北島 力(きたじま つとむ)さん

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COREZO(コレゾ)「行政職員と市民活動のひとり二役、人と人の縁を取り持つ町家と町並みの再生」賞

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北島 力(きたじま つとむ)さん

プロフィール

福岡県八女市出身、在住

NPO法人 八女町家再生応援団 代表

NPO法人 全国町並み保存連盟 常任理事

NPO法人 八女町並みデザイン研究会 理事

特定非営利活動法人八女文化振興機構

ジャンル

伝統文化

観光地域振興

町並み・町家再生・保存、活用

経歴・実績

1952年 福岡県八女市生まれ。

1992年 八女市企画調整課 配属

1994年 新しい祭りでの町おこし団体「八女ふるさと塾」発足

1995年 国土交通省「街なみ環境保全事業」による整備事業開始

1997年 造り酒屋跡を復元整備した「八女市横町町家交流館」開館

2000年 地元建築士らによる「八女町並みデザイン研究会」発足

2001年 「八女市文化的景観条例」制定、「八女市文化的景観審議会」発足

2002年 八女市福島地区が国の60番目となる「重要伝統的建造物保存地区」に選出

2003年 八女の文化の継承と発信を活性化する「八女文化振興機構」発足

2003年 空き町家の紹介等に取り組む「NPO法人八女町家再生応援団」発足

受賞者のご紹介

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北島 力(きたじま つとむ)さんとは、2010年にご縁があって参加した福岡県八女市で開催された「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)を偲ぶ会」でお目に掛かった。

「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」は古墳時代末の九州北部の豪族で、岩戸山古墳(福岡県八女市)がその墓とされ、「古事記」や「日本書紀」では、「磐井の乱」を起こしたと記されているそうだ。

その懇親会が田中真木さんの「旧大内邸」で開かれ、宴席ではほとんど会話する機会はなかったのだが、帰りの車でご一緒し、宿泊ホテルに到着すると、「せっかく八女までお越し頂いたので、もう一杯やりませんか?」とお誘いを受けた。

八女は物産の集積地として栄えた商家町だった

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その時、八女に初めて訪れたのだが、古い町並みや町家が残っていてなかなか風情がある町である。その町家を改装して夜はお酒も飲める「町家カフェ(現在は違う店舗になっている)」に連れて行ってもらった。

元八女提灯の製造元だという築100年以上の町家が見事に復元され、再活用されているのに驚いた。ほぼ建築当時の伝統工法を用いて改築したそうだ。日本家屋、建築が好きな者にとってはたまらない。北島さんがその町家のことに関してヤケにお詳しいので尋ねると、八女市職員としてだけでなく、いくつかのNPOを立ち上げて、町並み保存の活動を続けてらっしゃるという。

福岡県八女市は今では八女茶や電照菊等の農産物が有名であるが、交通の要衝の地であったことから、江戸時代から明治にかけては物産の集積地として栄えた商家町であった。度重なる大火を経て完成した「居蔵(いぐら)」と呼ばれる入母屋妻入り大壁土蔵の耐火構造の重厚な伝統的建造物が、戦災や戦後の大規模開発から免れ、福島地区のかつての街道沿いに連続して残っている。

伝統的建造物が多く残る福島地区の町並みの空洞化

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昭和40年代後半(1970年以降)になると、全国の地方都市と同様に市街地に位置する福島地区の町並みの空洞化が顕著になり、商店の閉店や転居で空き家が増加し、追い打ちをかけるように1991年には大型台風に2度も襲われ、大きな被害を受けた。特に空き家になっていた町家は修復を諦めて、取り壊され、通りには空き地が目立つようになった。

地元有志が集まり、勉強会を重ね、町並み保存運動が始まる

そこで、この貴重な文化的資産をまちづくりに活かせないかと地元の有志が集まり、勉強会を重ねる中で、町並み保存運動が始まったという。

北島さんは地元の高校卒業後、八女市役所に勤務し、趣味の社交ダンスに打ち込んだ時期もあったそうだが、1996年、企画調整課に配属されたのをきっかけに、町並み保存・整備の担当部署に通算15年間勤めながら、町家復活に尽力し、2012年3月、都市計画課長を最後に定年退職した。現在は、八女福島の町家建築を一つでも多く後世に継承するため空き家の保存活用及び技術・技能者の育成、伝統構法の継承などに全力投球中で、近い将来、町家に住み,暮らしをかみしめながら住民と共に汗をかき、活動できることを夢と目標にしておられる。

当初、町並みや町家の保存には何の関心もなかったそうだ。親しかった地元新聞の記者から「八女の町並みは素晴らしい。守らんといかん。」と、「町並み保存の勉強会」に誘われ、何となく興味を持つようになり、当時の市長から、国の制度を利用して町並みを保存する市の制度をつくるよう指示され、国の制度を精査し、勉強した。

「街なみ環境保全事業」(国交省・事業期間19年間)を導入

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市は、1993年から個人所有の家屋に支援できる「街なみ環境保全事業」(国交省・事業期間19年間)を導入し、住民と共に町家等の保存再生に取り組み始める。さらに、行政として、継続的な支援制度導入の必要性から、1996〜7年に八女市福島地区の学術的価値を明確にするため、「伝統的建造物保存対策調査」(文化庁)を実施。2002年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受け、多くの地元住民組織やまちづくり団体と連携し、共働しているという。

「八女町並みデザイン研究会」の立ち上げ

北島さんは国の支援を受けるだけでなく、地元に仕事が発生するよう、2000年には、地元建築業者や建築士らに働きかけて、「八女町並みデザイン研究会」を立ち上げた。「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けても、その保存再生事業を請負える技術と業者が地元にないと請負える他地域の業者に仕事が流れてしまうことを防ぎ、先人たちの匠の技術や知恵を地域内で伝承して行ける仕組みを創るためである。

「NPO法人八女町家再生応援団」を発足

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また、2003年には、空き家の所有者と借りたい人を仲介する法人格を持つ空き町家の紹介等に取り組む「NPO法人八女町家再生応援団」(以下、応援団)を発足した。

その狙いは、1.空き家を長く放置すると解体の憂き目を見るので、空き家の保存再生と活用を専門に行なう集団を組織して、空き家の増加に対して先手を打つこと。2.その集団がNPO法人を取得して、社会貢献をし、社会的信用を得ること。3.空き家を活用して八女に暮らす若者を増やし、少子高齢化で崩れつつある地域コミュニティーを再生し、賑わいづくりをすること。4.行政職員の町並み応援団、協力者を増やすこと。

空き家は個人財産で、行政としての取組みは消極的にならざるを得ない。民間団体としての取組みは、メンバーに専門的な知識のある人がいないと進まない。そこで、北島さんは市民として、仕組みづくりを仕掛け、行政マンとして、調整、協議を積み重ねながら、双方の立場を上手く使い分け、NPO法人の設立に結びつけた。

強い意志を持ち、ひとつひとつ積み重ねて行けば、「善いこと・正しいこと」であれば、共感してくれる仲間は出てくるもので、15名の行政職員も参加してくれたそうだ。

「ハハハハ、その当時の私の職場の同僚たちが協力してくれただけですけどね。私は退職して、皆んなも別の部署に異動していますが、今でも協力してくれていますよ。」と、北島さん。

事例1

台風の被害を受けて、5年以上空き家状態の町家が危険な状態になり、所有者は建物の解体または、土地・建物の売却を希望。市から応援団に協力要請があり、売買契約、所有権移転をサポート。新オーナーには市の補助事業と地元建築士を紹介サポート。2005年に洋食レストランをオープン。

事例2

2年程度空き家の大正期と10年程度空き家の昭和期の町家2軒も台風の被害を受け、2003年に倒壊危険防止を理由に解体して駐車場にしたいと所有者から市に相談があり、市の補助事業で修理して沈滞での活用を粘り強く説得するも、2004年、解体許可申請が提出され、市の許可を得ないまま足場が組まれた。市は「八女市文化的景観条例」の規定に基づき、不許可の行政処分と停止命令を発し、一旦、足場は解かれたが、再び、組まれ、再度、市は停止命令を発した。

すると、所有者から弁護士を通じて申し入れがあり、裁判も辞さない構えとなったが、市から相談を受けた応援団は八女市のまちづくり団体のリーダーの中から買い取りしてもらえる人を探し出し、市の担当者と協力して、約1年間に及ぶ同弁護士との交渉の末、売買契約、所有権移転が成立した。

新所有者に市の補助事業と地元建築士の紹介サポート、入居希望者リストから選考、仲介し、修復工事を経て、1軒は2007年に蕎麦店を開店、後の1軒は2008年に住宅として入居した。

事例3

2004年、倒壊危機にあった数年間空き家であった町家の管理者から維持管理が困難なため、市またはNPO団体に寄付したいと申し出があったが、相続の手続き等が済んでいなかったため、その手続きに時間が掛かり、損傷がさらにひどくなり、解体したいとの相談があった。

所有者と市から協力要請を受けた応援団は、少子高齢化が進む中、今後このようなケースが増えると考え、2005年、市民有志に呼びかけ、所有者に代わって保存修理し活用する「八女福島町家保存機構」を設立した。

権利者と土地・建物の「管理委託契約」を結び、修理に関する市の補助制度(1軒960万円)を活用し、残りの事業資金は機構の会員から借り入れ、入居希望者を見つけ、計画的に返済し、建物と敷地の維持管理を行なっている。

事例4

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3軒並びの町家が約20年前から空き家になっており、市外に住む所有者から老朽化が進み倒壊の危険があるが、維持が困難なので安値でもいいから売買斡旋を市と応援団に依頼があった。3軒合わせて敷地280坪の大規模物件で、購入者を捜し出すことができなかったが、町並み保存には重要な物件であった。

そこで、八女市のまちづくり団体に呼びかけて、2006年、この物件に特化した任意団体「八女福島M家保存機構」を立ち上げた。所有者とは「管理委託契約」を結び、再生計画を立て、3名の入居希望者を見つけ、市の修理に対する補助事業(1軒当り960万円)を活用し、残りの約4000万円を1口30万円で機構の会員から出資者を募った。会員19名から必要数の131口が集まり、2007年に修復工事が完了し、町家カフェ(現在は地域の伝統工芸品等を展示販売するギャラリー)、一般住宅、木工工房が入居した。

町家を再生保存して、再利用するだけではダメ

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実は、北島さんに連れて行って頂いた「町家カフェ」はこの事例4の物件だったのである。しかも50口も出資しておられたのである。これまでの活動により、町家を中心とする約30軒の空き家が保存再生され、そのうち応援団が中心となってサポートしたのは16軒の町家で、飲食店3飲食店兼住居3、工房兼住宅3,ギャラリー兼住宅1,工房兼ギャラリー1、住宅5軒として、新たに活用されている。

「これまで悪戦苦闘の連続でした。困難な案件に協力して下さる皆さんに集まって頂く情熱や必要な資金を集める企画力と実行力が必要ですし、専門的な知識を持った人々とのネットワークや信頼関係を築くことも重要です。そうして実績を積み、不安を払拭できなければ、所有者を説得できません。」

「それに町家を再生保存して、再利用するだけではダメなんです。入居希望者の人間性も含めた人柄や商売のセンスを見抜く面接力も必要ですし、新住民となった皆さんの中には新しいコミュニティーの担い手として活動を始めて下さっている方もいらっしゃいます。私たち応援団やまちづくり団体が入居後のフォローをして地域に定着して頂けるような取組みも続けて行かねばなりません。」

「ユンボや重機を使えば、先人たちが築き上げてきた八女の文化や歴史を壊してしまうのはいとも簡単ですが、一度壊してしまうと二度と再生できないでしょう。町家の空き家が売りに出る時というのは、所有者の方も切羽詰まった状況の時が多いので、待ったなしなんです。売りに出て買い手がついてしまうと万事休すでそれ以上何もできなくなりますし、さっきの事例2で、市の中止命令を持って、現場に急行し、中止させたのは私なんですよ。」

切羽詰まった待ったなしの状況では、個人の力には限界がある

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「町家や町並み保存に何の興味もなかったのに、制度を調べたり、実態を調査したり、条例をつくったりしている内に、ミイラ取りがミイラになってしまって、市やNPOが対応していたのでは間に合わない状況で私自身が買い取った物件もあります。」

ー事例4で50口出資された以外に何軒か所有もしておられるのですか?

「ええ、まあ、私も1軒買い取るならという条件で、地元の有志に購入してもらった物件もあったりで、東京や大阪のような都会とは価格が一桁違いますけど、私の実家や家内の父に頼み込んで、共同名義にしているのも含めると、4軒所有しています。役場の退職金も全額、借入金の返済に使いました。家内にはあきれられていますよ。」

「私は市職員として、町並みの再生保存と活用を15年間させてもらいました。制度の運用も行政ができる限界もわかっていたので、その都度、NPOや任意団体を立ち上げて、双方のいいトコ取りをしてきました。それでも対応できない物件は個人で何とかしてきましたが、それにも限界があります。」

「この先の10年は、急を要する物件に対応したり、入居者が退去して次がすぐに決まらなかったり、急を要する補修に使う短期運転資金を賄う『町家ファンド』のような基金を設立するとともに、後継者の育成をして行かなければなりません。いずれは自分の所有している町家の1軒に移り住んで、町並みの中から活動に協力して行きたいと思っています。」と、北島さん。

地域住民が住み続けたい魅力的な地域にすれば、自ずと観光客も増える

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北島さんは愛媛県の内子町の町並み再生保存と活性化をして来られた行政マンの先達を師と仰ぎ、手本にしてきたそうだ。

ー内子には何度か行ったことがありますが、団体客がいる間は賑わっていますが、バスが去った途端、人通りは無くなっていましたよ。

「ええ、市に在職中は、議会からは何度も団体観光客の誘致を迫られましたが、『目先の利益を求めて、今のまま旅行社に団体客を誘致しても、通過するだけですぐに飽きられてしまう観光地になるのが関の山で、個人客が繰り返し滞在したくなる地域にするべきだ。時間はかかるが、町並みの整備を進めて地域住民が住み続けたいと思うまちづくりをして、魅力的な地域にすれば、自ずと外からの訪問客も増えるはず。』と、説得して来ました。」

「この町家の空き家の再生保存、活用は実際に時間も労力も掛かり、とても地味な活動ですが、小さいけれど、新しい店や住民も増え、一定の経済効果が生まれています。コミュニティーや住民の生活を活性化しないと観光客だけでは地域は活性化しません。」と、北島さん。

実際、お昼時には新しく開店した蕎麦屋さんは地元客で賑わっており、町並みには平日にも関わらず、観光客と思しきグループが何組も見かけられた。北島さんの想いと活動が徐々に実りつつあるように思う。八女の町家では、共通の知人がいる方と出会ったり、北島さんの奥様とも親交ができたりと人と人の縁を取り持ってくれているのかもしれない。

町づくり、地域の活性化は住民と行政の積極的な恊働による取組みが不可欠だが、志と実行力のある行政マンが行政と民間の役割と活動のひとり二役をこなされたとても珍しい事例ではないかと思う。

コレゾ財団・賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、ご快諾頂いた。

COREZO(コレゾ)「行政職員と市民運動のひとり二役、人と人の縁を取り持つ町家の再生」である。

後日談1.第1回2012年COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談2.映画「まちや紳士録」完成

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2013年秋、北島さんらの活動がドキュメンタリー映画になり、日本全国で上映会が開かれ、DVDも発売されている。

後日談3.第2回2013年COREZO(コレゾ)賞表彰式

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北島 力(きたじま つとむ)さんに関するお問い合わせは、

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

初稿;2012.11.02.

最終取材;2014.11.

編集更新;2015.03.09.

文責;平野 龍平

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