中山 勝比古(なかやま かつひこ)さん

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COREZO(コレゾ)「島が人を育て、人が島をつくってきた、たこ、ふぐ他の島の恵みを付加価値に変え、島と海と共に生き、島の地域経済を黒字化する宿主」賞

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中山 勝比古(なかやま かつひこ)さん

プロフィール

愛知県南知多町日間賀島

日間賀観光ホテル 相談役

観光庁 観光カリスマ

経歴・業績

1949年 愛知県南知多町日間賀島生まれ

1967年 私立大同工業高等学校卒業

1967年 家業の旅館 三平に勤務

1992年 日間賀観光ホテル代表取締役に就任

1997年 南知多町観光協会日間賀島支部長(日間賀島観光協会長)

2000年 南知多町観光協会副会長(2001年まで)

受賞者のご紹介

筆者は、長年、旅行業に従事していたので、「たこの島・ふぐの島、日間賀島」と云うのは、よく耳にしていたが、訪れる機会がなかった。

懇意にしていただくようになった日東醸造の蜷川社長のFacebookに日間賀観光ホテルの名称が度々登場し、タコにフグはもちろん、タイやヒラメの舞踊りの画像をこれでもかと見せつけられていて、いつかはブラック蜷川社長を返り討ちにしてくれようと、心に決めていたのである。

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2016年の冬、とうとうその日がやってきた。敵役のブラック蜷川社長に連れられて、黒怒の眞田社長と3人で知多半島の突端の師崎港から、海上タクシー「スバル」に乗船し、約10分で、あの憧れの日間賀島に上陸した。

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ささっと、風呂に入り、いよいよ、「蜷川丸」席で、ふぐづくしの開始早々、「これって3人前ぢゃないの?」っていう、てっさが3皿運ばれてきて、いきなり、テンションマックスに…、そのまま、ぞーすいまで、怒涛の至福の時間を過ごし、敵役ともども大団円を迎えてしまった。

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なにやら、この日間賀観光ホテルのオーナーは、「観光カリスマ」らしく、翌朝、お話を伺えることになっていたのだが、先約の方の時間が押してしまったようで、嬉しいことに、6月に、出直し、再訪となった。

日間賀島

日間賀島は知多半島の南端、師崎港の沖合2キロに位置する面積0.75平方キロ、人口2,350人の島である。

周辺は、伊勢湾と三河湾にまたがった好漁場であり、多くの魚介類が水揚げされていて、日間賀島は、昭和40(1965)年頃よりこの新鮮な魚介類を食べさせる観光地として観光客を獲得してきたそうだ。

篠島に比べ、日間賀島は圧倒的に知名度が低かった

―中山さんのご実家が旅館業だったのですか?

はい、両親は、日間賀島出身で、名古屋で働いていたのですが、島に戻り、西港に別荘を購入して、元々、本家が旅館をしていたこともあり、昭和34(1959)年、「三平旅館」という、小さな宿を始めました。

昭和42(1967)年、見晴らしのよい高台の現在地に木造2階建ての宿を建て、「日間賀島観光ホテル」に改称しました。

私は二代目で、時代のニーズに合わせて増改築をして、平成元(1989)年、「島」を取って現在の「日間賀観光ホテル」になりました。

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開業当時、隣の篠島は、天然のいい海水浴場があり、海水浴客が押し寄せていましたが、日間賀島は岩場が多くて、海水浴客では苦戦していました。それでも、釣り客や観光客が増えて、多い時は、民宿も100軒以上ありましたが、海水浴客のブームも過ぎて、来訪客もだんだん減っていきました。

学校を卒業して、家業に入り、名古屋方面等にキャラバンで営業に行くようになると、篠島に比べると、日間賀島は圧倒的に知名度が低く、悔しい思いをして、なんとかせねば、といつも思っていました。

旅行会社とつくった企画がヒット

私が旅館をついで、今の建物に建て替えた頃は、返済が大変だったんですよ。付き合いのあった大阪の旅行会社の方に、色々、相談している内に、企画の方を紹介してもらって、つくった企画がヒットしました。おかげで、毎年、違う企画を出せるようになり、新入社員のセールスツールにも使われるようになって、それで来て下さったお客様は、その新人セールスと私どものファンにもなって下さったので、win×winの関係にもなって、好循環が生まれました。関西でヒットしたので、東京でも、ってなって、どんどん広がっていったんですよ。

あの頃は、旅行会社も価格競争だけでなく、ヤリ手の社員さんも多かったですから、私は、旅行会社の皆さんとは、上手くお付き合いをさせてもらったと思います。

「たこの島」として売り出す

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―「たこの島」の企画は?

私が30代の頃ですから、もう30年以上前のことですが、篠島などとの観光地の共生や観光の動向の変化を考えたとき、魚介類を食べるだけならば他の観光地でも可能だから、価格競争でお客様を呼ぶのではなく、日間賀島としては何か独自の魅力が必要だ、と考えていました。

そういう状況の中で思いついたのが、「たこ」でした。たこは、日間賀島で大量に水揚げされ、島内では普通の食材として活用されていました。例えば、たこを天日干しにして加工した「干だこ」は、古くから保存食にされ、正月の行事のお供え物としても使われています。

実際、島には、蛸阿弥陀如来がご本尊の寺があり、「たこあみだ様」という昔話も残っています。

「むかしむかし、この地方で大地震が起こり、日間賀島と佐久島の中間の大磯にあった筑前寺の本尊胎内仏が津波で流されてしまった。村人がいくら探しても出てこなかったが、ある日蛸漁をしていた茂二郎さんの蛸壺から大蛸に抱かれた本尊様が発見された。大蛸に助けられた本尊様は、体を張って守ってくれたお礼として、蛸の大好物のアサリとカニを島周辺に呼びよせてくれた。それ以来、島で良質の海の幸がた~んと採れるようになった。」

それで、「日間賀島はたこに縁の深い島だ」ということを再認識して、日間賀島を「たこの島」として売り出すため、まず、たこのキャラクターデザインに取り組み、自分でできることを考え、行動に移していきました。

島では、みんなでやらんとイカン、と云うのがありましたが、みんなでやろうぜ、って云ったって、最初は、個人の発想とか、行動なんですよね。たこだから、8,800円でたこづくし料理を提供する、『たこの88プラン』と云うのをつくって、旅行会社に売り込みに行ったら、昼食に行列が並ぶほど、お客様が来て下さって、そんな既成事実をつくりながら、実績を上げ、なんとなく周りが認めてくれる状況を創っていきました。

旅館業と云うのは、地域で儲けさせてもらっている

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観光と云うのは、地域がまとまらないと、上手くいかんのですよ。旅館業と云うのは、地域で儲けさせてもらっているというのがあって、地域と協調して、共生しないと上手くいきません。自分の事業だけ大きくしようなんて、考えたこともなかったですし、島全体で、みんなとやるには、程々でないとイカンのですよ。

「たこ」であれば、簡単に手に入り、しかも、家庭で普通に食べているので、料理も慣れていると、徐々に、島内の旅館や民宿からも賛同を得て、どこの宿でも必ずたこの丸茹でを食事に出し、たこ飯・たこ刺し・たこのしゃぶしゃぶ等のたこ料理もそれぞれの宿でメニューに追加するようになりました。

また、ふるさと創生事業の予算を獲得して、島の住民の総意により、島の玄関口である観光船乗り場に大きなたこの看板やモニュメントも設置し、お土産用のたこグッズ等も開発して、売店に置いたりして、「たこの島」をPRしました。

これらにより、日間賀島は、旅行会社等を通じて、「たこの島」として周知されるようになり、多くの観光客が訪れて下さるようになりました。

「たこ」の次は、「ふぐ」の島

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―「ふぐの島」の企画は?

これも20年以上前になりますかねぇ、春から秋は、釣りや海水浴客、活魚料理を求める観光客で賑わうんですが、10月から3月は閑散期で、観光客の足は遠のいていました。次の課題は、この閑散期の集客でした。

元々、日間賀島周辺はふぐの好漁場で、毎年10月から翌2月まで、高級魚の「とらふぐ」が多く獲れるのですが、ほとんどが取引値の高い下関に運ばれていました。もちろん、日間賀島でもふぐ料理は提供されていましたが、全国的には全く知られていませんでした。

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平成元(1989)年、ふぐの本場として知られる山口県下関は、不漁でしたが、日間賀島は、豊漁だったので、ふぐを買い付けにくる業者が殺到して、漁業関係者は、大儲けしました。

この時、「ふぐ」で客を呼べる、と直感して、「たこ」の次は、「ふぐ」の島を目指そう、と提案したところ、多くの賛同を得て、「ふぐ加盟店」の仕組みが誕生しました。

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この加盟店では、ふぐ料理の商品化を進めると同時に、下関からふぐ料理の専門家を招いて講習会を開催する等、料理技術の向上とふぐの調理資格取得を促進し、旅行会社の企画ツアーを受け入れることができる、ふぐ料理を提供できる宿を増やしていきました。

こうして、当初、日間賀島でふぐ料理を提供できる宿は数軒しかありませんでしたが、今では60軒以上になって、平成9(1989)年には、「ふぐ祭り」を開催し、2月9日を「ふぐの日」としてイベントを開催するなどPRに努めました。

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地元の鉄道会社とタイアップした旅行企画商品造成が功を奏し、沿線でPRしてくれた効果も大きく、手頃な価格でふぐ料理が楽しめる「ふぐの島」として、中部、関西だけでなく、全国から多くの観光客が訪れるようになり、今では、春から秋のシーズンよりも、かつて閑散期とされた時期の方が観光客の多い年もあります。

旅行会社とのwin×winの関係

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私は、日間賀島と云う地域全体を売り込み、受け入れ体制も整えて、旅行会社とのwin×winの関係を築いてきたので、これまでなんとかやって来れたと思いますが、同じ手法が、何十年と使えるはずがないですから、常に革新し続けなければなりません。今では、地元の若い人たちも一緒に取り組んでくれるようになりました。

地元の漁師さんたちのために何ができるか

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―価格競争に走ってしまった旅行会社はアテにできないのでは?

今は、旅行会社だけでなく、目先の利益だけで価格競争に走って、次の世代を育てて行こうとか、次の時代に繋げていこうというのが見えてこないですね。

私が両親や周りの先輩方から叩き込まれてきたことは、地元の漁師さんたちのために何ができるかってことで、全部、そこから入っています。島を存続させるには、島全体を黒字にしなければなりません。そのためには、島外からの外貨を稼ぎ、稼いだお金はできるだけ島内で使うということです。付加価値を付けて、価格競争はしてこなかったので、仕入れも、より安い名古屋の業者では無く、魚はもちろん、野菜等も島内を優先して来ました。その結果、かつて、日間賀島では、漁師さんや漁協と観光業者が対立したこともありましたが、今では、観光客の皆さんに来てもらえば、島が潤うということが、当たり前になってきています。

実は、地元産の魚を使うのは、ハードルが高い

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―ある魚種で有名な観光地で、地元の網元の方と飲んだことがあるのですが、地元の旅館には一切魚を卸していないという話を聞いたことがあるのですが?

そうなんですよ、よくある話で、地元の漁師さんが獲ってきた魚って、その日の漁果によって、こちらの注文通りの魚が入ってこないじゃないですか?それで、私も名古屋で仕入れてきたり、冷凍物を使ったりしたこともあったんですが、『これは、おかしい。』って気が付いて、できるだけ島で上った魚を使うようになったんですけど、実は、島の浜値より名古屋の市場の方が安いし、ロスも大きいので、すごくエネルギーがいるんですよ。

実際、地元産の魚を使うのは、ハードルが高くで、なかなかクリアできなかったんですが、私どもは、客室露天風呂はありませんし、旅行社も頼りにできなくなり、結局、自分でやるしかない、自分で魅力をつくるしかない、となって、踏ん切ったんですよ。

それで、板場には、京都で修業した人が多いのですが、ここは漁師の島だから、漁師の料理だ、って気づいたんですね。漁師は魚をよく知っているし、どう料理すれば美味しいかも知っているので、漁師さんに教えてもらって、魚を活かした漁師の料理と職人の技を融合した、旬のものしか使わない島の料理を目指して、お客様にご提供しています。

日本人なら、魚の美味しさを知って欲しい

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―私が営業して添乗していた時代は、どす黒い冷凍マグロ、真っ白な冷凍イカ、養殖ハマチの3点盛が定番でしたね。

ハハハハ、そうそう、それに冷凍甘エビが付いて…。でね、例えば、こちらで1,000円の魚が、東京へ行くと、10,000円で売れるんですよ。で、東京で7,000円も儲ければ、そりゃ、栄えるでしょ?せめて、3,000円で売れる島にしたい、とずっと思っているんですよ。

そのためには、お客様に何をすればいいのか?日本人なら、魚の美味しさを知って欲しいと、地域と共生しながら、一生懸命やっているんですが、一方で、一皿100円の回転ずしや格安宿泊施設等々の情報がマスコミで垂れ流されていて、ホンモノの良さを伝えようとしても、埋もれてしまう現状をどうするのか?と云うのが私の中では大きな課題ですね。

地域ブランディングも重要

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―でも、ホンモノを求める人も増えているのでは?

そうですね。そういうお客様がいらっしゃるおかげで、なんとかやれている訳ですし、そういう良好な関係のビジネスをつくって行かないと、世の中はどんどんおかしくなります。なんとしても島と一緒に私どもも生き残って行きたいので、そういうお客様を増やすためにも、今までやってきたことにさらに磨きをかけて、情報発信にも工夫をしていきたいと考えています。

それに、地域ブランディングも重要だと思っています。ふぐの本場の下関には何度も訪れて、勉強させてもらっているのですが、ふぐ加工の設備投資も充実していて、地域ブランドの維持、向上にも、ものすごく、努力されています。

―島の漁獲高に対して、島内の消費量は?

たこやふぐはかなりの割合だと思いますが、全体で1~2割程度でしょうか?島には漁船が500隻あるので、まだまだ、島内で消費できる余地があります。

―海が時化たりすると、漁に出られない日もありますよね?

そのために、生けすやより良い状態で保存できる設備を導入したり、保存のきく美味しい加工品にする技術を磨いています。

これからは、食べるだけでなく、体験学習とか、島内の自然の良さを楽しんだり、リラックスするというようなことも求められていて、既に、自然体験漁業やキッズアドベンチャーにも取り組んでいて、動き始めています。

知多産知多消

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―知多産知多消の活動は?

日間賀島は、知多半島の突端にあるので、地域を活性化したいという思いから、サイトを立ち上げて、賛同してくれる人を増やそうとしたのですが、それをどうビジネスにつなげるかが、今後の大きな課題ですね。

インバウンドの受け入れにも、日本らしさ、この地域らしさを同情報発信するかが重要だと思っていて、このサイトを台湾からの誘客につなげる取り組みを進めています。

島の共生の精神

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―今後は?

ご存じのように、私どもでは、地元の海産物や野菜の他、蜷川社長のところのしろたまりや角谷さんのところのみりんをはじめ、知多の南蔵さんのたまり、澤田さんのお酒他、手間の掛かったホンモノの調味料やお酒、食材を使っています。その価値をどう付けるかで、適正価格で販売して、お客様に喜んでいただく事につながると思います。

蜷川さんが東京から連れてきて下さっているツアー(タカコ・ナカムラ先生の三河醸しツアー)等も、もっともっと拡げていくことによって、新たな価値を付けたり、入口から出口まで、生産者もサービス提供者も消費者も、価値が分かる人たちが一緒になってやっていくことが大事だと思っています。

私自身、漁協組合長をはじめ、島の諸先輩方、島を気に入って下さった島外の皆さんをはじめ、多くの方々のご縁とご支援で何とかやってこれました。始まりは、個人的なご縁でも、島を残したい、という想いを共有し、「島の共生の精神」で、ひとり勝ちをせず、ご縁をつないで、皆んなで外貨を稼ぎ、島内に利益を還元すれば、地域経済が活性化して、島も生き残れます。

そういう循環の仕組みをつくって、実行するのも、島の海の恵みを活かすのも、全て人です。島が人を育て、人が島をつくってきたのです。これからもそういう気持ちを持ち続けて、若い世代の人たちと一緒に取り組んでいきたいと思います。

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「日間賀観光ホテル」は平日でもいつもお客様で賑わっている。それは、お客様の期待や予想を大きく上回る圧倒的な島の海の恵みと心の通うおもてなしがあるからだ。

中山さんは、人のご縁を大切にし、「島の共生の精神」で、島の地域経済の黒字化を目指して取り組んでこられた。付加価値を付けるために、「たこの島」の活動は、30年以上前から、「ふぐの島」には、20年以上前から取り組んでこられたから、今がある。価値をわかる人を増やすには、やり続けるしかないことを改めて教えて頂いた。

COREZO「島が人を育て、人が島をつくってきた、たこ、ふぐ他の島の恵みを付加価値に変え、島と海と共に生き、島の地域経済を黒字化する宿主」である。

文責;平野龍平

2016.06.最終取材

2016.10.初稿

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