中村 武夫(なかむら たけお)さん

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COREZO(コレゾ)「みんなが喜ぶことをしたい、天空の郷をつくり続ける3ナイ孤高の大工棟梁」賞

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中村 武夫(なかむら たけお)さん

プロフィール

佐賀県唐津市出身、在住

中村建築 代表

天空の郷とんこば 代表の美津代さんの夫

大工棟梁

ジャンル

伝統文化

職人

大工棟梁

経歴・実績

1959年 大工見習

1974年 中村建築 設立

2008年 天空の郷「とんこば」に移住

2010年 天空のレストラン「とんこば」オープン

受賞者のご紹介

大工になれば、自分の家が建てられる…

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中村 武夫(なかむら たけお)さんには、ご縁があって2010年に天空の郷「とんこば」を訪れてから、懇意にしていただいている。

中村さんは大工棟梁。中学1年の時に伯父さんの家が建つのを見て、単純に、大工になれば、自分の家が建てられると思った。勉強はあまり好きではなかったし、中学を卒業するとすぐに師匠となる大工棟梁に弟子入りをした。身体は小さかったが、体操をしていたこともあり、身軽で今のような足場がなくても平気だったそうだ。師匠に気に入られて、普通、住み込み見習いは5年で卒業するのだが、15年間も奉公したという。

最後の宮大工といわれた法隆寺の故西岡棟梁に会いに奈良へ

24歳で奥様の美津代さんと結婚した。28歳の時、大手建設会社の下請けもしていた関係もあり、その建設会社が請負っていた東大寺の屋根の修理工事現場で最後の宮大工といわれた法隆寺の故西岡常一(にしおかつねかず)棟梁も仕事をしておられると聞いて見学に行ったが、その現場には西岡棟梁の姿はなかった。現場監督に尋ねたところ、薬師寺の現場におられると聞いてそちらに出向いた。

西岡棟梁を見つけて挨拶すると、「どこから来なすった?唐津?佐賀?えっ、九州?随分と遠くから来なすったもんだ。」と、見ず知らずの若造の大工にも気安く話し掛けて下さった。

「もの言う人さまの家を建てるのは大変やろなあ。自分たちはもの言わん仏さんの家しか建ててへんからなぁ。職人は突き詰めれば勘ですわ。勘は教えようがあれへん。自分たちは飛鳥の工人たちの技術、技法をずっと口伝で伝えられてますのや。どんな難しいもんかと思てましたが、何でもない当たり前のことですねんけど、わかる人にしかわからしまへん。一人前になるには早道はありまへんで、一生、修行ですわ。ごまかしのないほんまもんの仕事をしなはれ。道を極めなはれ。あんたにしかでけへん、これ以上はでけへんちゅう仕事をしていきなはれ。」とおっしゃって下さったそうだ。

「西岡棟梁の本を何度も読んでいたから、いろいろ尋ねたかったが、胸が一杯で、おっしゃることを聞くことだけで精一杯だった。『材で買わず山を買え』、『木は生育の方向のまま使え』、『木造建築は寸法で組むな、木のクセで組め』等の教えは当たり前のことだが、今の大工はそんなことすら知らないよ。」

「山の尾根筋の木はガキ大将みたいなもんで、いつも風雨にさらされて構えているから外部に向いているし、谷底の木は良家のお嬢さんみたいなもんで、外部に使って風雨に当たったら泣き崩れてしまうけど、優しい表情でお客をもてなす内装材には向いている、というようなこと。」

「自分たちが見習いの頃はユンボも重機もなかったから、全部手作業で解体した。古い家を解体する時に簡単に外れると思ったのになかなか外れない組み手等をよく見ると、先達たちの技術や工夫や知恵が詰まっている。西岡棟梁がおっしゃる通り、自分もそうして仕事を覚えた。」と、中村棟梁。

自分の仕事は自分が図面を引いてしたいと独立

唐津に戻り、自分の仕事は自分が図面を引いてしたいと思うようになり、師匠に独立を願い出たが、「お前の代りを育ててからにして欲しい。」と言われ、師匠の家に住み込んでいた他の3人の弟子を2年かけて仕込み、30歳の時に独立した。

その当時の唐津は景気が良く、独立すると仕事がどんどん入った。民家だけでなく、旅館や寺院の庫裡(くり)、専門の木造だけでなく、大手の下請けをするうちに工法を習得した鉄筋コンクリートの建物も自社で手掛け、職人も20名以上抱えるようになっていた。

以前、師匠のところで請負った唐津焼の窯元から展示場の建築依頼が舞い込んだが、師匠の顧客は一切取らないと決めていたのでお断りをした。大手有名百貨店の工務部が請負ったようだが、木を見れないところに頼めないと再び、中村棟梁に声が掛かった。仕方なく、師匠の許しを得て、その仕事を請負った。

ニューヨーク某高級ホテルの日本料理店からの内装工事依頼

地元の知人から京都の老舗料理店の方が銘木を探しているというので、その窯元の現場で使わなかった銘木を送ったところ、気に入られ、それがご縁で、ニューヨークの某高級ホテルの日本料理店の内装手直しの依頼が入った。

一度、下見に行ったが、現地の職人は雑誌や写真を見て、真似をしているだけで、知識も技術も全くないことがわかり、日本から職人を連れて、2週間かけて造作を手直しし、壁を塗り替え、障子等の建具を入れ替えたところ、そのホテルの筆頭オーナーである米国の有名俳優に大変気に入られ、その方が日本贔屓なこともあって、日本から材料を持ってきて、日本家屋で別荘を建てて欲しいと頼まれたが、それはまだ実現していないらしい。

京都の老舗料理旅館「吉田山荘」からの増改築工事依頼

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しかし、また、その仕事がご縁となって、京都の老舗料理旅館「吉田山荘」の増改築の仕事の依頼が入った。唐津にあった古民家を解体、移築することになっていたが、地域住民の賛同が得られず、計画は中止になってしまい、屋根と軒先周りの補修とカフェの改築のみを請負った。

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京都に現場入りをすると、お施主さんから吉田山荘の建造には西岡棟梁が関わっていると伺った。「宮大工は神社仏閣しか建てないと自分の家も他の大工に建てもらったというのにそんなはずがない。」と思い、軒先の修理に屋根に登ってみると、屋根瓦に皇室所縁の「裏菊紋」が入っている。それもそのはずで、吉田山荘は昭和天皇の義理の弟君、東伏見宮家の別邸として昭和7年(1932年)に建造されたということを知って合点がいった。その本館の建造に西岡棟梁が関わったかどうかは定かではないが、表唐門を見ると西岡棟梁の仕事だとわかったという。この唐門は西岡棟梁が1932年に建てたという記録も残っているそうだ。

「何かのご縁で、大工棟梁として尊敬する西岡棟梁と同じ現場で仕事ができて感激したよ。表唐門はさすがの出来映えで、門柱を触ったり、造作を穴があく程見ましたよ。」と、中村棟梁。

唐津も商売やみかん栽培で景気が良かった時代があった

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唐津も商売やみかん栽培で景気が良かった時代には民家でも建坪が100坪以上の家屋も多く請負っておられたが、今ではそんな現場を見ることすらないそうだ。思う存分、腕を振るえたのは、福岡空港周辺の大地主のおばあちゃんの家が最後の現場で、10年以上前のことだそうだ。どこかで中村棟梁の評判を聞いたらしく、「道路整備で立ち退くことになり、本家なので分家よりええ家を建てて欲しい。」と、訪ねて来られた。

「かなりご高齢のおばあちゃんだったし、本当に頼みに来るなら息子か誰か身内と一緒にくるだろうと思ったけど、せっかく訪ねて来られたんで、希望を聞いて図面を引いてあげたら、『見積をくれ。』っておっしゃる。でね、それならばと、おばあちゃんの立ち退き前の家を訪ねたら、驚いたね、その立派な家に負けない家を建てようと気合いが入ったよ。そのおばあちゃんは去年亡くなったんだけどね、跡継ぎの娘さんから点検に来て欲しいって頼まれているんで、一緒に見に行きますか?」と、中村棟梁。

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二つ返事でついて行くと、福岡空港の離着陸時に見えるかなり高級そうな住宅地にそのお宅はあった。門だけでも安モンの家1軒分以上するそうだ。威風堂々とした外観に屋内も見る人が見ればわかる材木が惜しみなく使われていたが、決してこれ見よがしではなく、とても上品に仕上げられていた。

「ウチの母は天井の高い家が好きで、中村棟梁は少し小柄なので心配していましたが、出来てみると棟梁2人分ぐらいの天井高があり、住み心地がいいと気に入って、一人暮しでしたが、晩年をとても幸せに過ごせたと言ってましたよ。」と、お施主のおばあちゃんの娘さん。

「張り切り過ぎて、ほとんど儲けがなかったね、ハハハハ。」と、中村棟梁。

作業場は木好きにとっては真に宝の山

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その後、中村建築の作業場にもお連れ頂いた。これがめっちゃ広く、地方でもこんな大規模は作業場を持っている個人の工務店はないそうだ。今では伐採が禁止になって市場に出回らない貴重な銘木や古民家に使われていた巨大な梁や古材等が整然と並べられていた。木好きにとっては真に宝の山である。実用新案を取得した国産材を活用するログハウス用に作らせた製材機械から、何でも揃っている。中央には大工の魂、指矩(さしがね)が祀られてあった。

「その指矩(さしがね)はとても古いものでね、ずっと探していたんだけど、偶然見つけて、その場でとても言えない向こうの言い値で買った。材木も一期一会でね、いい材は見つけた時に買っておかないと二度と同じ材に巡り会うことはない。だからね、儲けは全部材木や道具を買うのに注ぎ込んでしまって、かーちゃんにいつも叱られていたよ。ウチは、天然乾燥材を買うんだけど、買ってもすぐには使えない。ウチでさらに2〜3年、ケヤキの太いのは5年以上乾燥させる。最盛期には年間10棟前後建てていたので、何時でも注文を受けられるように10棟分ぐらいのストックは常時あるよ。」

「でもね、2年前(2010年)に肩の腱を切って入院したでしょ?もう仕事には何の支障もないんだけど、あれ以降、木造建築の仕事は入って来なくなったね。景気がさらに悪くなっているのもあるんだろうけどね、腕が錆びつかないようにウチの増改築をボチボチしていますよ。」

県営住宅や学校の建設、改修工事等、県が発注する建設工事を入札する業者の団体にも加盟していたが、入札の仕組みや役員に2期連続で選出されたのが腑に落ちないと辞めてしまった。

請負った飲食店舗物件で活魚料理屋を始めたら大繁盛

「食べて行くにはどんな仕事でもこなさないといけないと思うけど、ずっとこの腕1本で生きて来たし、営業も宣伝も一度もしたことがない。西岡棟梁も宮大工の仕事がない時は農業をして食べてたというから、プレカット(機械切削)やホチキスとネジでとめるような新建材だらけのビニールハウスみたいな家を作るぐらいなら、私も農業をするよ。もうやってるけどね。」と、中村棟梁。

独立した当時、解体業者はまだ存在していなかったので、自前で解体して、その廃材を再利用したり、処分する場所を確保する必要があり、山林を購入し、作業場を作っていた。自分の住む唐津にいつか小京都を作りたいと思っていたが、31歳の頃からは、将来、食糧難の時代が来るかもしれないと危機感を持ち始め、もしもの時でも、飲み水が確保でき、自足自足ができるような土地や山林を見つけては購入し、開墾したり、耕作放棄地を再生したり、果樹や食用の実がなる樹木を植え、30年以上の歳月をかけて、天空の郷「とんこば」がつくられていった。

40歳の時、建築を請負った唐津バイパス沿いの飲食テナント物件の店子が決まらなくてお施主さんが困っておられたので、奥様の美津代さんと相談して、自分たちがテナントに入った。近所になかった活魚料理屋を始めたら、中村棟梁も仕事がない時は皿洗いを手伝う程、大繁盛した。10年後にこちらも建築を手掛けた物件に店舗を移した頃には長男さんが板場を切り盛りしていた。

そして65歳の時、転機が訪れる。板長の長男さんが事故で大けがをして店を休業せざるを得なくなったのだ。忘年会シーズンが間近で臨時の板長を雇って店を存続することや店舗を取り巻く状況等を考えた末に、そのまま廃業することにした。

天空の郷「とんこば」とは?

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天空の郷「とんこば」は、唐津バイパスから車で山の方へ約20分、標高約250mの山あいにある。最寄駅はJR筑肥線の浜崎駅だ。「天空の郷」という名前に相応しく、唐津湾、玄界灘が一望に見渡せ、周囲は森林(これより上に人家はない)、敷地には小川も流れている。名称の由来は昔のこの地の地名、「殿木場(とのこば→とんこば)」にちなんでいるそうだ。

2008年、中村棟梁はご夫妻で、天空の郷「とんこば」のある場所に移住した。その頃には周囲の所有する山林は1万5千坪を超え、湧き水を貯める池も造成し、飲料に適した井戸も掘り当てていた。

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2010年、長男さんの回復を待って、地鶏の炉焼や川魚料理等を提供するレストランと、米パンを焼くベーカリーをオープンした。教育旅行、修学旅行の体験民泊の受入れ、「地球市民の会」の海外からの訪問客の受入れも開始した。

「ここに来て、この風景を眺めているうちにどうして喧嘩していたのか忘れてしまった。」というさっきまで夫婦喧嘩していたご夫婦、「帰ったら、空気も水も食べ物もマズイ。どうして横浜に生まれたんだろ?」という便りをくれた民泊の小学生、家族ぐるみで付き合っている韓国人家族、・・・、さまざまな出会いと交流が生まれた。

「孫はもちろん、子供が好きだからね。サワガニや山菜を採りに連れて行って、天ぷらにしたり、竹を割って流し素麺をしたり、そこらに植えているサクランボやビワ狩りをしたり、みんなが喜んでくれると嬉しいね。家を建てるのもそうだけど、家族団らんや仲間同士が仲良くなれる空間や環境をつくりたい。来てくれる子供たちはもちろん、ひとにも、モノにも、飼っているヤギにも、犬にも、鶏にも、植えた樹木にも、元からある樹木にも、野菜にも、自然や花にも、そして建てる家にも、・・・どんなものにも愛情を注げば、必ず応えてくれる。応えてくれた時には、心から『有難う』ってね。」

「でもね、人が住むのにヘンな新建材だらけのビニールハウスではダメでしょ?息が詰まってしまう。それが今の建築基準だからね。家庭内暴力やいろんな社会問題が起きるのもそれが原因のひとつだと思いますよ。大工になった次男や三男には悪いけどね、やせ我慢でもなんでもなく、そんな家は私にはつくれない。」

「ウチでつくった野菜美味しいでしょ?まだまだ素人だけれど、農薬も何もやってないから。レストランで出す野菜も全部ウチでつくった野菜にしたいね。今日も朝から畑を耕して、大根の種を蒔きましたよ。」と、中村棟梁。

営業しナイ、行政の仕事はしナイ、気に入らない仕事はしナイ

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中村棟梁の理想郷である「とんこば」は、ガウディのサグラダファミリアのように(ちょっと、いや、だいぶ違うか?)、日々、造成、増改築が続けられているので、訪れる度に様子が変わっている。いつも変わらないのは、「とんこば」の芝は青く、雑草が1本もないってこと。なぜって?それは棟梁が見つけたらすぐに抜いているから。

「とんこば」は、「営業しナイ」、「行政の仕事はしナイ」、「気に入らない仕事はしナイ」の3ナイ孤高の棟梁がつくり続ける「天空の郷」なのである。

コレゾ財団・賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、

「私なんかでいいの?ハハハハ、有難くもらうよ。前祝いにビール飲もうか?」と、快諾して頂いた。

COREZO(コレゾ)「みんなが喜ぶことをしたい、天空の郷をつくり続ける3ナイ孤高の大工棟梁」である。

後日談1.第1回2012年COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談2.第1回2013年COREZO(コレゾ)賞表彰式

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後日談3.第1回2014年COREZO(コレゾ)賞表彰式

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中村 武夫(なかむら たけお)さんに関するお問い合わせは、

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

COREZO(コレゾ)賞 事務局

編集更新;2012.11.02.

最終取材2014.12.

編集更新;2015.03.09.

文責;平野龍平

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