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COREZOコレゾ 「『公演の場』を『地域文化を育てる場』へ。柔軟な発想と機動力で、人と人、地域を繋いで、住民が主役となる『あなたのホール』を育て、伴走し続ける、文化の繋ぎ手・プロデューサー」 賞

中村 牧(なかむら まき)さん/杉田劇場(横浜市磯子区民文化センター) 元館長

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受賞者のご紹介

プロフィール
中村 牧(なかむら まき)さんは、中学校教員、学習支援、塾運営を経て、地域施設での伴奏活動などをきっかけに、1998年から横浜市芸術文化振興財団に所属した。
地域文化と音楽をつなぐ企画・運営を志向し、横浜みなとみらいホールでは企画・交流を担当。海外アーティストとの交流、子どもの日コンサート、オーケストラ公演、地域連携、協賛・助成の獲得など、多岐にわたる業務に携わった。ここで培った企画力、制度理解、行政との調整力が、その後の地域文化施設運営の礎となった。
2005年、杉田劇場(横浜市磯子区民文化センター)の開館時には副館長として立ち上げに参画し、2006年4月に館長に就任。2025年3月末まで館長を務め、開館以来約20年にわたり運営を支えた。
プロローグ
2026年3月9日、杉田劇場で「COREZOコレゾ賞に感謝を寄せて大庭照子トークコンサート」を開催された童謡歌手 大庭 照子 さんのご紹介でお目に掛かった。中村さんは、このコンサートのプロデュース他、サポート、さらには、ステージでピアノの伴奏まで引き受けておられた。
杉田劇場(正式名称:横浜市磯子区民文化センター)
指定管理者制度「全国第1号」
杉田劇場は2005年、指定管理者制度の全国第1号として採択された。横浜市芸術文化振興財団は第三セクターであるが、民間と同様に公平かつ厳格な審査のもと、5年ごとの更新を重ねながら約20年にわたり運営を継続してきた。
指定管理制度では、来館者数や収支といった短期的成果が重視されやすいが、そのなかで杉田劇場が長く運営を継続できた背景には、地域に深く根を張り、住民との信頼関係を築いてきたことがある。高い稼働率の維持と地域からの支持は、その成果を客観的に示している。
施設概要
「杉田劇場」の名称由来
戦後の混乱期、美空ひばりが歌手としての第一歩を踏み出した伝説の劇場「旧・杉田劇場」の名を、地域の誇りとして継承したいという住民の圧倒的な支持により、2005年に「横浜市磯子区民文化センター」愛称公募を通じて復活した。
所在地・設備
JR・シーサイドライン新杉田駅、京急杉田駅から徒歩圏内に位置。音響特性に優れた310席のホール、ギャラリー、練習室を備え、区民の創作活動の場として極めて高い稼働率を誇る。
地域密着の運営哲学と実践
中村さんは、杉田劇場を「敷居の高い芸術の殿堂」ではなく、子育て世代や生きづらさを抱える人も受け入れる「まちの居場所」として位置づけた。
子ども向けの音楽・遊びプログラム、シニア世代の活動、多文化コミュニティとの交流など、生活と文化が交差する場づくりを進めた。利用料は公平に保ちながらも、地域とともに活動する意思を持つ団体を重視し、必要に応じて推薦状を書いたり、スポンサー探しを支援したりして、地域の文化活動を後押ししてきた。
その根底にあったのは、地域住民に「自分たちのホール(あなたのホール)」という意識を育み、「この街に住んでよかった」と感じる人を増やしたいという思いである。
地域ネットワーク構築と接着剤の役割
中村さんの仕事の特徴は、劇場の中にとどまらず、地域の中へ自ら足を運んだことにある。
小中学校、校長会、商店街連合会、町内会、地域企業、行政、消防、警察、多文化コミュニティなどと日常的な対話を重ね、信頼関係を築いてきた。そのネットワークが、劇場の活動を支える大きな基盤となり、夏祭りの共催や全館開放、子ども神輿の制作・巡行、地域史探検など、屋外活動まで含め「町のハブ」機能を拡張した。
企業と住民を結ぶ「いそご文化資源発掘隊」では、工場見学や交流を通じて心理的距離を縮め、また、商店街や神社を巡る街歩きでは、地域の歴史や祭礼文化、お囃子などの伝統芸能の掘り起こしと記録・保存にも取り組んだ。
こうした活動を支えたのが、日々の掃除、会計、挨拶、設えを徹底し、自ら掃除をし、来館者に声をかけ、困りごとに耳を傾ける、中村さんの「旅館の女将」のようなホスピタリティであった。
柔軟な発想と機動力
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、地元ゆかりの競歩選手を応援するため、深夜0時半から早朝5時半までホールを開放し、パブリックビューイングを実施した。
深夜開催という異例の企画であったが、警察や消防と丁寧に調整を重ね、安全と合法性を確保したうえで実現にこぎつけた。
このように中村さんは、「できない理由」を並べるのではなく、「どうすれば実現できるか」を考え、代替策を組み立てていく実務家であった。
継続が生んだ世代循環
2006年に始まったリコーダーアンサンブル「杉劇リコーダーず」は、子どもからシニアまでが参加する地域の象徴的な活動となった。
65歳で参加したメンバーが86歳になり、当時参加していた子どもが地元の教員として地域に戻るなど、世代を超えた循環が生まれている。
シニア合唱、多文化の子どもたちとのピアノ会なども継続され、単発イベントではなく、地域の文化が時間をかけて育まれてきた。
施設機能・運営指標・料金方針
ホール、ギャラリー、練習室、会議室を備え、区民が発表会等に低料金で利用可能。指定管理料の範囲で文化振興を優先し収益最大化は目指さない。
行政評価は、動員数ではなく、稼働率重視なので、コロナ禍でも稼働確保に注力し、地域の応援で持続性を担保してきた。
伝統文化の継承
磯子区内の神社と連携し、神輿やお囃子など地域の伝統文化の継承にも取り組んだ。音源収録や記録保存、学校へのアウトリーチなどを通じて、地域の記憶を次世代へ手渡す活動を進めてきた。
次世代への移行
中村さんは、中村さんは自身の個人技に依存しない持続可能な仕組みづくりにも力を注いだ。次期指定管理を地域NPOへ移管するため、設立時代表を務め、1年をかけて丁寧に継承を完了した。現在は「チーム杉劇」が劇場の運営を担い、地域に根ざした活動が次世代へ受け継がれ、拡張的な取り組みは外部で支える体制を整えている。
杉田劇場の独自性と特色
杉田劇場が高く評価される理由
- 約20年にわたり指定管理の継続を実現したこと
- 学校、自治会、商店街、企業、神社、多文化コミュニティなど地域と深く結びついたこと
- 住民が観客ではなく、文化活動の担い手となったこと
- リコーダー、合唱、地域史、祭礼の記録保存など、継続する地域文化を育てたこと
- 個人の力量にとどめず、次世代に引き継げる仕組みを整えたこと
公演の成功や一時的な集客ではなく、地域の文化基盤と人のつながりを長い時間をかけて育てたことが、杉田劇場の本質的な価値である。
杉田劇場が一般の公営ホールと異なる点
2000年代以降、多くの公営ホールは指定管理者制度の導入によって、効率化、集客、収支改善が強く求められるようになった。そのため、「施設をどう使うか」「どのような公演を提供するか」が運営の中心になりやすかった。
その一方で、杉田劇場 と 中村さん が重視したのは、その施設を通じて地域にどのような関係が生まれるかという点であった。
言い換えれば、一般の公営ホールが「文化事業の場」だとすれば、杉田劇場は地域そのものを育てる文化のインフラであった。「公演を見せる場所」にとどまらず、地域の人が関わり、「自分たちの文化を育てる場所」へと公共文化施設の役割を広げていったのである。
指定管理者制度では、多くの公営ホールが3〜5年ごとに更新審査を受ける。そのため、来館者数や収支といった短期的に見えやすい成果が重視されやすく、地域との信頼関係づくりのように時間のかかる取り組みは継続しにくい。
杉田劇場は、この条件のなかで、学校、自治会、商店街、地域企業、神社、多文化コミュニティなどとの日常的なつながりを育て、その関係自体を劇場の運営資産としてきた。さらに、リコーダーや合唱などの継続事業を積み重ね、地域への定着を更新審査のなかでも示してきた。その積み上げが、約20年にわたる指定管理の継続につながったと考えられる。
また、中村さんは、地域NPOの設立や機能分担を進め、個人の力に依存しない仕組みづくりにも取り組んだ。これは、地域が主体的に運営を引き継げる土台を整える試みでもあった。
杉田劇場の最大の特徴は、期限付きの制度のなかで、建物(ハコモノ)を管理するのではなく、地域の文化基盤と人のつながりを長い時間をかけて育て、それを持続可能な形にしたことにある。
中村さんがこの運営を実現できた背景と理由
中村さん が 杉田劇場 でこの運営を実現できた背景には、大きく三つの要素がある。
教育の現場を経験していたこと。
中学校教員や学習支援に携わった経験から、目先の成果よりも、人との関係を時間をかけて育てる感覚を身につけていた。
専門ホールで制度と企画の両方を学んでいたこと。
横浜みなとみらいホール で、企画運営、助成、協賛、行政との調整などを経験し、公共文化施設を制度のなかでどのように動かせるかを理解していた。
地域に深く入っていったこと。
学校、自治会、商店街、地域企業、多文化コミュニティなどと日常的な関係を築き、そのつながりを劇場運営の土台とした。
つまり中村さんは、教育で培った人を見る力、専門ホールで培った制度運営の力、地域に根を張る実践力の三つを併せ持っていた。
さらに中村さんは、「できない理由」を並べるのではなく、「どうすれば実現できるか」を考え、規則を踏まえながら代案をつくり、関係者と調整し、実現までの段取りを組み立てる。その現場感覚が、杉田劇場の機動力を生み出した。
また、自ら前に立つのではなく、資金面での後押しや推薦、つながりづくりを通じて、地域の人が主役になれる条件を整えた。そうした積み重ねが、「あなたのホール」という意識を地域に育てていった。
中村 牧さんの今後
中村さん は、約20年にわたる 杉田劇場 での活動を経て、これからは劇場という枠を超えたかたちで地域文化に関わっていく考えである。
まず、20年のあいだに広がった多様な業務を整理して、本来の管理運営業務は次世代の「チーム杉劇」に託し、一方で、自身は一歩引きながら、組織の枠では対応しきれない個別のアーティスト支援、例えば、童謡歌手の 大庭照子 さんをはじめとする表現者の思いに耳を傾け、それを実現可能な計画へと整理し、具体的なかたちへとつなげていくことや分野をまたぐ柔軟な働きかけも担っていくという。
ライフワークである「杉劇リコーダーず」の指導・育成も継続し、シニアから子ども、多文化コミュニティまで、誰もが文化に親しめる環境づくりを「文化のつなぎ手」として支えていく考えである。
中村さんの信条は、「掛け違いは掛け直せばいい」。これまでも行政や地域のあいだに立ち、対話を重ねながら納得できる着地点を探ってきた。今後は、杉田劇場で育まれた朗読や音楽などの良質なプログラムを、他地域や他施設へ広げていくことも視野に入れている。
また、中村さんが大切にしてきたのは、事業は個人ではなく地域の総合力で成り立つという考え方。横浜みなとみらいホール 時代に培った「スーツ」の知見と、杉田劇場で実践してきた「エプロン」の現場感覚。その両輪を次の世代に手渡し、自ら広げてきた活動や人のつながりがそれぞれ自走できるかたちに整うまで、引き続き地域文化の伴走者として関わっていきたい、とおっしゃる。
まとめ
中村さんが杉田劇場で築いたのは、建物(ハコモノ)の運営ではなく、地域における人と人との関係そのものであった。
みなとみらいホールで培った制度運営の知見と、杉田劇場で育んだ現場感覚。その両輪によって、地域住民にとっての「私たち(あなた)のホール」という他に例のない場所を育てあげた。
杉田劇場20周年を機に、運営を次世代へ託した中村さんは、今後は、「文化の繋ぎ手・プロデューサー」として、劇場という枠を超えて、自ら広げた多様な活動や縁をそれぞれが自走できる形に整えるまで、「100歳まで働く」意気込みで、「エプロン姿」のままその責務を全うしていただきたい。
COREZOコレゾ 「『公演の場』を『地域文化を育てる場』へ。柔軟な発想と機動力で、人と人、地域を繋いで、住民が主役となる『あなたのホール』を育て、伴走し続ける、文化の繋ぎ手・プロデューサー」である。
取材;2026年3月
初稿;2026年4月

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