COREZOコレゾ賞発想の原点

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yakushima

「超ひも理論2.0」

「超ひも理論2.0」というのが話題になっているそうで、気になったので調べてみた。

特定の女性から養って貰っている状態が「ヒモ」ならば、宇宙(人間社会全体)から養ってもらおうとする発想を「超ひも理論2.0」と呼ぶ。

とのこと。

この方、2014年の2月に諸事情により、東京のホームをレスして、全くお金がなかったので、新しい家を借りる事もできずに、最初は友達の家を転々とする日々を過ごしておられたが、友人が少なく、即座に限界が訪れたという。

そこで、自分はどういう人間性の持ち主で、どのような事情で家を失ったのか、所持金はいくらで、連絡先はこれで、実際的に明日の宿にも困っているということを詳細に書いて、Facebookなどの各種SNSで自分の現状をつぶさに晒したところ、まだ会ったこともない人からも「我が家に泊まりにくるか?」という連絡を立て続けに届くようになって、1年以上、その「超ひも理論2.0」によって生活しているそうだ。

30年間、家族も家も仕事も捨て、人からの施しだけで、日本全国を行脚した人

この「超ひも理論2.0」の善し悪しは皆さんそれぞれのご判断におまかせするとして、

この話を読んで、この方とは動機も目的も手法も異なるが、1年どころか、なんと30年近くも、多くの人々の支えをもらって、日本全国を行脚し、活動?を続けていた方のことが思い浮かんだ。

「その人」は、海、山、川…、豊かな大自然に恵まれた島で生まれ育ち、若くして父親を亡くされたが、苦労を重ねて農業や畜産で成功し、不動産業他にも進出して、手広く事業をしていたのに、あるきっかけで、◯◯の世界?に入ったとか…で、家族も家も仕事も捨て、ある目的(凡人の私には理解不能)のため、一切、労働の対価を稼がず、日本全国を行脚しておられた。

COREZOコレゾ賞を始めた5つの理由 で

雇われて働くのを辞め、その当時知り合った方に連れられるような形で日本全国を旅しました。

と書いたが、「その当時知り合った方」というのが「その人」だった。

その自然豊かな島に初めて旅行することになったので、観光関係の友人に「誰かおもしろい人を紹介して」と頼んだら、「その人」を紹介され、その島の見どころやおいしいものを教えてもらおうと会いに伺った。

どこからどう見てもダントツに「ヘンなオッサン」

第一印象は、とこからどう見ても「ヘンなオッサン」だった。それが、それまで見たことも聞いたこともない、ダントツに「ヘンなオッサン」で、とてつもないあまりのヘンテコリンさ加減に興味を惹かれて、ネタになるかもしれんと思い、ついつい、話を聞いてしまったのだが、こちらは、◯◯の世界?には一切興味がなく、なんでそんな生活を始められたのかは、私のような凡人の理解を超えた話なので、ここでは触れない。

ま、一般常識からすれば、なんて無責任で、非常識、さらにいえば、ちょっとアブナイ人ということになるのだろうけど、ご本人は至って大真面目で、ご自分の使命?に取り組んでおられるようだった。

その時は「その人」が捌いたという野生の鹿肉料理をご馳走になり、これがとてもおいしかったのだが、自分とは住む世界の違う人で、何の接点も感じられず、二度と会うこともないだろうと思っていた。

ところが、それから数カ月して、東京で開いた私の会社の設立パーティーにやってこられて、見せたいものがあると、翌日、ある有名企業の社長さんとご一緒に、栃木県那須のあるサビレ感全開の温泉施設に連れて行かれた。その社長さんにその施設を見せて購入させようとしたのか、何か私が行く意味があったのかは一切不明なまま、その時も現地のいろんな方々にお会いしたのだが、それ以来、事あるごとに、私に会わせたいという人の所へ連れて行って下さるようになった。

「ヘンなオッサン」を取り巻く人の輪

基本、来るものは拒まず、去る者は追わずのスタンスなので、断る理由はなく、自然農や有機農の生産農家や養鶏農家、故郷の棚田の風景を再生した方、森林の保全活動をされている方、自然食品店、製塩業を営んでいる方等々、様々な取り組み、活動をしている人たちに会わせてもらい、現場を見せてもらった。

中には、えっ、ウソだろ、と思うようなトンデモない方もいらっしゃったが、遠目には田んぼや畑は見てはいたものの、実際に農業を営んでおられる生産現場を見たのも初めてなら、何もかもが初めての体験ばかりで、世の中にはこんな世界もあり、こんなスゴい人がいたのかと驚いたり、感心したり、自分の無知を恥じたり、大きな刺激と啓蒙を受け、多くの気づきや学びがあった。

他人の家で無銭飲食泊する術

最初はとりわけヘンなおっちゃん程度にしか思っていなかった「その人」自身も、都会で生まれ育った自分とは違って、自然の中で暮らしてきた人なので、野生の生命力に溢れ、農業や畜産はもちろん、自然や食に関する知識と経験が豊富で、山に入れば、食べられる植物やキノコを採ってくるし、鹿や猪は捌けるし、海に潜って魚介は獲ってくるし、調理をはじめ、生活技術に関しては何でもござれで、どんな災害が起こって、どんな状況になろうとも、この人だけは生き残れるだろうというサバイバルの達人であることも徐々にわかってきた。

その上、驚くことに、「その人」と一緒にどこへ行っても、ご馳走と酒が振舞われ、宴会で大盛り上がりして、そのまま泊めてもらうことになるのである。

見ず知らずの方の家に泊めて頂くのは、気を遣うし、抵抗があるのが普通の感覚だと思うのだが、「その人」は自分の調味料を持ち込み、勝手に人の家の台所に入って料理はするし、皿洗いや後片付けもするし、切れ味の悪い包丁を研いだりするのである。

何か不思議な世界に足を踏み入れたような感覚だった。

しかし、慣れというのは恐ろしいもので、「その人』の言動をウォッチしていて、居候の心得のようなものを盗んではいたが、何度かお世話になっている内に勝手がわかってきて、気を遣いながらも、人間、置かれた環境に応じてできる限り快適に過ごす術を身につけるようだ。

そして、お世話になる家の方々と親しくなるとその家の方々の周辺も巻き込んで、さらに不思議なことの連鎖が始まるのである。

自分は長くても1〜2週間の旅が終わると家に戻るので、テンポラリーな居候だったが、「その人」はそんな生活をパーマネントに30年続けていたのだから、居候の達人の域もはるかに超えていて、そういう不思議の連鎖もハンパないのに違いなかった。

30年間、定収入がなくても生活する術

実際、私が知る限り、一切、定収入はないはずなのに、自分の車を所有していて、事務所を持ち、秘書のような人がいて、どこかの建築会社の宿舎に自分の部屋があり、大手企業の別荘を我が物顔で使っていたり、自然食品店で結構な値段がする調味料や食品を買う現金も所持しておられた。

一体、どうやってそんな生活が成り立っているのか興味津々で、コワイもの見たさもあって、一緒に行動しながら「その人』を言動をウォッチしていた。車は不要になったのをもらい、事務所は使っていないところをタダで貸してもらい、秘書はボランティア、別荘は時々、様子を確認するよう持ち主に頼まれて鍵を預かっていたようだが、万事がこの調子だった。

それを30年も続けられたというのは、「その人」に人を惹きつける魅力のようなものがあり、生き方や考え方、言動に賛同する方が全国各地にたくさんおられて、ガソリンの給油カードやETCカード、金品の支援、寝床や飲食の提供をしてもらえたからであり、人徳としか云いようがない。

車に最低限の生活用品一式を積んでいて、泊まるところがない時は、海岸の松林にテントを張ったり、社寺の境内や祠で寝たりしていたらしいが、「その人」こそ、宇宙から養ってもらう生活をしていたのではないかと思う。

数年前、特定の女性とのご縁ができて、そういう生活に終止符を打たれたようで、「その人」とのご縁も途切れてしまった。

「人々からの施しを受ける日々」を通じて、見えてくること

「家がないと『家に帰る必要』がなくなり、家に帰る必要がなくなれば、今いる場所から次へ、次へと進むことが出来き、移動生活を続けていると、必然的に出会いも増えて、多くの面白い人たちに出会う。」

「素晴らしい人間は無限にいて、『なんだこいつは!(すげえ!)』と心から思える人と出会えると、自分の中の何かがぶち壊れて自由度が飛躍的に向上し、自分の常識や価値観も大きく揺れ動いた。」

と、「超ひも理論2.0」の方はおっしゃっているが、

私は、「家も金も定期的な収入も持たず」に日本全国を旅した訳ではないが、「その人」と一緒に旅をする中で、これによく似た体験をしたのでこの方のおっしゃっている感覚をかなりの部分理解できる。

さらに、

「人々からの施しを受ける日々」を通じて、「人間が生きるために必要なものはそれほど多くないこと」や「お互いに助け合った方が(お互いに出来ることを持ち合い、足りない所は補い合った方が)暮らしやすい世の中になるのではないのか」ということに気づいた。

ともおっしゃっているが、見方や表現は違っていても「その人」もこれとよく似たことをよくおっしゃっていた。

「その人」もブログ等を通じて自分の活動の情報発信をしていたので、このお二人に共通するのは、ネットで情報発信しながら、家も金も定収入も持たずに日本全国を移動していることになるが、どうして、そういう生活が可能で、何故、そういう現象が起こるのかを考えてみたい。

非日常と異日常

旅行業に従事していると、「非日常的空間、体験をご提供」とか、「非日常」や「異日常」と云う言葉をよく耳にしたのだが、この「非日常」と「異日常」は明確に区別して捉える必要があると思う。

「非」は、①道理に反すること。正しくないこと。②あやまり。欠点。の意味があり、非〜で、それに当たらない、それ以外である、などの意を表す。

「異」は、①他と違っていること。また、他と異なった意見。②普通とは違っていること。不思議なこと。また、そのさま。

とある。

「非」にはそれ以下の単語に対して否定的な意味を内包していると考えられ、例えば、異文化と非文化を比べると、非文化は非文化的のように、否定的に使われるし、非常識も同様である。

旅行や観光の業界で、非日常というのは、テーマパークやお祭、旅行などに出掛けるような、とにかく自分の日常生活とは違う、どちらかというと楽しい時間のことを指すようで、この場合、日常生活では、楽しいことや嬉しいことはすぐに日々の生活の中に埋もれてしまい、忙しく過ごす中で、疲れた、辛い、つまらない、息苦しいというような感覚が先にあるのが前提になっている。

なので、非日常というのは、自分の価値観の中で自分の日常と比較して非日常と感じていると考えられる。

ただ、旅行から戻ると、「あ〜、やっぱり家が一番」とかいうように、日常の心地よさを再確認をしに非日常を体験しに行く人も多いのでは?

これに対して、異日常というのは、自分の日常と他人の日常の比較であり、他人の家に世話になるというのは、自分の日常とは異なる他人が生活する日常に自分の方から踏み込むことであり、違和感や居心地の悪さを必然的に感じる異日常の典型的な例といえる。

旅行で観光地を訪れ、ホテルや旅館に泊まっただけでは非日常しか感じられず、その地域の人々と深く交流して日常に入り込むことで、異日常を感じることができるということだろう。

最近、若い人たちの間でゲストハウスという宿泊形態が人気なのは、非日常だけでなく、簡易的であっても多少の異日常を感じることができるからではないだろうか。

「ものごと」の本質を知るには?

家も金も定期的な収入も持たずに誰かから施しを受ける立場に身を置くと、無条件に異日常、異常識、異文化を受け入れなければならず、意識的、あるいは無意識に関わらず、心の中にある垣根を取り払わらざるを得ない。

すると、相手も心を許してくれるようになり、それまで見えなかったことが見えてきたり、出会えなかった人と出会えるようになるのではないだろうか。

次に、一般的には「非常識」であるその行動が、自分たちにはできない、あるいは自分たちの価値観とは異なる「異常識」、「異日常」として認識されると、「その人」の言動やそういう生活から得た経験が、特異性があり、奇想天外で、おもしろければおもしろいほど、共感を生むようになり、それがネットを通じて情報発信されると、さらに共感の輪が拡がって、自分たちの価値観を超えるものであったり、決してできない行動であればあるほど、自分たちができる何かしらの支援や協力をしたいという人が増えるのではないかと推測する。

「その人」に支援していた方々にヒアリングもしたので、ほぼ間違いないだろう。

私はいつでも逃げ出せる態勢で、一時的にそういう状況に身を置いただけも感じるところは多かったが、30年も続けてきた「その人」は、「自然無為」に「人」にも「ものごと」にも接していたようで、誰でも無条件に受け入れられると、うっかり心を開いてしまうのだろう。

チベット仏教の高僧の方とお話をさせていただくと、おそらく、長く厳しい修行を経て、世の中だけでなく、全てのことを達観されているからこそだろうが、全てを受けとめて下さるので、自然に心を開き、何でも話せてしまえるようなとても不思議な感覚になるのだが、それと似た感覚なのかもしれない。

結局、自分の狭い常識や価値観に凝り固まっていては、その範囲でしかものごとが見えなくなる。そもそもその常識自体が、正しいのかどうか疑わしい。大概が、テレビで云ってたとかそういうレベルの話だ。百聞は一見にしかずで、自分の目で確かめるのが一番だが、全てそうするのは不可能なので、信頼できる情報発信源を見つける必要がある。

そのためには、もちろん、知る努力をしなければならないが、まず、自分のちっぽけな常識を捨てて、異日常、異常識を受け入れることだ。一時的にでも、誰かから施しを受ける立場に身を置くことは、その効果的な方法の一つであることは間違いないだろう。

視野が広がれば、いろんなものが見えてくる。一方向からしか見ていなかった「ものごと」の本質も見えてくるかもしれない。

訪問者に異日常を提供して成功した観光地の事例

少し話はそれるが、

観光目的の非日常を提供するのではなく、地域住民が楽しい日常生活を維持し、訪問者に異日常を提供して成功した事例をご紹介する。

栗や北斎で有名な長野県小布施町は1980年に始まった「町並み修景事業」がきっかけとなって、今や、人口の100倍に当たる年間120万人もの観光客が訪れる。

「ヨーロッパの古い町並みを売り物にしている観光地によくあるでしょ?近郊の別のところで、近代的な住居に住んで、観光客のためにだけ、観光客より早くその観光地に通ってくるなんていうのは、何の生活感もリアリティもなく、テーマパークと何ら変わりありません。」

「修景というのは、既存のものを変えて、住民が楽しく快適に住むことのできる環境をつくっていくことで、地域住民が楽しい日常生活が維持できてこそ、その結果として、観光客もその楽しさを体感したいと訪れて下さるのです。だから、町並み保存とは一線を画しています。」(市村 次夫さん)

COREZO(コレゾ)「町並み修景事業を通じて、小布施固有の歴史、文化、精神、日常生活を維持する町づくり」賞

株式会社桝一市村酒造場 代表取締役

市村 次夫(いちむら つぎお)さん

最後に

異日常を非日常と取り違えて、違和感や嫌悪感、否定的な感覚を持つと、その先にあるものも見えてこないような気がする。そもそも自分の常識ってなに?一般常識ってなに?ということを考えるところから始まる。

そんなものはたかだかしれたもので、常識にとらわれず、常に、好奇心を持って、積極的に異日常、異常識、異文化を受け入れ、そういう自分とは違う日常、常識、文化を受け入れることができる感性を磨くことが、スゴいと思える人に出会えたり、面白い経験ができたり、気づきや発見に繋がるのだと思う。

そういう目で見るようになると、それまでに出会った人の中にも素晴らしい取り組みや活動をしている方々がたくさんいらっしゃることにも気づくようになった。

「その人」とのご縁は途切れてしまったが、会わせて頂いた方々とのご縁は続いており、その中の多くの方々にも第1回目のCOREZO(コレゾ)賞を受賞して頂いた。

どうして「その人」と出会い、私がそれまで知らなかった世界を見せて下さったのかは知る由もないが、「その人」との旅を通じて、それまでとは違った見方ができるようになったことは確かであり、感謝している。

幸か不幸か、「その人」とのご縁がなければ、「大切なこと」にも気付かないままで、COREZO(コレゾ)財団・賞の発想も生まれていなかっただろう。

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