小竹 治安(しの じあん)さん/熊野古道「霧の郷たかはら」オーナー

COREZOコレゾ「訪れる人たちをそれぞれにもてなし、日本のことを知ってもらい、人と人が出会え、つながる場を提供する、天空のルパン三世」賞

小竹 治安(しの じあん)さん

プロフィール

「霧の郷たかはら」オーナー

1971年生まれ、和歌山県白浜町出身

動画 COREZOコレゾチャンネル

小竹 治安(しの じあん)さん/熊野古道「霧の郷たかはら」(その1)「寿司職人修行か英国留学か」

小竹 治安(しの じあん)さん/熊野古道「霧の郷たかはら」(その2)「タクシードライバーから霧の郷たかはら経営へ」

小竹 治安(しの じあん)さん/熊野古道「霧の郷たかはら」(その3)「霧の郷たかはらが取り持つ国際交流」

受賞者のご紹介

人気の宿「霧の郷たかはら」

田辺市熊野ツーリストビューローの多田会長から「治安さんに会われましたか?彼がオーナーをしている“霧の郷たかはら”は、熊野古道の入口にあり、とても人気のゲストハウスですよ。」と、ご紹介いただいた。

「霧の郷たかはら」は、標高320m の位置にあり、山々の連なりを眼下に望む天空からの雲海漂う絶景とオーナーのもてなしで、リラックスした時間が過ごせると人気を呼び、車で上って来れるのだが、わざわざ、バス停から2時間かけて歩いて上ってくる外国人観光客も多いと云う。

外観は、「和」なのだが、玄関を入ると、どことなく異国情緒が漂う調度や設えが配置され、ここはどこの国?と云うような、不思議な空間が広がっていた。ジアンさんという名前は、音しか聞いていなかったので、一見、ん?アジア系?アラブ系?ラテン系?インディオ系?多国籍系?一体、何系?と云う、エキゾチックな雰囲気の漂う、コスモポリタンな人物だった。

天空のルパン三世

「小竹家って云うのは、ここら辺では、結構有名で、僕ね、こう見えても、お育ちはいいの、かつては、天空のルパン三世とも云われたのよ。」

小竹岩楠さんとは?

なんのこっちゃ、よーわからなかったのだが、治安さんの曾祖父さんは、小竹岩楠と云う方らしく、ちょっと調べてみると、

小竹岩楠さんは、明治7(1874)年、現、御坊市生まれで、実家の木材業の再興し、「日高電灯会社」、「日の出紡績株式会社」、「日高川水力電気株式会社」を設立し、近代的な産業に意欲的に取り組んだ同地域有数の事業家。

大正7(1918)年には、白良浜付近での新しい温泉掘削の権利を譲り受け、困難な海中温泉掘削を成功させて、交通網と道路の整備、改修にも取り組み、温泉を中心としたリゾート開発を行い、白浜温泉が現在のような一大温泉郷と発展する端緒を開いた方で、白浜町の常喜院には岩楠の銅像と顕彰碑が建てられているそうだ。

海外に行くか、寿司屋で修行するか、15分で決めなさい

治安さんは、希望の高校への進学が叶わず、その岩楠さんが亡くなった後、事業を引き継いだお祖父さんから、「海外に行くか、寿司屋で修行するか、15分で決めなさい」と云われて、英国に留学することになった。

最初は、全く馴染めなかったそうが、英国人の友だちと、シェアハウスで一緒に住むようになり、そこには、ベッドルームが2つしかないのに24人も住んでいて、人が人を呼び、世界中からの人が集まって来て、人種なんて関係なく、みんなでパーティしていると、日々、出会いがあり、交友関係が広がって、「人のつながり」と「つなげる場」の大切さを知ることができて、ここでの経験が今の宿の運営のバックボーンとなっている、と云う。

「たまたま、スペイン人とも出会い、スペインによく遊びに行くようになり、イギリスに6〜7年いた後、帰国して英語だけだったら勝負に勝てないから、スペイン語も勉強したいと、祖父に頼んだら、ほな、行って来いって、それで、スペインのグラナダに移り、フラメンコギターを習っていました、ハハハハ。」

帰国して、フランス料理店店長に

「3〜4年、スペインにいて、母親が亡くなったので、呼び戻され、母がやるはずだった関空のフランス料理店をやることになったんですが、オープンから4年ガンバったんですけどね、こんなんが店長でしょ、そりゃ潰れるわな、ねぇ、ハハハハ。」

「それがね、エエ勉強になりましたわ。もう、失敗はでけへんって。それから、家内に出会って、家内のお父さんが中国で商売してはって、上海の木材工場に2年間いたので、中国語もちょっとぐらい喋れるようになりました。」

「なんしか、僕、プラップラ、プラップラやってるんですわ。イヤな仕事やったら、すぐ辞めるしね、今までやった仕事は30ぐらい。サーカスの設営もやったし、ホンマにいろんなことやりましたよ。」

県の公設民営事業に入札

「父が地元の白浜でタクシー会社を経営してるんでね、12年ぐらい前に戻って来て、そろそろ継ごか、って云うたら、はぁぁぁ〜?って、ハハハハ。運転手からやれ、って云われてね。それで、運転手やってたら、たまたま、和歌山県の職員さんをここ高原まで乗せて来る仕事があって、スペインの“サンティアゴ・デ・コンポステーラ”と云う巡礼道も世界遺産なんですけど、入口に立派な建物が建っていて、お客様を迎えているらしく、熊野古道の入口にも同じような建物を計画していて、その視察に来たようだったんです。」

「それで、運営会社を企画入札するような話をしていたので、僕も入札できますか?と聞いたら、できますよ、と云うんで、書類作って応募しました。大手も含めて10社ぐらいの競合でした。僕のところなら、スペインでホテルの運営経験もある地元の僕自身が現場に入って、外注はしないで、県の指示に従って、運営しますけど、大きな会社さんは、コンサルがついていて、上手いこと云いはるやろうし、運営も下請けに丸投げやろうし、最悪、僕以外のところを選んだら、県の思うような施設にはなりませんよ、とプレゼンして、選んでもらいました。」

「それまでの海外の経験も活かせるし、自分が持ってるいろんな経験や知見をここに注ぎ込んだら、なんとかなると思っていました。」

「トリップアドバイザー」のトラベラーズチョイスの上位に

「11年前に始めて、最初の5年ぐらいはしんどかったですが、それ以降は、徐々に、徐々に、外国人の方々が増えてきて、いまでは、多田さんとこの熊野トラベルからの送客はもちろんですが、海外の旅行会社との取引が40社近くに増えて、年間稼働率が7割を超えるようになりました。」

「今では、毎年のように、旅行口コミサイト『トリップアドバイザー』のトラベラーズチョイスの上位に選ばれるようになっていますが、この宿のおもてなしが評価されているんだろう、と勝手に思っています。」

一期一会のおもてなし

「今の8室以上に客室を増やさないのは、ウチの勝負は夕食で、そこでどれだけいいパフォーマンスをして、どう会話して、楽しんでもらうかで、満足度が決まるので、目が届く範囲でやりたいからです。来て下さるお客様とは、一期一会やからね、毎日、チェックインされるお客様に声を掛けたり、観察したりして、この方は、こんな感じやなぁ、この手でいこか、とか、どうもてなすか、作戦を立てるんです。料理は、地元のおふくろの味あり、スペイン料理あり、和洋折衷です。」

「宿って難しいのは、施設や設備が経年劣化するんですよね。これから、年々、メンテナンスに費用が掛かるようになるんですよ。でも、おもしろいのは、新しい施設ができました、お庭もできました、それだけでは、雰囲気とか佇まいとかが、まだ、熟成してないんですね。この宿も、これまで10年かかって、庭が成長して、建物もエエ感じに経年変化して、馴染んで、丁度、今、バランスがエエんです。この雰囲気をどう維持するか、ここからですね。」

花咲か爺さん

「今年、『熊野古道の宿 霧の郷たかはら』購入事業者選定のための公募型プロポーザルというのがあって、この施設を借金して買い取ることができたので、改造したり、いろいろ、手を入れて行きたいと考えています。」

「今、僕が何を主にやってるかと云うと、花。花咲か爺さんって、云われてるんですけど、館内の花も飾ってるのは、僕なんですよ。」

世界の若者にも熊野古道に来てもらうには

「熊野古道を歩くには、それなりの日数も予算もかかるので、ここに来る外国人観光客は、それなりに余裕のある、50歳以上の方が多いのですが、ここは、海外からの若者に働きに来てもらっているんです。そういう紹介サイトがあるというのも、お客さんから教えてもらったんですけど、ここで働いてもらう代わりに、寝床と食事を提供して、若者にも熊野古道を旅できる機会を提供しています。」

人と人が出会え、つながる場

「まあ、とにかく、毎日、世界中から来られる方々との出会いがあるので、楽しいです。昨日は、ハワイ出身で、ニューヨークでダンスを勉強して、日本に来て、先日、大阪で大きな舞台が終わって、一人で熊野古道を歩きたい、という、スラッとした、24歳のかわいらしい男の子が来てくれたんですよ。でね、チェックアウトの時に手紙をくれて、僕の姿が見えんようになったら、読んで、云うんですよ。それがね、ちょっとこの場では、云えんようなことが書いてあってね、ハハハハ。」

「自分も含め、日本人はもっと自分の国のこと知らないといけないし、もっと外国の人にも日本のことを知ってもらいたいですね。海外生活していた外国人の僕を受け入れてくれた地元の人たちのように、僕も外国人、日本人を問わず、訪れて下さった全てのお客様を暖かく迎え入れ、人と人が出会え、つながる場にしていきたいですね。」

 

COREZOコレゾ「訪れる人たちをそれぞれにもてなし、日本のことを知ってもらい、人と人が出会え、つながる場を提供する、天空のルパン三世」である。

 

最終取材;2018.07.

初稿;2018.08.

最終更新;2018.08.

文責;平野龍平

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