、合唱団指導と、今なお歌を中心とした日々を送っている。

プロローグ

2026年3月9日、杉田劇場で「COREZOコレゾ賞に感謝を寄せて大庭照子トークコンサート」を開催された童謡歌手 大庭 照子 さんのステ-ジに、玉田 元康(たまだ もとやす)さんが飛び入りで立たれた。

ボニージャックスでの担当は、男声合唱の中でも最も低い音域を支える「バス」。御歳91歳とは思えない重厚で豊かな低音が響き、その声量とブレスの長さに驚かされた。

ご本人も、肺活量について「自慢話になりますけど、あんまり減ってない気がする」と語る。一息で歌えるフレーズが長いという自覚があるそうだ。

90歳で初のソロCDを出し、今も月によっては5、6回、あるいはそれ以上のステージに立つ。ボニージャックスを知らない世代が増えた今も、男声コーラスの一時代を築いてきた玉田さんは歌い続けている。

ボニージャックス

早稲田大学グリークラブ

玉田さんは、もともと音楽一家に育ったという。兄弟姉妹も音楽の道に進んだ。しかし、高校時代の玉田さん自身は、音楽を選択していたわけではなかった。

本人は当時を振り返り、「高校の音楽なんて興味がなくて、選択もしてなかった」と率直に語っている。ただし、変声期を迎えた時、自分の声が低くなったことははっきり自覚し、「バスになったな」と分かったという。

バスとは、男声合唱で最も低い音域を担当するパートで、玉田さんには、大学に入ったら合唱団に入ろうという思いがあった。

そして早稲田大学の入学式を迎えた。グリークラブが登場し、洒落たアレンジの男声合唱を響かせた。そのコーラスを聴いて、玉田さんは「あ、これだ」と思ったという。

入学式の会場には、各クラブがテントを張って新入部員を集めていて、玉田さんはそのまま「即日入部」をした。

ボニージャックス結成

ボニージャックスの始まりは、早稲田大学グリークラブだった。

男声合唱は、トップテナー、セカンドテナー、バリトン、バスの四つのパートに分かれる。その各パートリーダーが集まり、四重唱を作ろうということで始まったのがボニージャックスである。

プロへの道につながったのは、TBSの「青春ジャズ大学」という番組に出演したことで、玉田さんによれば、ある意味、プロの登竜門のような番組だったという。

当初のメンバーの一人が家庭の事情でプロ入りを断念し、その後、玉田さんが加わることになる。メンバーの1学年後輩の西脇 久夫(にしわき ひさお)さんからは「玉田さん、ちょっとルックスがなぁ」と言われたこともあったという。玉田さん自身も、当時は髪も伸ばし放題で「本当に汚い学生」だったと笑って振り返った。

それでも、結果として玉田さんはボニージャックスに加わり、プロの道へ進むことになった。

男性コーラスグループ

ボニージャックスが世に出ていくうえで、大きな追い風となったのが、先行して活躍していたダークダックスの存在だった。玉田さんは、ダークダックスについて「男性コーラスで食ってる人がいる」と感じたという。プロとして成立することを、先にダークダックスが示していたのである。

さらに、ダークダックスが慶應義塾大学系のグループであったこともあり、早稲田出身のボニージャックスは、マスコミから“早慶戦”のような構図で取り上げられ、それも追い風になった。

全盛期について尋ねられると、玉田さんは「紅白に3年出ました。その頃でしょうかね」と語っている。昭和45年前後の時期である。NHK番組への出演もあり、テレビを通じて茶の間広く知られていった。

CMソングの現場

ボニージャックスがプロの現場で重宝された理由の一つに、譜読みの力があった。早稲田大学グリークラブでは、合宿などで譜読みを徹底的に叩き込まれたため、ほとんどのメンバーが初見で対応できた。

当時は、商品名を連呼するようなコマーシャルソングが多かった。現場で譜面を渡され、その場で歌う。そうした録音の仕事が数多くあった。玉田さんは、自動車メーカーのCMソングを歌ったと思ったら、翌日は、ライバルメーカーのを歌うようなこともあったと振り返る。

華やかなテレビ出演の裏側で、ボニージャックスはプロの職能集団として、商業音楽の現場も支えていた。

声量を支える身体

現在も声が出る理由について、玉田さんは水泳の効果を挙げている。45歳から70歳まで、スポーツクラブで泳いでいた。週に少なくとも2回、多い時は3回ほど通っていたという。

水の中は抵抗があるため、ある意味ではハードである。一方で、浮力があるため身体には優しい。そして、水中での呼吸は腹式呼吸でなければ苦しく、結果として、腹式呼吸の訓練にもなったのではないか、と玉田さんは語っている。

大きな持病もなく、薬もほとんど飲んでいない。ご本人は、今も歌える身体であることに感謝しておられる。

盟友 西脇 久夫(にしわき ひさお)さん

ボニージャックスのメンバーの中で、西脇 久夫(にしわき ひさお)さんは大きな存在だった。

玉田さんは、「他のメンバーより1学年先輩と云うことで、リーダーをしていただけで、対外的な対応はしていましたが、グループ内では、自己主張の強いメンバーばかりだったので、その調整役のようなものですよ。でも、音楽面では西脇がだいたい牛耳っていましたね。」と当時を振り返った。

西脇さんの作曲家としての力量についても、玉田さんは高く評価している。「メロディーとコード進行」が非常に美しい。玉田さん自身も編曲はするが、メロディーやコード進行のセンスについては「西脇は、やっぱりすごいと思います」と語っている。

西脇さんは、歌い手であるだけでなく、曲を作り、企画を生み、人を巻き込める人だった。その西脇さんが亡くなったことは、玉田さんにとって大きな出来事だった。玉田さんは西脇さんを「盟友」と語っている。

西脇久夫さんが最後に託したこと

玉田さんが、故・西脇さんと最後に言葉を交わしたのは、亡くなる直前だった。

当時、西脇さんは肺がんを患い、かなり苦しい状態だったのにも関わらず、電話をかけてきた。

「玉田さん、ちょっと話があるんだ」そんな内容だった。

しかし、息遣いも荒く、長く話せる様子ではなかったため、玉田さんは「そんな苦しい時に無理して話さなくていいから、また今度ゆっくり話そう」と伝えたという。

ところが、その“今度”は訪れず、その電話が、西脇さんとの最期の会話になった。

一方で西脇さんは、その頃、日本童謡館の理事長、高田 真理(たかだ まり)さんへも連絡を入れていた。「もしものことがあったら、玉田たちのことを頼む」と託していたのだという。

仕事上、長年、日本童謡館との交流があったこともあり、その後、日本童謡館館長で童謡歌手の大庭照子(おおば てるこ)さんたちは、玉田さんへ「やめちゃダメ」と声をかけ、マネージメント事務所として活動を支えることになる。

ボニージャックス合唱団

1万人コンサート

故・西脇さんは、長年、「みんなで一緒に歌う場」をつくり続けてきた人だった。

その象徴とも言えるのが、国技館や武道館で行われた「1万人コンサート」だった。

かねてより西脇さんは、ベートーヴェンの「第九」のように、大勢の人が一緒に歌い継ぐことのできる、日本独自の大規模合唱作品を作りたいと構想していたという。そして、その類稀な行動力と交渉力で、東京電力のスポンサードを得て、5000人の合唱団、2つのオーケストラ、さらに5000人の観客を集めるという大規模企画を実現した。

また、その企画に関連したコンサートを全国各地で行う際には、必ず地元合唱団と一緒に歌うコーナーを設けていた。事前に譜面を送り、地元で練習してもらい、本番前に一度合わせてステージで一緒に歌う。そうした形で、全国の合唱団との交流を続けていたのである。

西脇さんにとって、「みんなで一緒に歌うこと」そのものが、大きなテーマだった。しかし、東日本大震災以降、スポンサー不在となり、大規模イベントの開催は難しくなった。

それでも西脇さんの中には、「上手い下手ではなく、もっと多くの人に、一緒に歌う楽しさを知ってほしい」という想いが残り続けていた。

「ボニージャックス合唱団」花みずき

その延長線上で生まれたのが、ボニージャックス合唱団だった。

現在、ボニージャックス合唱団の音楽担当を務める、吉岡 久恵(よしおか ひさえ)さんも、かなり以前から西脇さんに声をかけられていた一人だった。ただ、当時の吉岡さんは、すでに複数の合唱団を指導しており、「今は、新しい合唱団はちょっと難しい」と断っていたという。

それでも西脇さんは、その思いを持ち続けていた。

そして2015年、歌声喫茶「ともしび」に集まる人たちへ声をかけたことをきっかけに、合唱団が発足する。「上手くなくてもいい。ただ楽しく歌えばいい」、最初は、そんな呼びかけだったという。合唱経験者ばかりではなく、譜面が読めない人も多かった。

それでも、「歌が好き」という人たちが少しずつ集まり、合唱団がスタートした。

当初の団名は 、「ボニージャックス合唱団」花みずき。長内 香代子(おさない かよこ)さんは、西脇さんから「団長をやってくれないか」と直接声をかけられ、引き受けたと云う。

2021年8月、西脇さんが他界し、同年11月、玉田さんが指導・指揮を引き継いだ。

西脇さんの遺志を受け継ぐ活動

2024年、新生ボニージャックスを応援する意味も込め、現在の「ボニージャックス合唱団」という名称に変更。

発足当初は、「上手くなくてもいい。ただ楽しく歌えばいい」だったが、活動を続ける中で、団員たちにも「少しでも上手くなりたい」という想いが芽生えてきて、玉田さんは、「ここまで来ると、しっかり“鑑賞に耐える合唱団”に育てたい」と語っている。

現在は、コンサート活動だけでなく、介護施設などでの訪問演奏も行っており、本年(2026年)6月24日には、1年遅れの「ボニージャックス合唱団結成10周年記念コンサート」を控え、取材当日も練習前の貴重な時間を割いてくださった。

単に“歌う団体”ではなく、「みんなで一緒に楽しく歌う場」として残そうとした西脇さんの遺志を受け継ぎ、その活動は今も続いている。

90歳のソロデビュー

「男たちの子守唄 ~ボニージャックス「のぼさん」90歳のソロデビュー」

2021年8月、盟友・西脇久夫さんが亡くなった。

長年、ボニージャックスの音楽面を支え続けてきた盟友を失い、玉田さん自身は、その後の活動をどうするべきか迷っていた。

西脇さんが亡くなる直前、「玉田さんたちのことを頼む」と託されていた日本童謡館理事長の高田真理(たかだ・まり)さんは、マネージメント事務所として玉田さんたちの活動を支え、同館館長で童謡歌手の大庭照子さんは、「やめちゃダメ」と背中を押し、自らのコンサートへゲストとして招き、一緒にステージへ立つなど、大きな支えとなった。

そして、その流れの中で実現したのが、2025年3月12日に発売された、90歳でのソロCDデビューだった。長くボニージャックスの一員として歌い続けてきた玉田さんが、90歳にして初めて“ソロ”として作品を発表。同時にソロデビューコンサートも各地で開催されたのである。

そのCDアルバム「男たちの子守唄 ~ボニージャックス『のぼさん』90歳のソロデビュー」には、西脇さん作曲によるタイトル曲「男たちの子守唄」をはじめ、「愛その愛」「あなたの笑顔」なども収録されている。

これを契機に、テレビやラジオへの出演、新聞・雑誌などのメディア取材も増えていった。

さらに、ボニージャックスのメンバーだった西脇さん、鹿嶌 武臣(かしま たけおみ)さんの逝去後も、2003年加入のセカンド・テナー、吉田秀行(よしだ・ひでゆき)さんとともに、2人体制でボニージャックスとしての活動を継続。玉田さんによると、吉田さんは「今年還暦」で、自身とは30歳以上年齢が離れているという。日本童謡館のサポートを受けながら、“新体制のボニージャックス”として、現在もステージに立ち続けている。

西脇さんが最後に託した「続けてほしい」という思いは、今も玉田さんの活動の中に生き続けている。

玉田さんの今後

玉田さんは、91歳となった今も、月に何本ものステージへ立ち続けている。

合唱団では「先生」と呼んでもらって、ステージでは多くの人に観てもらい、団員たちとも一緒に歌い、練習後には幹部メンバーと反省会をする。そんな時間が今の玉田さんにとって大きな生きがいになっているという。

玉田さんは、「そんな日々を送っていると、うかうかしてらんないぞ、って思うんですよ」と、笑う。

歌い続けること。ステージに立ち続けること。そして、誰かと一緒に声を重ねること。そのすべてが、玉田さんにとって“生きる力”になっている。

まとめ

やさしいライオン

2025年には、NHK連続テレビ小説「あんぱん」で、やなせたかし原作のラジオドラマ「やさしいライオン」が取り上げられた際、当時と変わらぬボニージャックスのコーラスが改めて注目を集めた。

玉田さんは、やなせたかしさんについて、「ボニージャックスにとって大切な存在だった」と振り返る。

「やさしいライオン」は、1967年に文化放送で放送されたラジオドラマ。やなせたかし原作・作詞、磯部俶(いそべ・とし)さん作曲による劇中歌とコーラスをボニージャックスが担当していた。

この後、ボニージャックスが、親交のあったフレーベル館を紹介したことが、「やさしいライオン」の絵本化、さらには後の『アンパンマン』へも繋がっていったという。

生涯現役の歌手

長年、歌を通して、多くの人や作品と関わり続けてきたボニージャックス。そして今もその歌声は受け継がれ、グループ結成時から活動を続けるオリジナルメンバーの玉田さんは、なおステージに立ち続けている。

その柔らかさと温かさに満ちた、包み込むような低音の響き。そして、91歳となった今も衰えを知らない豊かな声量。

これからも、生涯現役の歌手として、その歌声を響かせ続けていただきたい。

COREZOコレゾ「『90歳でソロデビュー』、生涯現役! 合唱団の指導・指揮をはじめ、ソロとして、コーラスグループとして、豊かで艶やかな低音を響かせ続ける歌手」である。

取材;2026年4月

初稿;2026年5月

文責;平野龍平

 

 

 

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