玉井 常貴(たまい つねたか)さん

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COREZOコレゾ「NTTを早期退職して退路を断ち、外から目線、積み上げ方式のソーシャルビジネスを通じた持続可能な地域づくり」賞

玉井 常貴(たまい つねたか)さん

プロフィール

1944年、和歌山県上秋津村(現・田辺市)生まれ

和歌山県田辺市上秋津

農業法人 株式会社秋津野 代表取締役社長

農業法人 株式会社きてら 取締役相談役

受賞者のご紹介

秋津野ガルテン

田辺市西部にある上秋津地区は、古くから、温暖な気候を利用した、みかん、ウメの栽培を中心に農業の非常に盛んな地域。JR紀勢線紀伊田辺駅から北東へ約5km、田園地帯から丘陵地帯へと上っていくと、元田辺市立上秋津小学校の跡地を利用した「秋津野ガルテン(=庭)」がある。

地域住民が出資した都市と農村の交流施設で、地域資源を活かしたグリーンツーリズムを事業化し、宿泊施設や体験棟、農家レストラン他を運営している。みかんや梅の収穫体験学習、旬の素材を使ったお菓子他、手づくり教室等の実施や農家レストラン事業で集客を伸ばし、周辺地域では、宿泊のキャパシティを増やすため、「秋津野農家民泊の会」を結成され、学生の教育旅行等の受入れ等を実施している。

「秋津野ガルテン」内の農家レストランの調理、運営や手づくりスウィーツ工房での地元産柑橘のジャム・ケーキ作り等の体験教室では、地域の女性が活躍する場となっている。

上秋津地区の主要産業である農業を取り巻く環境は厳しく、担い手不足など様々な地域の社会的課題問題を抱えているが、農業を通じて、地域の自立的発展、雇用創出につなげるソーシャルビジネスの考えの下、グリーンツーリズムを実施している。

玉井常貴さんは、年間6万人が利用し、全国から注目されている「秋津野ガルテン」の運営会社、株式会社秋津野の代表取締役社長で、30年近くにわたって上秋津の地域づくりに関わってこられた。

上秋津愛郷会

田辺市上秋津は、明治22(1889)年の大水害で壊滅的な被害を受け、その後、数十年をかけて住民が力を合わせて復興してきたという歴史がある。

昭和32(1957)年の昭和の大合併を機に、村にあった財産(ほとんどが山林)は村民に分配されたが、その財産を全て持ち寄って運用し、将来の地域の発展のために役立てようと、社団法人上秋津愛郷会(かみあきづあいごうかい・現在は公益社団法人)という、和歌山県で初めての地域づくり組織を設立した。

上秋津愛郷会の財産となった山林から、毎年、木材の伐り出し、マツタケ山の入山料、土地の貸し出し等の収入を得て、教育振興、住民福祉、環境保全等の公益のためだけに使い、残りは積み立てていて、自主自立の地域づくりの原点はここにあると云う。

玉井さんが地域づくりに取り組むようになった理由

どうしてNTTのような大企業に勤務していた玉井さんが地域づくりに取り組むようになったのだろう?

農業用水汚染の深刻化

上秋津には11の地区があり、玉井さんが44歳の時に1年毎に順番に廻って来る区長になった。農村地帯であった上秋津だが、市街地に近い立地条件のため、平成のはじめごろには、田辺市の中心部や周辺山村からの人口流入が目立ち始め、農地の宅地化が進み、玉井さんが区長になったタイミングで、急激に人口が増え、新旧住民間でトラブルになるケースも出始めたため、問題解決に取り組むようになった。

その1つが、住宅の増加により多量の生活雑排水が河川に流れ込み、農業用水の汚染が深刻化していたことだ。この問題を解決するため、地域住民で話し合い、国の農村集落排水事業を利用して下水道を整備することになった。

公民館建設運動

もう1つが、地域には公民館がなく、生涯学習やまちづくりの拠点としての集会所がほしいという声は以前からあって、その建設候補地として山の上に土地があったが、お年寄りが通うのは大変ということで、地域の真ん中につくろうという運動が起こった。ちょうどその頃、伐採期を迎えた大木があり、愛郷会がその木を切って用地購入費を捻出し、こちらも国の事業を活用して、農村環境改善センター(公民館)を建設した。

当初の山の上の建設候補地には、「上秋津野福祉会」を設立して、「老人保健施設あきつの」をつくることになり、成り行き上、玉井さんは、その設立申請に関わった。

NTT退職

認可が下り、身を引くつもりだったが、成り行き上、さらに開業までの面倒を引き受けざるを得なくなり、当時、勤めていたNTTを退職した。49歳の時だったと云う。

「結婚するのが早くて、子ども2人は大学を出て就職が決まったとったし、嫁はんも働いてたから、なんとか生活できると思て、相談したら、『ほな、ウチも辞めるわ』って…。」

公民館長に就任

収入は半減したが、2年半かかって、開業に漕ぎ着いて辞めると、今度は、公民館長をやってくれ、という依頼が舞い込んできた。これも成り行きで引き受けた。

玉井さんには、「公民館は、単なるカルチャーセンターではなく、地域課題を解決する場である」と云う考えがあって、その路線をひた走ることになった。

天皇杯を受賞

平成6(1994)年には、いろんな地域課題を整理して、実践していくために、秋津野塾を設立したのだが、その結成2年後の平成8年(1994)には、農林水産省の農林水産業者表彰事業「豊かな村づくり部門」で天皇杯を受賞することになる。

秋津野塾では、毎年度、これからどのように運営していくかを全員で考えるために、各構成団体からこれまでの活動や将来の方向性について報告書を出してもらい、それをまとめるという作業をしていたのだが、タイミングよく、農水省の表彰事業の話が舞い込んだため、応募書類の作成がこれまでの活動の成果や課題を総括するいいきっかけになった、と云う。

評価されたポイントは、次の4点。

①    上秋津村の合併に際して、社団法人上秋津愛郷会をつくって村の財産を共同所有・管理する体制をつくったこと。

②    昭和47年にみかんの価格が大暴落したとき、多品種(現在では約80種類)の柑橘類を育て、1年中切れ目なく、周年収穫できる仕組みをつくるとともに、後継者の育成に取り組んできたこと。

③    新旧住民が一緒になって環境整備、集落排水事業に取り組んだこと。

④    秋津野塾をつくって、住民間の合意形成を図りながら、1+1が2ではなく、3にも4にもなるような相乗効果をもたらす、地域運営を行っていること。

マスタープランづくり

「表彰してもろたのは、ええけど、僕らが心配したのは、これでええんやろか、ということ。こういう表彰を受けると、その先、まあ、よう続いて5年やな。行政がしっかり後押ししてくれる内はええけど、行政の担当者が替わり、予算も無くなったら、先細りになる、ということや。」

「地域の問題を解決して、持続可能な地域づくりをするためには、地域の良い点、悪い点を明確にして、将来のことを考えたマスタープランづくりが必要や、と云うことで、マスタープランづくりには、住民の意見もしっかり聞かなアカンから、大学との連携もするようになったんですよ。」

「地域づくりは、表に立って行動できる人、黒子になれる人等、地域の引き出しをしっかり持っとかなアカン。それで、外から連れて来た人と上手くかけあわせるようにせんとな。」

「秋津野塾未来への挑戦」発行

平成11(1999)年から和歌山大学との連携が始まり、地区の住民の意見を聞くためにアンケート調査を数回実施した。平成12(2000)年には、10年先を見据えた秋津野地域の基本的な方向性を定めようと、マスタープラン策定委員会を設置し、平成14(2002)年10月、地域を徹底的に調査した上で、マスタープランを策定して、「秋津野塾未来への挑戦」という冊子を発行、配布した。こうして、地域の現状が把握でき、地域の将来に向けて取り組む形が整った。

「農業が衰退すると、地域が元気にならないので、何か仕掛けようと、直売所を大きくしよう、とか、女性が参画できる加工施設をつくろう、とか、いろんな話が出てきた。まだ、6次産業化とか、そんな言葉もなかった時代やから、『行政が補助金を出してくれんのなら、自分らで集めるわ』で、出資を募って、足らん分は、住民の中には大工やペンキ屋もいるので、ボランティアしてもらって、直売場も加工場もつくった。地域づくりには、こういう積み上げが大切なんですよ。」

「なかなか、出資者には配当は出せんけど、農家の皆さんは、新しい販路や商品ができるし、地域ブランドもできる。自分ですることによって、考える農業にだんだん発展していくことが大事だし、後々の財産にもなるんよ。」

マスタープランの実践

こうして、上秋津小学校移転計画を機に廃校活用のマスタープラン実践の時がやってきた。

「この学校は、この地区の中心にあるんで、学校が移転した跡地は宅地にされるんじゃないか、という危機感がありました。学校は、地域の中心にあるのがいいから、ここにあったんですよ。周りの親や地域の皆さんが子供たちを見てくれて、日本の学校教育が成り立ってきた。この校舎は、いつも地域の真ん中にあるべきで、それを無くしてしまって、どうするの?と云うワケ。」

地域が土地と建物を購入

平成17(2005)年に合併して田辺市になり、平成18(2006)年には現校舎利用活用検討委員会と秋津野塾からメンバーを出して、「秋津野ガルテン建設委員会」を立ち上げ、行政に提案し、地域が土地と建物を買い取って、運営会社も自分たちでつくることになった。

土地と建物は、愛郷会が約1億円で購入するということで総会にかけられ、「事業が失敗したら誰が責任をとるのか」など厳しい意見も出されたが、①地域が元気なウチにしておかないと、元気が無くなってから何やるのも大変、②何もしなければ、何も起こらない、③現状を放置すれば高齢者の街になる、と説得して、最終的に同意を得られた。

計489名から4,180万円の出資

木造校舎のリノベーションや宿泊施設の建設に対しては、農林水産省の農山漁村活性化プロジェクト支援交付金のほか、県と市の独自の補助金等を活用した。併せて、地元を中心に298名の出資者から3,330万円を集め、2007年6月に農業法人「株式会社秋津野」を設立し、その3か月後にさらに増資を行って、計489名から4,180万円の出資を集めたが、地域みんなで支え合う会社にしようと、地域の議決権のある株主は1人25株(50万円)までに制限して、地域外の出資者には議決権のない株主になってもらった。

秋津野ガルテンがオープン

そして、2008年11月、「都市と農村をつなぐ“場所”」とすることを目指した「秋津野ガルテン」がオープンした。

農を元気にし、地域を元気にする、食育(食農)教育事業、農家レストラン事業、貸し農園事業、田舎暮らし支援事業、地域づくり研修受け入れ事業、オーナー樹(園)事業等を行っているが、この施設が地域の中心にある廃校を利活用したことで、単なる観光や地域振興のみならず、子育て支援、教育支援、地域づくり研究等、地域住民も集える、地域の「庭」としての役割も担うというコンセプトが実現できている。

「配当金は払えてませんけど、毎年、食事の割引券などの優待券を添えて、出資者全員に事業報告、収支報告をし、年に1回は、株主の皆さんに集まってもらって、交流会も開催して、人と人の関係をつないでいます。」

経済効果は約10億円

「今では、年間有料利用交流が60,000人、年間宿泊者数も3,000人を超え、約70名の雇用を生み出し、直売所や加工場を運営する『きてら』と合わせて、年間売り上げは2億数千万円やけど、この周辺地域を含めたと和歌山大学が試算しています。」

地域が人をつくり、人が地域をつくる

「秋津野は、地域が人をつくり、人が地域をつくってきたんです。なんでもかんでも行政をあてにするのではなく、住民ができることは住民がし、必要に応じて行政の支援・協力をお願いしてきました。そして、住民の合意形成は、行政を動かす力になります。」

「地域の活性化は、地域経済が元気でなければ成し得ません。地方創生って、地域にお金をいかに循環させるか、そして、次の世代にどう引き継いでいくかでしょ?この地域にとって、農業の振興はもちろん大事やけど、今後は、地域外の方々との交流から、新しいアイデアやビジネスが生れるやろうから、IT関係の誘致(2019年、サテライト型ITオフィス事業開業予定)も進めており、新たな相乗効果が生れる仕掛けを考えているところです。」

「この地域にもインバウンドのお客様が訪れてくれるようになったけど、この地域は食が豊富で、例えば、80種類もの柑橘をつくっている地域は世界にもないやろうから、旅行商品にもできるやろうし、これからは、地域の情報発信も重要になってくるやろね。」

持続可能な地域にするには、地域住民も覚悟が必要

「持続可能な地域にするには、地域住民も覚悟を持たんとあきません。」

COREZOコレゾ「NTTを早期退職して退路を断ち、外から目線、積み上げ方式のソーシャルビジネスを通じた持続可能な地域づくり」である。

最終取材;2018.07.

初稿;2018.08.

最終更新;2018.08.

文責;平野龍平

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