目次
COREZOコレゾ「一個人としてできること、徳島県職員退職後も地道に続ける、楽しい地域の情報発信」賞
久原 孝子(くはら たかこ)さん
プロフィール
東京生まれ、大阪、徳島育ち
元徳島県職員
久原さんの個人ブログ
「にし阿波“そら”のにぎわいページ」
ジャンル
観光・地域振興
観光圏事業
地域の情報発信
経歴・実績
甲子園でチアリーダーとして活躍後、徳島県職員
2006年 西部総合県民局企画振興部
2006年 「にし阿波“そら”のにぎわいページ」開設
2007年 にぎわい交流・観光 担当
2009年 第1回「マッチング商談会」開催
2010年 にし阿波振興 担当
受賞者のご紹介
久原 孝子(くはら たかこ)さんは、徳島県職員で、徳島県西部総合県民局(美馬庁舎)に勤務しておられる。
徳島県三好市のJR大歩危駅前「歩危マート」の看板娘のゆっこちゃん(山口由紀子さん)から、「あんな、今は美馬の庁舎にいてやるんやきんが、ようやる娘(こ)がおるねん。今日のキッチン会議に呼ぶきん。ほんま、ようやる娘(こ)やきんな、紹介するきんな。」と、2011年暮れのキッチン会議のクリスマスパーティーで初めてお目に掛かった。
久原さんが仕事を終えて、JRで来られた頃には、キッチン会議出席のオッサンどもはすっかり出来上がっていて、初対面の日のことは、残念ながら、JR大歩危駅でバンザイでお見送りしたことしか覚えていない。
久原さんは東京で生まれたが、お父様の仕事の都合で、小中学時代は大阪で暮らし、その後、ご両親の出身地の徳島県三好郡に戻って来られた。
早く経済的に自立したかったそうで、中学卒業後は家政科の高校に進学して、就職するつもりだったが、親類からヨコヤリ?が入って、高校野球で一世を風靡した徳島県立池田高校に進学した。在学中には応援団として甲子園に行き、高校3年の時にはチアリーダーを務めたそうだ。
卒業後、徳島県職員となり、県立三好病院の事務に配属された後、池田福祉事務所に異動し、ケースワーカーとしてセーフティーネットの最前線で働いた。この時、「この仕事こそ、公務員にしかできない仕事だ」と実感したという。
企画振興担当として、「地域振興計画」の作成や、にぎわい交流・観光担当業務に
その後、池田農林事務所の総務や補助金事業の担当、本庁こども未来課の児童虐待、児童自立支援施設担当を経て、2006年に西部総合県民局企画振興部に異動し、企画振興担当として、「地域振興計画」の作成や、にぎわい交流・観光担当の業務に携わった。
また、観光関係者との意見交換や交流を活発にする目的で、「徳島県西部のにぎわいのネタを語る会」を開催し、参加された「大歩危・祖谷いってみる会」の植田会長や古民家宿「空音遊(くうねるあそぶ)」の保坂行徳(ほさかゆきのり)さんらと知り合い、交流が始まったそうだ。
制限のある公務員としてではなく、個人としてできること
にぎわいを創るには、「にぎわいのネタ」を内部で発掘したり、話し合うだけでなく、外部の多くの人たちに知ってもらえるよう、それを情報として発信することの重要性は感じていたが、インターネットで発信するにしても、公的なWebサイトでは、さまざまな手続きが必要で、優先順位を付けたり、臨機応変にタイムリーな旬の情報発信は難しかった。また、公務員としてできることには自ずと制限があり、個人としてできることを考えていた。
「空音遊」の保坂さんは、2006年6月から「空音遊(くうねるあそぶ)ブログ」として、宿の情報だけでなく、保坂さんの目から見た身近な情報、地域のさまざまな情報を毎日発信しておられて、久原さんは、自分でも試しにやってみようと思い、2006年10月に個人のブログ、「にし阿波“そら”のにぎわいページ」を立ち上げた。
しかし、日中、職場の仕事をして、毎日、個人のブログを更新するのは大変なのは想像に難くない。投稿時間をざっと見ただけで、休日以外は日付が変わる前後が多い。「自分がやりたいと思って始めたことなので、ハハハハ。」とおっしゃるが、何ともご苦労様なことであるが、FC2のブログランキングでは21位(2012年10月23日付)にランキングされている。ちなみに20位が「空音遊(くうねるあそぶ)のブログ」、まさに「継続は金」なのである。
個人的な情報発信が、実際の仕事でも役立つ
2011年12月からは「facebook」も始められた。こちらも毎日情報発信しておられる。「にし阿波“そら”のにぎわいページ」ブログのリンクが中心だが、「facebook」らしい情報発信も多い。現在、260名(2012年10月23日現在)の友達がおられるが、もらったコメントには律儀にも返事を返しておられる。
「全く個人的な情報発信ですが、続けてきてよかったなぁと思うのは、実際に仕事でもとても役に立っていることです。ブログには画像を載せていますが、この『目に見える化』と、ブログ情報を書き込んで『検索ができるようにする化』はすごく便利で、『あの時のアレ』では伝わりませんが、今ではスマートフォンで簡単にお見せすることができますからね。」と、久原さん。
観光圏で取り組む観光振興
2008年、観光庁が開始した観光圏事業で、初年度、全国で16ヵ所の内、四国で唯一、美馬市、三好市、つるぎ町、東みよし町の4市町村が「にし阿波観光圏」に認定された。
観光圏事業の地域を越えた広域連携の取組みの中で、にし阿波観光圏の観光・地域振興について、地域の関係者と情報交換する機会がより活発となり、「大歩危・祖谷いってみる会」の植田会長から、
「今の観光客の皆さんは、ご当地ものに関心が高い。ホテルでも、地域の特産品をお土産や食事のメニューに取り入れる努力をしているが、なかなか発掘するのは大変なので、にし阿波観光圏でそんな場づくりができないか。」というような提案があった。
「マッチング商談会」とは?
それで、「にし阿波の特産品の掘り起こし」、「地域内取引の活性化」、「セラーとバイヤーが相互紹介しあえる関係づくり」等のコンセプトをまとめて、お互いの顔がみえる「にし阿波でのミニ商談会」を開催しようということになり、「マッチング商談会」と名付けた。
久原さんがメインの担当者として開催した3年間の成果は下記の通り。担当者は代わったが、2012年も継続して実施されているとのことだ。
2009年、セラー40団体78名、バイヤー31団体55名、22件商談成立
2010年、セラー37団体70名、バイヤー39団体80名、25件商談成立
2011年、セラー35団体70名、バイヤー40団体75名、28件商談成立
メリットとしては、バイヤーにとっては一度に多くの商品を見る機会を得ることができ、セラーにとっては一度に多くのバイヤーのニーズを知ることができる。また、バイヤーは地域外からも参加したので、商機も拡大した。実際に、地域外のバイヤーと地域内のセラーが共同開発したオリジナル商品も生まれたそうだ。
市町村行財政支援って?
2010年、にし阿波振興担当に異動して、市町村行財政支援や過疎対策プロジェクトチーム、特産品振興等の仕事をしておられる。
「市町村行財政支援なんて、どんなことやってるかわからんでしょ?」と、久原さん。
「わからん、さっぱりわからん、皆目わからん、わかるつもりもないし、知っても役に立たんので、説明も要らんけど、今までやった仕事の中で、コレ、おもしろかったなぁ、ようやったなぁちゅー仕事ってありますか?」と、尋ねると、
「やっぱり、そんなの興味ないですよね、ハハハハ。ご存知のように、私たち公務員の仕事は、一般の皆さんにはカタイ仕事がほとんどで、おもしろいと思ってもらえるような仕事ってあまりないんですよね。行政の大きな組織の一部で、大抵はチームプレイでやっているので、誰か特定の人が目立つようなこともないですし、私はどちらかというと、地道に続けることの方が得意だと自覚もしていますから、とっても地味な仕事ばかりで、目立つようなことはしていませんねぇ。また、希望は出せますが、基本的には与えられた仕事の枠の中で、自分の出来ることをコツコツとするような仕事が多いですから、コレといって自慢できるようなおもしろい仕事の話ってないんですよ。すみません。」
観光振興は、観光客という『人』を扱う、とても地味で、地道で、デリケートな仕事
「でも、観光振興担当をした3年間(2007〜9年)は、今までの経歴の中でもで知り合った皆さんに加えて、もう10年以上、民間主導で地域振興を続けておられる『大歩危・祖谷』の皆さんのような明るい、エネルギッシュな方々と出会うことができて、行政の観光振興担当として学ぶことは多かったですし、毎日が刺激的で、楽しかったですね。」
「その中で、観光圏という大きな事業に関わらせてもらい、植田社長との会話から地域のニーズを反映した「マッチング商談会」が生まれ、企画立案→実行→検証→見直し→改善→継続実施・・・という、いわゆるPDCAサイクルを繰り返しながら、次の担当者への継承をしていることは、私の今までの仕事の中では、目に見える取り組みだったかもしれません。」
「そうそう、観光圏の事業では、第3種旅行業に準ずる観光圏の旅行業特例というのを使って、大歩危・祖谷いってみる会のホテル事業者5社の皆さんには、その旅行業の1〜5番の登録番号を取得して頂きました。あっ、これは、日本全国に先駆けて登録してもらっただけですね、ハハハハ。」
「観光振興担当の大きな仕事は、県が支援する制度設計や国や県の制度を活用する支援をすることですが、今は支援制度を活用できても結果が求められますし、成果が上げれないと次の支援を受けるのが難しくなります。観光振興においての成果とは観光客の集客であり、経済効果です。成果を上げるためには現場を良く知らなければなりません。観光振興は地域の資源を掘り起こして、どう地域の魅力を磨き、どう観光客の皆さんを集客するかですから、実際に現場に出向いて、自分の目で確かめ、会って話を聞くことから始めました。」
「地域のシーズを知ると同時に、観光客の皆さんのニーズと地域の観光事業者の皆さんの思いもよく理解する必要もあると思い、観光集客のイベントにもできる限り出掛けました。その内に、親しくなった主催者のお手伝いもするようになり、観光集客のイベントは休日に実施されることが多いですから、土日祝日も関係なくなり、なんとなく仕事とプライベートの境がなくなっていきました。」
「行政の仕事の範疇ではできない地域の情報を発信しようと、個人のブログを始めたのですが、地域の旬の情報を発信するためには、発信する価値のある情報のネタを仕入れなければなりません。毎日、発信しようとすると、仕事で知り得る情報だけでは足らないので、どうしてもプライベートの時間も活用するようになります。いろいろな方に会って話をしているうちに、私が情報発信をしているのを知って、『今度こんなイベントをするので、ブログに載っけて』とか、情報が集まってくるようになりました。発信した情報は自分で検証もしたいので、そのイベントも見に行くようになります。一見、観光振興に関係のなさそうな情報でも、実際に行ってみると、「これは使えそう」とかの発見もあります。その内に、『手伝って』と頼まれて、手伝ったりすると、仕事とプライベートの境はますます無くなってしまう訳です。」
「観光振興は私がこれまで携わった中では見かけはハデそうな仕事でしたが、実は、観光事業者の皆さんとの信頼関係を築き、観光客という『人』を扱うという、とても地味で、地道で、デリケートな仕事でした。観光事業者の皆さんがプライベートも仕事も関係なく、地域振興に尽力しておられるのに、立場は違っても、一緒に仕事をしている者が知らん顔をできるはずがありません。私は、仕事抜きのお付き合いも全く苦にならなかったというか、むしろ、楽しくて、準備からお手伝いをして、イベントが成功した時のあの達成感、一体感は忘れられません。私自身、とてもいい経験をさせて頂いたと思いますし、私が担当した『マッチング商談会』も多くの皆さんが協力して下さったので、なんとか成果を上げれたと感謝しています。」
地域振興を担う行政は、地域の皆さんと一体となって、取り組んでいくことが大切
「これからの行政なんていうと、大げさですが、地域振興を担う行政は、官民一体なんてエラそうな言い方ではなく、地域の皆さんと一体となって、地域を共に良くするよう取り組んでいくことが大切で、それが基礎になるなぁ~と思っています。」
「観光担当を離れた今でも、地域のイベントに『見に来て』、『手伝いに来て』と声を掛けて下さるので、嬉しくて、喜んで出掛けています。公私混同と云う方もおられるかもしれませんが、私は、公務員は職業であって、それ以前に、一市民であり、一個人であると思っています。公務員には倫理規定等、いろいろ制約がありますが、それらに反しない限り、一国民、一市民としての義務を果たし、個人としてできることはできるだけやりたいと思っています。」
「大歩危・祖谷いってみる会の植田社長や大平社長、修司君、谷口専務ご夫婦、それに、山口屋のご夫婦、空音遊のノリさん、・・・、皆さんとお会いすると、こちらも思わず笑顔にならずにはいられません。観光圏事業に一緒に取り組ませて頂いた皆さんとの繋がりは、私の中では地域の同志のような感覚になってきています。仕事を通じて、そんな人間関係を築けたことは本当に有難く、幸せなことです。」と、久原さん。
コレゾ賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、
「有難うございます。観光振興に一緒に取り組ませてもらった皆さんと受賞させてもらうのは光栄ですが、私なんかでいいのですか?」とおっしゃるので、
「今回受賞して頂く大歩危・祖谷の皆さんからもご推薦頂きましたよ。県職員としての担当の仕事が変わっても、一市民(町民?)、個人としてできることを続けておられることに対してです。今回の受賞者の中には、個人の活動に対して受賞して頂く公務員の方も何人かいらっしゃいます。久原さんのように職業や身分に関係なく、個人ができることをできるときにできるだけやる人が増えれば、空音遊の保坂さんのおっしゃるように少しはいい世の中になるのではと思います。」と申し上げると、
「これからもずっと続けないといけなくなりましたね。」と、ご承諾下さった。
COREZOコレゾ「一個人としてできること、徳島県職員退職後も地道に続ける、楽しい地域の情報発信」だ。
後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式
後日談2.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式
COREZO(コレゾ)賞 事務局
初稿;2012.11.29.
最終取材;2012.09.
最終更新;2012.11.29.
文責;平野 龍平
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