保坂 行徳(ほさか ゆきのり)さん/古民家宿・空音遊 (くうねるあそぶ)

COREZOコレゾ「訪れる前よりも心と身体を満たして、もっと楽しくなって欲しいと、進化し続ける古民家宿と主」賞

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保坂 行徳(ほさか ゆきのり)さん

プロフィール

千葉県出身、徳島県三好市西祖谷山村在住

古民家宿・空音遊 (くうねるあそぶ) 主人

ジャンル

観光・地域振興

・飲食店 経営

経歴・実績

電力事業会社に数年間勤務

1998年 2年間、青年海外協力隊としてボツワナ共和国へ

2001年 電力事業会社 退社

約2年間、リバーカヤックインストラクターに従事、海外、国内を巡る

2003年 初めて訪れた大歩危・祖谷の大自然に魅かれ、即移住

2004年 古民家宿・空音遊 (くうねるあそぶ) 開業

2012年 飲食店営業許可 取得

受賞者のご紹介

自然菜食と田舎暮らしの古民家宿

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保坂 行徳(ほさか ゆきのり)さんは、徳島県三好市の大歩危峡を望む吉野川沿いにある、自然菜食と田舎暮らしの古民家宿、「 」の主(あるじ)。

「大歩危・祖谷いってみる会」の総会がご縁で知り合い、以後、「大歩危・祖谷いってみる会」の会合等でよくお会いしていた。ネット時代にもかかわらず、お目に掛かった後には必ず、丁寧な自筆のハガキを頂く。宿泊客にもそうしておられると聞く。

「大歩危・祖谷いってみる会」の会員の5施設は全て大規模な宿泊施設であるが、「空音遊」は保坂さんが築90年の古民家を購入し、ご自身で手を加えて来られた個人経営の簡易宿所だ。

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築90年の古民家と言われても、初めて訪ねた頃には内装に化粧ボードが貼られていて、昭和の家にしか見えなかったが、コツコツと独力で改装を続けておられて、いつの間にやら、天井板が取り払われて太い梁があらわしになり、壁も一部、漆喰が塗られて、古民家の風格を取り戻しつつある。

「旅とは出逢い。出逢いにより感動し、時には人生の転機となる事があり、人それぞれ理由は違えども、何かを求めて旅に出ます。大自然に囲まれゆっくりと流れる時間の中で心身共にリラックスし、次の出発へのきっかけを何でもいいからつかめるような空間。空音遊はそんな場所にしたいですね。」と、おっしゃる。

築約90年の家で日本の田舎暮らしを体感して頂いているだけ

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保坂さんは「古民家に少し手を加えて
宿泊できる状態にしているだけで、旅館や民宿のようなサービスはなく、築約90年の家で日本の田舎暮らしを体感して頂いているだけです。自分のできる範囲で徐々に増改築をしていきます。」とおっしゃる。

部屋は2室しかなく、襖で仕切るだけなので、1人で宿泊する場合は、男女別の相部屋になる場合もある。食事は他のお客様やスタッフと一緒に食べるスタイルで、家族みんなで食べるような感じを楽しんで頂ければ嬉しいとのこと。お酒類の持込は自由だが、空缶、空瓶、ゴミは各自で持ち帰ってもらうそうだ。改装したキッチンにはバーカウンターもできて楽しそう。

筆者自身がそうなので、今の日本人がそんな不自由な経験をすることは滅多にないだろうし、積極的にしたいと思う人も少ないと思っていたが、滞在者の口コミで広がり、欧米からの観光客にも好評だという。

以前、英国人と日本人の女性がサイクリングで四国を一周したというブログを読んだことがあるが、その英国人の女性はことの外、保坂さんと「空音遊」が気に入って、延泊したと書かれてあった。

長年、旅行・観光業に携わり、世界各地、日本全国のホテルや旅館等に宿泊して来たが、人さまのご自宅に泊めて頂くことはなかった。最近、思いもよらずそんな機会が増えて、ひとつ屋根の下で寝食を共にさせて頂くと、そこの家族の一員になったような親密感が生まれる。そんな一般の宿泊施設では決して味わうことのできない楽しさは経験した者でないとわからないだろう。

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子供の素朴な疑問に答えない日本の教育

保坂さんは幼少の頃から、「どうして学校にいくの?」、「どうして勉強をするの?」、「どうして働くの?」から始まって、「人間って何?」、「自分の存在って何?」、・・・等々、人間の根本に関わるような素朴な疑問を持っていたそうだが、きっと教師や大人にとっては、面倒くさい子供だったのだろう、誰も真剣に答えてくれなかったそうだ。

子供ながらに、日本の社会に大きな矛盾を感じながら、教えてもらえないなら仕方ないと、自分で勉強を始め、ある日、ふと腑に落ちるシンプルな考えに行き着いたという。

「青年海外協力隊」でボツワナへ

会社勤めも自分には合わないと思っていたが、親に心配をかけたくないし、社会のしくみを経験しておくのもいいだろうと、学校を卒業して、関東の電力事業会社(どこか丸わかりやん?)に就職した。発電(火の方らしい)の現場で働いたが、何かずっと違和感があったそうだ。入社4年目、そろそろ辞めたいなと考えていた時に、「青年海外協力隊」のチラシを見つけて、試験を受けたら合格した。辞めるつもりで上司に報告したら、休職制度の利用を勧めてくれた。

「ボランティアなんですが、在職のまま、生活費や手当ももらえた。まだ日本の社会もその企業もいい時代だったんですね。」と、保坂さん。

両親を説得して、2年間、南部アフリカのボツワナに赴任し、主に電気の普及活動や発電機の保守点検作業をした。ナショナルパーク管理棟の発電機他、10機以上を使えるように修繕して、「ホサカは器用だ。」と、現地の人たちに感心されたという。

日本は精神面ではボツワナよりもはるかに後進国

ボツワナは貧富の差が激しかったが、貧しい子供たちの生きようとするパワーに圧倒されたという。日本は物質面で豊かになったが、その反面,鬱病などの病が増えている。ボツワナの人々はその日一日を生きることに精一杯、必死で、そんな病に罹るような暇はない。今の日本人には外に出てくる力がなく、こころが貧しくなってしまって、精神面ではボツワナよりもはるかに後進国だと感じた。

「エコロジストやナチュラリストの人たちは、『古き良き時代に戻ろう』と言いますが、過去と現在を学習して、次のステップに進まないと世の中は良くならないと思いますよ。」と、保坂さん。

帰国後、青年海外協力隊に派遣してもらった恩義もあり、約1年半、海外開発の業務に携わったが、やはり、その企業には自分の居場所がないと感じ、2001年に退職した。

「ま、よくしたもので、その頃には日本経済が停滞し始めていて、辞めたいの?どうぞ、でしたね、ハハハハ。」と、保坂さん。

そして、やりたかったカヌーを習いに行った東京都青梅のカヌークラブで居候をすることになった。そこでカヌーを覚えてインストラクターをしながら、2年間、住所不定、無職の身分で、自分の居場所探しにニュージーランド、オーストラリア等の海外や日本全国を巡った。

カヌー大会で大歩危に来て、直感的に住み着き、「空音遊 」をオープン

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2003年、大歩危で開催されたカヌー大会に選手として参加した。阿波池田の方から大歩危に車を走らせていると、次々に山々が迫って来た。その景観を見て、直感的に「ここだ。」と思い、そのまま住み着いた。

ラフティングの会社がカヌーのインストラクターを捜していて、仕事もすぐに見つかった。永住できる家を探していたら、今の「空音遊 」の家屋、納屋、山一式を売ってもいいよ、という話が舞い込み、一目で気に入り、売り主さんにも気に入られて、すぐに話がまとまった。

「自分の役目は、この自然の中で自然と共生して暮らし、人が集まる場所を作ることではないか?」という予感はあったが、友人たちが家に泊まりに来て、「ここ、いいじゃん、民宿にしたら?」というひと言で、確信に変わったという。

旅館業法などの開業に必要な法令をスミからスミまで勉強して、池田の保健所に申請手続きに出掛けた。徳島県西部地域での簡易宿所の申請は始めてだったようで、手間取ったが、その担当者以上に勉強していたので、法令の条件を全て満たしていることを説明して、営業許可をもらい、2004年、「空音遊 (くうねるあそぶ)」を開業した。

簡易宿所とは旅館業法で規定されている4種類の「営業」種別のひとつ。施設の規模、設備等により、旅館営業は客室5部屋以上等、簡易宿所営業は客室延床面積が33㎡以上等の条件があるが、名称は経営者(申請者)の設定に任されており、例えば、旅館営業で「◯◯民宿」と名乗ってもかまわないらしい。

「簡易宿所」+「飲食店」=「空音遊」として進化

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2012年には、キッチンを自力で改装して「飲食店営業」許可も取得し、現在は「簡易宿所」+「飲食店」=「空音遊」として進化した。料理担当は「のり嫁」の「かおり」さんだ。

かおりさんは自然食研究がご趣味だそうで、地元の情報通、久原孝子さんから、「空音遊」のランチがウマイという話を聞いて、取材がてら、食べに行った。

噂によると、保坂さんは肉類を食べないし(最近は条件を満たせば食べるらしい)、アルコールも嗜まれないようで、提供している食事も心身に優しい自然菜食だそうだ。「空音遊」のWebサイトの食事のページには下記のような記載がある。

「基本的に動物性食品(卵・乳製品含)・化学調味料・砂糖は使用しておりません。マクロビオティック、ビーガン、ベジタリアンの方も安心してお召し上がりいただけるかと思います。その他のアレルギーがある場合は、事前にお知らせいただければできる限り対応いたします。」

ビーガンというのは厳格な菜食主義で、卵や乳製品も一切口にせず、動物性の素材を用いた靴・衣服も身につけないらしい。ということは生肉のドレスを着ていた米国のポップシンガーはきっとビーガンではないのだろう。知り合いがそのレストランをやっていて、一度食べたことがある。また、日本発祥のマクロビオティックは玄米、菜食中心の食生活法で、欧米の有名人やモデルにも人気があるそうだ。米国の有名な女性ポップシンガーは専属の日本人料理人を雇っていると聞いたことがある。

それはともかく、「自然食」には不健康な人が食べているという歪んだ先入観があって、何となく敬遠していたのだが、食べてみると、ちゃんと作ったものをちゃんと調理しているので、しみじみとおいしいことが多く(自然食でもそれ以外でも、素材と調理がダメなのはマズイ)、今では何の抵抗もない。

もともと砂糖が苦手で、加齢のせいか、最近は肉類も食べたいと思うことが少なくなり、農業をしておられる知り合いも増えて、野菜のおいしさもわかるようになったからかもしれない。

さて、「のり嫁」さんのお料理は、豆乳で作ったというマヨネーズで仕上げたポテトサラダはとても上品な味、塩麹に漬けた石豆腐はチーズのような風味、祖谷こんにゃくの刺身には2種類のタレ、自家製味噌のみそ汁は野菜だけの出汁とは思えないうまさ、近所からの頂き物という栗ごはん、・・・、大皿と小皿、小鉢に14〜5種類の惣菜が並ぶ。

いやーっ、うまかった。満腹になったが、野菜のみで調理されているからだろうか、全く胃にもたれない。どれも素材を活かしていて、味付けも調理法も異なり、手間が掛かっているのはシロートでもわかる。酒の肴に良さそうな料理も何品かあった。さらに、無農薬有機栽培のマンデリンコーヒーと手作りデザートのカボチャプリンが付いて、な、なんと、驚きのバーゲンプライスなのである。

お客様からのご要望があり、食事も提供できるようになったから

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「ハハハハ、道楽です。道楽。泊まりでは来られないご近所に住んでいるような方にもこういう野菜の調理の仕方や料理があるのを知ってもらえたらいいなって。えっ?毎食こんな料理を食べているのかって?そんな訳ないでしょ、お客様がいらっしゃる時にはついでに作ってもらえますが、普段は玄米ご飯に野菜のみそ汁と漬け物ぐらいですよ。ま、基本、自炊の宿でしたが、お客様からのご要望もあって、食事も提供できるようになったので、そういう役割になったのかなと思っています。」と、保坂さん。

「ランチも泊まりのお客さんの仕込みと一緒にしますし、タレやソースを作っておけば、あえたり、かけるだけのシンプルな料理や作り置き出来る料理もありますし、お料理するのが好きなので、楽しんで作っています。何よりもお客様においしいと喜んで頂けたらそれが一番です。」と、のり嫁さん。

自分たちの役割もお客さまの役割も時とともに変わる

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「空音遊はホームページを作ったのと、もう4〜5年になるでしょうか、ブログを毎日更新している以外は何の宣伝もしていませんが、不思議とお客様が集まって来て下さいます。今では、3〜4割がリピーターのお客様で、1〜2割ぐらいが海外からのお客様です。ミシュランガイドが「イヤ・バレー(祖谷渓谷)」に星を付けたり、祖谷で古民家の再生事業をしておられるアレックス・カーさんの影響もあって、欧米からが多いですね。それも本当の日本の田舎暮らしを体験したいという旅慣れた方がほとんどです。」

「食事を提供するまでは、空音遊には何もないというひとつの役割があったのでしょうね、自分探しの旅をする学生やバックパッカーが多かったのですが、食事を提供するようになって、一般の観光客が増え、人生の転機や何かのきっかけを求めて来られる方が増えました。空音遊を訪れて、自然の摂理に適った心身に優しい食事をして、食の大切さに気づいたり、食に興味を持ったり、のんびり過ごしているうちに、お客様ご自身の役割に気づかれたり、より良い生き方のヒントになれば嬉しいですね。」

どうすればいつも楽しく豊かに過ごせるか?

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「世の中の閉塞感が強くなっているからでしょうか、最近は、お客様から、自分の本当に好きなこと、やりたいことがわからない、自分らしい生き方が見つからないというような相談をよく受けます。」

「自分の周りの小さな流れでなく、もっと大きな流れを見れば、世の中には、いいことと、悪いことの両面があるのがわかるし、こんな世の中と悲観するのではなく、こういう世の中をどう楽しく生きるかが大切ですよと答えています。」

「私は、たかが古民家宿の主で、自分たちにできることは、その方を励ましたり、楽しく生きる発想やそれに気づくトスを上げることぐらいしかできませんが、そんなご相談を受けるのは、自分にはそういう役目もあるのかなと思っています。自分自身がいい状態でなければといい世の中とはいえません。1人でも多くの人がいい状態になって、いい状態の人が増えれば、もっといい世の中になるはずですから、地道な世直し活動ですね。」

「私自身、いろいろな会合にお声が掛かれば、喜んで出掛けますが、そんなお声が掛からない時は、その時点でのそういう役割はないのだと思っています。来るものは拒まずで、ここに来られる方もどなたでもお受けします。これも不思議なんですが、イヤなお客様は1人も来られません。どんな人にも必ずいい面、悪い面があり、私はいい面しか見ないからかもしれませんが、ここに来る方が来る前より楽しくなって下さったらいいなと思っていて、とにかく楽しんで帰って頂けるよう心掛けています。」

「空音遊を始めた頃は貧しくても心が豊かであればといいと、清貧な暮らしを理想にしていましたが、自分自身が物心両面で豊かないい状態で、楽しく生きていないと人を楽しくすることはできないと思うようになりました。ま、金銭は最低限の生活ができればいいんですけどね。」

「幸い、私は自分のやりたいこと、やるべきことを見つけて、それができているので、毎日を楽しく生きていますが、いつもどうしたら楽しく豊かに過ごせるかを考えて、行動することが究極の生き方だと思っています。誰もそこに住んでいる人が楽しく過ごしていないところに訪れたいと思いません。その地域の住人が地元に誇りを持ち、楽しくイキイキと暮らしていれば、地域は良くなり、訪れる人も増えると思います。」

「大歩危・祖谷は大自然に囲まれたとてもいい所です。その大自然に包まれて、ご縁やつながりを感じながら、日々をありがたく生きさせて頂いています。毎日を忙しく暮らしておられる方にこそ、時には、この四国の真ん中でホッと一息ついて、のんびり過ごして頂くのもいいのではと思っています。」と、保坂さん。

取材時はなんでオーサカキ◯グやねん?の装束だったが、柔和で物静かなお人柄の保坂さんは、その風貌からも、お名前のごとく、徳の高そうなチベットの修行僧を連想するが、インドいや、大歩危・祖谷の哲人の風格も漂いはじめたような・・・。

コレゾ賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、

「いい取組みですね。来るものは拒まず、お断りする理由は何もありません。」と、ご承諾下さった。

COREZOコレゾ「訪れる前よりも心と身体を満たして、もっと楽しくなって欲しいと、進化し続ける古民家宿と主」である。

後日談1.第1回2012年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談2.第2回2013年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談3.第3回2014年度COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談4.2014年秋、Coco-Cross ココクロスをオープン

徳島県三好市池田町にある閉館していたビジネスホテルの再活用を頼まれ、Coco-Cross ココクロスとしてリニューアルオープンされた。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2012.09.

編集更新;2012.11.02.

文責;平野龍平

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